聖女の衣装
「……あのね、ピートくん。正直に答えてほしいんだけど」
「はい」
「わたしのこのローブ、目立つ?」
ピートは、まなみが広げてみせた紺色のローブを、じっと見つめた。
足首まである深い紺色。襟元と袖口には、銀糸で星の刺繍。フードには、小さな三日月の飾り。
「……すごく、目立ちます」
「だよねえ〜……」
まなみは、ローブを抱えたまま、ベッドに突っ伏した。
森の夜から、五日が過ぎていた。
ピートの指の火傷は、まだ少しだけ赤い。影狼の群れは、夜明けにガルドの救助隊が森の奥へ追い返し、それきり街には近づいていない。クラウスは、毎日のように四つ葉亭のカウンターで香草焼きを食べている。
何もかも、元どおりだった。
――表向きは。
「灰岩山に行く日の朝、これ着てギルドの裏から出発したでしょ。ピートくんにも、見られてるし」
「見ました。くるって一回転してました」
「してたねえ……」
あのとき、ギルドの裏手には、ほかにも何人かいた気がする。
もし、その誰かが、あの森の夜にも居合わせていたら。
もし、見つけたのがクラウスさんじゃなかったら。
「紺色のローブの魔法使いって、すぐに『あ、四つ葉亭の人が着てたやつだ』ってなっちゃう」
まなみは、枕に顔をうずめたまま、うめいた。
「変装しなきゃ……ちゃんと、わたしだってわからない格好」
「変装、ですか……」
「それとね、もうひとつ、思い知ったことがあるの」
まなみは、むくりと身体を起こした。
「森で子守唄を唱えたとき、ローブのままだったから、途中で失敗しちゃったでしょ」
セレナを思い描こうとしたとき、自分の袖口が目に入った。銀糸の星の刺繍。ルクレツィアの、ローブ。
その瞬間、頭の中の歌姫の姿が、銀色の髪の魔女に、すりかわった。火種が、ぷすんと消えた。
「ミアさんの肌着と髪紐を借りて、なんとかなったけど……あれは、セレナに、たまたま『寝間着回』があったから、助かっただけ。いつもの舞台衣装の回の詠唱だったら、あの場で、どうにもならなかった」
ちなみに、ミアの肌着は洗って返した。
かわりに、まなみは、自分用の白い寝間着と青いリボンを買った。
そして、その夜から毎晩、白い寝間着を着て、髪を青いリボンで結んで、寝ることにした。
「……だって、夜に、なにかあったら、着替えてる暇なんて、ないもん」
昼間は、アンミラの制服。ルナの星呼びの衣装。
夜は、白い寝間着に、青いリボン。セレナの子守唄の衣装。
つまり、まなみは朝昼晩いつでも、どちらかの魔法の衣装を着ていることになる。
(……昼は、星を出せる。夜は、眠らせられる。……本さえ、あれば)
(……24時間、いつでも出動できる体制……)
そこまで考えて、まなみは、ちょっとだけ、遠い目になった。
(うぇ……前の会社みたいだなぁ……)
ピートが、魔法書をめくる手を止めた。
「……つまり、マナミさんの魔法は、元の物語の人物を思い描くのが大事だから」
「そう! 着てるものが元ネタと違うと、頭の中の絵がずれちゃうの。河原で試したときも、そうだった。だから、ちゃんと元ネタどおりの格好をしなきゃ、だめなんだ」
「……形から、入るんですね」
「うん! 形から入るのはオタクの基本だから!」
◇ ◇ ◇
その夜。
閉店後の四つ葉亭で、まなみは『超・詠唱大全!』を、ひたすらめくっていた。
変装を作るなら、ついでに、これから使う詠唱の元ネタに合わせればいい。
問題は、どの詠唱を選ぶか、だった。
「星墜としは、山が消えるから、めったに使えない。子守唄は、眠らせるだけ。……眠らせたあと、けが人がいたら? 毒とか、呪いとか、そういうのだったら?」
攻撃系。殲滅系。防御系。強化系。幻惑系。
ページをめくる指が、ある章で止まった。
『第七章 神聖・浄化系詠唱』
最初の見開きに、純白の衣をまとった少女の絵があった。
銀色に近い、淡い金の長い髪。祈るように組んだ両手。背中には、光でできた、大きな白い翼。
「……アリシアだ」
まなみの声が、ふるえた。
『白翼の浄歌』
『出典:TVアニメ「白翼のサンクタ」第二十四話より。瘴気に覆われた王都を前に、聖女アリシアが、すべての穢れを祓い、傷ついた人々を癒した祈りの詠唱。光の羽が降りそそぎ、触れたものの傷と穢れを清める。』
『※作中では約1分間にわたって詠唱される』
『※同章には、聖女の守りの詠唱「白翼の聖域」も収録』
「浄化……癒し……」
これなら、誰も傷つけない。
傷ついた人を助けられる。
まなみは、ページを指で押さえたまま、しばらく動けなかった。
『白翼のサンクタ』。高校生のとき、毎週欠かさず見ていた。自分を犠牲にしてでも人を救おうとする聖女アリシアが大好きで、最終回は、録画を三回見て、三回泣いた。
……そして。
まなみは、絵の中のアリシアの衣装を、じっと見つめた。
純白と金の、聖女の衣。
肩は、出ている。
背中は、腰のあたりまで、大きく開いている。
足首まである長い裾には、なぜか、太ももの付け根近くまで届く、深い切れ込みが左右に入っている。
胸元は、ひし形に、ぽっかりと開いている。
(……そうだった)
放送当時、ネットでさんざん言われていた。
【聖女なのに、なんで背中に布ないの?性女では?】
【スリット深すぎて祈りに集中できないんだが】
【胸元に便利な穴が空いてて助かる】
【※制作陣の祈りがこもってます。】
【聖女とは?】
(そうだったぁ〜……っ!)
高校生のまなみは、いつかこの衣装を作りたいと思っていた。でも、売り子のコスプレにするには、ちょっと、いや、だいぶ攻めすぎていて、結局、型紙を引いたところで諦めたのだった。
「……元ネタどおりじゃないと、イメージがぶれる」
まなみは、自分に言い聞かせるように、つぶやいた。
「元ネタどおりじゃないと……」
ページの中で、アリシアが、清らかにほほえんでいた。
◇ ◇ ◇
「――却下だ」
翌日の夜。ギルドマスターの部屋で、ガルドが、まなみの描いた衣装の絵を見るなり、言った。
「まだ、なにも説明してないです!」
「見りゃわかる。背中がねえ」
「ありますよ! ちょっとだけ!」
「ちょっとしかねえんだろうが」
部屋には、秘密を知る全員がそろっていた。
ガルド。レオン。ミア。ピート。そして、なぜか自分の帳面を広げているクラウス。
レオンは、絵を一瞥したきり、腕を組んで壁のほうを向いていた。
「マナミ。変装するって考えは、悪くねえ」
ガルドは、太い指で絵をとんとんと叩いた。
「だがな。顔を隠したところで、その声と背丈は変わらねえだろう。四つ葉亭で毎日『いらっしゃいませー!』って叫んでる声だぞ。この街で、お前の声を知らねえ奴はいねえ」
「う……」
「それに、そんな目立つ格好で現れたら、ますます噂になる。バレたら、どうするつもりだ」
まなみは、言葉に詰まった。
ガルドの言うとおりだった。
「……あの」
小さな声がした。
ピートが、膝の上で、火傷の残る指を握りしめていた。
「僕のせいで、マナミさんが、また危ない目に遭うなら……僕、もう、ひとりで森になんか」
「ピートくんのせいじゃないよ」
「でも」
「ピートくんのせいじゃない」
まなみは、きっぱりと言った。
「森に狼が下りてきたのは、わたしが山を消したから。それに、これは、ピートくんのためだけじゃないの」
まなみは、部屋のみんなを見回した。
「この前は、たまたま、わたしの手が届くところで、たまたま、助けられた。でも、次に困ってる人がいたとき、わたし、『正体がバレるかもしれないから』って、見ないふりをしたくないんです」
部屋が、しんとした。
「だから、バレない方法を、ちゃんと考えたいんです。……みんなで」
しばらくして、こほん、と咳払いが聞こえた。
「――声のことでしたら、問題ないかと」
クラウスだった。
「マナミさんの詠唱は、我々には意味のわからない言語です。しかも、詠唱のとき、マナミさんの声は、まるで別人のように変わる。私は森で聞きましたが、普段の声とは、まるで結びつきませんでした」
「……そうなのか、レオン」
「……ああ」
壁を向いたまま、レオンが答えた。
「歌ってるみてえだった」
「なら、詠唱以外は、ひとことも口をきかなきゃいい」
ミアが、指を一本立てた。
「しゃべらない聖女様。ミステリアスでいいじゃん」
「背丈はどうする」
「靴底を厚くすりゃいい。指三本ぶんも背が変われば、印象はがらっと変わるよ」
「顔は」
「ヴェールで隠します!」
まなみが、勢いよく手を挙げた。
「元ネタのアリシアも、儀式のときは薄いヴェールをかぶってるんです! それに、髪も全部結い上げます。わたし、普段は髪で目が隠れてるから、髪を上げてお化粧したら、たぶん、別人に見えます!」
「……たぶん」
「け、けっこう化けるタイプなんです! 売り子のとき、知り合いに三回くらい素通りされました!」
ミアが、ぶはっと吹き出した。
「それ、自慢になる?」
「なりますよ! 今回に限っては!」
「――もうひとつ」
クラウスが、眼鏡を押し上げた。
「衣装の布です」
「布?」
「糸一本から、足がつくこともあります。魔導院の調査では、現場に残った布の切れ端から、どの街のどの店で売られたものか、たどることがある。純白の上等な布と金糸を、四つ葉亭の看板娘が大量に買い込んだ、となれば」
「……あ」
まなみの顔から、血の気が引いた。
今まで、布は全部、街の仕立屋で買っていた。アンミラの制服の布も。ルクレツィアのローブの布も。
「……布は、あたしが買ってくる」
ミアが、肩をすくめた。
「隣町の市でね。あたしが白い布を買っても、四つ葉亭の看板娘と結びつける奴はいないよ」
「ミアさん……!」
「その代わり、『ミアに男ができた』って噂が立っても、否定しないでよ」
「え?」
「女剣士が、急にレースだの白い布だの買い込んだら、普通そう思うでしょ」
ミアは、にやりと笑った。
まなみは、目をうるませて、ミアの手を握った。
「ミアさん……ありがとうございます……! 噂、全力で肯定します……!」
「いや、そこは黙っててくれればいいから」
「――それと、陣の痕跡のことも」
クラウスが、帳面をめくった。
「詠唱陣は唱えれば、必ず残ります。大きな詠唱ほど、深く、長く。指先の火傷を治す程度なら、ひと晩で消えるでしょう。ですが、森ひとつ、山ひとつとなれば、何か月も光り続ける」
「……黒樫の森のは、クラウスさんが消してくれましたよね」
「ええ。人目のない場所で使ったときは、これからも、私が後始末をします」
クラウスは、そこで、眼鏡を押し上げた。
「ただ、陣が教えてくれるのは、『どんな詠唱だったか』だけです。唱えた者の顔も、声も、残りません。灰岩山で困ったのは、あの場に、魔力1のマナミさんしかいなかったからです」
「……あ」
「ですから、『謎の聖女様』の陣ならば、いくら見つかっても、かまいません。調べた者がたどりつくのは、聖女様まで。四つ葉亭の看板娘には、たどりつかない」
ガルドが、太い腕を組んだ。
「なるほどな。変装ってのは、顔を隠すだけじゃねえ。陣の主を、まるごと別人にしちまうってことか」
「そういうことです」
(……ってことは)
まなみは、ふと、思った。
(聖女様が魔法を使った場所には、何か月も、陣が光って残るってこと……?)
それって、なんだか……。
(……聖地になるやつでは?)
まなみは、ぶんぶんと首を振った。考えないことにした。
ガルドは、長い長いため息をついた。
それから、壁に貼った地図を親指でさした。
「出かけるときの名目は、俺が用意する。店長の仕入れ、看板娘の休暇、ギルドの使い。なんでもいい。俺が持ってきた話のときだけ、出る。自分たちで勝手に動くな」
「はい!」
「それと、街では衣装の話を絶対にするな。リリィの前では、特にだ」
「はい!」
「……それと、マナミ」
「はい!」
「背中は、もうちょっと隠せ」
「それは、元ネタどおりじゃないと、イメージが――」
「隠せ」
「…………善処します」
話がまとまったあと。
壁のほうを向いたままだったレオンが、ぼそりと言った。
「……おい」
「はい、店長」
「そもそも、なんで聖女なんだ」
「えっ」
「ほかにも、あるんだろ。もっと、普通の格好の」
まなみは、きょとんとした。
それから、まっすぐにレオンを見上げた。
「傷ついた人を、治せるからです」
「…………」
「店長の腕の傷とか、ピートくんの火傷とか。そういうの、全部、治せるかもしれない詠唱なんです。……それに」
まなみは、えへへ、と笑った。
「アリシア、大好きなんです」
レオンは、しばらく黙っていた。
それから、ふいっと、また壁のほうを向いた。
「……勝手にしろ」
その耳が、ほんの少しだけ、赤い気がした。
まなみは、満足げにうなずいて――
それから、ぴたりと固まった。
(……ん? 店長の、腕の傷?)
灰岩山で、トカゲの爪に、深くえぐられた左肩。ひと月も三角巾で吊って、右手一本で鍋を振っていた、あの腕。
(……『超・詠唱大全!』って、あのときから、ずっと、わたしの部屋にあったよね?)
(……浄歌も、あのときから、ずっと、載ってたよね?)
(……聖女の衣装さえ作ってれば、あのとき、すぐ治せたんじゃ……?)
「…………」
(RPGなら真っ先に回復役を確保するのに! オタクのくせに!!回復魔法の存在を、完全に忘れてた……!!)
「……て、店長ぅ」
「……なんだ」
「うぅ……ひと月も、片手で鍋を振らせて、ほんとうに、すみませんでしたぁ……」
「……は?」
「な、なんでもないですぅ……!!」
レオンは、壁のほうを向いたまま、首をかしげていた。
◇ ◇ ◇
それから、十日。
まなみは、仕事が終わるたびに、ギルド二階の自分の部屋で針を動かした。
ミアが隣町から抱えて帰ってきた、真っ白な絹。金色の糸。透けるほど薄い、ヴェール用の紗。
床いっぱいに型紙を広げる。高校生のときに引いて、諦めた型紙を、記憶の中から引っぱり出す。今度は、諦めない。
ちくちく。ちくちく。
ろうそくが、何本も短くなっていった。
コン、コン。
ある夜、扉が鳴った。
「……マナミ。起きてるか」
「て、店長!? ちょ、ちょっと待ってください!」
まなみは、縫いかけの衣装を、慌ててベッドの下に押し込んだ。
扉を少しだけ開けると、レオンが、湯気の立つ椀を持って立っていた。
「……まかないの残りだ。どうせ、晩飯も食ってねえんだろ」
「……あ」
言われて、気づいた。
そういえば、閉店後から、なにも食べていない。
レオンが差し出したのは、野菜と鶏肉を、くたくたになるまで煮込んだスープだった。生姜の香りがした。
「……ありがとうございます」
「目の下、くまができてる」
「……え、うそ」
「客に心配される前に、寝ろ」
それだけ言って、レオンは扉を閉めかけた。
それから、扉の隙間で、ふと手を止めた。
「……ベッドの下から、袖がはみ出てるぞ」
「…………」
「白い袖が」
「…………見なかったことにしてください」
「……ああ」
扉が、ぱたんと閉まった。
まなみは、スープの椀を両手で包んだまま、その場にしゃがみこんだ。
(……ずるい)
あったかかった。
スープも、なにもかも。
◇ ◇ ◇
そして、衣装が完成した夜。
「……ど、どうですか、ミアさん」
「…………」
ミアは、部屋の真ん中に立つまなみを、頭のてっぺんから爪先まで、ゆっくりと眺めた。
純白の絹に、金糸の縁取り。肩を出した上衣から、ふわりと長い袖が別仕立てで垂れている。腰から下は、床に届くほどの長い裾。その左右に、深い、深い切れ込み。
背中は、ガルドとの約束どおり、肩甲骨の下までは布で覆った。……肩甲骨の下までは。
胸元のひし形の窓は、どうしても譲れなかった。元ネタどおりだから。
……ただ、ひとつだけ、元ネタどおりにならなかったところがある。
絵の中のアリシアは、すらりと細身の少女だった。まなみは、そうではなかった。ひし形の窓からは、くっきりと深い谷間が、これでもかとのぞいている。
(……でも、元ネタどおりだから!)
布の面積は同じでも、中身の面積が違った。
髪は、全部結い上げて、金の髪飾りで留めた。顔の上半分を、透ける紗のヴェールが覆っている。ミアに教わりながら、生まれて初めて、この世界のお化粧もした。
「……あんた、誰?」
「マナミです!」
「いや、わかってるけど。わかってるけど、さ」
ミアは、額を押さえた。
「化けるって言ってたけど、化けすぎでしょ?ほんとに、あの、いつも髪で目が隠れてて、皿運びながら『いらっしゃいませー!』って叫んでる子?」
「そうです!」
「しゃべると戻るね」
「えへへ」
ミアの視線が、すっと下に落ちた。
「……で、そこ」
「え?」
「胸。谷、深すぎ。あたしでも目のやり場に困るんだけど」
「も、元ネタどおりなので……!」
「その……もとねた? ってのは、そんなに谷あった?」
「…………谷ではなく平地でしたね」
コン、コン。
「マナミさーん、起きてますかぁ?」
扉の向こうから、のんびりした声がした。
リリィだ。
「っ!?」
「明日の朝のまかない、店長がなに作るか知ってますぅ? わたし、賭けしてて――」
ドアノブが、かちゃりと回った。
(鍵、かけてないーっ!!)
まなみは、とっさにベッドの上の毛布をひっつかんで、頭からかぶった。
同時に、ミアが、扉の前に滑り込んだ。
「――リリィ!」
「わっ、ミアさん!? なんでマナミさんの部屋に?」
「ちょっと、ね。マナミが、腹こわしてて」
「えっ、大丈夫ですかぁ!?」
「大丈夫、大丈夫。寝てれば治るって。ほら、うなってるでしょ」
「……う、うぅ〜……おなか、いたい……」
毛布の中から、まなみが、精いっぱいのうなり声をあげた。
リリィは、扉の隙間から、ベッドの上の毛布のかたまりを、心配そうにのぞき込んだ。
「……マナミさん、なんか、毛布の下から、すごく白くてきれいな布が見えてますけどぉ……」
「……き、聖なる腹巻きです……」
「聖なる腹巻き……?」
「おなかを、守るやつです……」
「……そうなんですかぁ。お大事にしてくださいねぇ?」
リリィは、首をかしげながら、帰っていった。
扉が閉まって、足音が遠ざかって。
ミアは、扉にもたれて、ずるずると床に座りこんだ。
それから、両手で顔を覆って、肩を震わせ始めた。
「……せ、聖なる……腹巻き……っ」
「わ、笑わないでくださいぃ……!」
「むり……むりでしょ……っ、あっははははは!」
◇ ◇ ◇
その夜のうちに、もうひとつだけ、確かめておくことがあった。
ギルドの裏手の、物置小屋。
レオンとピートが、ランプを持って待っていた。
「お、お待たせしました……」
物置の扉を開けて、まなみが入ってきた。
ランプの明かりに、純白の衣装が浮かび上がった。
ピートが、ぽかんと口を開けた。
そして、みるみるうちに、耳まで真っ赤になった。
「……あ、あ、あの……マナミさん……そ、それ……」
「ど、どうかな、ピートくん」
「せ、背中、が……あ、足、も……っ、む、胸のところ……っ」
ピートは、ランプを持ったまま、ぎゅるんと後ろを向いた。
「ぼ、僕、なにも見てませんっ!」
「見て!? 感想ほしいのに!」
レオンは、なにも言わなかった。
ちらりと、一度だけまなみを見た。
それから、ゆっくりと、顔を上に向けた。
物置小屋の、くもの巣の張った天井を、じっと見つめている。
「……店長?」
「…………」
「店長ー?」
「…………それで、外に出る気か」
「元ネタどおりなので!」
レオンは、天井を見たまま、自分の外套を脱いだ。
そして、それを、まなみの頭からばさりとかぶせた。
「わぷっ」
「……行き帰りは、それ着てろ」
「えー! せっかく作ったのに!」
「詠唱のときだけ脱げ」
「マントの下じゃ、イメージが――」
「詠唱のときだけ、脱げ」
「…………はぁい」
レオンの外套は、大きくて、重くて、少しだけ、厨房の匂いがした。
「――で、試すんだろ」
「あ、はいっ」
まなみは、外套の前を開いて、ピートのほうを向いた。
「ピートくん、指、出して」
「え……?」
「火傷のところ。治せるか、試させて」
ピートは、後ろを向いたまま、おそるおそる、右手だけを差し出した。
人差し指と中指の先が、まだ、赤く引きつれていた。森の小屋で、何度も、何度も、火の魔法を放った跡。
まなみは、膝の上に『超・詠唱大全!』を開いた。それから、ピートの手を、両手でそっと包んだ。
1分。
目を閉じる。
思い描く。
淡い金の髪。祈る両手。瘴気に沈んだ王都の前に、たったひとりで立った、白い背中。
今、自分が着ているのと、同じ衣。
――ぴたり、と。
頭の中の絵と、自分の身体が、重なった。
(……あ。ほんとに、ぶれない)
「――天よ、聴きたまえ。地に伏す者の、声なき声を」
声が、変わった。
やわらかく、澄んで、高く。
物置小屋の中に、ちらちらと、白い光の粒が浮かび上がる。
「――我は翼なき者。されど、祈ることを許された者。この手に、ひとひらの光を貸したまえ」
光の粒が、ゆっくりと形を変えていく。
小さな、白い羽のかたちに。
一枚、また一枚。羽が、ランプの明かりの中を、雪のように舞い降りてくる。
「――傷つきしものに、癒しを。穢れしものに、清めを。泣いているものに、朝の光を」
白い羽が、ピートの手に、ふわりと触れた。
触れたところから、溶けるように消えていく。
「――白き翼の名のもとに、すべての痛みよ、天へ還れ」
「――白翼の浄歌」
最後の一節を唱えた瞬間、物置小屋いっぱいに舞っていた白い羽が、いっせいに、淡く輝いた。
そして、光の粉になって、すうっと消えた。
まなみは、そっと手を開いた。
ピートの指先は、きれいだった。
赤い引きつれも、皮膚のつっぱりも、なにもない。まるで、最初から火傷なんてしていなかったみたいに。
「……治っ、た」
ピートが、ぼうぜんと、自分の指を見つめた。
それから、ゆっくりと、振り返った。
ランプの明かりの中に、白い衣をまとい、ヴェールの奥でほほえむまなみがいた。
その肩に、最後のひとひらの羽が、まだ、ふわりと残っていた。
「…………せ」
ピートの唇が、ふるえた。
「……せ、聖女、様……」
「ピートくん?」
「……はっ!? い、いえっ、なんでもないですっ! マナミさんですっ! マナミさんですよね!?」
「マナミだよ?」
「ですよね! ですよねっ!」
ピートは、また、ぎゅるんと後ろを向いた。
耳から、湯気が出そうだった。
レオンは、黙っていた。
さっきまで天井を見ていた灰色の目が、今は、床に落ちた光の粉を、じっと見つめていた。
「……店長?」
「…………」
レオンは、しばらく、なにも言わなかった。
それから、ひとりごとのように、つぶやいた。
「……エマも」
「え?」
「……いや」
レオンは、首を振った。
「なんでもねえ」
そう言って、ランプを持ち上げる。
その横顔が、ほんの少しだけ、遠くを見ているように見えた。
◇ ◇ ◇
帰り道。
ギルドの裏口までの、ほんの数十歩。
レオンの外套に包まれて、まなみは、レオンの少し後ろを歩いていた。
「……マナミ」
「はい」
「今度、少し、時間をくれ」
レオンは、前を向いたまま言った。
「話しておきてえことがある。……昔の、四つ葉のことだ」
まなみは、足を止めた。
レオンの背中を、見上げる。
大きくて、広くて、いつも自分の前に立ってくれる背中。
「……はい」
まなみは、外套の襟を、ぎゅっと握りしめた。
「いつでも、聞きます」
夜空に白い羽が一枚だけ、まだ、ふわふわと漂っていた。
やがて、それも星の光に溶けて、見えなくなった。
とりあえず、今日はここまで。続きが気になると思っていただけたら
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