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第9話 伯爵家と元婚約者の絶望の始まり


 エミーリアがブライトン伯爵家を出て、二週間ほどが経った。


 伯爵家の屋敷の中は、表面だけは変わらない。

 ――けれど、空気が違った。


 最初に異変が出たのは、父の火だった。

 ある朝、伯爵が書斎で蝋燭に指先をかざした。


 いつもなら、火の精霊魔法は呼吸のように自然に走る。

 火種などいらない。精霊が応えて、炎が灯る。


 だが、その日は違った。

 ぱち、と音がして、ほんの小さな火花が散っただけ。

 蝋燭の芯は黒く焦げ、炎になりきれずに消えた。


「……何だ、これは」


 伯爵は眉を寄せ、もう一度指を鳴らした。

 今度は火花すら弱く、指先に熱が残らない。


「ふざけるな……」


 椅子を蹴るように立ち上がったが、何も変わらない。


 その頃、母も同じだった。

 茶会の準備で、水の精霊魔法を使って湯を整える。

 いつもなら水は素直に動き、温度も正確に整う。


 けれど、湯はぬるく、薄く、まとまりがない。


「……どうして」


 母は扇子で口元を隠しながら、何度も同じ動きをした。

 それでも、湯は湯にならない。

 温度が上がらないどころか、途中で冷えていく。


 そして、最後に――リディア。

 彼女の光は、伯爵家の誇りだった。


 学園では光の加護を持つ優秀な令嬢として、称賛される。

 社交界でも、まだ若いのに注目される。

 婚約者――公爵家のアレクシスとの縁も、その光が後押しした。


 そのリディアの光が、弱くなった。


 庭先で、指先に光を集めようとする。


 白く眩しいはずの光は、霞のように薄い。

 手のひらに留まらず、すぐに散る。


「……っ、何よ、これ!」


 リディアは苛立って唇を噛み、もう一度、息を吸った。


 呼ぶ。集める。灯す。

 けれど、灯るのは小さな灯りだけだ。


 以前なら、周囲を照らすほどの光が出たはずなのに。


「嫌……! こんなの、嫌よ……!」


 その日の夕方、家族三人は応接室に集まった。


 伯爵は荒々しく机を叩き、母は扇子を強く握りしめる。

 リディアは涙が出そうな顔で、けれど泣くのが悔しいように顎を上げていた。


「どうしてだ!」


 伯爵の怒鳴り声が、応接室の壁にぶつかった。


「火が……出ない。いや、出るが、半分以下だ。いや、半分もない!」


 母も声を震わせる。


「水もよ。温度も形も、まともに……どうして、こんな……!」


 リディアが叫ぶ。


「私の光も! ……半分どころじゃない! 学園で、もしこれが知られたら……!」


 伯爵がリディアを睨みつけた。


「お前はちゃんとしなさい! なんで精霊魔法が弱まっている!」


 リディアは弾かれたように立ち上がる。


「わからないわよ! お父様とお母様だって弱まってるじゃない! 私だけのせいみたいに言わないで!」


「生意気を言うな!」

「生意気じゃない! だって事実よ!」


 母が扇子を振るようにして口を挟む。


「やめなさい、二人とも……!」


 止める声さえ、どこか焦っている。


 原因を探そうとした。


 だが、専門家を呼べない。

 精霊魔法の衰えを公にすれば、伯爵家の恥になる。


 特にリディアは、光で注目されている。

 弱まったと知られた瞬間、噂は燃え広がる。


 ――伯爵家の加護が衰えた。

 ――何か罪を犯したのでは。

 ――精霊に見放されたのでは。


 そんな言葉が、社交界で踊るのが見える。


 伯爵は歯噛みした。


「専門家など呼べるか……。余計な耳に入ったら終わりだ」


 母も扇子の影で唇を噛む。


「ええ……呼べないわ。絶対に、呼べない」


「でも……どうするのよ。私、光が弱いってバレたら……」


 伯爵は苛立ちを、そのまま娘にぶつけた。


「だから、ちゃんとしろと言っている!」

「だから、どうやってよ!」


 叫び声が重なり、応接室の空気が濁る。

 以前なら、ここまで家の中が荒れることはなかった。


 ――エミーリアがいた頃は。


 あの娘がいた頃、屋敷の空気は冷たかったが、整っていた。

 誰かを下に置けば、家の秩序は保たれる。


 だが、今は違う。

 下に置く相手がいないのに、家の空気が悪くなる。


 さらに問題は、屋敷の中だけでは終わらなかった。

 伯爵領の中で、少しずつ、じわじわと――目に見える不具合が出始めた。


 畑の育ちが悪い。

 水の回りが、微妙に安定しない。

 火を扱う作業が、滞る。


 精霊魔法で支えていた当たり前が、当たり前ではなくなる。


 領内の管理を任されている者たちが、遠回しに報告を持ち込んだ。


「……伯爵様、今年の作物ですが、例年より生育が遅れております」

「水路の……調整が、うまくいかず」

「火入れの工程で、時間がかかっております」


 伯爵は不機嫌に頷きながら、机の上の報告書を握り潰すのを堪えていた。


(なぜだ……!)


 加護無しの娘を外に出した。

 家の恥を追い払った。

 不吉を追い払った。


 なのに、状況は良くならない。

 良くならないどころか、悪くなる。


「……ふざけるな」


 伯爵が低く吐き捨てる。

 母も、扇子の影で目を細めた。


「まさか……あの子を出したせいじゃないでしょうね」


 リディアが、びくりと肩を震わせる。

 けれどすぐに、強がるように言った。


「そんなわけないじゃない。加護無しよ? 精霊魔法なんて使えない」


 そう言い切ったのに、胸の奥がざわつく。

 言い切ったのに、否定したはずなのに――消えない。


 家の空気は、さらに不穏になる。

 使用人たちも、以前より口が重い。

 笑い声が消える。


 伯爵家の中で、静かに、ひび割れが広がっていった――。


 ――一方その頃。


 王都でも、焦りが生まれていた。


 公爵家のアレクシスは、訓練場で剣を振っていた。

 汗が額を流れ、息が白くなる。


 彼は土の精霊魔法を得意としていた。

 剣と合わせて使うことで、戦場での評価も高い。


 学園でも成績は優秀。

 卒業すれば王城騎士団への入団が確実だと言われていた。


 ――そのはずだった。


「……来い」


 アレクシスは掌を地面に向け、土を盛り上げようとした。

 いつもなら、地面は応える。

 精霊が動き、土が形を作る。


 だが、土は鈍い。

 盛り上がり方が遅い。

 形が崩れる。


「……っ」


 アレクシスは歯を噛み、もう一度呼んだ。

 呼ぶ。呼ぶ。呼ぶ。

 それでも、応えは薄い。


(……弱い)


 幼少期の頃のようだ。

 ――いや、さすがに幼少期ほどではない。


 だが、あの頃に戻ったような感覚がある。

 それが、怖かった。


(今さら? なぜ、今になって)


 卒業する年だ。


 周囲の視線は、実力を前提に集まる。

 評価は積み上げてきた。


 立場もある。


 このまま騎士団に入れば、道は順調に開けるはずだった。


 その道が、突然揺らぐ。


(戻さないといけない)


 戻さなければ。


 そうしないと、公爵家でも立場がなくなる。

 周りの評価も下がる。


 今まで上手くいっていたのに。


 アレクシスは剣を振り下ろし、土を叩くように踏み込んだ。

 それでも、地面は思うように動かない。


 訓練場の隅で見ていた同級生が、遠慮がちな声をかける。


「……アレクシス、大丈夫か?」


「大丈夫だ」


 返事は即答だった。


「少し……今日は、調子が悪いだけだ」


 言い訳が、喉の奥で苦くなる。

 調子が悪いだけならいい。

 けれど、これは一日では終わらない気がしていた。


(どうすれば……)


 アレクシスは訓練場を出て、廊下を歩いた。

 頭の中で、いくつもの可能性が回る。


 疲労。精神状態。気候。

 どれも決め手がない。


 そして、ふと――ひとつの記憶が浮かぶ。

 婚約破棄。


(……エミーリア)


 遠くへ行ったはずの女。

 繋がりは切れたはずの女。

 けれど、妙に引っかかる。


 あの女の周りでは、精霊魔法が弱くなることがある。


 そんな話を、学園で聞いたことがあった。

 噂だ。根拠のない、面白半分の話。


 だが……。


(あの女のせいか?)


 思った瞬間、アレクシスは自分の思考に苛立った。


(馬鹿げている。婚約は破棄したし、繋がりはない。辺境領地の遠くにいる)


 なのに、なぜ弱まる。

 むしろ離れたなら、影響は消えるはずだろう。


(……なぜだ)


 答えが出ないことが、焦りを増やす。

 アレクシスは拳を握り、壁に爪を立てそうになるのを堪えた。


 このままではいけない。

 このままでは――落ちる。


 落ちる、という言葉が、胸の奥を冷やした。


 公爵家の人間として。

 騎士として。

 リディアの婚約者として。


 周囲が期待している、アレクシスとして。


 戻さないといけない。


 廊下の先で、同級生たちが笑っている声がした。

 その笑い声が、自分の背中を押すのではなく、追い詰める。


(どうすれば……)


 アレクシスの焦りは、まだ形にならないまま膨らんでいく。


 そして、ブライトン伯爵家でも、同じように――。

 理由のわからない不安と苛立ちが、家の中を満たしていった。


 精霊魔法が弱まる。


 領地が傾く。

 評判が揺らぐ。


 それでも原因は見えない。


 追い出したはずの加護無しのエミーリアは、もうそこにいない。

 なのに、なぜか世界は悪い方へ動き始めている。


 伯爵家、リディア、アレクシス。


 彼らの絶望は――まだ、始まったばかりだった。




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