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御託を並べろ! 父親の違う双子は人外さんと親交を深めて愛される?  作者: あべ舞野


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その2 古人(いにしえびと)が来たよ 五芒星を使う者に魅入られた兄の白羽(しらは)

物の怪や妖怪など異形の者たちこそ 現在の人類よりも遥かに長い歴史を生きてきたのかもしれない。

害をなす? いや仲良くしようよ!

 週が代わった。数日が瞬く間に過ぎる。空に重く雲が垂れこめる日が増えた。

 土曜日で学校は休みだ。白羽(しらは)は一階のリビングにいた。ソファで携帯をいじっている。前の日曜日に世界が買ってくれたのだ。兄は、自分が連絡用で必要だからと言ってくれた。だがそのうち代金を必ず返したいと思っている。まずは月額料金の為にバイトだ。午前の面接はいい感じだった。おそらく採用決定だろう。黒羽(くろは)も別の場所へ面接に行っている。

(喋らなければ普通のコなんだけどな~) 

 などと口の悪い弟を心配するお兄様だった。

 店の方の扉が細く開いた。自動でノブが回る。現れたのはモーモだ。白羽はもう驚かない。少し目を上げただけだ。

「自動ドアにできるって便利だね。どうしてがんもどきが好きなの?」

「そりゃ美味(うま)いからに決まってるだろう」

 モーモは腰を高く上げて前足を伸ばした。ふぁあとあくびをしてその場に横になる。

「もう俺が怖くないのか?」

「慣れたよ。よく兄さんと話してるし」

 白羽はスマホを横に置いた。ソファの上であぐらをかく。

「色々と妙だよね、ここ。岩山がすごい怖いとか、一日で店が直るとか。でも黒羽は何ともないんだよね。モーモが喋るのも分からないんだ」

「まあ一緒に住んでいて隠し続けるなんてムリだよな。じきにばれるから言っておこうか。お前と黒羽は」

「待って」

 白羽は座り直した。

「自分で言わせてよ。母さんの実家でおじさんに聞かされてとっても嫌だったんだから。にやぁって笑った顔がキモくて」

「俺は笑わない」

「うん...。モーモも知ってるんだね。俺と黒羽は双子なのに父親が違うって」

「ああ。俺はオヤジさんの代より前からいるからな」

 双子の父親が違う。とても珍しい現象ではあるが、母体の排卵が複数かつ複数人と性交渉があった時に起こりえる。

 白羽は兄の世界(せかい)と似ている。しかし黒羽は、生まれた時から忍と無限(むげん)のどちらとも違う系統の顔だ。しかも血液型が合わない。DNA鑑定までもつれた。誰にとっても残念な結果に終わった。白羽は無限が父親で、世界と腹違いの兄弟だった。そして無限親子と黒羽は血縁が無かった。第三者の父親似なのだ。

 忍は黒羽の父とは結婚しなかった。認知もされていない。

「戸籍も記載が違うよ。俺は無限さんが父親で、黒羽は父親不詳なんだ。でも兄弟だ」

 白羽はまた足を組みなおす。

「モーモは一応猫に見えるよ? でもでっかい牛を背負っているっていうか...牛の前に猫がいるような。そんな風に見えちゃう。それだけじゃないんだ。小さい頃からずっと、黒羽に見えないモノが見えたり聞こえたりする。父親が違うせいかな?」

「まあな。お前は俺を最初から牛だと言ってたな」

 モーモは体を起こした。猫が消えた。そこにいたのは小山のような獣だ。模様はやはり白と黒のぶちに変わりはない。

「普段はお前らに見えるように仮の姿...仮姿(かりすがた)を作ってるんだ。それを消した。本体はこっちで本名は『土の宇志(うし)』だ。こうなったら黒羽には見えない」

「やっぱり牛かあ」

 うんうん、と納得する白羽に、モーモは軽く舌打ちした。

「モーモは愛称。世界のせいだ」

 幼い頃の世界が宇志(うし)を見て、牛を意味するモーモーと呼び始めたのが始まりだ。今でも愛称呼びが定着している。

「俺は古人(いにしえびと)って種類の人間だ。土の属性を持っている」

「え? 人間?」

 モーモは大真面目に頷いた。

「俺たちはお前たちよりもずっと長く存在している。全く違う種類の生物なんだ」

 天と地の(あわい)から生れ出る意識の塊のような命だ。五行といわれる自然の属性木・火・土・(ごん)・水のうち一つを持って出現し、自然と共に生きて消滅していく。姿や形はそれぞれ違う。また現在の人間とは違う霊力を持つ場合が多い。

(もの)()とか妖怪とかお前らに呼ばれている存在が俺たちだ。でもそりゃ勝手に恐ろし気に言ってるだけだ。特別な力を持っているからって先輩に向かって化物呼ばわりは失礼だろ。古くからいるから古人(いにしえびと)と名乗っている。お前ら一族は現在はびこっている人だから、現人(あらひと)だな」

 はびこる、とはなかなかの言いようだ。しかし、それが魔物扱いされている彼らの正直な感想なのだろう。うーん、と白羽は首をかしげた。

「忍は普通だと思う。ってことは父さんがそうなの? それで俺がその血筋ってわけ?」

 モーモの視線が泳いだ。

「まあ何て言うか。少なくとも世界とお前は眷属(けんぞく)...古人(いにしえびと)の血筋だ。だから俺たちの本体や言葉が分かる。黒羽には今の俺が見えないし、言葉も聞こえない」

「そっか。俺は古人そのものじゃないんだ。特別な力は無さそうだもん。店を直したのはモーモなの?」

「そうだ」

 モーモが口を開いた。しゅう、と息が漏れる。

『我、土の宇志の名において天地の(あわい)託宣(たくせん)の場を作る』

 あの青い円が現れた。中の五芒星のそれぞれの角には木・火・土・金・水の印がある。

「見えるな? 五芒星の一か所だけが光っているだろう。あそこが俺の属性、土だ」

 古人には力の差があるものの、この円を描ける。これが託宣場(たくせんば)だ。術を掛けたい対象に光を合わせて叶えたい言葉を述べる。それが託宣(たくせん)だ。店を直したのはこの力だ。

「呪文とか魔法とか。現人(あらひと)に分かりやすい言葉ならそんな所か。託宣場で言う言葉をただ託宣とか御託(ごたく)とか言うな。どっちも同じ意味だ」

 モーモは光をテーブルに合わせた。

「浮け」

 青い光が円の中央に向かって収縮する。うねった光のリボンが飛んだ。テーブルが十センチほど持ち上がる。そしてどすんと落ちた。

「うわ。すごい! この話は黒羽にしてもいい?」

「ああ。どうせそのうち知られるだろうからいいや。俺から干渉すればアイツとも話ができる」

 黒羽が託宣を使える。そこにモーモは触れなかった。

 居住区の玄関が開いた。モーモが猫に戻る。

「ただいま!」

 駆け込むように帰宅したのは黒羽だ。

「バイト決まりそうだぞ!」

 彼が居ると、とたんに賑やかになる。モーモがため息をついた。撫でようとする黒羽の手をかいくぐって逃げた。

「騒がしい野郎だ」

「おっ、俺へのご挨拶か。よくニャーニャー言う猫だ」

 リビングのドアが乱暴に開いた。世界だ。額に少し汗がにじんでいるようだ。いつもより少し動作が雑だ。

「あ、黒羽も戻ってた? 店を手伝ってくれる?」

「おう。俺は着替えてくる」

 白羽はすぐに立ち上がった。モーモと目を合わせて少しにこっと笑う。そしてすぐに世界に付いて行った。店は酒と煮物の匂いに満ちている。満員御礼だ。酔いのせいなのか、客は声が大きい。男女問わない客層は、『いでみず』が地元に愛されているからなのだろう。すかさず客が呼ぶ。

「生を追加~」

「はいよ」

 世界はそっちに笑顔を向けつつ、白羽にエプロンを渡した。やや早口でテーブルの番号と、それに付けている伝票を示した。

「注文を取ってくれる? 品物と数、正の字でカウントしてね」

 それくらいならできそうだ。と思いきや。酔っぱらっている相手だ。注文品がはっきり聞き取れない上に、物や数がその場でころころ変わる。伝票を構えて固まってしまった。

 そこへ着替えた黒羽がやって来た。白羽からすっとバインダーを奪う。

「生を欲しい人、手を挙げて!」

「は~い」

「はい皆さんで三つ。焼き鳥は三人前ね」

「一人前は何本?」

「あ~? え~と...ちょうどいい分あるから! 足りなけりゃまた声かけて」

 強引である。おいおい、と声が上がる。しかし酔いも手伝ってか、愛想と勢いで許されてしまうのだ。伝票を厨房に渡す間にも、他の席で声がかかる。

 世界はせっせと厨房でせっせと手を動かす。ぼうっとしている白羽に言った。

「空いた皿を戻して洗ってね」

「あ...うん」

 やはりこういう場所は物おじしない黒羽が得意だ。白羽は客席のお片付けに回った。それでも注文を受けてしまいそうになるのだが、すかさず黒羽が来てくれる。数人を一気に相手しているようだ。

(あれも特殊能力?)

 と思わずにいられない白羽だった。

 世界はどんぶりを二つ用意した。刺身と漬物が乗っている。横で洗い物をしている白羽に言った。

「これ、晩御飯。家に持って行って先に食べて。黒羽と交代でね」

「さ、さしみ...」

 ご馳走だ。切れ端だよ、と世界は苦笑した。いわゆる賄いご飯だ。まだ注文は溜まっている。忙しそうだ。でも食べに行く方が邪魔ではないのだろう。白羽はどんぶりを持って家に入った。

 黒羽が注文を伝えに来た。空いた皿もついでだ。

「あれ、白羽は」

「先にご飯を食べに行ってもらったよ」

 黒羽は厨房に回った。食器を洗い水につっこむ。

「後で洗うからいいよ」

 そういう世界だが、黒羽は彼の手を見てしまった。料理をし続けているのにびしょ濡れで真っ赤だ。材料を用意するのに水洗いをしても、ちゃんと拭っている暇もなく調理にかかる。その合間にも皿洗いだ。あちこちに小さなやけどや切り傷の跡がある。水仕事をきっちりやっている手だ。

「やっちまうわ」

 黒羽はスポンジを手に取った。

 臨時休業日があったせいか。その分、今日に来てくれたのかもしれない。大盛況だった。提灯を消してのれんを取り入れたのは日付の変わる頃だ。立ちっぱなしの仕事で双子は足がぱんぱんだった。

「後片づけはいいよ」

 世界の言葉に甘える。黒羽もさすがに目がしょぼしょぼしている。慣れない動作ばかりのせいで、二人とも腰や背中が痛む。揃ってよろよろと階段を上がった。

「俺は役に立ってたのかなあ」

 白羽が呟く。どうしていいのか分からず、指示をもらうまで動けない場面が多かった。対して黒羽は、何も言われないうちからてきぱきと動き回っていたようだ。

「大丈夫だよ。むしろ俺の洗った皿、もう一回すすぎをされてたし」

 世界が嫌味なのではない。黒羽の行動が雑なのだ。二人を合わせて割ると、ちょうどいい感じになるのかもしれない。白羽は少し笑った。

「しょうがないよね。料理屋の手伝いは初めてだもんね。とにかく俺はもう寝る...」

「俺も」

 布団は敷きっぱなしだ。ごろんと寝転がった。目を閉じたと思ったら、気絶するように眠りに引き込まれたようだ。ふと目が覚めた。枕元の時計は午前二時過ぎだ。

(風呂...まあいいか。明日は休みだし)

 寝返りを打った。服が鼻先に触れる。店にいたせいだろう。煮物の匂いが沁みついている。おそらく髪にも付いているに違いない。まだ暖かい季節だ。全身が汗ばんでいる。

(メンドクサイ)

 しかし。風呂は毎日入るんだよ、と教えてくれたのは世界だ。必ずしもその通りにはしていなかったが。

(どうしよう...)

 目が覚めてしまった。えいっと体を起こす。シャツとズボンはもちろん、パンツまで脱いだ。こうなればもう風呂に入るしかない。脱いだ衣服を抱えて廊下に出た。少し空気がひんやりしている。急いで突き当りの扉を開けた。明るい。

「わ」

 お互いびっくりだ。白いロングTシャツの世界が振り返った。いつも結んである髪は肩を越えている。ドライヤーを手にしていたが、もう止まっていた。髪を乾かしていたようだ。風呂上りでほんのり上気した顔を黒羽に向ける。

「寝てた? でも風呂に入る気まんまんだね」

 黒羽はすぐに言葉が出なかった。顔が耳まで真っ赤だ。

 ドライヤーを置いた。世界は髪を横に払った。

「今日はありがとう。明日はゆっくり寝てね。俺ももう寝るよ」

 長いシャツが揺れる。世界の体の線を隠す。髪も長いし、ちょっと彼シャツを着ている雰囲気だ。裾からのぞく足が白い。

(まさか、下はパンツだけか?)

 黒羽の動揺をよそに、ぱたんとドアが閉まる。足音が遠ざかった。体が震える。男同士なのだが、あちらは着衣。こちらは脱衣場に行きつく前に、もはや全裸。これは恥ずかしい。

 揺れた世界の髪。桜に染まった頬。不意に、義彦に迫られていた姿が脳裏に浮かぶ。二人の距離は近かった。もしも、自分が世界に迫っていたのなら。

 コラコラと自分自身に言ってはみたものの、息子さんは反応している。

(兄...つっても、俺は他人なんだよな。バイって言ってたし)

 世界、と思わず声に出していた。ゆっくりと衣類を洗濯機に入れた。彼が使ったタオルが黒羽のシャツの下で丸まっている。世界の濡れた肌を拭ったものだ。下半身がさらに元気になってしまった。

(こうなるのも当たり前か...。俺はやっぱり世界が好きだ)

 改めて自分の気持ちを自覚した黒羽だった。



 二人のバイトも始まった。さらに数日が何事もなく過ぎる。新月の晩が来た。闇夜もそろそろ十時を過ぎる。双子は家に戻っていた。一階には寄らずに直接二階に帰った。世界に言われて食事も外で済ませて来たのだ。

『今日は貸し切りで忙しいから、一階には来ないでね』

 そう言われていたからだ。

 そして黒羽は半泣きの白羽の部屋にいる。黒羽はベッドに座り、なぜか兄の方が床に正座しているという構図だ。たまにどこからか車のエンジン音がする。それくらいしか音がしない。暗くて静かな夜だ。

「マジかよ。古人(いにしえびと)? 現人(あらひと)? 猫がしゃべって魔法をかけるだと? 世界がいつ呪文を唱えたよ?」

 モーモに聞いた話をしたのだ。実感が全くない黒羽にはなかなか信じてもらえない。

「だって...モーモが作った託宣場(たくせんば)を見せてくれたよ? 店だってあり得ないほど早く直った」

「修繕のスピードなんて分かんないだろ?」

「それは、...そうだけど」

 白羽ははっと顔を上げた。

「黒羽は体験しているんじゃない?」

「いつ?」

「佐藤さんが店で暴れた日。モーモが帰らせるって言って、急に暴れるのをやめたじゃないか。あの時は見えなかったけど、きっと託宣だよ」

「覚えてない。気が付いたら店がぐっちゃぐちゃ」

 黒羽も参加した破壊行為だ。白羽は拳を握りしめた。

「三秒で忘れてやるって、冗談だろう? マジで忘れたふりなんてやめてよ」

「何の話だ?」

 黒羽はふざけている様子はない。本気で話が通じなくてイライラしているようだ。

「え...黒羽は自分で自分に託宣をかけた?」

 白羽は戸惑った。父親違いで弟とは少し違う。モーモの話ではそうだ。黒羽が普通の現人なら託宣を掛けられないはずだ。

「どういう事だろう?」

「そりゃこっちのセリフ! もう風呂に入って寝るわ」

 黒羽は大きく伸びをした。ベッドから飛び降りる。

「ま、待って!」

 すかさず白羽が腰を浮かせた。黒羽の腕に縋りつく。

「怖い! 今日は何だかとっても怖いんだ。一階から妙な感じがしない? すごくうるさいし。一緒にいてよ!」

 黒羽はドアを開けたまま、耳を澄ませた。話し声どころか特に気になる音はしない。

「別に何も」

「スゴイ笑い声とかするよ?」

「じゃあ見て来る」

 やめてやめてやめて一人にしないで傍にいて、とまるで演歌の別れの修羅場のように白羽が涙ぐむ。それを振り切って外に出た。薄暗い廊下から階段を降りる。一階も電気は消えていた。黒羽に聞こえるのは、冷蔵庫のモーター音くらいだ。

(環境が変わりすぎたのかなあ? 白羽は大丈夫かな?)

 もともと少し敏感な所があった。部屋の片隅を見つめて怯えていたり、誰もいないのにうるさいからと耳を塞いだり。ここに来てからは一段と神経質になっているようだ。

 世界とモーモはいない。

(そういや静かすぎる)

 貸し切りのはずだ。もう宴は終わったのだろうか。

 店への扉を開けようとした。だが店側から鍵がかかっているようだ。無理か、と背中を向けた。その瞬間、ノブがゆっくりと回った。細く細くドアが開く。赤い瞳が黒羽を捕らえた。

「ん?」

 気配を感じて振り返る。だがやはり誰もいない。

「気のせいか。あ、まさかのドタキャン?」

 予約しておいて誰も来なかった。それかもしれない。だとしたら無理やり店に行く方が迷惑だろう。傷心の世界をそっとしておこう。黒羽はそう思った。

 ドアが音もなく閉まる。その寸前に赤い塊が隙間をすり抜けた。そして黒羽の肩に絡みついた。靄の中から白い指が出た。気が付かないままに二階へ戻る。ドアからのぞいていた白羽が小さく悲鳴を上げた。ばたん、と勢いよく閉じる。鍵のかかる音がした。

「おーい白羽」

 ドアをノックしてノブをひねった。だが開けてくれない。扉の向こうで白羽が叫ぶ。

「入らないで!」

「どうした? 俺だよ。誰もいなかったぞ」

「いるじゃないか!」

 ふうん、靄から声がした。黒羽から離れる。ドア下の隙間からするっと室内へ入り込んだ。悲鳴が響く。

「うわあああぁっ!」

「白羽! 白羽? ドアを開けろよ! 白羽!」

 ドアを叩いた。モーモが階段を駆け上がって来た。耳を後ろに倒し、口を限界まで開く。ばん、とドアが開いた。何が起きているのか分からないまま、黒羽は部屋に走りこんだ。白羽が部屋の真ん中で倒れている。

「白羽!」

 呼びかけて揺すった。反応がない。黒羽の体に何度目かの風が吹いた。ぐらり、と一瞬視界が揺らめいた。

(え...?)

 室内の陰影が突然強くなった。暗がりはより暗く、明るさは明晰に。そして室内には牛のような模様の大きな獣がいる。対峙するのは赤い和服の者だった。緩いウェーブのかかった髪で、乳首が見えそうなほど浴衣のような薄い衣を着崩している。ふっくらしているが男性の胸だ。黒羽より頭一つ背が低い。手足は短めで全体的に丸みを帯びている。

 黒羽はぽかんと口を開いたままで固まった。

 モーモが言った。

寿々目(すずめ)、うちの子に何をしやがった?」

「あら宇志《うし》ったら怖いわねえ。ちょっと御託を掛けただけよ。気に入っちゃったの」

 真っ赤な唇をぱっくり開いて笑う。寿々目と呼ばれた者は、自分の倍以上はあるだろう宇志の前でも怯える様子は微塵もない。

「アタシの属性は火よ。土のアンタはアタシに叶わない。御託は解けないわよ。ざ~んねん」

 ぺろっと出した舌も燃えるような炎の色だ。そして唇を舐めた。

「眠っている間にアタシの御託が全身にしみいるでしょうよ。目覚めたらアタシがその子の想いの全て。ああ、なんて素敵なの」

 窓に手をかけた。モーモを振り返る。背を反らせて笑った。そしてひらりと外へ浮かぶ。一筋の赤い矢になって飛び去った。

 白羽を抱いたまま、黒羽は呆然としていた。夢を見ている気分だ。

 ふう、とモーモが息を吐いた。猫の姿に戻る。それでも宇志の本体が影のようにそばにいる。黒羽に古人を見えるようにしているのだ。

「おい、白羽から聞いただろう。俺の言葉は聞こえるな?」

 声を掛けられて肩が震えた。

「な、な、ナニ。聞いた、マジ? え、マジか」

「新月の晩は、この辺りの古人が集まる。まあ顔合わせだな。店から出るなって言ってるのに、寿々目の奴は二階まで上がりやがって」

 黒羽が覗こうとしたせいだ。モーモは気が付いていない。

「白羽はアイツに...『火の寿々目』ってんだが...御託を掛けられちまったようだな」

 さっきの話を丸ごと信用していなかった黒羽だ。しかし実際にモーモが牛の姿で話をしているのだ。まだ半信半疑ながらも、受けれなくてはならないのだろう。黒羽はぐっと腹に力を入れた。

「何の?」

「アイツの事だ。見当はつくがな。大方コイツと遊ぼうって魂胆だろう」

 ええええ~と黒羽はのけぞった。どんな趣味だろうが自由恋愛ならある程度は仕方がない。しかし勝手に好きにさせられるとなると...。黒羽はむかむかした。

「あの野郎といちゃつくって事か? 魔法みたいなもんなんだろう? 解けないのか?」

 眠っている白羽は案外と重い。ベッドには黒羽は運べなかった。すぐにあきらめた。その場に横たえたまま、タオルケットを掛けてやる。少し眉間に皺が寄っているようだが、寝息は安らかだ。

 モーモは首を振った。

相生(そうじょう)のせいで無理だな」

 古人同士で託宣を掛けたり、解くのは可能だという。しかし属性によって力関係がある。木・火・土・(ごん)・水の五要素に最強はない。全て同じ程度だ。しかし隣り合う要素には託宣の強弱が生まれる。

 木は火を生み、火は燃えて灰を作って土にする。土はその中に(ごん)を生み、(ごん)は鉱脈あるところで水がある。そして水は木を育て...という相関関係で互いに影響しあう。

 寿々目の属性は火だ。モーモには彼の託宣が解けない。

「ちっ、使えねえな。勝つ方法はないのかよ」

「俺は無理。だが相剋(そうこく)の相手なら解ける」

 属性の影響を絶対的に打ち消すのが相剋という関係性だ。木は土に、土は水に、金は木に、そして水が火に勝つ。え~と火は...と黒羽は必死に考える。

「じゃあ水の属性の奴がいれば」

 黒羽ははっとなった。

「古人の血筋は? 苗字が水に関係しているじゃないか。白羽は使えないみたいだけど、世界はどうなんだ?」

 モーモはぱっと目を見開いた。だがすぐにそっぽを向く。

「お前は雑なくせに勘所が鋭いな」

「一言余計だよ」

「今日の事は世界には黙っておけ。ちょいと知り合いに当たってみる。白羽に寿々目が近づかないようにしろ。お前が古人を見られるようにしといてやる。あ、俺がいいと言うまで口を閉じてろ」

 あの風がまた吹いた。言われた通り、座ってじっとした。思わず正座になってしまう。全身にむずがゆさが駆け抜けた瞬間、青い光に包まれたのを感じた。部屋の陰影が濃くなった時とあまり世界は変わらない。

「もういいぞ」

 黒羽は膝を崩した。

「何も変わらないけど」

「感度をもう一段階上げたんだ。じきに分かる」

 モーモはさらに託宣場を作った。今度は黒羽にも青い光の円が見てとれる。環が床の白羽を包み、そっとベッドへ運んだ。

「もう寝ろよ。くれぐれも世界にばれないようにな」

 再度念を押して、モーモは部屋を出た。

 白羽はまだ寝息を立てている。こころなしか頬が赤らみ、微笑んでいるようだ。楽しい夢の中だろうか。

(本当に惚れさせるご託宣なんかあるのか?)

 黒羽の方が夢を見ているようだ。電気を消す。向かいの自分の部屋を開けた。暗がりが一気に身を包む。鳥肌が立った。急いで灯りを付ける。不穏な空気は窓側からだ。カーテンを一気に開く。窓を開けた。黒い塊と化した岩山から妖気とでも言えるような圧力が押し寄せる。

(白羽が言ってたのはコレか)

 頭をぽりぽり掻いた。もう夜は涼しい。鈴虫も鳴いている。

(風呂...まあ一日くらいサボってもいいか)

 白羽もそのまま寝てしまったし。

 ふん、と岩山に向かって鼻を鳴らした。そして窓を閉めて布団に寝転がった。電気を消す気になれない。部屋の隅の暗がりが怖いなんて初めて感じた。かつては夜になると白羽が隣に潜り込んできたものだ。その時ほど幼くはない黒羽は、灯りの元で目を閉じた。

 しかし一時間もしないうちにノックと同時に、ドアの向こうから声がした。

「黒羽? 起きてる?」

 開けると白羽だった。やはり部屋に入ろうとしない。二人で白羽の部屋に行った。二人揃うと、なぜか黒羽がベッドに座って白羽は床座りだ。

「いつの間にか寝てたみたいだ。下に誰かいた?」

「お前、何も覚えてないのか? 店にいた古人に御託を掛けられたみたいだぞ。どこか痛いとか気持ち悪いとか」

「うん...? 別に何とも。むしろ気分がいい」

 首をかしげる。

「黒羽も古人を見た?」

「うん。モーモに相生と相剋の事も聞いた。火とか水とか要素がどうって。後でモーモに聞け!」

 一度では覚えきれなかった。

「それとお前に御託を掛けた奴とは近づくな、世界には黙ってろと」

「へえ。モーモと話ができたんだね」

「うん。古人が見えるようにしてくれた。やっぱり牛だったな」

 そういえば、階下からざわめきが聞こえる。さっきまでは感じられなかった古人の気配だろう。

「それと、あれ」

 と、岩山の方を親指で示した。

「俺も感じるようになった。嫌な感じがする」

「なのにあっちで寝られるの? 信じられない、その神経!」

「そっちかい。うるせえわ」

 なぜ世界には言わないのか。岩山に何があるのか。モーモはまだ色々と隠しているようだ。白羽にも話してはいないらしい。取り敢えず寝る、と白羽の部屋を後にした。



 平和に一週間ほど過ぎた。表面上は何事もなく日々が過ぎる。

 白羽は薄暗い駅前の商店街を歩いていた。バイトが終わった帰路だ。ここから『いでみず』までバスで十分。しかし定期代は兄からもらっていない。歩いてバス代を浮かせるのだ。もう七時を過ぎた。学生や通勤帰り人も多い。大型スーパーがない小さな町だ。個人商店が並ぶ駅前通りも店じまいの時間だ。だがまだ明るい店もちらほらとある。

 その前を通りかかった。茶葉や海苔を扱う店『寿々目茶舗(すずめちゃほ)』だ。店の前に小さな茶色のベンチがある。そこに座った小柄な老婦人と店主が話をしている。

「それでできた嫁なのよ。(こう)ちゃんも早く結婚しなさいよ。良いお嬢さんを紹介しましょうか?」

 コウちゃんと呼ばれた男性が柔和な笑顔で頷く。

「まだ考えていないの、ごめんなさいね。ご縁ですもの、なかなかねえ」

 店主が顔を上げた。小柄な男性だ。ふっくらした体を海老茶の和服に包み、紺の前掛けを腰に巻いている。髪が少し赤くてうねっている。彼は老婦人に包を渡した。

「じゃあこれ。八女(やめ)の美味しい深煎りよ。お嫁さんによろしくね。お足元にお気を付けて」

「はいはい、ありがとう。またね。紅ちゃん」

 手を振って彼女が去る。白羽は足を停めて待っていた。彼には分かる。店主の紅ちゃんは幻だ。本体は赤い着物の寿々目だ。にっこりと白羽に微笑みかける。

「おかえりなさい、白羽。ちょっと寄って行くわよね?」

「うん!」

 寿々目がシャッターを半分ほど下げた。店の電気も消す。白羽はベンチに座った。持っていたカバンと体育館履きの袋を傍らに置く。

「お茶を淹れるわね」

 店先には試飲用にポットと急須が用意されている。お盆に乗せた茶碗を白羽に勧めた。そして隣に座る。ぺったりと身を寄せた。白羽は嫌がる様子はない。むしろ嬉しそうだ。

「ねえ白羽、美味しいお菓子があるの。アタシの部屋に来る?」

 白羽は腕時計を見た。

「少しなら大丈夫そう。お邪魔しようかな」

 うふ、と笑いを漏らした寿々目の手が白羽の肩から胸を撫でまわす。周囲の目などお構いなしだ。

 しかし、見る者はしっかり見ている。黒羽だ。周囲に目を素早く配りながら足早にやって来た。寿々目茶舗の数メートル前で、いちゃつく二人を見つけた。モーモのおかげで寿々目の赤い本体がしっかり見てとれる。一気に加速した。

「こらぽっちゃりフラミンゴ! またか! 兄貴に何しやがってんだ!」

 白羽は帰りにこの店に寄るようになってしまったのだ。

 寿々目が目を眇めた。

「可愛い紅雀ちゃんよ。お茶をふるまっているだけなのにさ。怒りんぼさんね」

「じゃあ俺にも飲ませろ」

 寿々目はポットを振った。

「あら残念~お湯がなくなっちゃったわ~もう閉店だもの」

 呑みかけの茶碗を白羽が差し出す。

「これで良ければ飲む?」

「じゃなくて!」

 素直な性質なのだが若干天然なのが白羽だ。黒羽は喉が渇いたのではない。二人の邪魔が目的だ。

「もう閉店なんだろう? いつまでも居たら迷惑だから帰ろうぜ」

「俺はちょっとお部屋にお邪魔するんだ。だから先に...」

「世界が晩メシ作って待ってるぞ。店が混んでるってさっき連絡があった」

「えっそれじゃ帰らなくちゃ」

 さっさと食事を済ませて手伝った方が世界には助かるだろう。白羽はお茶を飲み干してお盆に置いた。

「ご馳走様。また来るからね」

「えええ~」

「そういうワケだ。じゃあなフラミンゴ!」

 黒羽は白羽のバッグを持ち上げた。そして腕を思い切り掴む。顔をしかめるのもお構いなしにひっぱった。数メートル進んだところでシャッターが下りる金属音が響く。そこで黒羽は指を放した。

 白羽は携帯を確認している。

「俺の方には連絡が来てないよ」

「あ、ソレ昨日だった。日付見間違えた」

「...昨日もナイ...」

 白羽の眉間に皺が寄った。

「嘘つき。何で邪魔するんだよ」

「あの野郎は御託を掛けた張本人だ。お前だって最初はビビッてたじゃないか」

「うーん。でも実際に話したらいい子だよ。可愛いし。寿々目の事を考えるだけで心がふわふわして楽しいんだ」

 モーモの言葉が蘇る。『遊び相手にしたいんだろう』と。

「ソレ本気か? 奴の託宣のせいだ。気持ちを操られてるんじゃないか? 本気で好きならフラミンゴでも許すけど、違うだろう」

「許すとか何様目線だよ? 俺に先に恋人ができたからって黒羽はやきもちを焼いてるの?」

 むぅっと白羽の頬が膨らんだ。黒羽の目もまん丸になる。

「こ、恋人ぉ? い、一週間しか経ってないだろう?」

「時間なんて関係ないよ。気持ちの深さだよ。部屋にも何度か行ってるよ。そしたら寿々目ったらさぁ...すごく積極的なんだ。行ったその日にもうチュウって。シャツの中に手が」

 頭にその状況が動画で浮かんでしまった。黒羽の全身の毛が逆立った。

「聞いてねえよ! そもそもモーモが近づくなって言っただろうが!」

「それ言われたのは黒羽じゃないか。もう放っておいて」

「ほら。自分のカバン持てよ」

「自分で持ったくせに。最後まで持ってよ!」

 親の放置のせいで極限状態を過ごした二人だ。仲は良いのだが、その日に限っては口喧嘩を繰り広げる。大通りではなく、近道である住宅街を縫いながら家に着いた。

 ちょうど『いでみず』から二人の客が帰るところだった。

 店の前に見慣れない自転車が停まっている。あ、と白羽の顔が輝いた。後輪のリムに『寿々目茶舗』のシールが貼ってある。逆に黒羽は目いっぱい顔をしかめた。のれんを乱暴に払って引き戸を開ける。

「帰ったぞ!」

 厨房の世界が顔を上げた。

「おかえり。でも家から入ろうか」

 夕食の時間帯だ。珍しく客はいない。店内には一人だけ立っている。白羽が弟を横目でにらんだ。混んでいるなんて、やはり帰らせる口実だったのだ。

 赤いパーカーが振り返る。着物からジーンズに履き替えているものの、寿々目だ。黒い袋を白羽に差し出した。体育館履きだ。

「忘れ物。届けに来たのよ。途中で会えるかと思ったんだけど」

 徒歩の二人よりも自転車の方が速かった。二人は路地など近道を通るので会えなかったようだ。

 白羽が駆け寄る。袋を受け取るなり、横の机に放り投げた。寿々目の両腕を縋るように握った。

「わざわざありがとう! 嬉しい!」

 ん? と世界が二人を見た。それからカウンター定位置のモーモに視線を送る。モーモはすっと目を逸らした。まっすぐ前を見つめたまま、かすかに体を震わせる。

 寿々目が世界に言った。

「この子可愛いわね。ご飯を食べに出かけていいかしら?」

「ダメ」

 即答だ。世界は壁の時計を指さした。

「もうウチの門限。七時過ぎてる」

 もちろんそんな制限はない。行かせまいとする口実だ。こっそりとモーモが起き上がった。それを世界は見逃さない。

「モーモ。店に誰も入れないようにして」

「お、おう」

 しゅっと青い光が飛んだ。モーモは立ち上がりかけたが世界にじろっと見られた。ふっと息を吐いてまたその場に座った。耳を後ろに倒して状況を窺う。

 世界が厨房から出て来た。

「白羽に掛けたね」

 少し微笑んだような表情はいつも通りだ。しかし目の奥に冷たい光が宿る。白羽にも世界の背後に湧き上がる青白い靄が見えた。

 寿々目が一歩下がった。

「それがどうしたのよ? アタシは白羽が本当に気に入ったの。一目惚れよ。例え御託でも、好きって気持ちに嘘が無ければいいじゃない」

 白羽を抱き寄せる。本体の赤い袂で包み、白羽の胸に自分の額をこすりつけた。そして顔を上げて白羽の頬に唇を当てた。チュッと音がする。

 ぶわっと世界の靄が青白い炎になった。モーモが肩をすくめる。

「おい世界...」

 と言いかけた。それよりも先に黒羽が動いた。厨房に入った。流しの洗い桶を掴む。泡だらけだ。それをいきなり抱き合う二人に投げつけた。

「ふざけんな! 人も物の怪も関係ねえ。好きって気持ちが本当にあるなら御託なんか並べるな! 本気でぶつかれよ。てめえよりもサトーのDV野郎の方がマシだわ。頭を冷やしやがれ!」

 え、と世界が目をみはった。自分が話していないはずの『御託』という単語が黒羽の口から出たのだ。世界のまとう雰囲気がさらに冷えた。

 ずぶ濡れの二人は離れた。服や髪から泡交じりの水が滴る。

「ご、ごめん」

 なぜか白羽が寿々目に謝る。寿々目は濡れた袖で顔を拭った。

「やったわね...たかが現人の癖に。お礼をするわ、アンタは本当に好きなヤツとはいられないようにしてやるからね!」

 青い光が出現する。『火』が白く輝いた。

『我、火の寿々目の名において天地の間に託宣の場を作る』 

 あの呪文が聞こえて風が吹く。黒羽は呆然と世界を見た。

(え? 俺はもう世界と居られない?)

 つかつかと世界が近づく。黒羽の腕を掴んだ。そのまま引きずる。店の戸を開くなり、ぽいっと外に放り出した。鍵をかける。がんがん、と外から叩く音と呼び声がする。しかしすぐに静かになった。

 ぽた、ぽた、と汚れ水が床に落ちる。静寂を破ったのは世界だ。

「白羽、着替えておいで」

 口調はいつもと変わらない。しかし有無を言わせない冷たさがどこか漂う。白羽は寿々目と世界を見比べた。二人とも黙ったままだ。

「うん...」

 振り返りながら居住区との扉を開けた。閉まるなり、世界がモーモに言う。

「入れないようにしておいて。音も漏れないように」

 頷いた彼は御託を掛けた。そしてドアの前に腰を下ろした。

 それから世界は改めて寿々目に向き直った。

「御託を解くんだ。白羽はお前のおもちゃじゃない」

「解かないと言ったら?」

「それを言うかな。さっきもまだ食事中の客を託宣で帰しただろう。営業妨害だよ。新月の集会にも顔を出すのは禁止にして欲しい?」

「ここ出禁? 痛くも痒くもないわよ」

 ふうん、と世界が鼻で笑った。

 寿々目はまた一歩下がった。世界はさらに言葉を紡ぐ。

「俺が何者か忘れてないだろうね? お前の御託くらい吹き飛ばすなんて簡単だよ。でも誰かの感情を操ろうなんて思わないから使わないだけだ。だから自分で解いてくれ。お願いじゃないよ」

「し、白羽だって...白羽を使えばアンタなんか」

「白羽は少し感受性が強いだけの現人だよ、今は」

「アンタのせいじゃないの! 霊力を封じてるって知ってるのよ。白羽にばらしてやる」

「それが? まさか白羽を利用しようと...自分の物にしようとして御託を掛けたのかな? それは俺が許さない。お前にも白羽にもどうにもできないよ? それに黒羽と兄弟なんだ。普通の人間として生きて欲しいんだよ。それが出来ないのなら...。責めはもちろん俺が負う」

 世界は腕を組んだ。背に負う光が強くなる。寿々目からは逆光になって顔が真っ黒に見える。にっこり笑った口元からのぞく歯だけが白い。

「人間界って物騒だよね。交通事故もあるし、上から看板が落ちて来たりとかね。歩いているだけで危険だ。白羽が巻き込まれるかもしれないね。寿々目にはそれから何が起きるかなあ。現人のふりをしてお茶屋さんね。良い御身分だ」

 惚れる御託を解かないのなら、まずは掛けられた側の白羽を罰するつもりだ。ただの脅しではないのが、世界の氷の炎が示している。寿々目はもう動けなかった。世界から視線をはずすのさえできない。仮姿はすっかり溶けて赤い着物の本体だ。大きく目を見開き、全身がガタガタ震える。額から滴り落ちるのは冷や汗だ。世界は巨大な氷壁となって寿々目の前にいた。

 モーモがため息をついた。

「おいおい世界。そこまで凄むな。怖いぞ」

 少しだけ緊張が緩んだ。すかさず寿々目が同意した。

「そっ、そうよ! アタシみたいな可愛い子に本気出さないでよ! 利用しようとか無いから! だいたいアンタが罰を与えるなら白羽じゃなくてまずアタシでしょ。ちょっと...ちょっとふざけただけで」

「ああ? ふざけて?」

「ちっ、違う、違うの。本当に白羽が可愛いからよ!  ホント、本当だってば! 御託を解くから!」

 寿々目は袖で顔を拭った。

「もう...目に沁みちゃうじゃないの!」

 汚水、冷や汗、涙。もう寿々目の顔はぼろぼろだ。

「最後にアタシを好きな白羽に会わせて。お願い。そしたらあきらめるから」

「ダメ。今すぐ解いて。何度言わせる? お願いじゃない」

 圧倒的な殺気は消したものの、世界は折れそうにない。ふう、と寿々目は肩を落とした。

『我、火の寿々目の名において白羽への託宣を戻す』

 居住区のドアから一筋の光が伸びて寿々目の全身を包む。白羽への御託が術者へ戻された。

「モーモ、ドアを開けてやって」

 うん、とひらりと飛びのくなりドアが開いた。白羽がいた。髪は濡れたままだ。服も替えていない。どうやらその場で聞き耳を立てていたようだ。モーモが託宣場を作ったので何も聞こえていないはずだ。項垂れる寿々目に駆け寄る。肩に手を掛けて顔を覗き込んだ。

「寿々目、ごめんね。せっかく忘れ物を届けてくれたのに水なんかかぶっちゃって。黒羽はやきもち焼いているんだよ」

 は? と世界の目が鋭くなる。御託を解いたはずだ。寿々目の目も点になった。

「あの...白羽...アタシ...」

 戸惑っている寿々目をぎゅっと抱きしめた。

「来てくれて嬉しかったよ! またお茶屋さんに寄るからね!」

 そして満面の笑顔で世界を振り返った。

「兄さん、俺たち実は付き合ってるんだ!」

 三人とも固まった。そんな雰囲気に構わない。

「あっ男同士だし寿々目は古人だし。びっくりしたよね? でもそんなの関係ないんだ。俺、寿々目が可愛くて大好き! なんだけど...」

 さすがに白羽も氷点下に凍り付いた空気に気が付いた。きょとんとしている。

 あわてて寿々目が白羽と世界の間に入った。豊かな胴をひねって絶叫する。

「解いたから! 見たわよね、見たでしょ? ちゃんと解いたもん! 白羽に手を出さないで! この子は何にも悪くないんだから、()るならアタシにして!」

 世界は近くの椅子に腰を下ろした。背もたれに肘を付き、額を抑える。しっしっと手で寿々目を払った。

「何の修羅場なんだか...。もういいから帰れ」

 寿々目の顔に鼻水も加わったようだ。ぐしぐしとすすり上げる。濡れたのがショックなのかと白羽は思ったらしい。ハンカチを渡すが、ズボンから出てきたのでこれもびしょ濡れだ。それでも寿々目は受け取った。

「ありがとう...白羽って本当に良い子ね...」

 それから白羽に背中を撫でられながら店を出た。その様子は、確かに心が通じ合う仲の良い姿だった。きっかけは託宣であっても、二人は惹かれあったようだ。世界とモーモは言葉が出なかった。

 そんな様子をしり目に、今度こそ白羽が着替えに行く。入れ違い店の引き戸を開けようとする気配がする。モーモが託宣を解いた。そこにいたのはスーツの若い男性だ。のれんの下で頭を下げて覗き込む。モーモと世界には見覚えがない。

「お休み...じゃないですよね」

「今日は八時から営業ですよ」

 世界はため息まじりで立ち上がった。営業スマイルもどこかぎこちない。寿々目が来るまでは数人の客がいたのに寿々目に帰されてしまった。空いていれば白羽を外に連れ出しやすいと踏んだのだろうか。普通に嫌がらせだろうか。あの騒ぎの最中に客は入れられないし、今は黒羽を放っておくわけにはいかない。さらにせっかく来てくれた客を追い返す羽目になった。

(寿々目の奴、覚えてろ! 今度の集会でドラゴンブレス・チリを食わせてやるからな!)

 最強の辛さの唐辛子を用意しよう。仕返しを心に秘めて白い紙に『都合により二十時より営業します』とマジックで書いた。戸にセロテープで貼り付ける。点いていた提灯を消した。モーモに声を掛ける。

「黒羽を探してくるよ」

「世界、大丈夫か?」

 寿々目は地雷を踏んだのだ。託宣は人間の気持ちをも歪めてしまう。それを是とする発言は、世界にとっての逆鱗だった。それなのに白羽ときたら、鮮やかに怒りの沸点をかわしてしまった。世界は秋風のように笑った。

「ショックだよ、相手がアレとはね。それよりモーモ、寿々目の御託を知っていたんだね? 何で黙っていたかな? 新月の集まりの夜だろう? 挨拶もせずに寿々目がいなくなったんだ。おかしいなとは思ってたんだ」

 モーモはしらっと目を逸らしただけだった。

「黒羽は御託の事を知っていたんだね。モーモだろう? 二人に一体どこまで話したんだ? 言わなければ、今日から食事は生の唐辛子にするからね」

 脅し文句のせいばかりではないだろうが、モーモは口を開いた。

古人(いにしえびと)と託宣の話だけだ」

 世界の視線は、しばらく真偽を探っているようにモーモを眺めていた。しかし。

「信じるよ」

 モーモに片手で手を振ってその場を離れた。



 叩いても店は開かない。居住部のドアは施錠されている。身一つで放り出された黒羽にはどうしようもなかった。

(少し時間をおいてみるか)

 土日や祝日で母が寝ている時、音を立てると物を投げられた。それで白羽と外へ当てもなく出ていたものだ。だいたいは近くの公園だった。

 今は一人だ。引っ越して一か月あまり。地理はまだ詳しくはない。それでも歩きまわっているうちに、川沿いに出た。小さな公園がある。もう人影はない。ベンチに腰を下ろした。街灯があるのでそれほど暗くはなかった。時折黒い影が伸びたり縮んだりしながら通り過ぎる。古人だろうか。しかし黒羽には目もくれない。現人(あらひと)の彼には見えないと思っているらしい。

(どうしようかな)

 戻れないとしたら。忍は新しい夫の元だ。そもそも置いて行ったのだ。引き取ってくれないだろう。母の実家も、喧嘩別れして出て行ったようだ。頼れない。

 ただ時間をやり過ごす。どれだけ時間が経っただろうか。幼い頃を思い出す。

(世界...)

 名前を心の中で呼ぶだけで切ない気持ちになる。いつも助けてくれた彼を、父親のように慕っているだけなのだろうか。いや。

 風呂場で遭遇したのを思いだす。流れるはちみつ色の髪、上気した白い肌、うっすら開いたピンクの唇。そしてむき出しの足の先には...。はああ、と自然にため息が漏れてしまう。

(何でこんな状況で反応するか自分!)

 下を向いて自分自身につっこむ。

「黒羽。探したよ」

 世界がやって来た。黒羽の前に立つ。あわてて足を閉じた。

「え...。あいつが御託を...」

「掛けさせない為に外に出したんだよ。託宣場から外れていれば大丈夫だから。さあ家に帰ろう」

 本当に好きな相手と居られないなんて、水をかけた仕返しには酷すぎる。逃がしてくれてほっとした。だが差し出された手をどうしたらいいのか、迷って動けない。

「本当に好きな相手って言われて浮かんだのが世界なんだ。俺、世界が好きだ」

「お兄さんだから、だろう?」

「違うよ。勝手に決めんな。抱きしめたいし、キスしたい」

 世界はため息をついた。

「今だけの気持ちだよ。これからもっと出会いがある」

 黒羽の顔は赤らみ、目が潤んでいる。立ち上がって世界の手をぐっと両手で握りしめた。ん? と世界が眉をひそめた。

「今なんだよ。今!」

 さっき言った通りだ。自分の気持ちをぶつけたい。

 世界が顔を下げた。黒羽に近づく。そして片手を頭頂部に置き、ごつんと額を合わせた。

「うん、やっぱり。手も温かすぎるし、顔が少し赤い。熱があるみたいだよ」

「そ、そっち...」

「水をかけた方が熱を出すとはね」

 実際、体がふわふわする感じだ。世界の事を考えて気持ちが浮かれていたばかりではなさそうだ。告白はうやむやにされてしまった。そのまま家に直行だ。

 店の前にさっきの男性が立っていた。ベージュのトレンチコートを羽織っている。しっかりした仕立てだ。革靴もよく手入れされている。

「もうそろそろいいですか?」

「わざわざ待っていたんですか?」

 張り紙を剥がして店の鍵を開けた。黒羽を先に入れる。着替えた白羽がいた。

「黒羽を二階へ連れて行って。熱があるみたいだ」

「水をかけた方なのに」

 白羽も少し半笑いだ。客に軽く頭を下げて黒羽の腕を取った。

「あ、ほんとだ。熱い」

「うるせえ。お前がぽっちゃり好きだとは知らなかった」

「手触りが最高なんだよ」

 二人は軽口を叩きながら居住部へ消える。もうケンカは無かったことになったようだ。

 世界は客をカウンターへ誘った。急いで厨房に入ってエプロンを付ける。

「そんなに待ってもらうほどの店じゃないですよ」

「そんなご謙遜を。こっちまで来ちゃって、食べる場所がなかなかなくて」

 繁華街から離れた住宅街だ。飲食店も多少はあるが、店じまいは早い。少し飲んで帰りたいのなら、コンビニで買って帰るよりもやはり『いでみず』のような食事もできる店がいいのだろう。彼は軽く酒を飲み、数品を食べていた。

 その間にも客がちらほらと訪れる。白羽が降りて来て手伝いを始めた。

「兄さん、あの...」

「まあ...いいよ。今は」

 優しい世界の微笑みは、また限りなく哀しそうでもあった。

どの登場人物も好きですが、火の寿々目もなかなか気に入っています。

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