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第11話 心配と、初めてのドキドキ


 執務室へ戻る。

 扉を閉めた瞬間、部屋の静けさがいつもより重く感じた。


 いつもなら、椅子に座ってペンを握った時点で、頭の中が仕事の形に整っていくのに。


(……落ち着かない)


 私は机に向かい、書類の束を引き寄せた。


 指先で紙を揃え、いつも通りに印を置く位置を決める。

 ――いつも通りにを意識しながら。


 領内の村からの報告。

 街道の整備状況。

 倉庫の在庫。


 農作物の収穫見込み、などを見ていくと……。


(収穫量が、増えてる)


 目が止まる。

 数字が、前月より明らかに上がっている。


 同じ作物、同じ畑。

 天候の記録も極端に良いわけじゃないのに。


(辺境伯領って、土地が豊かなのかしら)


 勝手な想像が浮かぶ。

 森が深くて、水が澄んでいて、空が広い。

 そういう場所は、土も良いのかもしれない――と。


 でも、その次の報告を読んで、私は眉を動かした。

 別の村も、似たように収穫量が上がっている。

 さらに、そのまた別の村も。


(偶然じゃない……?)


 考えかけて、ふっと意識が外へ引っ張られる。


(ルシアン様、今頃――)


 前線で、魔物と戦っている。

 さっきまで同じ部屋で仕事をしていた人が、今は命のやり取りの場にいる。

 胸の奥が、きゅっと鳴る。


(……集中しなきゃ)


 私は自分に言い聞かせ、紙へ視線を戻した。

 やることはある。

 当主が不在の間、内側の仕事を止めるわけにはいかない。


 領地管理の書類を片付けていく。

 ――それでも、いつもより集中が途切れる。


 いつもなら昼の鐘と夜の鐘が鳴るまで、時間を気にせず没頭できた。

 気づけば手が止まらなくなって、ルシアン様の方から「休め」と言われるくらいだったのに。


 窓の外の音に耳が向く。

 遠い鳥の声や、廊下の足音が耳に残る。


(心配、なんだ)


 認めると、胸が少しだけ軽くなる。

 心配するのは当然だ。

 だって――大切だから。


『しんぱい』

『エミーリア、しんぱい』

『でも、おしごと』


「……うん、仕事」


 私は息を吸って、もう一度書類に向かった。


 日が傾き、窓の光が少しずつ薄くなる。


 ――外で、馬の蹄の音がした。

 硬い音が、石畳を打つ。


「……っ」


 私は反射的に顔を上げて、窓へ駆け寄った。

 カーテンを少しだけ引き、外を見る。


 門の向こうから、騎馬の列が入ってくる。

 その先頭。


(ルシアン様……!)


 胸の奥が熱くなる。

 私は椅子を押し退けるように立ち上がり、執務室を飛び出した。


 廊下を走る。

 スカートが揺れて、息が上がる。


(落ち着いて……私は夫人なのに)


 そう思うのに、足が止まらない。


 玄関に辿り着くと、ちょうどルシアン様が中へ入ってきたところだった。


 外套を肩から外し、手袋を外している。

 いつもより空気が冷たいのに、彼の周りだけは熱が残っているみたいだった。


 私は小走りで近づいて、息を整えきれないまま頭を下げる。


「おかえりなさいませ」


 ルシアン様が、少しだけ目を見開いた。


 驚いた顔――というのを、私は初めて見た気がする。

 それから、ほんのわずかに口元が緩む。


「……ただいま」


 小さくても、確かに笑っている。


(……だめ、心臓が)


 胸がどくん、と跳ねて、私は視線を逸らしそうになるのを堪えた。


「お怪我はありませんか?」

「まったくない」


 淡々とした返事。

 でも、今日はそれが頼もしくて仕方がない。


 彼が外套を侍従に渡しながら、続ける。


「なかなかの強敵が現れたと聞いていたんだがな」

「強敵……だったのに、無傷……?」


 思わず声が漏れた。

 ルシアン様がこちらを見る。

 それだけで、また胸が跳ねる。


「……すごいです」


 率直な感想を言ってから、少し恥ずかしくなった。


 でも、嘘じゃない。

 強敵が出ても無傷で帰ってくるなんて、それだけ本人も、兵士たちも強いということだ。


 私は小さく笑って言った。


「無事で、何よりです」


 ルシアン様が、短く頷く。


「ああ……ありがとう」


 その直後。

 ふわり、と頭に温かい感触が落ちた。


「……え」


 ルシアン様の手。

 大きな手が、私の髪を一度だけ撫でた。


 私の思考が止まる。

 血が頬に集まるのがわかる。


 そして、ルシアン様自身が――はっとしたように、手を引っ込めた。


「っ……すまない。いきなり触って」


 いつもの淡々とした声が、ほんの少しだけ揺れている。

 彼は視線を逸らし、咳払いでもするみたいに喉を鳴らした。


「……君が、小走りで出迎えてくれた時に」


 一拍。


「可愛く、見えてな」


 その言葉が落ちた瞬間、私の中で何かが弾けた。


「……っ」


 言葉が出ない。

 顔が熱い。

 耳まで熱い。


「そ、そうですか……」


 やっと出た声は、情けないくらい小さかった。


 ルシアン様も、ほんの少しだけ眉を動かして、困ったように息を吐いた。


「……そうだ」


 短いのに、逃げない言葉。

 それが余計に心臓に悪い。


 その空気を切るように、背後から咳払いが一つ。


「失礼いたします」


 レイだった。

 いつもの穏やかな笑みのまま、しかし目だけがいつもよりも暖かい。


「ルシアン様、湯浴みの準備が整っております。その後に夕食にいたしましょう」


 ルシアン様が頷く。


「ああ」


 私は慌てて頭を下げた。


「ではその、また後で。ルシアン様」

「……ああ」


 ルシアン様はそう言って、踵を返す。

 私はその背中を見送りながら、頭の上の撫でられた場所が、まだ熱いままだった。


(可愛いって……初めて言われた)


 この胸の高鳴りはしばらく落ち着いてくれなさそうだ。


 夕食。

 食堂に向かう足取りが、どこかぎこちない。


 扉を開けると、ルシアン様が席に着いていた。


 いつも通り、なのだが。

 空気がいつもより少しだけ違う。


(意識してしまう……)


 私だけじゃない。

 ルシアン様も、ほんの少し視線が迷う時がある。


 気まずい、というより――照れている、に近い。

 そんな空気。


 でも、嫌じゃない。

 むしろ、落ち着かないのに嬉しい。


 夕食を終えると、私は深呼吸をして執務室へ向かった。

 仕事の報告をしないといけない。

 ここでちゃんと切り替えないと、私はずっと熱に浮かされたままになってしまう。


 執務室。

 夜の灯りが落ち着いた色で揺れている。

 ルシアン様が席に着き、私も向かいの机に座る。


「報告します」

「聞こう」


 私は昼から片付けた書類の内容をまとめて伝えた。


 街道整備の優先順位。

 農作物の報告。


 言葉にしていくうちに、さっきまでの気まずさが薄れていく。

 仕事の時間は、私たちの呼吸が合う。


「……最後に、収穫量です」


 私は一枚の報告書を差し出した。


「複数の村で、先月より収穫量が上がっています。畑の被害も少なく、作物の育ちが良い、と」


 ルシアン様が報告書を受け取り、目を落とす。

 眉間に、ほんの少しだけ影が落ちた。


「……妙だな」

「妙、ですか?」


 私が聞くと、ルシアン様は視線を上げた。


「この領地は、作物が育ちにくい。……だから、他領から買うことが多い」


 言葉が淡々としているのに、内容は重い。


「これほど上がる理由が、思いつかない」


(え……そうなの?)


 私はこの報告を見て、土がいいのかと思ったけど。

 それか土壌の品種改良などをしたのかと。


「土地が良いから、土壌の品種改良に成功したから……とかでは、ないんですね」

「良い土地なら、昔からこうなっている。土壌も複数の村で一斉にということはまずないだろう」


 ルシアン様は報告書を置き、指先で机を軽く叩いた。


「今月だけ上がるのは不自然だ」

「……原因はわかりませんが、良い報告ではあります」

「ああ。様子を見る」


 それからルシアン様は、少し間を置いて言った。


「それと、魔物の出現頻度も減っている」

「え……」

「討伐の回数が、ここ数週で明らかに減った。……それに、兵の精霊魔法も強まっている」


 私は息を止めた。


(今日も、無傷だったのは……)


 強いから、だけじゃない?

 もちろん強い。


 でも、何かが底上げされているみたいな。


 その瞬間、視界の端で光が揺れた。


 精霊たちが、いつもより多い。

 執務室の空気の中で、ふわふわと踊っている。


『へった』

『まもの、へった』

『さくもつ、ふえた』

『おおきい、ちから』

『できた、できた』


(……まさか)


 私は胸がきゅっとなるのを感じた。


 自分が原因かもしれない。

 精霊たちが、私のそばにいるから。

 私が祈ったから。


 でも、まだ確証はない。

 そして、もし違ったら――恥をかくだけでは済まない。

 ルシアン様に余計な負担を増やす。


(言わない、まだ)


 私は視線を落として、言葉を飲み込んだ。


 ルシアン様は、報告書をまとめ直しながら、ふと口を開いた。


「……エミーリア」

「はい」


 呼ばれただけで、背筋が伸びる。

 さっきの「可愛い」が、まだ胸の奥で熱いから。


 ルシアン様は少しだけ迷うように、視線を揺らした。

 それから、いつもより少しだけ柔らかい声で言った。


「そろそろ……君もこちらに慣れてきた頃だ」


 私は瞬きをする。


「……はい」


 ルシアン様は一拍置いて、言う。


「正式に、結婚式をしよう」


 言葉が落ちた瞬間、私は息を忘れた。


(結婚式……)


 私たちは婚約者としてここにいる。

 でも、形としての式はまだだった。

 私の中では、いつか、とは思っていた。


「……ルシアン様、それは……」


 震えそうになる声を、必死に整える。


 ルシアン様は私の顔を見て、いつもより少しだけ目を細めた。


「嫌か?」

「――いいえ」


 私は首を横に振った。

 すぐに、迷わず。


「嫌じゃありません。……むしろ、嬉しいです」


 言った瞬間、胸の奥がいっぱいになった。


 嬉しい。

 怖い。

 でも、逃げたくない。


 私は息を吸って、もう一度言う。


「お願いします」


 ルシアン様の口角が、ほんの少しだけ上がった。


「……ああ」


 それはまた小さな笑みだったけれど、確かに温かいものだった。




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