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第23話 社交界前のデート、そして…


 馬車に揺られて、ほぼ一日。

 窓の外の景色が、少しずつ変わっていくのを眺めながら、私は膝の上で手を組んでいた。


 ヴァルター辺境伯領を発ってから、街道はよく整備され、行き交う馬車の数も増えている。


 目的地は、ビヨンド伯爵領。

 数日後に社交会が開かれる場所だ。


 やがて馬車が減速し、視界が開けた。

 石畳の街道、整然と並ぶ建物。

 辺境伯領よりも明らかに人の往来が多く、街の明かりも豊かだ。


「……すごい」


 思わず声が漏れた。

 市場の喧騒、店先に並ぶ商品。

 色とりどりの布や果物。

 辺境伯領の城下町とは、また違う活気がある。


 けれど――。


 通りの端で、言い争う声が聞こえた。

 酒瓶を持った男たちが肩をぶつけ合い、荒い言葉を投げ合っている。


(……治安は、あまり良くないのかも)


 賑やかさと、少しの荒さ。

 その混ざり具合に、私は無意識に肩をすくめた。


(やっぱり……辺境伯領のほうが好きだな)


 あちらは環境は厳しいけれど、秩序がある。

 守られている感じがする。


 そう思っていると、馬車が止まった。


「到着です」


 御者の声とともに扉が開く。


 そこにあったのは、ビヨンド伯爵領に用意された別邸だった。

 大きすぎず、小さすぎず。

 客を迎えるための、落ち着いた屋敷。


 中に入り、荷物を運び込む。

 長旅の疲れが、ようやく抜けていく。

 私は息を吐いて、肩の力を抜いた。


「少し、落ち着いたな」


 ルシアン様がそう言って、私を見る。


「はい……思ったより、移動が長かったですね」

「ああ、そうだな」


 彼は窓の外を一瞥してから、続けた。


「この領は、広場に屋台が多い」

「屋台……?」


 聞き返すと、ルシアン様は小さく頷いた。


「行ってみるか? 社交会の前に、気分転換だ」


 私は一瞬、目を瞬いた。


(屋台……行ったこと、ない)


 伯爵家にいた頃、そんな場所に行くことはなかった。

 人が多い場所は避けられていたし、そもそも連れて行ってもらえなかった。


 胸の奥が、少し弾む。


「はい、楽しみです」


 そう言うと、ルシアン様の口元がわずかに緩んだ。


 レイと侍女のベルタは別邸に残ることになり、護衛は数人、距離を取って同行する形になった。

 身分を示す装いはしているけれど、過度に目立たないように。

 ルシアン様の判断だ。


 別邸を出て、広場へ向かう。


 ――人が多い。

 想像していた以上だった。


 屋台がずらりと並び、香ばしい匂いが空気に混じる。

 肉を焼く音、甘い菓子の香り、呼び込みの声。


「……すごいですね」


 思わず、周囲を見回してしまう。

 人の流れに圧倒され、足取りが少し遅くなる。


 子どもたちが笑いながら走り回っていて、その勢いに驚いた。


「きゃ……!」


 横から飛び出してきた子どもを避けようとして、無理な体勢になる。

 足がもつれ、前に倒れそうになった瞬間――。


 腰に、腕が回された。

 しっかりと、支えられる。


「大丈夫か?」


 低い声が、すぐ近くで響いた。

 顔を上げると、ルシアン様の胸がすぐそこにある。

 腰を抱く腕の力が、はっきり伝わってくる。


(……近い)


 心臓が、どくん、と跳ねた。


「だ、大丈夫です……!」


 答えた声が、少しだけ上ずった。

 夜を共にしているのに。

 こういう距離は、まだ慣れない。


 ルシアン様は周囲を一度見渡してから、言った。


「危ないから、このまま歩くか」

「え?」

「人が多い。離れると、またぶつかる」


 そう言って、腰に回した手を離さない。

 私は一瞬ためらったけれど、頷いた。


「……はい」


 そのまま、二人で歩き出す。

 人波を縫うように進みながら、彼の手は私の腰にある。

 守るような、支えるような位置。


(恥ずかしい……でも)


 安心する。

 離れない、と伝えられているみたいで。


 屋台をいくつか見て回り、食べ物を買った。

 串焼き、温かいパン、甘い菓子。


 少し離れた場所にあるベンチに座る。


「……ん、美味しい」


 パンを一口食べて、思わず笑みが浮かんだ。

 香ばしくて、素朴で、でも温かい。


「そうか」


 ルシアン様も同じものを食べながら、頷いた。


「喜んでくれたなら、よかった」


 それだけで、胸が満たされる。

 言葉は少ないのに、ちゃんと伝わる。


 この時間が、ただただ幸せだった。


『たのしい』

『にぎやか』

『ここも、いい』


 精霊たちが、私の肩のあたりで揺れる。


(でも……)


 私は心の中で思った。


(やっぱり、帰る場所は辺境伯領だな)


 時間が過ぎ、空が少しずつ夕色に染まっていく。

 別邸での夕食の時間が近づいた。


「戻ろうか」

「はい」


 二人で別邸へ戻り、食堂へ向かおうとした、そのとき。

 廊下の向こうから、足音が近づいてきた。


「ルシアン様」


 レイだった。

 表情が、少しだけ硬い。


「来訪者が……」

「誰だ?」


 ルシアン様が即座に問う。

 レイは一拍置いてから答えた。


「ブライトン伯爵家の夫妻と、ご令嬢のリディア様です」


 心臓が、強く跳ねた。


(……来た)


 まさか、ここまで追ってくるとは。

 身体の奥が、冷える。


 するとルシアン様が、私の手を取った。


「大丈夫だ」


 低い声でそう言ってくれた。

 手の温もりに、少しだけ呼吸が戻る。


「……ありがとうございます」


 私も、ぎゅっと握り返した。


「あちらの用件は?」

「やはり、『エミーリア様を返せ』の一点張りです」


 ルシアン様の問いに、レイが簡潔に答える。


 私は、心の中で決めた。


(絶対に、帰らない)


 もう、戻る場所じゃない。


 ルシアン様は短く息を吐いた。


「手紙で、すでに結婚しているから無理だと伝えたはずだがな……馬鹿な奴の行動は、読めないな」


 その言葉には、はっきりとした嫌悪が滲んでいた。

 ルシアン様が、誰かにこんな感情を向けるのを、初めて見た。


(……私のため、なんだ)


 そう思うと、胸が少し軽くなる。


「エミーリアは待っていてくれ」


 そう言われて、私は一瞬、迷った。

 でも――首を振る。


「いえ……私も、行きます」


 ルシアン様が、こちらを見る。


「……大丈夫なのか?」

「はい。一応……私の家族ですから」


 言葉にした瞬間、胸が少し痛んだ。

 それでも、逃げたくなかった。


「私も、話をしたいんです」


 ルシアン様は、しばらく私の顔を見ていた。

 覚悟を確かめるように。


 やがて、短く頷く。


「……わかった。だが、無理はするな」

「はい」


 優しい。

 本当に、優しい人だ。


(でも……ここで逃げたら、ヴァルター辺境伯夫人として、やっていけない)


 もう、守られるだけの存在じゃない。

 隣に立つと決めたのだから。


 私は、ルシアン様の手を握りながら、一歩を踏み出した。


 ――過去と向き合うために。



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