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第29話 私の場所はここに


 朝の空気が、澄んでいた。

 窓を開けると、ひんやりとした風が頬を撫でていく。


 遠くから聞こえるのは、城下町の声だ。

 いつもより賑やかで、弾むような音が混じっている。


(今日は、収穫祭だ)


 この領に来てから、季節の行事が自分の生活の一部として感じられるようになった。


 伯爵家にいた頃は、祭りは眺めるものだった。

 行けるとしても、端で息を潜めるだけ。


 今は違う。


 私は鏡の前で髪を整えながら、侍女のベルタの手元を見た。

 細い指が、慣れた動きで髪飾りを留めていく。


 今日の飾りは控えめだ。

 けれど、素材がいいから光り方が柔らかい。


「少しだけ、華やかにしておきました」

「収穫祭だから?」

「はい。今日は皆、嬉しい日ですから」


 ベルタが笑う。

 以前より、笑い方が柔らかくなった気がする。


 彼女と親しくなったようでなんだか嬉しい。


「私、変じゃない?」

「変なはずがありません。とてもお似合いです」

「そう、ありがとう」

「はい、エミーリア様」


 ベルタは、ほんの少しだけ声の調子を落とした。


「最近は、鏡を見る回数が増えましたね」


 心臓が小さく跳ねた。


「……そうかしら」


 誤魔化そうとしたのに、ベルタは笑って続ける。


「はい。目元も柔らかくなりました。前よりも、ずっと」


 胸の奥がくすぐったくなる。

 否定したいのに、否定できない。


 だって――自分でも思うのだ。

 これからデートする相手に、綺麗でいるところを見せたいから。


「……ベルタ。あんまり言わないで」

「ふふっ、申し訳ありません」


 そう言って、ベルタが最後に背中のリボンを整える。


「収穫祭の広場、きっと混みます。護衛の方々もおりますが、ルシアン様の傍を離れないでくださいね」

「ええ、わかってるわ」


(離れるつもりなんて、ない)


 口には出さないけど、心の中でははっきりと思った。


 廊下へ出ると、すでに城の中が忙しい。

 籠に積まれた野菜、干し肉、香草。

 パンの焼ける匂いまで漂ってくる。


「いい匂いね」

「本日は祝祭用の仕込みが多いのです」


 通りすがりの料理長が、嬉しそうに言う。

 私が頷くと、料理長は一礼して去っていった。


 城下町の方が、もう色とりどりに動いている。

 旗が立ち、飾り布が揺れ、子どもたちが走っているのが見えた。


 気持ちが少し浮つく。

 けれど、執務は執務だ。


 私は背筋を正して扉を開けた。


 ルシアン様は、すでに机に向かっていた。

 今日の服はいつもより少しだけ軽装で、収穫祭に出る前提が見える。


「おはようございます」

「ああ、おはよう」


 私は机の端に座り、書類を広げた。

 収穫量の最終報告、冬越しの保存食計画、交易の予定、街道整備の見積もり。


 紙の束は厚いのに、頭は不思議と澄んでいる。


『すいすい』

『できる』

『だいじょうぶ』


 精霊たちの声が、肩のあたりでふわふわ揺れる。


(……本当に、この子たちのおかげなのかな)


 確証はない。だから、頼りすぎない。

 けれど感謝はしている。


 私は小さく息を吐き、ペンを走らせた。


 しばらくして、ルシアン様がふと顔を上げる。


「今年の穀物、安定していますね」

「ああ、去年よりも増えた」

「保存食の準備も、余裕ができそうです」

「冬越しは問題ないな」


 その一言が、どれほどの重みを持つか。

 辺境伯領の冬は厳しい。

 命に関わる。


 だから、私はほっと息を吐いた。


「交易の件ですが……こちらの領と、新しく繋ぐ案が出ています」

「川沿いの方か」

「はい。街道が整えば、塩と布が安定して入るかもしれません」

「……冬前に間に合わせるのは難しいか」

「はい。でも、来年の春までに……」


 会話を続けながら、私は気づく。


(……私、ちゃんと話してる)


 辺境伯家に来たばかりの頃は、こういう話は聞くだけだった。

 今は、意見を言えている。


 役に立てていると思うと、嬉しかった。


 昼の鐘が鳴り、執務を切り上げた。

 食事を済ませ、城下町へ向かう準備をする。


 外へ出ると、風が澄んでいた。

 城下町へ近づくほど、人の声が増える。


 笑い声、呼び込みの声、香りが混ざり合って、胸がくすぐったくなる。


「……すごい」

「毎年こうだが、今年は特に多い」

「豊作だからですか?」

「ああ……民が安心して笑える年は、いい」


 ルシアン様の言葉は短いが、優しく笑っていた。


 私は自然と、彼の袖をそっと掴んだ。


「ルシアン様」

「どうした」

「……ありがとうございます」


 急に言ったから、彼は一瞬だけ目を瞬いた。

 でも、すぐにわかったように頷く。


「……それは俺の台詞でもあるな」

「それでも、です」


 私は、笑ってしまった。


(ああ、私、今……幸せだ)


 城下町の中央広場は、もう祭りそのものだった。

 露店が並び、旗が揺れ、人が流れ、子どもが走る。


 鍋の湯気、甘い菓子の香り、肉の焼ける匂い。


『にぎやか』

『たのしい』

『ぱん!』


 精霊たちがはしゃぐ。

 私は思わず、口元を押さえた。


(この子たち、ほんとに可愛いわね)


 露店をいくつか回り、温かいパンと、串焼きを買った。

 人混みから少し外れた場所で、二人並んで座る。


「ん、美味しい」


 思わず声が漏れる。


「そうか」

「はい。香ばしくて」

「それならよかった」


 ルシアン様も同じものを食べる。

 彼も美味しいと感じたのか、ほんの少しだけ柔らかい顔になる。


 私はその横顔を見て、胸の奥がきゅっとなる。


(この人の隣が、私の場所だ)


 しばらくして、空は少しずつ夕色に染まり始めた。


「来年は、もっと露店が増えるかもしれませんね」

「増えるだろう。交易が安定すれば、品も増える」

「街道整備もですね」

「ああ、春から本格的にやる」


 未来の話を、当たり前のようにしている。

 それが、嬉しい。


 そして――ふと、胸の奥から言葉が出た。


「……私、この領が好きです」


 ルシアン様が、こちらを見る。


「あなたが守ってきた、この場所が」


 言った瞬間、喉の奥が熱くなる。

 でも、確かにこみ上げるものがある。


 ルシアン様は、少しだけ息を吐き、静かに言った。


「一緒に、もっと良くしていこう」

「はい、もちろんです」


 言いながら、私は自分でも驚いた。

 もう、守られるだけの私じゃない。


「この領の人たちが、来年も笑えるように」

「ああ」


 ルシアン様が、ほんの少しだけ笑う。


「頼もしいな」


 そのたった一言で、胸がいっぱいになった。


 広場の喧騒から少し離れた場所へ歩き、夜風に当たる。

 城下町の灯りが、ひとつ、またひとつと灯る。


 確証はない。けれど、怖くはなかった。


 私は、そっとルシアン様の袖を掴んだ。


「ルシアン様」

「どうした」

「……これからも、ずっと」


 言葉を探しているうちに、ルシアン様が私の顔を見て、短く言った。


「ああ」


 それだけで、十分だった。


 ルシアン様が、静かに距離を詰める。

 息が近づき、夜風が頬を撫でる。


 穏やかなキス。

 確かめるようなもの。

 守られていると感じるもの。


 そして――私も、支えたいと思えるもの。


 唇が離れたあと、私は小さく笑った。


「……私、ここにいます」

「……ああ。ここが、エミーリアの場所だ」


 その言葉が、胸の奥にすとんと落ちた。


 城下町の灯りが揺れ、遠くで笑い声が続く。

 季節は巡り、冬が来る。春も来る。


 きっと、楽なことばかりじゃない。

 でも――。


(私は、ここにいる)


 この領と。

 ルシアン様と。


 精霊たちが、嬉しそうにふわふわと揺れた。


『つづく』

『しあわせ』

『にこにこ』


 夜空は静かで、どこまでも澄んでいた。



 ――夜空の端、山の稜線の向こうが、淡く光る。

 星とは違う、月とも違う色。


『……よい選択だ』


 それは精霊と同じく、輪郭が光っていた。

 だが精霊と違うのは、人の形をしていた。


『見守っているぞ。我が精霊達の友よ』


 次の瞬間、それは淡く光り、そして消えた。



最後まで読んでいただきありがとうございます!

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― 新着の感想 ―
主人公は友達だから加護を貰えなかったけど旦那はどうして貰えなかったんでしょう?主人公をいじめる性格の悪い人達でさえもらえてたのに
面白かったです! 欲を言えば、加護なしと精霊達の友の違いがあまり見えないので、もう少し差別化が欲しかったです。。
ほっこり幸せなお話をありがとうございました。 精霊さんたちがかわゆくて、この子たちが側にいてくれて良かった。 ただ、二人の子どもたちは、どんな子どもでしょう。やはり加護なしで精霊のお友だちになるので…
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