85話「みすふぉーちゅん いもーたる」
凶神アルゴウリスは静かに佇んでいた。
今はじめてこの世界に生まれ落ちたかのように、辺りを窺っているような気がする。
その体付きや武装を見るだけでも分かる。ものすごく強い。
だけど、さっきまでの汚染されるような怖さはなくなっていた。目の前にあるのは、強者である獣や災害を前にした時のような即物的な怖さだ。
アトはごくりと唾を飲む。手の届くところまで降りてきた気はするが、勝てる気がしない。思わずネフェルの裾をひっぱる。
「あれ、倒さなきゃだめかな?」
「無論だ。物理的に倒せるように押し込めただけで、あれが凶事をもたらす存在であることは変わらん。放っておけば周りの存在を滅ぼしにいくぞ」
凶神は大きく口を開けた。そのまましばらく息を吸う。呼吸という行動が必要なのかはわからないが。
大音声が響いた。耳が痛くなるほどの衝撃。咄嗟に耳の穴を手で塞いだが、痺れるような感触が残る。
だが、喝は入った。敵に入れられるのも不思議な話だが。
むろんあちらはそのつもりではないだろう。だが、その咆哮で生存本能が刺激されたのだ。
「くそッ……。わけが分からん。だけど、アイツを殺りゃあ全部収まるってことだな?」
「エンキ!」
“なりそこない”を片付けたエンキは息を整えながらアトの横に並んだ。一瞬ネフェルに訝し気な視線を向けたが、超然と立つ彼を敵ではないと判断したらしい。
殻の様な装飾の槍。従魔のアシュタ―を構え、エンキは攻撃体勢に入る。ぐっと腰を低く落とし、地を蹴ると疾走を開始する。
「おおおおおッらあああ!!」
叫んだ後は棒立ちになっていた凶神の腹部に、槍の先端が突き刺さった。否、穴は空いていない。ただぶつかっただけだ。あの筋肉に見える肌は、どれほどのモノが詰め込まれているのか。
だが、エンキは構わなかった。そのまま全力で槍を突き出し、吹き飛ばす。瓦礫にぶつかって粉塵を巻き上げる凶神。そのままエンキは連続で槍を叩きつける打撃攻撃に移った。
「おおおお!」
「いける! おれたちも参加するぞ!」
生きのこっていた冒険者達が息を吹き返した。手に持った剣で、戦斧で、弓矢で攻撃をしかける。味方に当たらないようにタイミングをずらし、即席の連携を取りながら攻撃を仕掛けていく。
アトも攻撃に参加しようと踏み出そうとしたが、そこでネフェルに肩を掴まれた。動きを止める。
「ネフェル?」
「少し待つがよい」
ネフェルが見ていたのは後方だ。攻撃を受け続けている凶神の方ではない。
その方向から、重い足音を響かせて駆けてくる集団が見えた。黒い鎧を着込んだ屈強な男を先頭に、完全武装の集団がやってきたのだ。
最後に控えていた近距離攻撃部隊。技能も含め、武を鍛えてきた者達だ。
すでに攻撃が始まっているのを見て、集団から何人かが速度を上げた。攻撃の輪に加わっていく。
その集団の中ほどに、部隊の指揮をしているギルド長がいた。その顔が衝撃に塗りつぶされるのを、アトは目撃した。ネフェルの前でそのまま足が止まる。
雷に打たれたとはこのことか、ギルド長はネフェルの前で即座に膝を着いた。
「おッ、王!?」
「構わぬ、石の民の末裔よ」
「いえ……。一目で分かりました。我ら石の民を導く王。その存在を」
ギルド長の声に、ふざけたところはなかった。
周りの冒険者たちの顔に、何が起こっているか分からないという疑問の色が混じる。
「もはやそなたは一個の存在。王になど縛られる必要はない。そなた自身が、率いるべき者がいるのだろう?」
「…………ハッ!」
ギルド長は立ち上がった。その顔には自負と歓喜に満ちた光であふれていた。ネフェルとの邂逅で、何かが弾けたらしい。これまで以上に威厳があり、聞き逃さずにはいられない声を張り上げた。
「行くぞ! 道をつけていただいた! ”あれ”を斃せばこの場を乗り切れると思うがよい!!」
「おおッ!!」
冒険者から怒号が返る。何かの技能かと思うくらいに、士気が高まった。そのままギルド長の指揮のもと展開していく。
一斉に矢が放たれ、凶神へと降り注ぐ。捕縛用の鎖が放たれ、凶神の手足を拘束する。
そこに流れるように剣の攻撃が入った。反対側からさらに槍での一撃が。
まるで武技の見本市だ。どれもが一級のモンスターをも打ち砕く攻撃。それが次々に繰り出されていく。
一方的な攻勢。ともすれば、あまりの勢いに凶神はなすすべもないように見える。
「いける、いけるぞ!」
「やれ! ここだッ!!」
冒険者達の声を聞きながら、アトは違和感を感じた。
すぐに違和感は牙を剥いた。
凶神が、鎖を握った。ぐん、と引くと冒険者の体が軽々と浮く。自由になった四本の腕が、刃を、矢を、打ち払い始める。
初めはぎこちなく、いくつもすり抜けるものがあった。
それが、次第になめらかに、ひとつも逃さぬ技量を得ていく。
成長しているのだ。
これまでの攻撃も、あの肉の鎧を通り抜けたものがひとつとして無い。
アトの背筋を悪寒が走る。
肩を軽く叩かれた。振り返ると、ネフェルが不敵に笑っている。
「さて、そろそろ出番だ。アトよ」




