87話「うぃんぐ おぶ えぼりゅーしょん」
着地の勢いに身を屈める。凶神の不意を突いた一閃。腕一本がどれほどの戦果かは分からないが、宝石剣が効くことは分かった。
切れ飛んだ腕から落ちた棍棒が地面に突き刺さる。
アトは狭い空間の中で、身をよじるようにして振り回す。できれば機動力を削ぐために脚を頂く。綺麗な真円を描いて青い剣閃が走る。
「――――ッ!?」
凶神はそれほど甘くなかった。
差し込まれた直剣が宝石剣の刃を止めていた。触れ合った瞬間、澄んだ音が響く。まるで芸術品の楽器の音色。
チリっと脳内に火花が散る。
凶神の筋肉が振動し、動きを作ろうとしていた。それより先にアトが宝石剣を振るう。二回弾かれ、三回目の剣戟は脇腹を浅く切り裂く。
「何だあの動き!」
「誰だあの娘は……!」
外野はポカンとした顔でアトと凶神のやり取りを眺めていた。あまりのことに呆気に取られて棒立ちになっている。それほどまでの攻防なのだ。
それゆえにアトは理解していた。宝石剣に引っ張られているからこそこの剣は成立している。アトの肉体的にも、精神的にも、長くはもたない。
言ってるそばから、凶神の短槍を捌ききれず圧し負けた。大きく後ろに吹き飛ばされる。
「ぐっ、う」
目が燃えそうだ。
凶神の動き。周囲の瓦礫。冒険者達の位置。アトは使えるもの全てを把握するために、頭をフル回転させていた。後ろに飛ばされていながらもそれらの位置を捉える。
アトは体を捻り、足から着地。地面を削りながらも勢いを殺す。
凶神は体勢が崩れたアトを追撃しようとした。そこをイドラが枝槍で牽制。踏み出しかけた足を止めさせる。
焼け付きかけた心臓をアトは何とか休ませる。
こうしている刻一刻と、自分という存在が変わっていくことをアトは感じていた。言うなれば色を染めていくように、体の内側から力が染み込んでいくのだ。今ならさっき程度の剣なら振れる。
――――
私は水面に立っていた。
湖には波紋一つ立たぬ。
いつからだろう。見えぬものが見え始めたのは。
力の流れ、動きの行く先。
それを追求するうちに、思った通りの動きができるようになってきた。水面に立つ、彼我の距離を瞬時に縮める。世界は自由だ。
――――
――――
「違う違う。そうじゃねェよ」
異国風の服を着た私が、タバコを片手にそうぼやいた。
目の前の弟子は分からずに首をかしげる。弟子の動きはぎこちない。これで国一番の剣使いと呼ばれていたんだからお笑いだ。
年老いた体ではあるが、関係はない。弟子が動けもしないほどの速さで腰の剣が振るわれる。
剣というには薄く、まさに斬ることを主眼とおいた拵えだ。
剣はたしかに弟子を真っ二つに断ち割った。だが、斬れたのは胸元にあったペンダントだけだ。
「“斬る”から“斬れる”ってモンだ。そりゃあ、神だろうが悪魔だろうが一緒サ」
――――
アトは、【接合点】を引きずり出した。
この場にはむせかえるほどの“雫”がある。倒れた者、いまだ戦意ある者、絶望して逃げる者。その誰もがどこかで誰かと繋がっている。過去を得たのはここでなくともよい。想いは時空を超えて飛ぶ。
“視る”のは一瞬だ。
アトの意識は羽ばたいていた。
身の内に取り込んだ技能で、アトは前に出た。
一瞬で彼我の距離を縮め、凶神の懐へ。
宝石剣の一閃が腕を断つ。首を狙ったが滑らされた。だが、断たれた腕から短槍が落ちる。連続して剣が振るわれた。無駄な力は込められていない。むしろ見る者にとってゆっくりと感じる剣。
羽毛が落ちるようなふわりとした軌跡で、凶神の体に深く刃が潜り込む。血管や神経ではない何かをすっと切り裂く。
ずぶりと、凶神の首に刃をねじ込んだ。
もはやアト自身にもどうやったか分からない。「斬った」から、「斬れた」のだ。
どん、と重い音を立てて凶神の頭部が落ちる。アトの中で空白が生まれ、残心の中、ふぅと息が漏れる。
『主!!』
イドラの鋭い警告。聞こえはしたが反応はできなかった。
アトの視界の端から何かが飛んでくる。凶神の足だ。そのままアトの体に突き刺さる。
まるで爆発だ。体中がバラバラになりそうな衝撃が全身を襲う。地面で体を抉る前にイドラがその身でアトを受け止めた。
「嘘でしょ……!」
否。当然と言えるかもしれない。
凶神が、頭を刎ねた程度で死ぬわけはないのだ。
頭部を失った凶神は、いまだ健在だった。
アトに斬られた部分からは血を流してはいるが、それが痛手になっているようには見えない。歪に残された腕二本。直剣と円鏡を構えていた。
「――――――!!!」
「いっ!?」
凶神が叫んだ。頭もなくどこで叫ぶのか分からないが。
呼びかけられた世界は応えた。ぼこぼこと地面から湧きだすように“なりそこない”が出て来る。
さらには、斬り落とした腕と頭がまるで粘土細工のように形を変え始めていたのだ。




