【幻風景】図書館僧院の見習い学僧
図書館へ本を返却する際は三礼が習わし。頭上高く書を掲げ、知、字、霊の三存在へ謝意を捧げるのだ。
「では確かに返却、承りました」
本を受け取る受付僧。受付といっても、図書を任せられる身。かなりの高僧であるはずだ。
何か失礼はなかったか。本を受け取ってもらえてから、見習い学僧はホッと息をつく。
谷間に日の差し込む頃合いとなり、鐘楼の音が鳴り響く。
五重にも成る勇壮な伽藍の中は全て図書館。
ここは本を祭る聖殿にして、文字を守る霊廟。知の僧院だ。
鐘楼が鳴ったということは、ああ、今日の読書時間も終わりか。読書を終えた僧侶たちが、ぞろぞろと祈祷所より出てくる。
さあ作務をせねば。
学僧はまだ若く未熟ゆえ、本の管理などはさせてもらえない。作務といっても、やるのは僧院まわりの掃除。
だが埃を嫌う本にとって、これも大事な修行に違いない。
作務をしながらも思い出す。さきほど読んだ『西域本草図録』は素晴らしかった。
西域には、あのような草木が生えているのだろうか。思い描くだけで心躍る。
しかし鐘の音で思い出す。素晴らしいといえば、先日あった「納本の儀」だ。
儀礼僧たちが列を成し、花を撒く。ただ中を著者となった僧が、新たな本を図書館長に手渡すのだ。
神々しいとすら言って良い光景だった。僧院へ入った者なら、誰しもが著者へ憧れる。
だが納本へ至るには、厳しい難関が待つ。僧院には様々な役職の僧侶がいる。
本と図書館を守る蔵僧。
知を各地の民へ伝える伝僧。
更なる知の探求を行う修僧。
若き学僧は本を読むのが好きだ。だから蔵僧を目指している。
そこへ至るにも、無数の困難試験を通らなければならない。
その中から突如、知の神から啓示を受ける者がいる。この啓示を「創意」という。
本とは天からの命により、書かねばならぬと下されるものなのだ。
しかし、その創意が真実のものか。申請を出し、審査をくぐらねばならない。これがまた、狭き門となる。
ようやく申請が通れば、紙と墨が与えられる。ひとりの「著者」の誕生だ。
先日見た「納本の儀」の著者は、書いた本を手渡した途端に事切れた。僧侶として、なんと壮絶かつ高潔なる生き方だろう。
彼はかつて、大陸各地を巡る伝僧だったという。そこで集めた風聞をもとに書いたのが『白石神像の大陸分布』。
民の間に伝わる土俗宗教に関する本だ。なんと画期的な。
いつかは自分も、この知の海へ新たな水の一滴を加えたい。その前に、まずは図書館にどんな本があるか学ばねば。
そこで、ちらと図書館の館内を覗く。だだっ広い伽藍の端まで本棚が並ぶ。
まさしく冊数だけで、本の海。恐らく世界のあらゆる事象で、この図書館に書かれていないことはないのでは、とすら思える。
ここへ新たな一冊を加えるには。ここにない知識を生み出し、本としてまとめるには。
どれだけの鍛錬が必要なのだろうか。
学僧は足を付けた地が、波打つように揺れた気がした。それでも、この海を自分は進むと決めたのだ。
まずは一冊。一冊。
学僧は次に読むべき本へ、心を馳せた。