燃やせ燃やせ☆楽屋を燃やせ☆
ずっと暑い日が続いており、冷たいものが欠かせない日々にあるが、むかしはこういう暑い時に敢えて熱いものを食するというものがあった。熱々の鍋焼きうどんなどを皆で囲んで食している姿が夕方のニュースで流れていた光景を覚えている読者諸兄もいるであろう。
熱いものとは、なにも食物に限らぬ。音楽もまた熱いもの。とくにロックと云えば、最高に熱い音楽のひとつであることは云うまでもない。燃やせ! 燃やせ! 心を燃やせ! 空を燃やせ!
さてしかし、そのロックが今現在燃えに燃えているという。さらに、その原因は物理的に燃えたからだと云うではないか。──いったいどう云うことなのか、説明してみようではないか。
事の起こりは、Twitterにて発生した。ライヴ会場にて対バン相手が火を放ったが故に出演を取りやめたというものである。──ここに、「狭いライヴハウスにて放火するとは何事か」と、正義と平和を愛する諸国民たちが怒りの声を上げた、というものであった。
さてここで、平和を愛する諸国民のひとりたるわしからもひとつ声を上げさせてもらおう。
「お前ら、いったいロックをなんだと思っていたんだ?」
まず、火を放つバンドなど今現在に至るまで幾らも存在している。ロックファンならその名を知らぬ者はおらぬであろう、あの『ジミ=ヘンドリクス』が放火の始祖と云えよう。ライヴ中に愛用のギターへライターオイルを撒いて火をつけたは、あまりにも有名な出来事にあった。
ジミ=ヘンの後継者たる『リッチー=ブラックモア』も有名だ。ライヴ中にギターをたたき壊し、アンプに向かって放り投げ、そこから火柱が上がるというは彼のライヴに於いては恒例行事と云えよう。──とくに『ディープパープル』伝説のライヴにては火力を誤ってあわや爆発事故というところまでいったほどである。
リッチーらハードロック勢の遺伝子を継いだメタル勢に於いても火は当たり前のように存在す。ブラックメタル勢は火を吹いており、その姿はライヴDVDのアイコンに使われていたりするほどにありふれたものである。
さらに云うとだな、『ジューダスプリースト』の名曲『ホットロッキン』のPVでは客もメンバーもアンプも楽器もグラサンもなにもかも燃える炎に包まれてただろうが! お前ら今さら何を云ってんだよ、半世紀近く遅れてんな!──いやディープパープルから数えるとマジで半世紀遅れてんな!
そもそもディープパープルの名曲『スモークオンザウォーター』の歌詞だよ、アレは当時メンバーたちが実際に体験したことをそのまんま書いてる日記みたいなもので、「レコーディングする予定だった会場でライヴ中にどこかのアホタレが銃をぶっぱなして会場が炎に包まれて全焼しちまった」というものだ。ロックにとってんなもん日常茶飯事なんだよ!
──さて話を半世紀前から現代に戻す。此度の件にて火を放ったバンドは、『アンチフェミニズム』というバンドにある。ヴィジュアルロック勢のひとつにあるが、音楽としてはスラッシュメタルに属する。もっと正確に云うとクロスオーバーメタルと云い、ハードコアパンクとヘヴィメタルとを合わせたようなロックである。──まあスラッシュメタル自体がパンクとメタルとの混血児みたいなものであるから、スラッシュメタルと云って差し支えないが。
このアンチフェミニズム、前身となったバンドは『かまいたち』と云い、こちらは正統派のハードコアパンクである。かまいたち時代から数えると'80年代中期から活動を続けており、まことハードコアパンク全盛期から今現在にまで生きている。──これだけでスゴいことである。あの、’00年代から続くメタル氷河期を生き抜いてきたのであるから。
そのような、生き証人とも呼べるバンドに対し、お前たちは今さらなにを云っているんだ? お前たちは今まで眠っていたのか? それとも氷河期の後で産まれてきた新参者か?──へっ、産まれたてのベイビーならパパのミルクでもちゅうちゅうしてな! おむつが取れてからものを云えいっ! 悪いがわしらには赤ちゃん語はわからねえんだ!
──なにを過激なことを云うんだ、と思われた読者諸兄もおられるやもしれぬが、そもそもハードコアパンクというものが過激なんだからしかたがないであろう。
お前たち産まれたてのベイビーには信じられないようなものをわしらは見てきた! 飛び交うビン、割れるガラス、宙を飛び客席の床に転がるドラム、音がおかしくなったからギターをたたき壊す! フルチンで歌うヴォーカル……小便を撒き散らし、ステージ上で練り糞をたれる!──ひり出した糞を顔に塗りたくり、もう顔じゅう糞まみれや。そのまま客と血まみれ糞まみれになってなぐり合う──
そんな思い出も……雨の中の涙のように、時とともに消え──させてたまるかクソボケがーーっ!
今こそ! この窮屈な今現在だからこそこうしたロックの火を消してはならぬのである。そもそもロックとは反抗の音楽である。──反体制の音楽などと云う者もおるが、それはロックという音楽のほんのわずかなひと欠片の一部分にすぎぬ。'70年代パンクの、ほんのごく一部を抜き出してさぞ全体であるかのように云うのは、よくない!
さてそうした火を放った面の論が落ち着いてきたかと思えば、今度はバンドが掲げた旗への文句である。──まったくお前ら、悪い姑かよ。それとも超管理社会学校の風紀委員かァ?──へっ、ゲシュタポの末裔が。現代によみがえったシュタージかよお前らは。
そのようなナチの子孫みたいな連中が文句をつけたが、『鉤十字を描いた旗』なのであるから、もうこれは皮肉が効きまくっている。──すばらしい冗談だ。喜劇だ。もうあまりのすばらしい出来に思わず、「Deutschland, Deutschland über alles Über alles in der Welt!」と、讃美の歌をもって祝してやりたいほどである。
なあ、本当、お前ら今さらなにを云っているんだ? お前らロックはじめてか? 力抜けよ。
そもそもが、ロックとナチの融合と云うものは今最近にはじまったものではない。ブラックメタル勢が悪魔主義ではなくナチ思想を掲げ、ナチ・ブラックメタル(N.S.B.M.=National Socialist Black Metal)というジャンルが確立したが、それこそ『アンチフェミニズム』が結成された'90年代初期にまで遡るのだ。──そのN.S.B.M.につよい影響を与えたオイパンク成立にまで遡れば、それこそ'70年代末期にまで遡ることができる。
このオイパンク、ロックの進化の流れで云うとハードコアパンクの直系祖先にあたる。'70年代末期英國に於けるオイパンク・ムーヴメントを、大西洋の向こう側つまりアメリカ勢が俺たちも続けと真似をしてみたが、ハードコアパンクのはじまりのひとつである。
このオイパンク、当時の英國では一大人気を誇りながらも、しかし社会から、果ては同じロックからも迫害と呼べるやもしれぬ攻撃を受けていた歴史がある。その理由は──オイパンクが「ナチである」というものであった。
これは、9割がた云いがかりのようなものであった。オイパンクのファンに『スキンヘッズ』と呼ばれる革ジャンを着たハゲ頭のファッションを好む者たちが多数いたがため、良識派と呼ばれる者たち、或いはR.A.R.(Rock Against Racism、読んで字のごとく差別に反対するロックの一派)と呼ばれるジャンルのロックファンたちから、ネオナチ集団であると誤解されたのである。ネオナチファッションと云えばツルパゲであったが故に。
折悪く、その時に出たオイパンクのコンピレーションアルバムのジャケに使われていた写真が、ネオナチおじさんのものであった。
これに良識派連中──つまり今現在アンチフェミニズムに文句をたれてるお前らのご先祖様たち──は怒りに燃え、いきり立ち、ついにはオイパンクバンドのライヴ会場に火炎瓶を投げ込むという暴挙に出たのである。──なんや、お前らのご先祖様たちのほうがよほどひでぇな!
かくのごとくして、オイパンクと良識派との対立は決定的となった。オイパンクの一派は、「ああそうですか俺たちは極右のネオナチですか!──だったら望み通り極右になってやんよ、世の中のボケども!」と、それまでの左翼的なパンクのイメージとは真逆の、極右的なパンクを演るようになったのである。──これをR.A.C.(Rock Against Communism)と呼ぶ。
さてここからブラックメタルに話が戻る。と云ってもその芽がひらくには10年ほどを要するが、ここは順に流れを追って説明しよう。
先ほど、『スラッシュメタル』について述べたが、これが興るのが'80年代初期のこと。つまり英國に於けるオイパンクムーヴメントのすこし後、ハードコアパンクが米国にて興ってからすこし経った頃のことである。このスラッシュメタルが隆盛期を迎えるのが'80年代中期から末期にかけてであり、'90年代を迎えるとほぼ同時に終焉を迎えるのであるが──その90年代初頭にスラッシュメタルへの回帰を求めた連中がいた。これが、ブラックメタルである。
このブラックメタル、'20年代今現在をもってしても最も過激、かつやばいロックの座を保ち続けている。──その理由は、まずは『悪魔主義を掲げていた』ことにある。
無論、それ以前のロックも悪魔主義を掲げてはいた。古くはビートルズに於ける『ヘルタースケルター』、ストーンズに於ける『悪魔を憐れむ歌』などが悪魔主義ロックの始祖と呼ばれる。続くブラックサバスなども悪魔主義ロックバンドと呼ばれていた。ブラックメタルの始祖とされる『ヴェノム』も、その一派と云えよう。
だが、今挙げた連中はあくまでも、『そう云う設定』にあり、本気で悪魔を拝み崇めて対立関係にある基督教に唾を吐きつけていたわけではなかった。
しかし'90年代初期ブラックメタル勢は、『本気だった』のである! 彼らはあまりにもマジになりすぎていた。基督教の聖者たちの墓を暴いて冒瀆し、教会に放火して全焼させるに至った。──ライヴ会場の放火がなんだ、こっちはマジモンの教会だぞ! しかも歴史的建造物を燃やして消し炭と変えたのだぞ! さらにその燃えている最中や焼け跡を写真に収めてアルバムジャケに使ったのだから、もう最高である!
ジャケと云えば、メンバーの自殺死体を収めた写真を用いたものもあったな!
このように当時のブラックメタル勢は一大犯罪集団と化していた。果ては人間をブチ殺すに至り、警察の捜査を招いてこのムーヴメントは終わってしまうのであるが──
さて人間をブチ殺して捕まったバンドメンバーのひとりがカウント=グリシュナック氏が、彼は北欧の人間であった。人権先進国地帯である北欧は、刑罰が極めてゆるい。死刑はおろか、終身刑や無期懲役刑さえもが廃止されており、また、刑務所内の待遇も極めてよい。それは本邦の貧民街よりもずっとよいほどに。
そのような状況であったから、囚人同士の交流もかなり自由であった。そしてグリシュナック氏は、獄中にて政治犯と交流を深めていた。その政治犯の罪状は──ナチ讃美にあった。
ここに、ブラックメタルがナチ思想と融合した。──時を同じくしてナチの総本山本家本元たるドイツにて、『アブサード』と云うバンドが誕生した。こちらもメンバーは人間殺害経験者にあり、しかもその罪で収監され釈放されるや、「ワーッハッハッ、ハイルヒットラー!」とナチ敬礼をやらかして出たばかりの刑務所へ逆戻りしたほどの筋金入りであった。
この頃、オイパンクムーヴメントがふたたび起きており、思想面が近かった両者は混ざり合った。N.S.B.M.つまりナチ・ブラックメタルがオイパンクの影響をつよく受けているのは、このためである。
さてこの頃──すなわち'90年代初頭に於いてはもうひとつの大きな世界的事件が起きていた。そう、ソビエト崩壊である。──東側諸國つまり共産主義陣営にては、それまでロックという音楽は「西側の頽廃音楽である」という理由にて禁止されていたのであるが、そんな禁止事項はソ連崩壊とともに消えてなくなった。自由万歳! そして今まで禁止されていたロックが東側諸國へと流入してくるのであるが──
その当時の現行最新ロックとは、この、ブラックメタルであった!
故に今現在にても旧東側諸國に於いてはブラックメタルの人気が根強い。それはナチ・ブラックメタルに於いても例外ではなく、ポーランド、ウクライナ、ハンガリー、そしてロシアといった國々に於いてはナチ・ブラックメタルがR.A.C.勢らとともに一大牙城を築いているのだ。
これは欧州にとどまらぬ。米國にてもナチ・ブラックメタルはそれなりの数がおり、これは北米のみならず南米にてもまた同様。果てはアジア、とくにマレーに於いては周辺諸國を巻き込んだ一大ムーヴメントが、ジャンルの垣根を超えてまで巻き起こったほどである。──さぞ、総統閣下も草葉の陰でよろこんでいることであろう。
このような経緯を今現在に至るまでにロックは歩み続けていたのだ、今さらなにを云うか!
しかしながら、その「今さら」を別なる意味にて用いている者らもあった。お前らの仲間である。
曰く、「令和のこの世ではゆるされない」と。
莫迦者がァァ! 許すも許さぬもあるものか! せっかく花開いた自由を規制し抑圧し弾圧しようとするのか。──お前ら、それこそお前らの云う「ナチの所業」やぞ? このナチの信奉者が! 全体主義の亡霊がァ! お前らこそネオナチじゃあ! 世の中のボケども、Блядь! Сука блядь!! Вредитель!!!! そもそもがロックは反抗の音楽じゃ! もし仮に「令和のこの世ではゆるされない」なら、敢えてそれをやってのけるがロックじゃ! わかったかГрязьども!
そんな、息苦しく窮屈で浄化された世を誰が望んだか!? お前らは望んだのかもしれんが、わしらは望んでないぞ。わしらソドム市ゴモラ町の住民らは。──わしらにとってそんな世の中ならば、こうした音楽こそが残された唯一の癒しなのじゃ!
そのようにくそみてぇに変わってゆく世の中ならば、むかしと変わらぬスタイルで残ってくれておることにまず感謝、感謝、大感謝ァ! 守りたい、この音楽!──そう、変わらぬことに価値がある!
わしらはそんなロックの全盛期の中で産まれ、血と炎と糞の中を生きてきたのだ。そんなわしらには昔ながらのロックがすべてなのだ!
わしらが今現在のおきれいな世の中で生きてゆくことは苦痛以外のなにものでもないのだ! 青春も知らず恋も知らず、血と炎と糞と消し炭の中で生きてきたわしらには青春が、そして恋人が、ロックなのじゃ!
わかったか、半世紀遅れのСнобкаども!
Сука блядь!!!!