表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

僕の純文学作品集

あなたは、お父さんにそっくりです

作者: Q輔

 僕の父は、ダメ人間だった。そんな父に、ひとっ欠片の美徳らしきものがあるとするならば、彼の言動の端々には、どだい「差別心」という感情が見受けられなかったということ。この一点である。


 少なくとも僕の前で、他者に対する差別の感情を露骨に示したことは無かった。いや、やはりこれは、父の欠点であったのかもしれない。父は、削いだようにそれが欠落していた。時に、痛々しいほどに。


――――


 十八歳の頃、僕は、夕方の五時から十一時まで、呑み屋横丁にある居酒屋でアルバイトをしていた。


 著しい景気の後退が深刻だ、このままでは日本は終わる、などとテレビは連日騒ぎ立てていたが、僕等の暮らしの端々に、まだその影響は全く感じられなかった。店は相変わらず満席で、その為バイトの時給は高く、毎晩まかない飯をたらふく喰えたし、綺麗なお姉さんが来店すればカウンター越しに電話番号を聞けた。未成年の飲酒の取り締まりも緩い時代であったし、何かと好都合なアルバイトだった。


「おお、息子よ。俺だ、俺だ、俺がやって来たぞ」


 ある晩、父が突然店に現れた。年の初めに母と離婚した父の顔を見るのは久方ぶりだった。僕がこの店で働いていることを人づてに聞き、わざわざ呑みに来やがったのだ。


 傍らに連れが一人いた。ギャク漫画に出てくる物乞いの実写版だった。ヘアースタイルが完全にボブ・マーリーだった。そのボブの風体と異臭で店は騒然となり、大半の客が即座に帰った。


「店長、すみません。実は、あの客のうちの一人は、僕の身内です。お恥ずかしながら、父なのです。マジですみません、あの、その、今すぐ追い出しますんで」


「こらこら、何を馬鹿な事言っているの。君の大切なお父さんだろ? そして、私にとっては大切なお客様。ほら、通常通り、接客、接客」


 店長が、細かくちぎって丸めたティッシュを鼻の孔に突っ込みながら、僕に優しい言葉を掛けてくれる。店長はとても良い人だ。


「おい、ちょっと、お父さん。何を勝手に息子のバイト先に来てんだよ。殺すぞ、てめえ、この野郎。て言うか、その人、言っちゃ悪いけど明らかにホームレス……」


 こっそり耳打ちをする。


「おお、彼か 彼は俺のベストフレンドだ!」


 父は、カラカラと笑った。


 二人にお通しとおしぼり、それから生ビールの中ジョッキを出す。父は焼き鳥と砂肝注文し、ボブは鳥皮串のみ、五人前も注文した。ボブは歯が前歯一本しかなく、ヌルッとした鳥の皮を、次々と飲むように食している。


「息子よ、俺のちょっとした自慢話を聞いてくれ。俺は今の会社に世話になってたったの半年で、作業員宿舎の食堂のテーブルの、奥から三番目の席で飯を喰っているのさ」


 カウンター越しに串を焼きながら父の話を聞く限り、どうやら父は今の建設会社で異例の出世を遂げているようだ。作業員宿舎の男たちは、食堂で飯を喰う時のテーブルの席順が、イコール縦社会の順列になっているらしい。部外者にはピンと来ないが、恐らく誇るべきことなのであろう。


 父の出世の要因は、「ヒト拾い」の才能を買われてのことだった。


 父の勤める建設会社は、当時その日の労働力が不足する時は、毎朝名古屋市中村区の通称「笹島ドヤ街」に日雇い労働者を集めに行った。ひとえに労働者といっても、その半数は要するにホームレスの方々で、父はそのホームレスの扱いがとても上手かったのだ。


 ホームレスの中には、社会のいたずらですっかり心の腐敗しきった者が多く、寄せ場にたむろする彼らに対し、強面のヒト拾いが高飛車な態度で「おい、薄汚い乞食ども、仕事だ、さっさと車に乗れ」と怒鳴っても、付いて来る者はいない。作業中もあまりガミガミ指導をすると、ドヤ街から遥かに遠い現場でも、昼の弁当だけ喰って、日当も受け取らず、いつの間にかトンズラをしてしまう。


 そんな連中から父は異常なまでに人望が厚かった。父がぶらりとドヤ街を歩けば、ハーメルンの笛吹きが町中の鼠を集めるかのように、有り余る程ホームレスを連れて帰ってくる。会社がその類い稀な能力を重宝したのだ。


 早朝に、父がドヤ街を訪れる。


「番頭さん、いらっしゃい。さあ、食べて。さあ、呑んで」


 ホームレス達が、父をもてなそうと正体不明の固形物や液体をふるまう。すると父は、その場に腰を下ろし、何とそれを、彼らと一緒に呑み喰いする。


「腐っているか否かの見極めが肝心だ。あたると三日は動けねえ」


 ホームレスたちをエアーガンで撃って遊ぶガキども見つけ次第、鉄パイプを振り回して追い払う。


「痛いぞ~、あれ」


 いや、撃たれたのかよ。


「寒波の朝にホームレスを揺り起こしても動かないときは、後々警察に根掘り葉掘り聞かれると面倒だから、指紋を拭いて逃げるのさ」


 おいおいおい。


「ドヤ街を歩いても野良猫やカラスが逃げず、彼らとただの風景と化せた時、その時こそ、ヒト拾いとして一人前よ」


 人として、どうなの?


 二人に二杯目の中ジョッキを出す。


「今夜は彼の送別会なのさ」


 父が隣のボブを親指で指差す。伸びた爪の間に土木現場の泥が詰まっている。ちゃんと手を洗えよ、汚らしい。


「彼は元々大阪の西成という街の出身で、流れ流れて名古屋に来たらしい。彼は俺の現場で本当によく働いてくれた。でさ、ある時『君の夢は何だ?』って尋ねたら、『いつか大阪に帰って、もう一度、ダダ犬を連れてリヤカー引きたい』と言った。俺さ、その夢叶えてやろうと思ってさ、明日、車で彼を大阪に置いてくる。本当は餞別にダダ犬もリヤカーも持たせてやりたいけれど、俺にはそこまでの財力はないから、大阪に送り届けるだけで精一杯だけどな。ごめんな。そして、ありがとう。本当に今日までありがとうございました」


 父が隣のドレッドヘアーのホームレスに深々と頭を下げている。


 ホームレスは社会の落伍者だ。中には罪を犯して逃げている奴がいる。結核などの感染症を患っている奴もいる。何より彼らは駅や公園を不法占拠している現行の刑法違反者だ。目の高さを同じにするな。必要以上に優しくするな。馴染むな。溶け込むな。て言うか、ダダ犬ってどんな犬だよ。


 ホニャホニャホニャ。ボブが父に何か話しているのだが、歯が一本しかないからか、元々まともにしゃべれない人なのか、僕には彼が何を言っているのがさっぱり聞き取れない。ところが父はボブの話に何度も深く頷きながら、最後には感極まって泣き出してしまった。不思議だ。彼の言葉が、父には届いているのだ。


 ねえ、お父さん、どうして彼の言葉が聞き取れるの?


「いや、俺だって半分以上は彼が何を言っているのか聞き取れてはいないけどな。うーん、何だろうな、上手く説明できないけど、心から分かり合いたいという強い気持ちさえあれば、相手が歯の一本しかないホームレスだろうが、言葉の違う外国人だろうが、動物だろうが、宇宙人だろうが、案外通じ合えるものさ。うん、俺はそう思う。一事が万事、つまりはそういうことさ」


 ラストオーダーまでしこたま呑んだ父のお会計を、僕がレジで済ませる。店長に申し訳ないと思いつつ、こっそり値段をまけてやった。


「俺にも夢がある。借金を全部返して、もう一度お母さんにプロポーズをするのだ」


 去り際にそう云い残すと、父はボブと肩を組んでのれんの向こうに消えた。


 店の扉を半開きで出て行ったので、それを閉めに行くと、ボブだけがふらりと店内に戻って来た。


 ホニャホニャホニャ。


 アルコールで真っ赤になったボブが何やら真面目な顔をして話しかけてくる。やっぱり上手く聞き取れない。


 明日故郷に帰るホームレスが、何かを伝えようとしている。


 彼の言葉が無性に聞きたくなった。


 あなたとお話がしたい、心からあなたと分かり合いたい。


 そう強く念じて耳を澄ませたら、聞こえた。


 聞こえたのだ。



 お店に入れくれて、ありがとうございました。


 優しくしてくれて、ありがとうございました。


 あなたは、お父さんにそっくりです。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[一言]  素敵な物語でした。  お父さんの生きかたに、憧れもします。  でも、だからこそ。  差別——とは言っても、偏見的なものではなく。  そのひとのつちかって、つみあげてきたもので、評価を…
[良い点] 作中のお父さんのようなどんな相手であろうと コミュニケーションを取れてしまい、溶け込んでしまう人には 変わった人だと思いつつも憧れも抱いてしまいますね。 自分にもこういう能力が欲しかった……
[一言] 似てないところもたくさんあるだろうに、そっくりですねと言われるのは、似てるところがたくさんあったからなのでしょう。 お父さんすごいと思うと同時に、私がこの場にいたらそそくさと店を出てしまう…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ