その風、強く冷たく1
前方に広がる荒野を前に、ただただ言葉を詰まらせる。道はあるのだ。歩けばいつかは街に辿り着けるはず――そう信じて進むしかない。セレートと手を取り合い、乾いた大地を踏み締める。
食べ物も、飲み物もない。あるのは飢えと渇きのみ。人に見つけてもらえる前に、私たちが果てるかもしれない。絶望に似た感情が沸き上がるけれど、飲まれてはいけない。私たちは未来への希望を見出すために、ここまで来たのだから。
数時間歩き続け、ついにセレートの膝が折れる。私の物ではない腹の鳴き声が周囲に響き渡った。
「腹が……空いたな」
「私も、もうくたくた……」
「少し休憩しよう」
木陰も何もない荒野で太陽に照らされ、セレートと身体を寄り添わせる。そんな私たちに追い打ちをかけるかのように、埃の混じった冷たい風が吹き抜けた。手はかじかみ、赤くなっている。
すると、前方から何かが近づいてきたのだ。あのシルエット、馬の蹄の音――馬車、だろうか。救いの使者なのか、それとも断罪者なのか。何も分からない。私たちは顔を見合せ、肩を寄せあった。
二台の小さな馬車は私たちの目の前に停車し、御者であろう甲冑を着た騎士が私たちを見下ろす。その馬車には獅子の紋章――ライカ王国の旗が掲げられていた。
「貴殿をアイナリス第二王子、セレート殿下とお見受けする」
「……そうだが」
訝りながらも、セレートは凛と声を張る。
「王都へ来て頂けませんか? ライカ国王陛下がお待ちです」
セレートは睨みを利かせ、口を曲げた。
「騎士ともあろう者が、馬の上から王子に物申すとは。貴殿らの度量が知れる」
「申し訳ございません」
ようやく騎士たちが馬から降りたので、セレートも腰を上げる。私だけが座っているわけにもいかず、のそりと立ち上がった。
「ライカ国王は何と?」
「とにかくお会いしたいと」
セレートは顎に手を当てたものの、すぐに頷いてみせる。
「背くわけにはいかない。ローラ、行こう」
「……うん」
セレートは私の手を引き、一つの馬車にエスコートをしてくれた。セレートも同じ馬車に乗り込もうとしたのだけれど、騎士は声を張る。
「セレート殿下は後ろの馬車へ」
「えっ?」
「亡命者を一つの馬車に乗せるわけには行きませんから」
ここで、初めて私たちの立場を認識させられた。亡命者――私たちは要人でも、王族貴族でもない。ただの密入国者、というわけなのだろうか。セレートの兄であるリアムが口添えをしてくれたはずなのに。
少なからず衝撃を受けていると、またしても騎士は声を上げる。
「早く言う通りに」
セレートは小さく舌打ちをし、私に背を向ける。ドアが閉められると、少し間を置いてから馬車は動き始めた。
ライカ王都までは四日間の日程を要した。食事は現地調達したサンドイッチばかり――飢えは凌げているけれど、文句は言いたくなってしまう。その言葉をぐっと飲み込み、毎回紙袋を騎士から受け取った。
セレートとも会話をするどころか、顔すら合わせられないままだ。同じ空の下にいるはずなのに、その存在が果てしなく遠い。セレートの笑顔、父の「行ってこい!」と言った力強さ、母の手の温もり――それらを思い出し、心に空いた穴を埋めるしかなかった。
そして、城での対面の時は来る。
「セレート様……!」
「ローラ、大丈夫か?」
走り寄ろうとする私たちの間に、二振りの剣が割って入る。剣を出した相手である騎士を見てみると、ゆっくりと首を横に振るだけだった。
無言のまま、紺の絨毯の上を歩く。祖国であるアイナリス国の城にも見劣りしない。天井が高く、荘厳で開放感のある城だ。
国王は私たちを受け入れてくれるだろうか。セレートとの仲を認めてくれるだろうか。不安ばかりが顔を覗かせる。
一つの巨大な扉の前まで来ると、警備の騎士が声高らかに宣言した。
セレートと再会を果たしても、会話は許されなかった。私たちの脇には兵士が控えている。剣を携えているので、一言でも喋れば切られるかもしれない。磨かれた大理石で作られた玉座の間へと続く階段には、足音だけが響く。セレートの表情を窺おうにも、緊張が邪魔をしてしまう。
扉の前までたどり着くと、兵士は声高らかに宣言した。
「アイナリス国第二王子、セレート殿下、ローラ嬢をお連れしました」
重たい音を響かせながら、眼前の扉が開かれていく。隙間から溢れた光に目が眩みそうになる。
荘厳なステンドグラス、豪華なシャンデリア、輝く白い床と壁、そして紺の玉座には国王の姿があった。
「ローラ、行こう」
ようやくセレートが囁いたかと思えば、儚く微笑んでくれる。なにか悪いことが起きそうな予感がして、言葉を返せずに頷くに留まった。
一歩一歩、玉座に近づく。目の前にしてもライカ国王を直視することができず、頭を垂れてセレートと共に跪いた。
「よくぞライカ国を頼ってくれたな、セレート。そなたの兄、リアムから話はあらかた聞いている」
温和な声色から、私たちをぞんざいに扱うつもりはないかもしれない。淡い期待が芽生え始める。
それも束の間、ライカ国王は細い息を吐き出した。
「だが」
言い切ると、しばし間を置く。
「貴殿がしたことは、賞賛すべきことではない。王や国への裏切り行為だ」
「それは分かっています。言い訳するつもりはございません」
「うむ。リアムも叱っておかねばならないな」
「兄上は無関係です」
強い語気でセレートが言うと、また僅かばかりの間が開いた。
「無関係ではないだろう。貴殿をこの国に手引きしたのはリアムだからな」
そのやり取りを、祈るような気持ちで聞く他はなかった。
「さて、貴殿らの処遇をどうしたものか……」
この時、初めてライカ国王を見上げた。焦げ茶の艶やかな長い髪に、垂れ気味の深い青い目――柔らかな印象は、厳格で知られるセレートの父、アイナリス国王とはまるで違う。ライカ国王は顎に手を当て、私たちを見下ろしている。
生唾を飲み込み、次の言葉を待つ。
「王都に住まわせたのでは、貴殿らの逃避行を認めたことになる。他国に合わせる顔がなくなってしまうからな」
「俺は、辺境の地でもいいのです。ローラと一緒に暮らせるのなら」
「それも『一生』というのは無理な話だぞ? 私は貴殿らをかくまう気は毛頭ないのでな」
「そんな……」
追い出される。その覚悟をしなくてはならないのだろう。セレートと一緒に吐息をつく。
「だがまあ、今すぐに出ていけというわけではない。『一年』だ。一年かけて、放浪生活をする準備を整えなさい。もちろん、政治に関わることは断じて許さない」
一年なんてあっという間だ。厳しすぎはしないだろうか。しかも、放浪生活なんて。今の私には想像もつかない。
「その一年の間、どこに住まわせるかも問題ではあるがな。他の貴族たちとも話し合って決めたい。少し時間をくれないか?」
「それは……もちろんです」
そうする以外にはない、というようにセレートは項垂れる。彼もまた、ライカ国を追い出されるとは思いもしなかったのだろう。
「下がりなさい。処遇は追って報告する」
国王の凛とした声が響く。セレートがゆっくりと立ち上がるので、私もそうせざるを得なかった。
私たちはこれからどうなるのだろう。セレートと一緒にいられることは約束されたものの、未知の未来に絶望するしかなかった。




