第4話 新たな婚約、辺境伯領へ
アルベルト様との婚約が終わってから、数週間が経っていた。
あの日のことを、私は何度も思い返した。
思い返しても、胸が締めつけられることはない。
ただ、静かに「終わったのだ」と確認するだけ。
――不思議と、心は穏やかだった。
そんな私を、ある日また女中長が呼びに来た。
「エミーリア様。旦那様がお呼びです」
「……わかりました」
私は手を拭き、静かに頷いた。
この家で呼ばれる理由に、良いものはひとつもない。
それはもう、学んでいる。
応接室の扉を開けると、父と母、そしてリディアが揃っていた。
三人とも、どこか機嫌がいい。
(……嫌な予感しかしない)
私は礼をして、いつものように端に立った。
「エミーリア」
父が、わざとらしく咳払いをする。
「お前に話がある」
その言い方で、だいたい察しはついた。
私の人生に関する話で、私の意思は関係ない。
「新しい婚約者が決まった」
やはり、と思った。
驚きはない。
婚約破棄された娘を、長く伯爵家に置いておく理由は、この家にはない。
「相手は、ルシアン・ヴァルター様だ」
その名を聞いた瞬間、わずかに胸が揺れた。
(……ヴァルター辺境伯家)
辺境伯。国境を守る要の家。
伯爵家の次女である私には、釣り合いの取れない相手のはず。
母が、扇子で口元を隠して言う。
「現当主で、二十五歳。婚約者はいらっしゃらなかったそうよ」
(……それは、むしろ不自然じゃない?)
辺境伯家の当主ともなれば、もっと早く縁談があってもおかしくない。
何か理由があるはずだ。
私が黙っていると、リディアが口元を歪めた。
「お姉様、可哀想に」
その声音だけで、続きがわかる。
「よりによって――残虐な土地で、冷徹な辺境伯のところに嫁ぐことになるなんて」
(残虐な土地? 冷徹な辺境伯?)
私は眉を動かしただけで、何も言わなかった。
リディアは、私の反応が薄いのが面白くないらしく、さらに続ける。
「ヴァルター辺境伯領は『死地』って呼ばれてるのよ。魔物の出現が相次いで、村が滅びたこともあるって」
母が、同情するような素振りで頷いた。
「ルシアン様もね、とても冷徹な方だそうよ。魔物と一緒に部下まで斬ったなんて話もあるわ」
――噂。
伯爵領で語られる辺境の話は、たいてい誇張されている。
遠い場所ほど、恐ろしい物語になる。
(それでも……)
私は思った。
(この家にいるよりは、ずっとまし)
ここでは、私は娘ですらない。
家の名誉を汚す存在。
使い捨てにされる駒。
父が、私を見下ろすように言った。
「お前が伯爵家に長くいては、家の名誉が傷つく」
母も、当然のように続ける。
「加護無しで婚約破棄された娘など、早くどこかに嫁がせたいと思っていたの。ちょうどよかったわ」
(……それは、こちらも同じ。私もこの家にいるよりはマシだと思う)
私は心の中でだけ呟いた。
そのとき、リディアが楽しそうに笑った。
「でも安心して、お姉様。加護無し同士で、釣り合いは取れてるわ」
その言葉で、すべてが繋がった。
(……ルシアン・ヴァルター様も、加護がないのね)
だから婚約者がいなかった。
だから、この縁談が成立した。
加護無しへの差別が、どれほど根深いか。
私は幼い頃から、嫌というほど知っている。
父が、嘲るように言う。
「そういうことだ。不出来同士で、ちょうどいい」
母も、笑みを浮かべる。
「誰も文句は言わないわ」
リディアは、私の目を見て、勝ち誇った。
「よかったわね、お姉様。誰にも取られないわよ」
取る、取られない。
その感覚が、彼女の世界だけだろうけど。
私はただ、頭を下げた。
「……承知いたしました」
それで話は終わった。
――そして今。
私は馬車に揺られていた。
ブライトン伯爵領を離れて、数日。
最初のうちは、不安で眠りが浅かった。
死地と呼ばれる土地。
冷徹な辺境伯。
加護無し同士の婚約。
不安な要素しかないけど、もうなるようになるしかない。
馬車は淡々と進み、景色は少しずつ変わっていった。
荒れ地ではない。
畑があり、森があり、川が流れている。
普通の土地だ。
(……少なくとも、今は)
私は窓の外を見る。
村が見えた。
人がいて、家があって、生活がある。
魔物が出現して村が滅びたという話を聞いたけど、特にそういうような雰囲気はない。
馬車が止まる。
「村に到着しました」
御者にそう言われて、私は降り立った。
冷たい風が頬を撫でる。
村の入口には、武装した兵士たちが立っていた。
数は多いが、無駄がない。
鎧は実用的で、よく整備されている。
(よく統率されているわね)
一人が前に出て、礼をした。
「エミーリア・ブライトン様ですね。お迎えに参りました」
その声は、低く、落ち着いている。
「はい。えっと、ヴァルター辺境伯家の方でしょうか?」
「はい、そうです。これから私達が護衛として、辺境伯家の屋敷まで連れて行きます」
「かしこまりました、よろしくお願いいたします」
私が頭を下げると、兵士は一瞬驚いたように瞬きをした。
けれどすぐに頷く。
「こちらこそよろしくお願いします。こちらの馬車へどうぞ」
用意されていた馬車を見て、私は小さく目を見開いた。
(上質だわ)
伯爵家の馬車より、明らかに良い。
私のために用意した伯爵家の馬車は最低限の質だったけど、辺境伯家が用意してくれた馬車はとても良いものだ。
それだけで、胸の奥が少し緩んだ。
(少なくとも、雑には扱われない)
馬車に乗り換えると、揺れが少ない。
座面も柔らかい。
『ふわふわ』
『いい、ばしゃ』
『エミーリア、すわりやすい』
「ええ……少し、安心するわ」
精霊たちが、嬉しそうに揺れた。
馬車は再び動き出す。
窓の外には、辺境の景色が広がっている。
森は深いが、不気味ではない。
空は広く綺麗だ。
(……冷徹な人、ね)
噂は噂。
けれど、迎えの兵の態度や、馬車の扱いを見ていると、少なくとも無関心ではなく、気遣いができる人という印象だ。
(どんな人なのだろう)
怖さと、期待。
半分ずつ。
精霊が、私の肩の近くで揺れた。
『エミーリア、すすむ』
『あたらしい』
『だいじょうぶ』
私は、そっと背もたれに身を預ける。
「……ええ。進むわ」
この先に何が待っていても。
少なくとも、ここは始まりだ。
馬車は、静かに、辺境伯領の奥へと進んでいった。
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