お嬢様達のナイトメア その11
同じ頃 白金寮 応接室
「あれ?おばあちゃん」
応接室に呼び出された水瀬は、てっきり理沙が訪ねてきたものだとばかり思った。
だが、目の前でお茶をすするのは、理沙ではなく、祖母の神音と、横には何者かわからないが、ローブをまとい、フードをかぶった者がいた。
「人間界のお茶も、悪くないわね―――頼まれたもの、持ってきたわよ?」
テーブルの上に置かれた封筒を指で指しながら、神音はそう言った。
「ありがとうございます」ローブ姿の者に一礼し、水瀬は席に着いた。
「珍しいじゃない。あなたが薬について知りたがるなんて」
神音は、不意に辺りを見回すと、水瀬に顔を近づけて小声で言った。
「で?こんなクスリ、誰に使うの?綾乃って娘?それとも祷子って女?」
「僕じゃないですよ!」
「で?どっちに使うの?祷子って女も、器量いいじゃない。どう?二号に」
「怒りますよ!?」顔を真っ赤にした水瀬が怒鳴る。
「違うの?じゃあ!売り物にするなら、おばあちゃんを絡ませなさい!?他のクスリも売りたいし。あ、利益は0.1:99.9で手を打つわよ?私が後者」
「―――あの、孫が非合法の薬を売るって、祖母としてどう?」
「何言ってるのぉ!」
神音はケラケラ笑いながら言った。
「それって、昔から毒薬や魔法薬を武家や公家に売りつけて、金さえ積まれれば、呪殺だの暗殺だの、悪事に関しては、幅広くやってきた水瀬家の一員の言葉じゃないわよぉ?」
「―――はっ……ははっ」
祖母の口から出る水瀬家の裏を聞いた水瀬は、思いっきり引きつった笑顔で神音を見た。
どこまで本気か、この人の場合、わからないけど、でも、全部がウソとは限らない。
「じ、冗談―――ですよね?」
「本当のことよ?水瀬家が元々は陰陽寮じゃなくて、薬師として宮中に入った事、知らないわけじゃないでしょう?」
「初耳です」
「陰陽のお偉いさん達、薬漬けにして、それから乗っ取ったことも?」
「知りません」
「歴代政府のお偉いさんも、ウチにとって都合悪くなったら次々殺しちゃったのも?」
「どういう家ですか、ウチって!」
「―――由忠、叱らなくちゃいけないわね。ご先祖様の栄光の歴史を後代に伝えることだって、当主として当然の勤めなのに」
「普通は一族の恥部ってものです!」水瀬は頭痛を抑えながら神音に言った。
「世間様に誇れることじゃないでしょう?」
「―――本っ当に、あなたって、由忠の子だわ」
不満げな目をする神音からあえて視線を外した水瀬は答えた。
「ここに来て、自分の出自というか、親を呪いたくなってますけど、とにかく、“ドムネル”についてです」
「もうマジな時間?つまんないわねぇ―――ま、いいか。どう?念のため、ウチと取引のある薬師、連れてきたけど?」
「薬師?」ローブが軽く一礼した。
「ええ。妖精界のね。天界との関係あるから、身分や名前は明かせないけど、それでもいいなら」
「お願いします」
神音に促されるようにしてフードを外した者の素顔は、女性のそれだった。
白い透き通った肌。尖った顎。青い瞳。
一瞬、白人の少女かと見間違えるが、違う。
耳が人間では考えられない程尖っている。
水瀬は、それでわかった。
―――エルフだ。
エルフ
妖精界に住む精霊の一種。人間界にも一部が住むが、ほとんどは妖精界に住む。
薬物に詳しく、天界や魔界に薬となる薬草などを納めてはいるが、基本的には他の世界に関わろうとはしない。
「“オレアン”とお呼び下さい」
その口から出てきたのは、心が安らぐような滑らかな口調による人間以外の言葉だ。
「真の名前は、明かすことが出来ません」
「構いません」水瀬も同じ言語で応じる。
「早速ですけど、この“ドムネル”についてですが」
「はい」
オレアンは、滑るように語り出した。
「“ドムネル”について語る前に、まず妖魔“ドム”についてご説明します。
最大でも身長3センチ程度の小さい寄生虫の形態をしています。
主に妖精界に、一部が魔界でも生息していることが調査の結果、判明されています。
そうですね。人間界には、意図的に持ち込まれたもの以外は確認されていません。
それで、この妖魔ですが、先ほど申し上げたとおり、寄生虫で、宿主の一部を変形させることで巣を作ります。
宿主は人型妖魔が多く、妖魔以外では人間が最も適した存在です。
そして、その巣の中で、宿主の体液をエサに生息。一定期間の間、卵を産み、死にます。
“ドムネル”は、この“ドム”の卵のことです。
この卵には、強い催淫効果があり、普通は胃液と化学反応を起し、薬物効果を示します。まず、胃から吸収された成分が快楽神経にまわり―――」
「あの」
話が長くなりそうだった水瀬が手を挙げて止めた。
「―――何です?」
「その、寄生虫っておっしゃいましたね?」
「ええ」
「宿主は、自分が寄生虫に犯されていることに気づくんですか?」
「ええ。気づきますよ?」
「痛みとか?」
「いえ?快楽で」
「は?」意味がわからない。寄生虫に入られて、痛みを感じない?
「宿主の快楽中枢と、この虫の営みがリンクされるのです。―――あっ。寄生虫に犯された者の症例を持ってきました。見ますか?」
オレアンがバックから取り出したのは、数枚の写真だった。
「―――これって?」
「人間の女性に取りついた時の写真です」
「何だ?話とは」
「これ、なんだと思います?」
白銀から舞が手渡されたのは、一枚のハンカチだ。
「ハンカチ?」
その勝ち誇ったような目が、舞の神経に障ったが、舞はそれを受け取った。
「―――これは?」
白いハンカチが赤黒く染まっていた。
「ご自分の血です」
「私の?ということは、これの持ち主が犯人と?」
「―――まぁ、そういうことになりますね」
「煮え切らないな」
「ハンカチの刺繍、ご覧になったらいかがですか?」
「刺繍?」
「あなたが想い人に差し上げたハンカチですもの」
「―――なっ」
ハンカチに顔を近づけ、舞は顔色を失った。
確かに間違いない。
これは去年、彼女の誕生日に、私がプレゼントしたものだ。
この刺繍は、特注だから忘れることはない。
彼女は、これをとても喜んでくれた。
だからこそ、私の誕生日に、同じように刺繍の入ったリボンをプレゼントしてくれたんだ。
「ばっ。ばかな―――」
「―――その“ばかな”とは、あなたの想い人が、あなたを殺しかけたことをおっしゃっていますか?」白銀は無表情を崩さずに訊ねた。
「何かの間違いだ!」
舞はそんな白銀に怒鳴った。
「あいつは、虫一匹殺せる娘じゃない!」
「そうですね」
白銀は、息を細く吐き出すように言った。
「あの子は、そんな子じゃないですよね」
「そうだ!白銀、これは絶対、何かの間違いだ」
相手が理解を示してくれたと感じた舞は、一気に説得にかかろうとして、言葉を止められた。
「―――あの子は、犯行現場にはいなかった。しかも、風紀は、事件があった頃のあの子のアリバイを確認していません」
「しっかりしろっ!警察官僚を輩出してきた名門芹沢家の一員だろう?普段のその情報収集能力はどうした!?」
「―――犯行現場から遺留品が出て、犯行時刻にアリバイがない。……普段のあなたなら、それだけで身柄拘束に動くでしょうに」白銀はまっすぐに舞を見つめた。
いや、睨み付けた。
「―――私が私情で動いている。と?」
ぎりっ。奥歯をかみしめた舞が白銀をにらみ返す。
「ええ。そうですわ」
そう答える白銀からは、舞に対する明らかな軽蔑が見て取れた。
「風紀委員長として、冷静さを失っていただいては困ります。それでは部下への示しがつきません」
「あの子を、お前は拘束し、犯罪者にしたてるつもりか!?」
「間違っていただいては困ります。委員長」白銀は言った。
「私が仕立てるのではありません。あの子は、すでに犯罪者だと、そう申し上げているのです」
「なっ!」
つかみかかろうとする舞に、白銀は冷たく言い放った。
「事実は揺らぐことはありません。そんなに疑われるのでしたら、ご自身で確かめられたらいかがです?」
「確かめる?」
「ええ。本人に」
「―――わかった」
舞はハンカチをポケットに押し込むと、白銀に背を向けた。
「寮にいるはずだ。今から」
「いいえ?」白銀は歌うような軽やかさで答えた。
「あの子は今、寮にはいません」
「いない?」
振り返って見た白銀の顔は、とても楽しそうだった。
「ええ。別な場所に」
「どこだ?―――お前、まさか」
「拘束はしていません。任意で同行いただいただけです」
「風紀委員会室か?」
「まさか」白銀は鼻白んだ様子で肩をすくめた。
「今宵は満月ですよ?」
「?何を言っている?満月だろうが半月だろうが――」
「儀式の夜です」
「儀式?」
混乱する頭を励起して、ようやく思い当たったことがあった。
「普通科生徒の間で、深夜、意図不明のミサが行われていると報告を聞いたことがある。それか?」
「あれはあくまでエサというか、仲間を増やすためのもの」
白銀は、何が楽しいのか、笑顔を浮かべたまま、窓の外に顔を向けた。
白銀の表情が、舞の視界から消えた。
外からは満月がこうこうと白い光を放っているのが見える。
「餌?仲間?白銀―――」
―――何を言っている?
舞の本能が警告を発した。
危険だ。
白銀は、何かを隠している。
いや、何かを狙っている。
それは、私にはあまりに危険すぎることだ。
「私も参加しました。願いを叶えるために。―――普通科に紛れるのは苦労しましたけど。でも、それだけの効果はあったのです」
「お前、風紀だろう!?そんないかがわしい集会に参加するなど!!」
「風紀……教養科生徒……そんなものに、何の価値があるというのです」
全てを見下したような白銀の言葉に、舞は返答に詰まった。
「白銀?」
「あの子の前では、そんなものは無意味、無価値……私にとって、私自身ですら。……そう。あの子を手に入れるなら、手に入れられるなら、全ては、何の意味もないことです」
「?―――っ!!」
満月を見つめていた白銀が顔を自分に向けた瞬間―――
舞は戦慄、身構えた。
白銀の顔は、一変していた。
冷たい印象を受ける人形のような顔は相変わらずだ。
だが―――
血のような瞳
長く伸びた牙
それは―――
それはまるで―――
「白銀……お、お前……」
「ええ。全ては望みをかなえるため。さぁ。長々話しましたが、ここまでです。あの子も待っています。―――生け贄をね」
「いけ……にえ?」
なんだ、それは?
舞はそう言いかけて、息を止めた。
ドンッ!
「ぐっ!!」
いや。止めさせられた。
身体が浮く程の腹部への鈍い衝撃が、全身に激痛を運ぶ。
「あんた、とことん邪魔者なのよ。だから、消えてよ」
その怒りを隠した白銀の言葉。
そして、
「―――ぐっ。ハッ」
鳩尾への、舞ほど鍛えた者でも耐えられない一撃が、全身の力を奪う。
「もう一発、受けてみる?」
面白いという声色の白銀が、短く拳を引き―――
「がっ!!」
再び、舞の身体に拳がめり込んだ。
「うふふっ。あらら。白目向いちゃって……かわいいわよ?……ん?横隔膜いっちゃったかな?―――いけない。委員長……いえ、舞?死んじゃダメよ?これからがお楽しみなんだから。じっくり楽しんでから、死んで頂戴」
めり込んだ拳を、まるで舞の身体を愛おしむかのようにゆっくりとねじ込む白銀。
「ガッ―――グハッ―――ヒグッ!」
その動きの度に、舞は意識を失い、激痛に目覚めさせられる。
「さて。いきましょうか。……儀式に。ねぇ?生け贄さん」
ズルッ
拳が引き抜かれ、支えを失った舞は、白銀に力無くもたれかかる。
舞は、意識が遠のいていく中で、白銀の言葉を聞いた気がした。
「あの子は―――うららは、私のモノよ?」
舞の意識は、暗黒の中へ、落ちていった。