第24話 元家族との決別
応接室へ向かう廊下は、別邸らしく静かだった。
けれど、私の胸の中は静かではなかった。
(……会うんだ)
両親と、リディアに。
あの家を出てから、私は何度も「戻らない」と決めてきた。
それなのに、こうして向き合うために足を進めている。
ルシアン様の手が、ずっと私の手を握っている。
その温度に、私は何度も助けられた。
『だいじょうぶ』
『エミーリア、いっしょ』
『まもる、まもる』
肩の近くで精霊たちがふわふわと揺れ、背中を押す。
扉の前で、レイが一度だけこちらを振り返った。
「よろしいですか、ルシアン様……エミーリア様も」
私は小さく頷いた。
「はい」
レイが扉を開ける。
応接室に入った瞬間、まず目に入ったのは、向こう側のソファに座る三人の姿だった。
父、母、そしてリディア。
三人とも余裕がない顔をしていた。
頬がこけたように見えるのは、光のせいか、焦りのせいか。
父の額には薄く汗があり、母の扇子は握りしめられている。
リディアの髪も、普段なら完璧に整っているはずなのに、毛先が少し乱れていた。
(急いで来たのか、それとも……乱れるほど追い詰められてるのか)
どちらにしても、落ち着いていないのは明白だった。
こちらが入った途端、父と母が勢いよく立ち上がる。
そして、形式だけのようにルシアン様へ頭を下げた。
「ヴァルター辺境伯閣下、ご無沙汰しております」
「このたびは突然の来訪、失礼いたしますわ」
礼は言葉だけ。
目が、もう別のものを掴みに来ている。
父がすぐに声を荒げた。
「早速本題なのですが、エミーリアを返していただきたい!」
母も、扇子を握ったまま重ねる。
「あの子は、うちの娘ですのよ。辺境伯家にいる必要などありませんわ」
私は、一瞬だけ唇を噛んだ。
(……やっぱり)
結婚している、という事実すら。
私の意思すら、もう見ていない。
そしてもっとひどいのは、その言い方だった。
目の前にいるのは辺境伯家当主。
爵位が下の伯爵夫妻が取っていい態度ではない。
なのに、遠慮がない。
失礼を失礼とも思っていない。
(ルシアン様を、あきらかに下に見てる)
加護無しだから。
死地の当主だから。
そういう偏見で。
リディアも立ち上がり、遅れて礼をした。
「ご無沙汰しております、閣下」
礼はした。
けれど――そのあと、じっとルシアン様の顔を見つめたまま動かない。
頬が赤いけど……見惚れている?
その雰囲気が、ありありと伝わってきた。
(そういえば、リディアは面食いだった)
思い出してしまって、胸の奥が冷たくなる。
今この状況で、そんな目をするのか、と。
応接室の隅に控えていた辺境伯家の護衛が一歩前に出た。
「伯爵閣下、奥方。どうか落ち着いてください。閣下の前で――」
そこまで言った瞬間、父が噛みついた。
「黙れ! たかが兵士風情が口を挟むな!」
母も鋭く言い捨てる。
「そうよ、分際をわきまえなさい!」
室内の空気が、一段冷える。
すると――風の音もなく、ルシアン様が動いた。
懐から短刀が抜かれる。
次の瞬間、その刃が父の首筋に添えられていた。
父の喉が鳴る。
「な……っ!」
「お前がうるさい。黙っていろ」
ルシアン様の声は低く、淡々としている。
淡々としているからこそ、怖い。
父の顔色が一気に白くなる。
母の扇子が落ちそうになるのを、必死に握り直した。
リディアは口を開きかけ、何も言えずに固まった。
ルシアン様の覇気が、室内を支配する。
私はその背中を見て、喉の奥が熱くなった。
(……守ってくれてる)
怖さが、少しだけ薄れる。
ルシアン様は短刀を戻し、何事もなかったように席へ向かった。
「座れ。話をするなら、最低限の礼儀を覚えてからにしろ」
父と母は、反射的に頷き、ぎこちなく座った。
リディアも遅れて座る。
私も、ルシアン様の隣へ。
ソファに腰を下ろした瞬間、ようやく――両親の視線が私のほうへ来た。
父が眉を寄せる。
「失礼だが……そちらの令嬢は?」
私は、一瞬、呼吸が止まった。
(……え?)
私だと、エミーリアだと、気づいていない?
ルシアン様が、目を細めた。
「……は?」
短い声。
驚きと呆れが混ざっていた。
私も、同じだった。
驚きと、ほんの少しの空しさ。
けれど、リディアが私をじっと見て、顔をしかめた。
「……もしかして」
唇が震える。
「エミーリア、お姉様?」
その名が落ちた瞬間、父と母の目が見開かれた。
「えっ」
母が扇子を握りしめる。
「まさか……」
私は、息を整えてから言った。
「お久しぶりです。……父様、母様。リディア」
父の顔が、ようやく現実を捉えたように歪む。
「お前……エミーリアか?」
その声には、信じられない、という響きがあった。
まるで別人だと言いたいように。
……確かに、そうかもしれない。
伯爵家にいた頃、私はまともな身支度などできなかった。
鏡を見ることすらできない日々。
今は、侍女が整えてくれるし、食事も睡眠も穏やかに取れる。
(でも、まさか……気づかれないとは)
胸の奥が、じわりと痛む。
ルシアン様が、冷たく言った。
「まさか娘に気づかないとはな……それでよく『返せ』などとほざいたものだ」
父の口が開き、閉じる。
言い返せない。
母が慌てたように笑みを作った。
「そ、そう……エミーリア。綺麗になったのね」
上辺だけの言葉。
今さら、褒めることで取り繕おうとしている。
「本当に見違えたわ」
そして、すぐに続ける。
「だから、戻っていらっしゃい。伯爵家で暮らしましょう? 今度はいい暮らしをさせてあげるわ」
父も、頷く。
「そうだ。戻ってくればいい。お前は俺の娘だ。ちゃんと――」
私は、静かに首を振った。
「嫌です」
言葉が、思ったよりはっきり出た。
父と母が固まる。
私は続けた。
「私はヴァルター辺境伯夫人です。お引き取りください」
母の顔が引きつる。
「な、何を言っているの。あんな死地で暮らすより、王都寄りの伯爵家のほうがずっと――」
「いい暮らしをさせてやる!」
「死地なんぞで命を落とす前に戻れ! お前はうちの娘なのだから!」
父と母が声を荒げる。
だが私は、まっすぐに言い返した。
「私は辺境伯夫人として生きていきます」
胸が震える。
でも、逃げない。
「もうあなた方の言うことを聞く義務は、ありません」
父の顔が赤くなる。
「お前……っ!」
怒りが、形になるのが見えた。
父が立ち上がり、私に向かって手を伸ばしてくる。
「無能な娘が! お前は俺の言うことを聞いていればいいんだ!」
腕を掴まれる――そう思った瞬間。
――鈍い音、と同時に。
父が、吹き飛んだ。
壁に背を打ちつけ、そのまま崩れ落ちる。
短い呻き声すら、途中で途切れた。
「……っ」
私は息を呑んだ。
ルシアン様が、私の前に立っていた。
拳を下ろし、淡々とした顔で言う。
「俺の愛する妻には、指一本触れさせん」
――愛する妻。
その言葉が胸に落ちた瞬間、怖さが一気に薄れた。
嬉しさが、熱となって広がる。
母が青い顔で立ち上がり、声を震わせた。
「ひっ……! ま、待ってください、閣下! どうか……! 夫が……夫が無礼を――!」
リディアも震えながら父のほうを見る。
ルシアン様は、冷たく命じた。
「衛兵を呼べ。辺境伯夫人に暴行を働こうとした罪だ。……この場で見逃すと思うな」
母が、必死に頭を下げる。
「申し訳ありません! 本当に……! どうか、どうか――!」
「許さん」
短い一言が、すべてだった。
「これ以上ここにいるなら、あなた方も引き渡すことになる」
母の顔が引きつる。
逃げる、という選択肢が浮かんだのが見えた。
「……っ、リディア!」
母がリディアの腕を掴む。
リディアは最後に、私を睨んだ。
――冷たい視線。
あの家にいた頃、何度も受けた目。
(変わらない)
私は、息を吐く。
怖さがないわけじゃない。
でも、もう、折れない。
リディアは唇を噛み、母に引かれるようにして部屋を出ていった。
母も何度も振り返りながら、逃げるように消える。
しばらくして、衛兵が駆け込んできた。
「閣下!」
「そこの男を連れていけ」
父は気絶したまま、衛兵たちに担がれて運ばれていく。
絨毯を擦る音が、やけに大きく聞こえた。
扉が閉まり、室内が静かになる。
私は、ようやく息を吐いた。
足が少し震えているのがわかる。
でも、立っていられる。
ルシアン様が、私の肩に手を置いた。
「……大丈夫だったか?」
私は小さく頷く。
「はい、大丈夫です」
本当は、少し怖かった。
でもそれ以上に――守られたことが、胸を満たしていた。
「守ってくださって……ありがとうございます」
ルシアン様は、当然のように言った。
「君を守るのは当然だ。俺は君の夫なのだから」
そのまま、顔が近づく。
私は目を閉じた。
唇が重なる、短いキス。
けれど、胸の奥まで温かくなる。
『よかった』
『まもった』
『つよい、つよい』
精霊たちが、ふわふわと揺れる。
唇が離れたあと、私は小さく息を吐いた。
(……終わった)
全部が終わったわけじゃない。
きっと、まだ続く。
でも――。
(私は、逃げなかった)
ルシアン様の隣で。
辺境伯夫人として。
それだけで、胸の奥に小さな誇りが灯った。
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