8話「わーるど えっせんす」
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「まあ、そこにかけるとええ。しばらくこの爺の話に付きあえ」
おじいさんはそう言って紅茶を注ぐと、私の前に置いた。
置かれても飲めるわけがないんだけど。
「飲めんのはわかっておる。気分じゃよ、気分」
それにしてもこのおじいさん、どこかで見たことがあるような……。
そうだ! 冒険者ギルドで面接を受けた時に座っていたおじいさんだ!
でも、あの時に比べて、髭も眉毛も量が少ない。おじいさんはおじいさんなんだけど、だいぶ若いんだ。
その事実にゾっとした。
この人、私がここで<過去視>を使うことを視て、“未来”に話しかけている。
「さよう。君に“過去”が見えるように、わしには“未来”が見える」
ぎしっと背もたれを軋ませておじいさんは深く座る。その顔はだいぶ疲れているように見えた。
「君に未来を告げようだとか、何か助言をしようというわけじゃあない。わしはこれまでこの技能のことを隠してきた。だからじゃ、これは爺のお遊びみたいなものじゃよ。君なら言いふらさんと思うしな」
この技能が周囲に及ぼす影響は知っている。
視るものは過去と未来という違いはあるが、引き起こす悲劇は似ているのだろう。
それを知っているだけに、アトに言いふらすといった選択肢はない。
「一度くらいは存分にこの技能を活かしてみたいと思っての。どうやら上手くいったようでわしは満足じゃ」
じゃあなんですか、私は巻き込まれただけということか。
なんという貧乏くじ。
「まあ、爺の遊びに付き合ってくれた迷惑料をやろう。そうじゃ……君の昇格祝いということにしてもよい」
おじいさんは楽しそうに微笑むと席を立つ。くすんだ緑のローブ、腰には細い剣を差していた。編み上げたブーツはがっしりしたもので、年季が入っている。
このおじいさん、この時はまだ現役だったのかもしれない。
おじいさんは本棚の方へと歩いて行くと、真ん中下あたりの本を押し込んだ。どうやらそれが鍵になっているらしく、本棚の隠し扉が開いた。
「また会おう。<過去視>の君よ」
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岸辺から船が離れるように、穏やかにアトは<過去視>から戻ってきた。
そっとくまのぬいぐるみから手を離す。
アトは何とも形容しがたい気持ちに満たされていた。
一体なんだったの、あのおじいさん。
「迷惑料に何かくれるって言ってたよね……」
見ればシアンは何かの本を熟読する姿勢になっていた。かなり集中して読んでいるみたいで、目の前で手を振っても気付かない。
しょうがないので背中を押して動かし、おじいさんが座っていた椅子に座らせる。
「それで……と」
アトは改めて本棚の前に立つ。おじいさんが触っていた本を見つけ、押し込んだ。キリキリと内部機構が動く音がして<過去視>で見たとおりに本棚が開く。
中から台座がスライドしてせり出してくる。その上に載っていたのは何かの液体が収められた小瓶だった。天使を象った細工が付いている一目で高級とわかる小瓶。中に入ってるのは高級な回復ポーションかもしれない。
「青色に発光する液体……。それは世界の雫だね」
「うわっ、シアン。いつの間に」
「あれだけ音がすれば気が付くさ。それにしても、君はすごいな。隠し部屋を開け、さらには隠された宝物まで見つける」
シアンが目を細めた。アトを値踏みするようにじっと見つめる。
居心地が悪くなって、アトは話題を逸らすことにした。
「ところで世界の雫って何?」
シアンは肩をすくめた。まだ何か言い足りないようだったが、この無理矢理な話題転換に乗ってくれることにしたらしい。アトを机まで呼び寄せるとアトの手から小瓶を取る。何を、と思う間もなく蓋を開け、中身を机の上にこぼした。
「なっ!?」
こぼしたはずの液体は、机に着かず空中に浮いている。大きな球体と小さな球体に分かれ、わずかに回転しながら浮遊している。
「君はスキルを知ってるね? 先ほど見せたボクの<機巧兵創造>もその一つだ」
「うん、私も<剣術>とか持ってる」
「時には物理法則を無視しして結果を補正する。つまり技能は世界に干渉する力があるのさ。その世界に干渉する力、それが雫と呼ばれるものだ」
「魔力……と同じもの?」
「いうなれば魔力は燃料のようなものかな。ランタンの油のようなものだ。雫はこの場合ランタンになる。いろんな道具が存在し、魔力を使って作用させることで様々な効果を得る、とボクは解釈している」
「じゃあ、この世界の雫っていうのは……?」
「その雫が具現化したものだよ。これを使えば新しく技能を得ることができるというわけだ。噂では聞いたことがあるが、まさかこの目で見ることになるとはね」
興味深そうにシアンは指先で液体をつつく。押されて少しだけ位置を変えるが、相変わらず回転を続けていた。
「そんなすごいものなら、二人で山分けする?」
「いや、いいさ。見つけたのは君だ。アト、君が使うといい」
シアンがキラキラと目を光らせている。これ、実験として私にやらせる気だよね。すごく楽しそう。
だけど、本当に技能が手に入るならこれからの冒険者生活で助けになる。
よし、シアンの気が変わらないうちに使おう。
使うってどうするんだろ。液体だし、飲むのかな?
アトは下から掬うようにして世界の雫を持ち上げた。回転する液体にそっと口づける。口に広がった味は、思ったより苦い。
うわ……!
体の外から、何かが流れ込んでくる。雨が体にあたるように、何かがぶつかっているのがわかる。
おどろくアトの脳裏に、選択肢が浮かび上がった。
<剣術Ⅱ>
<暗視>
<物体操作>
これは、どれかを選べってことかな。
すぐに効果が見えそうなのは<剣術Ⅱ>だよね。明らかに強くなりそう。
洞窟とかダンジョンとかは暗いところもあるから<暗視>もよさそう。
<物体操作>? これはよくわからない。操作できるってどういうこと? ボタンとか押すの?
アトはしばらく悩んで、<物体操作>を選んだ。
<剣術>も<暗視>も、道具で代用できるからだ。さがせばこの剣みたいに<剣術>付きの武器があるだろうし、目にぬることで暗闇を見通す軟膏があることを知っている。
心を決めた瞬間に、流れ星がぶつかってくるような衝撃と共に、体の中に何かが“入ってくる”のがわかった。おそらく身に付いたのだろう。
アトは新たな技能を修得した! なんてね。
「そんな風になるのか。面白いものだね」
一部始終を見ていたシアンがそんな風に感想をこぼした。傍から見ていても、何かの力が入り込んだのがわかったそうだ。
「さて、それでは<マルヴァの館>から出るとしようか。昇格が待っているからね」
「う……うん」
良いと言われたものの、すごいアイテムを一人で使ってしまったアトは少し気おくれしていた。しかし、シアンの鞄にこれでもかと詰め込まれた本を見て気を取り直した。
なあんだ。戦利品、あったのね。
さっさと歩き出したシアンを追いかけて、アトは<マルヴァの館>を脱出することにした。