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聖女の衣装

「……あのね、ピートくん。正直に答えてほしいんだけど」


「はい」


「わたしのこのローブ、目立つ?」


 ピートは、まなみが広げてみせた紺色のローブを、じっと見つめた。


 足首まである深い紺色。襟元と袖口には、銀糸で星の刺繍。フードには、小さな三日月の飾り。


「……すごく、目立ちます」


「だよねえ〜……」


 まなみは、ローブを抱えたまま、ベッドに突っ伏した。


 森の夜から、五日が過ぎていた。


 ピートの指の火傷は、まだ少しだけ赤い。影狼の群れは、夜明けにガルドの救助隊が森の奥へ追い返し、それきり街には近づいていない。クラウスは、毎日のように四つ葉亭のカウンターで香草焼きを食べている。


 何もかも、元どおりだった。


 ――表向きは。


「灰岩山に行く日の朝、これ着てギルドの裏から出発したでしょ。ピートくんにも、見られてるし」


「見ました。くるって一回転してました」


「してたねえ……」


 あのとき、ギルドの裏手には、ほかにも何人かいた気がする。


 もし、その誰かが、あの森の夜にも居合わせていたら。


 もし、見つけたのがクラウスさんじゃなかったら。


「紺色のローブの魔法使いって、すぐに『あ、四つ葉亭の人が着てたやつだ』ってなっちゃう」


 まなみは、枕に顔をうずめたまま、うめいた。


「変装しなきゃ……ちゃんと、わたしだってわからない格好」


「変装、ですか……」


「それとね、もうひとつ、思い知ったことがあるの」


 まなみは、むくりと身体を起こした。


「森で子守唄を唱えたとき、ローブのままだったから、途中で失敗しちゃったでしょ」


 セレナを思い描こうとしたとき、自分の袖口が目に入った。銀糸の星の刺繍。ルクレツィアの、ローブ。


 その瞬間、頭の中の歌姫の姿が、銀色の髪の魔女に、すりかわった。火種が、ぷすんと消えた。


「ミアさんの肌着と髪紐を借りて、なんとかなったけど……あれは、セレナに、たまたま『寝間着回』があったから、助かっただけ。いつもの舞台衣装の回の詠唱だったら、あの場で、どうにもならなかった」


 ちなみに、ミアの肌着は洗って返した。


 かわりに、まなみは、自分用の白い寝間着と青いリボンを買った。


 そして、その夜から毎晩、白い寝間着を着て、髪を青いリボンで結んで、寝ることにした。


「……だって、夜に、なにかあったら、着替えてる暇なんて、ないもん」


 昼間は、アンミラの制服。ルナの星呼びの衣装。


 夜は、白い寝間着に、青いリボン。セレナの子守唄の衣装。


 つまり、まなみは朝昼晩いつでも、どちらかの魔法の衣装を着ていることになる。


(……昼は、星を出せる。夜は、眠らせられる。……本さえ、あれば)


(……24時間、いつでも出動できる体制……)


 そこまで考えて、まなみは、ちょっとだけ、遠い目になった。


(うぇ……前の会社みたいだなぁ……)


 ピートが、魔法書をめくる手を止めた。


「……つまり、マナミさんの魔法は、元の物語の人物を思い描くのが大事だから」


「そう! 着てるものが元ネタと違うと、頭の中の絵がずれちゃうの。河原で試したときも、そうだった。だから、ちゃんと元ネタどおりの格好をしなきゃ、だめなんだ」


「……形から、入るんですね」


「うん! 形から入るのはオタクの基本だから!」



   ◇ ◇ ◇



 その夜。


 閉店後の四つ葉亭で、まなみは『超・詠唱大全!』を、ひたすらめくっていた。


 変装を作るなら、ついでに、これから使う詠唱の元ネタに合わせればいい。


 問題は、どの詠唱を選ぶか、だった。


「星墜としは、山が消えるから、めったに使えない。子守唄は、眠らせるだけ。……眠らせたあと、けが人がいたら? 毒とか、呪いとか、そういうのだったら?」


 攻撃系。殲滅系。防御系。強化系。幻惑系。


 ページをめくる指が、ある章で止まった。


『第七章 神聖・浄化系詠唱』


 最初の見開きに、純白の衣をまとった少女の絵があった。


 銀色に近い、淡い金の長い髪。祈るように組んだ両手。背中には、光でできた、大きな白い翼。


「……アリシアだ」


 まなみの声が、ふるえた。



『白翼の浄歌(サンクタ・ルミナ)』


『出典:TVアニメ「白翼のサンクタ」第二十四話より。瘴気に覆われた王都を前に、聖女アリシアが、すべての穢れを祓い、傷ついた人々を癒した祈りの詠唱。光の羽が降りそそぎ、触れたものの傷と穢れを清める。』


『※作中では約1分間にわたって詠唱される』


『※同章には、聖女の守りの詠唱「白翼の聖域」も収録』



「浄化……癒し……」


 これなら、誰も傷つけない。


 傷ついた人を助けられる。


 まなみは、ページを指で押さえたまま、しばらく動けなかった。


 『白翼のサンクタ』。高校生のとき、毎週欠かさず見ていた。自分を犠牲にしてでも人を救おうとする聖女アリシアが大好きで、最終回は、録画を三回見て、三回泣いた。


 ……そして。


 まなみは、絵の中のアリシアの衣装を、じっと見つめた。


 純白と金の、聖女の衣。


 肩は、出ている。


 背中は、腰のあたりまで、大きく開いている。


 足首まである長い裾には、なぜか、太ももの付け根近くまで届く、深い切れ込みが左右に入っている。


 胸元は、ひし形に、ぽっかりと開いている。


(……そうだった)


 放送当時、ネットでさんざん言われていた。



【聖女なのに、なんで背中に布ないの?性女では?】


【スリット深すぎて祈りに集中できないんだが】


【胸元に便利な穴が空いてて助かる】


【※制作陣の祈りがこもってます。】


【聖女とは?】



(そうだったぁ〜……っ!)


 高校生のまなみは、いつかこの衣装を作りたいと思っていた。でも、売り子のコスプレにするには、ちょっと、いや、だいぶ攻めすぎていて、結局、型紙を引いたところで諦めたのだった。


「……元ネタどおりじゃないと、イメージがぶれる」


 まなみは、自分に言い聞かせるように、つぶやいた。


「元ネタどおりじゃないと……」


 ページの中で、アリシアが、清らかにほほえんでいた。



   ◇ ◇ ◇



「――却下だ」


 翌日の夜。ギルドマスターの部屋で、ガルドが、まなみの描いた衣装の絵を見るなり、言った。


「まだ、なにも説明してないです!」


「見りゃわかる。背中がねえ」


「ありますよ! ちょっとだけ!」


「ちょっとしかねえんだろうが」


 部屋には、秘密を知る全員がそろっていた。


 ガルド。レオン。ミア。ピート。そして、なぜか自分の帳面を広げているクラウス。


 レオンは、絵を一瞥したきり、腕を組んで壁のほうを向いていた。


「マナミ。変装するって考えは、悪くねえ」


 ガルドは、太い指で絵をとんとんと叩いた。


「だがな。顔を隠したところで、その声と背丈は変わらねえだろう。四つ葉亭で毎日『いらっしゃいませー!』って叫んでる声だぞ。この街で、お前の声を知らねえ奴はいねえ」


「う……」


「それに、そんな目立つ格好で現れたら、ますます噂になる。バレたら、どうするつもりだ」


 まなみは、言葉に詰まった。


 ガルドの言うとおりだった。


「……あの」


 小さな声がした。


 ピートが、膝の上で、火傷の残る指を握りしめていた。


「僕のせいで、マナミさんが、また危ない目に遭うなら……僕、もう、ひとりで森になんか」


「ピートくんのせいじゃないよ」


「でも」


「ピートくんのせいじゃない」


 まなみは、きっぱりと言った。


「森に狼が下りてきたのは、わたしが山を消したから。それに、これは、ピートくんのためだけじゃないの」


 まなみは、部屋のみんなを見回した。


「この前は、たまたま、わたしの手が届くところで、たまたま、助けられた。でも、次に困ってる人がいたとき、わたし、『正体がバレるかもしれないから』って、見ないふりをしたくないんです」


 部屋が、しんとした。


「だから、バレない方法を、ちゃんと考えたいんです。……みんなで」



 しばらくして、こほん、と咳払いが聞こえた。


「――声のことでしたら、問題ないかと」


 クラウスだった。


「マナミさんの詠唱は、我々には意味のわからない言語です。しかも、詠唱のとき、マナミさんの声は、まるで別人のように変わる。私は森で聞きましたが、普段の声とは、まるで結びつきませんでした」


「……そうなのか、レオン」


「……ああ」


 壁を向いたまま、レオンが答えた。


「歌ってるみてえだった」


「なら、詠唱以外は、ひとことも口をきかなきゃいい」


 ミアが、指を一本立てた。


「しゃべらない聖女様。ミステリアスでいいじゃん」


「背丈はどうする」


「靴底を厚くすりゃいい。指三本ぶんも背が変われば、印象はがらっと変わるよ」


「顔は」


「ヴェールで隠します!」


 まなみが、勢いよく手を挙げた。


「元ネタのアリシアも、儀式のときは薄いヴェールをかぶってるんです! それに、髪も全部結い上げます。わたし、普段は髪で目が隠れてるから、髪を上げてお化粧したら、たぶん、別人に見えます!」


「……たぶん」


「け、けっこう化けるタイプなんです! 売り子のとき、知り合いに三回くらい素通りされました!」


 ミアが、ぶはっと吹き出した。


「それ、自慢になる?」


「なりますよ! 今回に限っては!」



「――もうひとつ」


 クラウスが、眼鏡を押し上げた。


「衣装の布です」


「布?」


「糸一本から、足がつくこともあります。魔導院の調査では、現場に残った布の切れ端から、どの街のどの店で売られたものか、たどることがある。純白の上等な布と金糸を、四つ葉亭の看板娘が大量に買い込んだ、となれば」


「……あ」


 まなみの顔から、血の気が引いた。


 今まで、布は全部、街の仕立屋で買っていた。アンミラの制服の布も。ルクレツィアのローブの布も。


「……布は、あたしが買ってくる」


 ミアが、肩をすくめた。


「隣町の市でね。あたしが白い布を買っても、四つ葉亭の看板娘と結びつける奴はいないよ」


「ミアさん……!」


「その代わり、『ミアに男ができた』って噂が立っても、否定しないでよ」


「え?」


「女剣士が、急にレースだの白い布だの買い込んだら、普通そう思うでしょ」


 ミアは、にやりと笑った。


 まなみは、目をうるませて、ミアの手を握った。


「ミアさん……ありがとうございます……! 噂、全力で肯定します……!」


「いや、そこは黙っててくれればいいから」


「――それと、陣の痕跡のことも」


 クラウスが、帳面をめくった。


「詠唱陣は唱えれば、必ず残ります。大きな詠唱ほど、深く、長く。指先の火傷を治す程度なら、ひと晩で消えるでしょう。ですが、森ひとつ、山ひとつとなれば、何か月も光り続ける」


「……黒樫の森のは、クラウスさんが消してくれましたよね」


「ええ。人目のない場所で使ったときは、これからも、私が後始末をします」


 クラウスは、そこで、眼鏡を押し上げた。


「ただ、陣が教えてくれるのは、『どんな詠唱だったか』だけです。唱えた者の顔も、声も、残りません。灰岩山で困ったのは、あの場に、魔力1のマナミさんしかいなかったからです」


「……あ」


「ですから、『謎の聖女様』の陣ならば、いくら見つかっても、かまいません。調べた者がたどりつくのは、聖女様まで。四つ葉亭の看板娘には、たどりつかない」


 ガルドが、太い腕を組んだ。


「なるほどな。変装ってのは、顔を隠すだけじゃねえ。陣の主を、まるごと別人にしちまうってことか」


「そういうことです」


(……ってことは)


 まなみは、ふと、思った。


(聖女様が魔法を使った場所には、何か月も、陣が光って残るってこと……?)


 それって、なんだか……。


(……聖地になるやつでは?)


 まなみは、ぶんぶんと首を振った。考えないことにした。



 ガルドは、長い長いため息をついた。


 それから、壁に貼った地図を親指でさした。


「出かけるときの名目は、俺が用意する。店長の仕入れ、看板娘の休暇、ギルドの使い。なんでもいい。俺が持ってきた話のときだけ、出る。自分たちで勝手に動くな」


「はい!」


「それと、街では衣装の話を絶対にするな。リリィの前では、特にだ」


「はい!」


「……それと、マナミ」


「はい!」


「背中は、もうちょっと隠せ」


「それは、元ネタどおりじゃないと、イメージが――」


「隠せ」


「…………善処します」



 話がまとまったあと。


 壁のほうを向いたままだったレオンが、ぼそりと言った。


「……おい」


「はい、店長」


「そもそも、なんで聖女なんだ」


「えっ」


「ほかにも、あるんだろ。もっと、普通の格好の」


 まなみは、きょとんとした。


 それから、まっすぐにレオンを見上げた。


「傷ついた人を、治せるからです」


「…………」


「店長の腕の傷とか、ピートくんの火傷とか。そういうの、全部、治せるかもしれない詠唱なんです。……それに」


 まなみは、えへへ、と笑った。


「アリシア、大好きなんです」


 レオンは、しばらく黙っていた。


 それから、ふいっと、また壁のほうを向いた。


「……勝手にしろ」


 その耳が、ほんの少しだけ、赤い気がした。


 まなみは、満足げにうなずいて――


 それから、ぴたりと固まった。


(……ん? 店長の、腕の傷?)


 灰岩山で、トカゲの爪に、深くえぐられた左肩。ひと月も三角巾で吊って、右手一本で鍋を振っていた、あの腕。


(……『超・詠唱大全!』って、あのときから、ずっと、わたしの部屋にあったよね?)


(……浄歌も、あのときから、ずっと、載ってたよね?)


(……聖女の衣装さえ作ってれば、あのとき、すぐ治せたんじゃ……?)


「…………」


(RPGなら真っ先に回復役を確保するのに! オタクのくせに!!回復魔法の存在を、完全に忘れてた……!!)


「……て、店長ぅ」


「……なんだ」


「うぅ……ひと月も、片手で鍋を振らせて、ほんとうに、すみませんでしたぁ……」


「……は?」


「な、なんでもないですぅ……!!」


 レオンは、壁のほうを向いたまま、首をかしげていた。



   ◇ ◇ ◇



 それから、十日。


 まなみは、仕事が終わるたびに、ギルド二階の自分の部屋で針を動かした。


 ミアが隣町から抱えて帰ってきた、真っ白な絹。金色の糸。透けるほど薄い、ヴェール用の紗。


 床いっぱいに型紙を広げる。高校生のときに引いて、諦めた型紙を、記憶の中から引っぱり出す。今度は、諦めない。


 ちくちく。ちくちく。


 ろうそくが、何本も短くなっていった。



 コン、コン。


 ある夜、扉が鳴った。


「……マナミ。起きてるか」


「て、店長!? ちょ、ちょっと待ってください!」


 まなみは、縫いかけの衣装を、慌ててベッドの下に押し込んだ。


 扉を少しだけ開けると、レオンが、湯気の立つ椀を持って立っていた。


「……まかないの残りだ。どうせ、晩飯も食ってねえんだろ」


「……あ」


 言われて、気づいた。


 そういえば、閉店後から、なにも食べていない。


 レオンが差し出したのは、野菜と鶏肉を、くたくたになるまで煮込んだスープだった。生姜の香りがした。


「……ありがとうございます」


「目の下、くまができてる」


「……え、うそ」


「客に心配される前に、寝ろ」


 それだけ言って、レオンは扉を閉めかけた。


 それから、扉の隙間で、ふと手を止めた。


「……ベッドの下から、袖がはみ出てるぞ」


「…………」


「白い袖が」


「…………見なかったことにしてください」


「……ああ」


 扉が、ぱたんと閉まった。


 まなみは、スープの椀を両手で包んだまま、その場にしゃがみこんだ。


(……ずるい)


 あったかかった。


 スープも、なにもかも。



   ◇ ◇ ◇



 そして、衣装が完成した夜。


「……ど、どうですか、ミアさん」


「…………」


 ミアは、部屋の真ん中に立つまなみを、頭のてっぺんから爪先まで、ゆっくりと眺めた。


 純白の絹に、金糸の縁取り。肩を出した上衣から、ふわりと長い袖が別仕立てで垂れている。腰から下は、床に届くほどの長い裾。その左右に、深い、深い切れ込み。


 背中は、ガルドとの約束どおり、肩甲骨の下までは布で覆った。……肩甲骨の下までは。


 胸元のひし形の窓は、どうしても譲れなかった。元ネタどおりだから。


 ……ただ、ひとつだけ、元ネタどおりにならなかったところがある。


 絵の中のアリシアは、すらりと細身の少女だった。まなみは、そうではなかった。ひし形の窓からは、くっきりと深い谷間が、これでもかとのぞいている。


(……でも、元ネタどおりだから!)


 布の面積は同じでも、中身の面積が違った。


 髪は、全部結い上げて、金の髪飾りで留めた。顔の上半分を、透ける紗のヴェールが覆っている。ミアに教わりながら、生まれて初めて、この世界のお化粧もした。


「……あんた、誰?」


「マナミです!」


「いや、わかってるけど。わかってるけど、さ」


 ミアは、額を押さえた。


「化けるって言ってたけど、化けすぎでしょ?ほんとに、あの、いつも髪で目が隠れてて、皿運びながら『いらっしゃいませー!』って叫んでる子?」


「そうです!」


「しゃべると戻るね」


「えへへ」


 ミアの視線が、すっと下に落ちた。


「……で、そこ」


「え?」


「胸。谷、深すぎ。あたしでも目のやり場に困るんだけど」


「も、元ネタどおりなので……!」


「その……もとねた? ってのは、そんなに谷あった?」


「…………谷ではなく平地でしたね」



 コン、コン。


「マナミさーん、起きてますかぁ?」


 扉の向こうから、のんびりした声がした。


 リリィだ。


「っ!?」


「明日の朝のまかない、店長がなに作るか知ってますぅ? わたし、賭けしてて――」


 ドアノブが、かちゃりと回った。


(鍵、かけてないーっ!!)


 まなみは、とっさにベッドの上の毛布をひっつかんで、頭からかぶった。


 同時に、ミアが、扉の前に滑り込んだ。


「――リリィ!」


「わっ、ミアさん!? なんでマナミさんの部屋に?」


「ちょっと、ね。マナミが、腹こわしてて」


「えっ、大丈夫ですかぁ!?」


「大丈夫、大丈夫。寝てれば治るって。ほら、うなってるでしょ」


「……う、うぅ〜……おなか、いたい……」


 毛布の中から、まなみが、精いっぱいのうなり声をあげた。


 リリィは、扉の隙間から、ベッドの上の毛布のかたまりを、心配そうにのぞき込んだ。


「……マナミさん、なんか、毛布の下から、すごく白くてきれいな布が見えてますけどぉ……」


「……き、聖なる腹巻きです……」


「聖なる腹巻き……?」


「おなかを、守るやつです……」


「……そうなんですかぁ。お大事にしてくださいねぇ?」


 リリィは、首をかしげながら、帰っていった。



 扉が閉まって、足音が遠ざかって。


 ミアは、扉にもたれて、ずるずると床に座りこんだ。


 それから、両手で顔を覆って、肩を震わせ始めた。


「……せ、聖なる……腹巻き……っ」


「わ、笑わないでくださいぃ……!」


「むり……むりでしょ……っ、あっははははは!」



   ◇ ◇ ◇



 その夜のうちに、もうひとつだけ、確かめておくことがあった。


 ギルドの裏手の、物置小屋。


 レオンとピートが、ランプを持って待っていた。


「お、お待たせしました……」


 物置の扉を開けて、まなみが入ってきた。


 ランプの明かりに、純白の衣装が浮かび上がった。


 ピートが、ぽかんと口を開けた。


 そして、みるみるうちに、耳まで真っ赤になった。


「……あ、あ、あの……マナミさん……そ、それ……」


「ど、どうかな、ピートくん」


「せ、背中、が……あ、足、も……っ、む、胸のところ……っ」


 ピートは、ランプを持ったまま、ぎゅるんと後ろを向いた。


「ぼ、僕、なにも見てませんっ!」


「見て!? 感想ほしいのに!」



 レオンは、なにも言わなかった。


 ちらりと、一度だけまなみを見た。


 それから、ゆっくりと、顔を上に向けた。


 物置小屋の、くもの巣の張った天井を、じっと見つめている。


「……店長?」


「…………」


「店長ー?」


「…………それで、外に出る気か」


「元ネタどおりなので!」


 レオンは、天井を見たまま、自分の外套を脱いだ。


 そして、それを、まなみの頭からばさりとかぶせた。


「わぷっ」


「……行き帰りは、それ着てろ」


「えー! せっかく作ったのに!」


「詠唱のときだけ脱げ」


「マントの下じゃ、イメージが――」


「詠唱のときだけ、脱げ」


「…………はぁい」



 レオンの外套は、大きくて、重くて、少しだけ、厨房の匂いがした。



「――で、試すんだろ」


「あ、はいっ」


 まなみは、外套の前を開いて、ピートのほうを向いた。


「ピートくん、指、出して」


「え……?」


「火傷のところ。治せるか、試させて」


 ピートは、後ろを向いたまま、おそるおそる、右手だけを差し出した。


 人差し指と中指の先が、まだ、赤く引きつれていた。森の小屋で、何度も、何度も、火の魔法を放った跡。


 まなみは、膝の上に『超・詠唱大全!』を開いた。それから、ピートの手を、両手でそっと包んだ。


 1分。


 目を閉じる。


 思い描く。


 淡い金の髪。祈る両手。瘴気に沈んだ王都の前に、たったひとりで立った、白い背中。


 今、自分が着ているのと、同じ衣。


 ――ぴたり、と。


 頭の中の絵と、自分の身体が、重なった。


(……あ。ほんとに、ぶれない)



「――天よ、聴きたまえ。地に伏す者の、声なき声を」



 声が、変わった。


 やわらかく、澄んで、高く。


 物置小屋の中に、ちらちらと、白い光の粒が浮かび上がる。



「――我は翼なき者。されど、祈ることを許された者。この手に、ひとひらの光を貸したまえ」



 光の粒が、ゆっくりと形を変えていく。


 小さな、白い羽のかたちに。


 一枚、また一枚。羽が、ランプの明かりの中を、雪のように舞い降りてくる。



「――傷つきしものに、癒しを。穢れしものに、清めを。泣いているものに、朝の光を」



 白い羽が、ピートの手に、ふわりと触れた。


 触れたところから、溶けるように消えていく。



「――白き翼の名のもとに、すべての痛みよ、天へ還れ」




「――白翼の浄歌(サンクタ・ルミナ)」




 最後の一節を唱えた瞬間、物置小屋いっぱいに舞っていた白い羽が、いっせいに、淡く輝いた。


 そして、光の粉になって、すうっと消えた。



 まなみは、そっと手を開いた。


 ピートの指先は、きれいだった。


 赤い引きつれも、皮膚のつっぱりも、なにもない。まるで、最初から火傷なんてしていなかったみたいに。


「……治っ、た」


 ピートが、ぼうぜんと、自分の指を見つめた。


 それから、ゆっくりと、振り返った。


 ランプの明かりの中に、白い衣をまとい、ヴェールの奥でほほえむまなみがいた。


 その肩に、最後のひとひらの羽が、まだ、ふわりと残っていた。


「…………せ」


 ピートの唇が、ふるえた。


「……せ、聖女、様……」


「ピートくん?」


「……はっ!? い、いえっ、なんでもないですっ! マナミさんですっ! マナミさんですよね!?」


「マナミだよ?」


「ですよね! ですよねっ!」


 ピートは、また、ぎゅるんと後ろを向いた。


 耳から、湯気が出そうだった。



 レオンは、黙っていた。


 さっきまで天井を見ていた灰色の目が、今は、床に落ちた光の粉を、じっと見つめていた。


「……店長?」


「…………」


 レオンは、しばらく、なにも言わなかった。


 それから、ひとりごとのように、つぶやいた。


「……エマも」


「え?」


「……いや」


 レオンは、首を振った。


「なんでもねえ」


 そう言って、ランプを持ち上げる。


 その横顔が、ほんの少しだけ、遠くを見ているように見えた。



   ◇ ◇ ◇



 帰り道。


 ギルドの裏口までの、ほんの数十歩。


 レオンの外套に包まれて、まなみは、レオンの少し後ろを歩いていた。


「……マナミ」


「はい」


「今度、少し、時間をくれ」


 レオンは、前を向いたまま言った。


「話しておきてえことがある。……昔の、四つ葉のことだ」


 まなみは、足を止めた。


 レオンの背中を、見上げる。


 大きくて、広くて、いつも自分の前に立ってくれる背中。


「……はい」


 まなみは、外套の襟を、ぎゅっと握りしめた。


「いつでも、聞きます」



 夜空に白い羽が一枚だけ、まだ、ふわふわと漂っていた。


 やがて、それも星の光に溶けて、見えなくなった。


とりあえず、今日はここまで。続きが気になると思っていただけたら

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