第15話 戦いと、精霊魔法の違和感
城壁に到着すると、空気が変わった。
門の内側には兵が集まり、伝令が駆け、弓兵が配置につく。
小規模――その言葉に油断はない。
辺境では、小規模でも人は死ぬ。
馬車を降りたルシアンは、まずエミーリアを見た。
彼女は城壁を見上げ、唇を引き結んでいる。
顔色は少し硬い。だが、逃げ腰ではない。
「ここから先は別れる」
ルシアンがそう言うと、エミーリアは一瞬だけ目を見開いた。
すぐに頷きかけた、その瞬間――。
エミーリアの手が伸び、ルシアンの手を掴んだ。
細い指。けれど、力は意外と強い。
「ルシアン様」
声は、揺れていない。
彼女は一度、息を吸った。
まるで祈りの前に言葉を整えるように。
「ご武運を」
短い言葉だった。
定型の「精霊のご加護を」ではない。
ただ、無事に帰ってきてほしいという言葉。
ルシアンは、掴まれた手の熱を感じた。
その熱が、妙に胸の奥へ落ちてくる。
「……ああ」
返事は強くなった。自分でも驚くほど、迷いが消えた。
「必ず戻る」
そう言って、ルシアンは彼女の指をそっと外す。
外した瞬間、妙に名残が残った。
城壁の階段を上り、門へ向かう。
城壁外に出てすぐ、魔物は見えた。
狼、数は多い。低い唸り声が地面を這う。
そして――一つ目の巨人が三体。
ルシアンよりも二倍以上の巨体。
腕は丸太のように太く、手には棍棒。
その一振りで盾ごと人が吹き飛ぶ。
(……巨人が三体か)
兵士たちはすでに対峙している。
狼は何とかなっている。矢も通るし槍も刺さる。
だが、巨人の三体は多い。
盾兵が踏ん張り、風の精霊魔法で動きを鈍らせ、土の精霊魔法で足場を崩す。
それでも、決定打に欠ける。
巨人の肉は厚い。急所を通さなければ倒れない。
「ルシアン様!」
前線の兵が叫ぶ。
声の端が、焦っている。
ルシアンは視線を走らせた。
後方――負傷者がいる。
「ぐぅ、あああぁぁ……!」
「大丈夫か、しっかりしろ!」
光の精霊魔法を使える者が膝をつき、治癒を施している。
だが、傷が深い。
塞がりきらず、呼吸が浅い。
ルシアンは後ろへ回り、負傷者の顔を覗いた。
「大丈夫か」
問いかけても、返事は弱い。
兵は唇を震わせ、笑おうとしたのかもしれないが、笑えない。
(早く下げなければ)
町に下がらせ、治療を受けさせるべきだ。
だが、下げるには――ここを片づけねばならない。
ルシアンは前線へ目を戻した。
一つ目の巨人は、剣だけでは倒せない。
(……力不足だ)
自分の身体能力に頼った剣。
技量があっても、質量の差は埋まらない。
強い精霊魔法――それが必要な相手だ。
それでも、今は引くわけにはいかない。
ルシアンは剣を抜き、前へ出た。
「俺が狼を引き受ける」
兵士たちの視線が集まる。
狼の群れが、ルシアンの動きを見て、低く身を伏せた。
「巨人に専念しろ。三体を削り、仕留めろ」
「ですが、それは危険です!」
即座に声が返る。
正しい反応だ。
狼は速い。囲まれれば、どんな剣士でも終わる。
ルシアンは短く言った。
「やるしかない」
それに――。
(今なら、いける気がする)
根拠はない。
だが身体が軽い。
血が熱い。指先まで力が満ちている。
狼が飛びかかってきた。
影のような速さ。
ルシアンは、剣先を僅かにずらす。
最小限の動きで、牙を避ける。
避けたと同時に、一閃。
狼の喉が裂け、地面に落ちる。
(――次)
横から。背後から。二体、三体。
ルシアンは呼吸を乱さない。
速い動きが、見える。
今までなら「気配」で捉えていたものが、今日は「輪郭」で捉えられる。
(簡単に、見える)
剣が走り、狼が倒れる。
気づけば、狼の数が減っていた。
最後の一体が唸り、躊躇い、距離を取る。
ルシアンは踏み込み、終わらせた。
――これで、狼の唸り声は静かになった。
ルシアンは巨人の方へ視線をやる。
兵士たちが二体を倒していた。
風がまとわりつくように巨人の動きを鈍らせ、土が足を取る。
火の魔法が視界を奪い、槍が喉元へ刺さる。
(……兵の精霊魔法が、強い)
ここ最近、確かに底上げされていた。
今日もそれがはっきり見える。
だが、最後の一体。
巨人が、怖気づいたのか。
――逃げた。
「……っ」
逃げた方向は、後方。
負傷者がいる方向だった。
巨人は棍棒を引きずるように走る。
鈍重に見えて、歩幅が違う。追いつかれる。
「止めろ!」
兵が叫ぶが、巨人の進路に入れない。
入れば、叩き潰される。
ルシアンは咄嗟に駆けた。
巨人と負傷者の間に、身体を滑り込ませる。
(受けるしかない)
巨人が棍棒を振り上げる。
「オオオオォォォォ!」
巨人が叫びながら振り下ろしてくる。
「ルシアン様!」
背後で誰かが叫んだ。
ルシアンは剣を両手で握り、受けた。
衝撃が腕から肩、背骨へ抜ける。
地面が割れた。
――それでも、止まった。
(……止めた?)
ルシアン自身が、一瞬理解できなかった。
まさか、受け止められるとは思っていなかったからだ。
兵士たちが目を見開く。
ルシアンも、息を呑む。
(力が、増している)
棍棒を受け止めたまま、ルシアンは歯を食いしばった。
そして、剣を捻り棍棒を弾き返す。
巨人の腕が僅かに浮いた。
その一瞬で、ルシアンは踏み込む。
刃が首筋へ走る。
太い頸だ、抵抗はあったが、今日は刃が通った。
首が落ちる。
巨体が、遅れて崩れた。
静寂の後。
兵士たちが勝鬨を上げた。
「勝ったぞ!」
「辺境伯様、万歳!」
声が重なり、空気が弾む。
ルシアンは剣先の血を払う。
(今日は、別格の強さだったな)
理由はわからない。
だが事実として、身体が応えた。
負傷者を早く運べ、と指示を出し、城壁へ戻る。
門の内側へ入った瞬間――エミーリアが駆け寄ってきた。
城壁の上から降りてきたのだろう。
ドレスではなく、外出用の上着。
頬は少し青いが、目は逸らさない。
「大丈夫ですか?」
声が少しだけ震えている。
「俺は大丈夫だ」
ルシアンは短く返す。
そして、続けた。
「だが……兵の一人が致命傷を負っていてな」
担架が運ばれてくる。
流れた血が多く、顔色が白い。
エミーリアの指先が、僅かに震えた。
だが目を逸らさない。
(……強いな)
彼女は唇を噛み、拳を握り、それから――祈るように両手を重ねた。
「――早く、怪我が治りますように……お願い」
言葉は小さい。
でも、必死だった。
その瞬間。
ルシアンの視界の端で、光が揺れた気がした。
エミーリアの周りが、一瞬だけ淡く光った――ように見えた。
(……見間違いか?)
そう思った、次の瞬間だった。
「……え?」
担架の周りから、歓声が上がった。
「塞がってる……!」
「傷が……!」
ルシアンは反射的に担架へ視線を向ける。
致命傷だったはずの傷が、塞がっている。
血が止まり、呼吸が戻っている。
治癒を担当していた光の精霊魔法の使い手が、呆然としていた。
周囲の兵が肩を叩き、声を上げる。
「さすがだ!」
「お前、こんなに強かったのか!」
「い、いや……!」
治癒役の兵は困惑した顔で首を振った。
「こんなに効果が上がったことはないんだが……!」
ざわめきが広がる。
喜びのざわめきと、理解できないざわめき。
ルシアンは、喉の奥が冷えるのを感じた。
今日の、巨人の一撃を止めるほどの力。
城壁からエミーリアが見ていたこと。
そして――彼女が祈った途端、光ったように見えたこと。
その直後に治癒の効果が跳ね上がったこと。
(因果関係が……あるのか?)
馬鹿げている。
そう切り捨てたい。
だが、ここ最近の変化が積み重なって、切り捨てきれない。
収穫量、魔物の出現頻度、兵の精霊魔法。
今日の、自分の身体。
その中心に、いつも――エミーリアがいる、ような気がする。
当の本人は、担架の兵士を見て、ほっと息を吐いた。
そして、柔らかく微笑む。
「……よかったですね」
その笑顔は、ただ安堵の笑顔だった。
自分が何かした、という顔ではない。
ルシアンは頷き、短く返す。
「ああ……よかった」
言いながら、胸の奥で何かがざわつく。
ルシアンは小さく、誰にも聞こえないほどの声で呟いた。
「……まさかな」
風の中で、そんな気配が一瞬だけ揺れた気がした。
ルシアンはエミーリアの横顔を見た。
彼女はまだ少し青い顔をしているのに、目だけは強かった。
(……美しいな)
今日何度目思ったかわからないが、心の中で彼女が自分の妻でよかったと思った。




