看板娘に恋をした男
俺の名前はダン。十九歳。D級冒険者だ。
特技は、安い飯屋を見つけること。
冒険者ってのは、とにかく金がかかる。剣の研ぎ代、薬草代、宿代、防具の修理代。D級の稼ぎなんて、右から左へ消えていく。だから俺は、この街の安くて量の多い大衆食堂を、すべて把握している。
そんな俺にとって、冒険者ギルドの中にある食堂「四つ葉亭」は、存在しないも同然の店だった。
高い。
味はいいらしい。でも、高い…。
スープとパンだけで、大衆食堂の定食が二回食える。そんな店に入るのは、懐に余裕のある上級の冒険者か、ギルドの職員くらいのもんだ。
俺には、一生縁のない店。
そう思っていた。
あの日までは…。
◇ ◇ ◇
その日、俺は依頼の報告のために、ギルドのカウンターに並んでいた。
ふと、ギルドの奥が騒がしいことに気づいた。
冒険者たちが、なぜかみんな、同じ方向を向いて固まっている。依頼人のおっさんが、書類を書く手を止めている。受付のリリィちゃんが「かわいいーっ!」と叫んでいる。
なんだ?と思って、俺も振り返った。
そこに天使がいた。
真っ白なブラウス。明るいオレンジ色のスカート。見たことのない形のエプロン。リボンでまとめた、つややかな長い黒髪。
そして、その、エプロンの、胸のところが。
――ばいんっ!!
いや、ばいんっ、どころじゃない。ばばーんっ!! だ。十九年生きてきて、いちばんの「ばばーんっ」だった。
(で……でっっっっか……!!)
俺は、持っていた依頼の報告書を、床に落とした。
「お、おい?ダン、報告書…」
隣に並んでいた同期のトムが、肘でつついてくる。
聞こえなかった。
天使が、こっちを見た。
にこっ、と笑った。
「いらっしゃいませー! 四つ葉亭、本日も営業中でーす!」
その日、俺は生まれて初めて「四つ葉亭」の扉をくぐった。
一番安いスープとパンを頼んだ。
天使が、運んできてくれた。
「お待たせいたしましたー! 熱いのでお気をつけてお召し上がりくださいませー!」
スープはうまかった。
たぶん…。
正直、味はまったく覚えていない。
◇ ◇ ◇
天使の名前は、マナミさんというらしい。
それから俺は、毎日、四つ葉亭に通うようになった。
当然、金が足りない。
だから、依頼の数を増やした。朝は薬草採取。昼は荷物運び。夕方は下水道のネズミ退治。夜は四つ葉亭。
「お前、最近めちゃくちゃ働いてるな」
トムが、呆れた顔で言った。
「当たり前だろ!? 四つ葉亭の唐揚げは、一皿で大衆食堂の定食二回分だぞ!」
「だったら大衆食堂行けよ」
「バカ野郎!!大衆食堂にはマナミさんがいねえだろうが!!!」
「……お前、それ、目的変わってないか?」
変わってない。
俺の目的は、最初から最後まで、マナミさんだ。
しかし、俺のような男は、ひとりではなかった。
四つ葉亭は、連日満席になった。若い冒険者。商人。職人。
なんか近所の、どう見ても冒険者じゃないおっさんまで。
全員が、マナミさんを見ている。
(くそっ……ライバルが多すぎる……!)
しかも、そいつらの中には、たちの悪い連中もいた。
ある晩、よその街から流れてきた荒くれ者が、酒に酔ってマナミさんの手首をつかんだ。
俺は、立ち上がろうとした。
立ち上がろうとした、んだけどぉ……。
それより早く、隣のテーブルのB級剣士ミアさんが剣の柄に手をかけ、奥の席のA級パーティが無言で荒くれ者をにらみ、ギルドマスターのガルドさんが熊みたいな足音で近づいてきて、とどめに店長が音もなく荒くれ者の背後に立った。
荒くれ者は、泣きながら逃げていった。
俺は、半分立ち上がった中腰のまま、そっと座り直した。
(俺……出る幕、なかったな)
というか、あの面子の中に俺が混ざったところで、何の足しにもならない。
なんなら、あの空気の中で立ち上がりかけた俺のほうが、ちょっと怖がられていた気がする。
◇ ◇ ◇
しばらくして、街にこんな噂が流れ始めた。
「夜の店に、四つ葉亭の娘みたいな服を着た姉ちゃんがいるらしい」
トムが、にやにやしながら俺の肩を叩いた。
「行ってみようぜ?ダン!」
「行かねえーーーーーよ!」
「お前……マナミさんに手出しできない男どもが、どこで発散してると思ってんだ?」
「俺は、そういうんじゃねえ」
「いいから、いいから」
結論から言う。
行った。
トムに引きずられて、行った。
そして、店に入った瞬間、俺は叫んでいた。
「違う!! そうじゃないッ!!!」
確かに、オレンジ色の服を着たお姉さんたちがいた。白いブラウスもあった。エプロンっぽいものもあった。
でも、違うのだ。
スカートの丈が違う。エプロンの形が違う。胸元の支え方が、まったく、根本的に、違う。
なにより、「いらっしゃいませー!」のときの、あのまぶしい笑顔が、ない。
「あのなぁ…トム。マナミさんの服はな…エプロンの胸当てがぁ…下から、こう、ぐいっと支える形になっててだな……!」
「お前、詳しすぎて引くわ……」
俺は、何も頼まずに店を出た。
トムは、普通に楽しんでいた。
◇ ◇ ◇
そして、運命の日が来た。
俺は、D級になって、もうすぐ一年になる。最近、ギルドでの評価がほんの少しだけ上がって、「D級の中では上のほう」と言われるようになった。
……それだけだ。昇級したわけじゃない。
とにかく、俺は勇気を出した。
カウンター席で、マナミさんに話しかけた。
「あ、あの、マナミさん。俺、この前、D級に上がったんです」
ちょっとだけ、話を盛った。
E級からD級に上がったみたいな言い方をしたけど、本当は、D級の中で、ちょっと上のほうになっただけだ。でも、「D級の中で、ちょっと上のほうになりました」じゃ、ぜんぜんかっこつかない。
「えーっ、すごい! おめでとうございます!」
マナミさんが、ぱあっと笑った。
俺の心臓が止まりかけた。
「それで、その……マナミさんの、その服、すごく似合ってます」
「えへへ……そうですかぁ? 見る目ありますね!」
マナミさんが、カウンターに両肘をついて、俺の顔をのぞき込んだ。
近い。
近い近い近い。
あと、カウンターに両肘をついたせいで、その、エプロンの、胸のところが。
――むにゅっ、と。
カウンターの上に、のった。
(の、のってるうううう!! カウンターに!! のってるううううっ!!)
(見るな、ダン! 見たら死ぬぞ! いや、見なくても死ぬ! どっちにしろ死ぬ!!)
俺は、全身の力を首に集めて、ぐいんっ、と天井を見た。
天井の木目を数える。いち、に、さん。だめだ、木目まで丸く見えてきた。
「すっごぉい♡ D級ってことは、もっと上も目指せちゃいますね! かっこいいなぁ〜♡」
かっこいい。
マナミさんが、俺を、かっこいいって。
その瞬間、俺の頭の中で、吟遊詩人の英雄譚みたいな、壮大な未来が語られ始めた。
俺がC級に上がる。B級に上がる。いずれA級。そして、四つ葉亭のカウンターで、マナミさんに花束を渡して――
「俺、今からもっと難しい依頼受けてきます! C級の魔物討伐とか! 帰ってきたら、土産話いっぱい聞いてくださいね!」
俺は代金を置いて、受付に走った。
C級の依頼書を、ひっつかんだ。
そして、その袖をマナミさんにつかまれた。
「やっぱり、いつもの依頼にしよ? ね? ちゃんと帰ってきて、また唐揚げ食べに来てくれたほうが、わたし嬉しいな!」
俺は、D級の依頼書に持ち替えた。
マナミさんに心配された。
マナミさんが、俺に、帰ってきてほしいって。
(これは……脈ありでは……?)
三日後、依頼をこなして帰ってきた俺に、マナミさんは「おかえりなさーい! よかったぁ!」と笑って、唐揚げをひとつおまけしてくれた。
それだけだった。俺は泣いた。
唐揚げは、しょっぱかった。たぶん、涙の味だった。
◇ ◇ ◇
それから、しばらくして。
四つ葉亭が、何日も閉まった。
『本日休業』
店長が腰を痛めたらしい、と聞いた。
(店長の腰はどうでもいい。マナミさんは……?)
マナミさんの姿も、ギルドのどこにも見当たらなかった。
俺は、毎日、閉まった四つ葉亭の扉の前を通った。
一日目。閉まってた。
二日目。閉まってた。
三日目。閉まってた。トムに「お前、毎日そこで立ち止まるのやめろ。怖いから」と言われた。
四日目。閉まってた。俺は、大衆食堂の定食を食べながら、ちょっと泣いた。安くて量が多いのに、まったく満たされなかった。
そして、五日目の朝。
四つ葉亭の扉が、開いていた。
「いらっしゃいませー!」
あの声が、聞こえた。
俺は走った。
店に飛び込むと、オレンジ色の制服のマナミさんが、いつもの笑顔でそこにいた。
よかった。
本当によかった…!
「マナミさん! お、おかえりなさい!」
「あっ、ダンさん! ただいまでーす!」
名前を、覚えてくれていた…!!
俺は、その場で膝から崩れ落ちそうになった。
だが。
その日、俺は気づいてしまったのだ。
厨房の店長が、左腕を三角巾で吊っていた。腰じゃなかったのか、と思ったが、それはどうでもいい。
問題は、マナミさんだった。
「店長っ、お皿、わたしが運びますから! 座っててください!」
「……片手でも運べる」
「だめですっ! 治療師さんにひと月は使うなって言われたじゃないですか!」
マナミさんは、店長の手から皿を奪い取った。
その顔が。
ほんのり、赤かった。
「あの、店長……そのっ、肩、痛くないですか?」
「……大丈夫だ」
「ほんとですか? 無理しないでくださいね? なにかあったら、すぐわたしに言ってくださいね?」
声が、裏返っていた。
店長が、ぼそっと「……ああ」と答えると、マナミさんは、ぱあっと嬉しそうに笑った。
俺に向けていた…あの営業スマイルとは、まるで違う笑顔だった。
俺は、カウンター席で静かにスープをすすった。
そうか…。
そういうことか………。
(……勝てるわけねえだろ、あんなの)
元高ランク冒険者。顔がいい。無口でかっこいい。料理がうまい。そのうえ、この前の荒くれ者を、ひとにらみで追い払った男だ。
俺は、D級。しかも、D級の中でも上のほう、というのを、ちょっと盛って「上がった」と言ってしまう程度の男だ。
勝負にすら、なっていない。
(……いいさ)
俺は、スープの最後のひと口を飲み干した。
(マナミさんが、幸せならな……)
ちょっとだけ、かっこいいことを考えてみた。
ちょっとだけ、鼻の奥がつんとした。
「ダンさん、唐揚げ追加ですか?」
顔を上げると、マナミさんが、お盆を持って立っていた。
「あ、いや、今日は……」
「今日ね、店長が片手で揚げた唐揚げなんですよ! 片手なのに、いつもと同じくらいおいしいの! すごくないですか!?」
マナミさんの目が、きらきら輝いていた。
店長の話をするときの目だった。
俺はなんだか笑ってしまった。
「……じゃあ、ひとつください」
「はーい! いつもありがとうございます、ダンさん♡」
にこっ。
その笑顔を見た瞬間、俺の心臓が、またしても、どくんと跳ねた。
(あぁ…………やっぱり好きだなぁ……!!)
勝てるわけがない。わかっている。
わかっているが、それはそれとして、明日も来る。
俺は追加の唐揚げを待ちながら、明日の薬草採取の依頼を、ひとつ増やすことに決めた。
これは、四つ葉亭の売り上げに人知れず貢献し続ける、ひとりのD級冒険者の、報われない恋の話である。
なお、トムは最近、夜の店のオレンジ色の制服のお姉さんと、いい感じらしい。
世の中は不公平だ。




