高飛車お嬢様は口の減らない執事の想いに気付かない
「……信じられない」
イザベラ・スカーレット伯爵令嬢は、地獄の底から這い上がってくるような、低い声を漏らした。
わなわなと怒りに肩を震わせ、手にしていた手紙を勢いよく破り捨てる。
ビリィィィ!
紙が断末魔をあげているようだった。
「あの男! さんざん私に気のあるフリをしておきながら、『他に好きな人ができました。このお話はなかったことに』ですって!?」
イザベラは適齢期の跡取り娘であり、婿を探していた。
手紙の主は某子爵家の三男。
貴族らしく顔を合わせ、茶会をし、一緒に出かけ――手紙のやり取りを何度か行なって、そろそろ良い雰囲気になってきたかと思えば、これだ。
しかも相手は、男性に人気の高い男爵家の令嬢。
イザベラからすれば、ぽっと出の格下令嬢にすぎないのに、何故か皆がもてはやす。
確かに見た目は愛らしいかもしれないが、男性に対するわざとらしい甘えた話し方と過剰な接触が多く、マナーも勉強不足で、女性人気は最悪だった。
「おやまあ。またあのご令嬢を理由に振られたんですか」
淡々と言われて、イザベラの額に青筋が立った。
「またとか言わないでくれる!? 普通は慰める所でしょう!?」
「通算三度目の婚約不成立、おめでとうございます、お嬢様」
「誰が祝えって言ったのよ!」
カンカンに怒って投げつけたインク壺を、おっと、と優雅に受け止められた。
むかつく。
「私の何があの子に劣ってるってわけ!?」
「気性の荒さですかねぇ」
「ジルベルト!」
「なんですか? イザベラお嬢様」
叱りつけるように名を呼ぶと、ことさら丁寧に礼を執って、ふわりと彼は微笑んだ。
う、とイザベラの勢いは少し落ちる。
ジルベルトは、サラサラの金髪と珍しい薄紫の瞳を持つ、甘やかな顔立ちの青年だ。
この男、神が特別贔屓をしたのではないかと思うほど、ロマンス詐欺を働けそうな位に顔が良い。
――顔の良さを理解してやっているのだ、とわかっていても、幼い頃から長い付き合いのイザベラですら、こうしてうっかり見惚れてしまうことがある。
「あ、貴方は私の執事でしょう! 少しは味方したらどうなの!」
「……そうですね、申し訳ありません。イザベラお嬢様」
目線を伏せて胸に手を置く様は、それだけで芸術品のようだ。
「わかったなら良――」
「あいにく、私はお嬢様に関しては、どうにも正直なことしか申し上げられなくて。ですが、この世で一番の味方でいるつもりですよ」
「くぉーのー!!」
投げつけた本も難なく受け止められる。
「お嬢様……淑女のなさることではありませんよ。マナーがなってないと講師の先生から叱られます」
めっ、と子どもに言い聞かせるようなジルベルトの言い草に、イザベラは今にも火を吹きそうだ。
「あ、な、た、がいないところでは完璧な淑女って言われてるのよ! 私は!」
「……へぇ……それはそれは」
くす、と笑って、長い足でイザベラの机の側まですぐに辿り着くと、ジルベルトは嫣然と微笑んだ。
「――それでは、私にも淑女の鑑としての姿を披露していただけますか?」
インク壺と本を丁寧に机上に戻し、いたずらっぽい輝きを瞳に宿して、彼はイザベラの手を取る。
恭しく指先に口付けを落とすかのような仕草に――ばっと自分の手を取り戻した。
「な、な……っ」
「――お嬢様。これくらいの挨拶は、いつも受けていらっしゃるでしょう?」
く、と喉を鳴らす笑い方に、イザベラは羞恥で顔を真っ赤にした。
「淑女たるもの、堂々と受けないと」
「うるっ……さいわね! いつもいつも私をからかって! 今日という今日はクビよ、クビー!!」
全力で叫んで、肩で息をする。
ジルベルトは困ったように笑った。
「――あいにく、私の雇用主はお嬢様ではなく旦那様ですので……」
「ほんっっとにあなたは! じゃあお父様に言ってクビにしてもらうわ!」
「――どうやって、ですか?」
ジルベルトの目に憐れみが浮かんでいた。
「『また我儘を言ってるのか』と呆れられるだけですよ」
父の声真似までする執事の顔に拳を叩きつけてやれたら、どれだけ胸がすくだろうか。
「っ出て行きなさいー!!」
「――かしこまりました、お嬢様。それではお茶の準備をして参りますね。今日の茶菓子は野苺のタルトですよ」
怒りで顔を真っ赤にし、更に物を投げようとして、優しげな声でそう言われた途端、振り上げた手が勢いを失う。
眩しいほど美しい笑みと、その言葉に、イザベラの怒りは急激にしぼんでいった。
「なんっ………! ………ジルベルトが作ったの?」
「ええ。お嬢様がお好きなカスタードをたっぷり載せて」
「…………」
この男、何故か料理が趣味なのだ。
料理長にもお墨付きをもらっており、よくイザベラの好みを理解したスイーツを作る。
「いつもいつも、お菓子で誤魔化せると思わないことよ……!」
「お召し上がりになりますよね?」
「頂くわよっ!」
以前意地を張って食べなかったら、代わりに食べた父に絶賛され、目の前にあるのに食べられない夢まで見た。
物凄く悔やまれたので、それ以来断っていない。
しつこくなく甘すぎず、量も気をつけているようで、食べ過ぎることもない。毎回何とも絶妙にイザベラ好みに美味しいので、逃すのは惜しかった。
何より、苛々には甘いものが効く。
「かしこまりました」
そうやってジルベルトが嬉しそうに笑うと、不敬を赦してしまうのがきっと良くないのだ。
面白くないけれど、何だかいつもうまくあしらわれている気がする。
閉まった扉にクッションを投げつけてやりたくなったが、やめた。
――いつの間にか、破った手紙も欠片を残さず回収されていた。
悔しいが、有能なのは間違いない。
だからこそクビだとイザベラが騒いだ所でクビになるわけもないのだ。
腹が立つ。
……本気でクビにする気なのかと言われたらまごつくが、一矢報いてやりたいイザベラだった。
それから暫くして、タルトを口にして、頬を緩めているイザベラの姿があり。
それを見つめるジルベルトの瞳は、大変満足そうな色を浮かべていたのだった。
◇ ◇ ◇
「っあの、ジルベルト様、ですよね……? イザベラ様の執事の」
そういえば、鈴を転がしたような声、と誰かが言っていたな。一般的にはまあ可愛いのかもしれないが、個人的には少し耳障りだ。
無視しようかと思ったが、主の名前を出すなら反応しておく必要があるか。
そんなことを思いながら振り向くと、予想通りの人物がそこにいた。
「私っ、ミアと言います! あの、ジルベルト様にお伝えしたいことがあって……!」
「――何でしょう」
さて、わざわざ街中で声を掛けてくる用事はどれほどのものなのか。
しかもジルベルトは今仕事中だ。
最近開店したばかりの貴族御用達のカフェで、友人とささやかな茶会を楽しんでいる主人の帰りを待っているのだ。
迎えを呼ぶから帰っていなさいと言われたけれど、ジルベルトはイザベラの、専属執事だ。
護衛を兼ねているので、そんなことをするはずがない。
もちろん付き添いの侍女も専属の護衛もいるが、それとこれとは別だ。
雇い主の了承は勿論得ている。
「実は私、イザベラ様に嫌われているみたいで……」
「はぁ」
まあそれはそうだろう。
三度も縁談を壊された相手に好意的になれと言う方が無理な話では。
婚約後でなくて良かった方なのだろうが。
「学生の頃から、睨まれたり……」
「はぁ」
淑女は皆、白い目で見ていただろうに。
イザベラは一昨年、優秀な成績で貴族学園を卒業した。
二人は一年だけ在学期間が被っていたが、その頃からミアは目に余る存在だったという。
男性への距離感がおかしく、わざとらしいくらいマナーに疎い。礼儀作法の講師に何度注意されても改めようとしない。
理解し難い存在だと、イザベラの反応も当然だろう。
――ところで、本当に距離が近い。
今にも触れそうな位置まで寄って来ないでほしい。
しっしっ、あっち行け、と言わないだけ我慢している方だ。犬猫の方がよほど可愛い。
「お茶会にも参加させて頂けなくて、パーティでも礼儀がなってないと言われるんです。お綺麗ですけど、その、怖くって……」
「……そうですか」
年下の子どもの方が礼儀作法が身についているのでは、と思われるような相手を、わざわざ茶会に招待したがる奇特なレディーはそういるまい。
「本日もこちらでお茶会をされているってお聞きしました。私も参加したかったんですけど……」
「そうですか」
さりげなく触れられそうになったので、すうっと離れて、淡々と返す。
イザベラより、招待されていないのに図々しく参加したがり、その家の執事にしなだれかかる非常識な女の方が怖い。
気のない返事ばかり返すジルベルトだが、ミアはめげずに言葉を続ける。
「――っ、ジルベルト様は、こんなところで、お待ちになっているんですか? 大変ですね」
「ええ、まあ」
「私なら、一緒に中でお茶会に参加して頂くのに……」
「……はぁ」
ちらりと目線を向ければ、桃色の髪に同色の瞳の少女は、目を輝かせて、可憐と称される容姿を最大限に活かし、上目遣いで切なげにそう言った。
――なるほど。
この女は、貴族令嬢が女性だけのお茶会を楽しむ為に作られた店の中に、素晴らしい給仕が存在するにも関わらず、わざわざ自分の男性執事を同席させるような非常識ぶりをイザベラに望んでいるらしい。
「――ジルベルト様。実は私、以前お見かけした時から素敵な方だなと思って、」
「ええ、本当に素敵な方ですよね、イザベラお嬢様は」
いけると思ったのか、瞳を潤ませて迫ろうとしていたミアは言葉を遮られ、呆気に取られた顔をしている。
「……へ?」
「貴方のような家格が劣る令嬢に、どれほど舐めた態度を取られようと、毅然と対応されている。同じように返せば自身の格を下げるだけですから」
「……は……」
ジルベルトは微笑んだ。
「わざわざ礼儀不足を指摘なさるとは、本当にお優しいことです。――ああ、イザベラお嬢様のお言葉は冷たく聞こえるかもしれませんが、正論を説く方。指南された所を正せば、少しは礼儀作法が身につくかもしれませんよ」
「な……っ!」
顔を真っ赤にして怒っているが、何の感情も沸かない。
これがイザベラなら、もっと怒っている顔を見たくて、ついついからかってしまうので、我ながら性格が悪いものだ。
「まあ、学園での成績も散々だったようですが。よくご卒業できましたね? ――『お願い』がよく効いた結果でしょうか?」
そういえば近々学園に監査が入るらしい。とある教授の進退が心配だ。
卒業資格が取り消しにならないといいですね、と嘯くと、目に見えて相手は顔が青くなった。
「っな、何なの……っ」
「それはこちらの台詞ですが。美しく気高いイザベラ様に嫉妬し、対抗心を燃やすのは結構ですが、わざわざ縁談相手に付き纏い、あることないこと言いふらすとは――随分と悪趣味で、お暇なんですね」
「何なのよ、ただの執事のくせに……!」
しおらしい態度は演技であったらしい。恐ろしい形相で睨みつけられた。
実にお粗末だな、と白けつつ、ジルベルトは笑みを深める。
――相手はそれだけで頬を染めた。
ミアのぽかんとした顔には全く魅力を感じない。
どこが良いのか、本気で理解不能だった。
「確かに私は執事ですが、伯爵家に仕える者です。護衛も兼ねておりますので、主への悪意ある行動は報告せねばなりません」
こんな時、イザベラならすぐに立て直して反撃してくるだろう。
――ああ、つまらない。
彼女にはイザベラのような気高さも、怒った時の美しさの中にある愛らしさも何もない。
やはり、相手にするだけ無駄だった。
「――それに、そろそろ貴方のお父上の元へも、複数の抗議文が届いている頃だと思います。お早めに対処された方が身の為ですよ」
今さら何をしても無駄だろうが。
昨今は自由恋愛の風潮が高まりつつも、流石に不特定多数との関わりが多い、身持ちが悪い男女への周囲の目は厳しい。
未だに貴族間での婚姻は契約としても有用である為、イザベラのみならず、他の女性の恋人や婚約者に秋波を送っていたらしいミアは、あまりにも敵を作りすぎていた。
注意や抗議のみならず、不貞の慰謝料を請求すると息巻いている所もいるそうで――彼女の生家の男爵家は、複数の高位貴族から慰謝料を請求されてもものともしないほど、裕福ではないはずだ。
何がしたいのか本当にわからない。
不良債権の処理の相談なら乗りますよ、と男爵に声を掛けても良いかもしれない。
「こんなところにいらっしゃらず、お帰りになってはいかがですか?」
優しく諭すように言いながら、ジルベルトの目線は害虫を見ているかのようだ。
害虫駆除も仕事のうち。
何やら捲し立てるミアを、そろそろ衛兵を呼びますよ、お帰りはあちらですと追い払って、しばらく後。
「――待ってなくていいと言ったでしょう。何時までかかるかわからないのに」
茶会が終わりそうだと伝令を受けて、各家の迎えの確認を済ませ、イザベラが見送る姿を見守っていると、そう言われた。
「それが私の仕事ですから。それに、さすがお嬢様、時間ぴったりでしたね」
「もう。せめて馬車で待つとか、店内に入れてもらうとかしなさいよ」
「真夏でしたらお邪魔させて頂いたかもしれません」
ふふっと笑ってみせると、イザベラは口を少し尖らせながらも、ジルベルトの手を借りて馬車に乗り込む。
「――楽しい時間を過ごせましたか?」
「ええ。時には趣向を変えて見るのも面白いわね。……その、感謝するわ」
「お役に立てて何よりです」
満足そうでいながら、悔しげなイザベラの表情がとても良い。
気心が知れた友人との格式張らない茶会は楽しかったが、今回の発案がジルベルトだったことは気に障ったのだろう。
「……何かあった?」
眉間に皺を寄せて問いかけるイザベラに、ジルベルトは小首を傾げた。
「はい?」
「なんかこう、ジルベルトにしては大人しいというか……また何かからかってくるかと思ったのに……」
害虫に嫌気がさしてイザベラを堪能していたのだが、少々刺激が足りなかっただろうか。
ジルベルトは破顔した。
それは余所行きの貼り付けた笑みではなく、至極楽しげなものだった。
「――つまりイザベラお嬢様は、私に構って欲しかったんですか?」
「そんなこと言ってないわよ!」
うん、可愛い。
自分に対して怒っている姿は子どもの頃から変わらず、綺麗で愛らしい。
――その顔が見たくて、ついからかってしまう癖は、そろそろ直すべきかもしれない。
「そういえば、今日のお茶会で、縁談がうまくいかなかったことを聞きつけた方が、親戚をご紹介して下さるとおっしゃってたわ」
今度こそ良いご縁が結べるかしら、と言う姿も可愛いけれど、憎らしくもある。
「……そろそろ諦めて俺にしてくれてもいいのに」
ぼそりと呟いたジルベルトの声は、イザベラには届かなかった。
「何? 何か言った?」
「いいえ。――イザベラ様も、そろそろ縁談が進むと良いですね、と」
「そうね。めぼしい方はたいてい相手がいらっしゃるみたいだし、お父様とも改めて相談しないと……」
ぶつぶつと考え込むイザベラは、目の前の相手が、いかにして縁談を潰してやろうかと目論んでいることなど、知る由もなかった。
「外にいないなら、親戚にも目を向けるべきかしらね……」
イザベラは忘れているのか、頭にないのか。
ジルベルトは代々スカーレット家に仕える家門の息子ではあるが、子爵家の人間だ。
婿に求められる条件は兼ね備えていると思うのだが、一向にイザベラ本人からそれを問われたことがない。
それこそ物心つく前からイザベラと共に育ってきたようなものだが、ジルベルトは記憶力が非常に良い。
童話に感化された幼いイザベラが、
『おおきくなったらジルとけっこんしてあげてもいいわよ』
と言ったことを、その日の服装までしっかり覚えているのに。
――当の本人は覚えておらず、他の男を見繕っているのだ。
ついつい苛立って遠回しに縁談の芽を摘んでしまうのは仕方ないだろう。
三人とも、少しばかりあの女と顔を合わせる機会を増やしただけなのだ。
それで揺らぐ程度なら、どの道お嬢様には相応しくない相手だった。それだけだ。
「……イザベラ様は、婿になる相手はご自身を立てて、優しくして下さる方が良いと仰ってましたね」
「え? ええ、そうね。後は誠実で、好意を持てる相手であれば」
イザベラに相応しい相手が見つからなければ、求婚しても良いとの許可を両家からはもぎ取っている。
ジルベルトは長男だがイザベラのこと以外眼中にないので、跡継ぎは弟の方が向いていると家族の見解は一致していた。
公には言えないが、ジルベルトの家はスカーレット伯爵家の影としての役割も担っており、情報や武器の扱いに長け、権謀術数を駆使して政敵を葬ってきた歴史を持つ。
ジルベルトは能力だけなら群を抜いているのだが、イザベラ命すぎて他に融通が利かないのである。
父も弟も「もうお嬢様の側で一生守っていろ」と呆れていた。
イザベラの父と定めた約束の期限までは、もう少し。
その後、縁談が決まらず絶望している時。
「ちゃんと婿に迎えて下さるなら、絶対によそ見はしませんし、貴方を支え、誰よりも甘やかしてさしあげますよ」
と、ジルベルトにきらきらしい笑みで面と向かって言われたイザベラが、
「な、な、何を言っているのよ馬鹿執事――!?」
と、顔を真っ赤にして叫ぶことになり。
執事の怒涛の猛攻に遭い、求愛行動に振り回され、実はもうとっくに外堀を埋められまくっていたことなど、イザベラ本人はまだ、知る由もないのだった。
餌付けにも気づいてないお嬢様でした。
お読みいただきありがとうございます。
よろしければブックマーク・評価・いいねなどしていただけると、とても励みになります!
気に入って頂けましたら、他作品もお目通し頂けますと幸いです!




