82話「ぷりぱれーしょん ふぉあ ですてぃにー」
顔に冷たい感触を感じて、アトは目が覚めた。
冒険者ギルドの前に用意された天幕の一つ。仮眠や休息用の天幕だ。個人用のものを貸してもらえたのは、これまでの情報をもたらした業績のおかげだろうか。
なんだか、ぬるい闇の中に居ていた気がする。さっきまでの何かの夢を見ていた気がするが、もう思い出すことができなかった。知っている人が出ていたような気がする。
なんとなくの輪郭は覚えているのだが、思い出そうとする端からぼろぼろと崩れていく。古い紙のように。
そこでようやく、アトは自分のこめかみが濡れていることに気が付いた。横になったまま涙を流していたらしい。夢に関係あるのだろうか。
「アトさ……あっ」
入り口の布を押し上げて入ってきたアンセスが、アトの顔を見て硬直した。
そんなに大したことはないのに。ゆっくりと体を起こすと、何でもないとアンセスに手振りで示す。
「大丈夫。何かあったの?」
しばらく動きを止めていたアンセスは、ようやく再起動した。短く息をつくと、声を絞り出した。
「いえ、今のところ例のモンスターに動きはありません。時折体の向きを変える程度です。……アト様、何だか雰囲気が変わりましたね」
「そう?」
アト自身は何も変わったつもりはないのだが。
「それより。何かあったんじゃない?」
休息中のアトのところに乗り込んでくるのだ。何かあったと考えるのが妥当だろう。落ち着いた様子のアトを見て、アンセスは釈然としない表情のまま喋り出した。
「あ、ええ。あの特殊モンスターへの総攻撃が決定したんです。このまま都市が破壊されるのを見ているわけにもいきませんし」
「総攻撃……」
「あの巨体による攻撃力は脅威です。魔術による攻撃、技能による攻撃、そして武器による遠近距離からの攻撃を順次行う予定です」
アトは眉根を寄せた。波状攻撃の種類が偏っているのは“あれ”が攻撃に対する耐性を持っているかを確かめるためだろう。始めに<魔術>が来るのは、魔術師ギルドによりすでに攻撃が行われていることが要因と考えられる。確かめる程度の意味合いだ。生き残った魔術師で、“あれ”を打倒しうるほどの威力を持つ者がいるとは考えにくい。
そもそも、「威力」で“あれ”を倒せるのかという疑問すら生まれてくる。
「それで、アト様にも召集が掛かっています」
「私が?」
「ええ。<物体操作>による遠距離攻撃ができないかということで第二派の中に入ってほしいと」
なるほど、とアトは納得した。これまでの依頼をどうクリアしたかは記録されている。そのためにアトが選出されたのだろう。<過去視>で“あれ”を視ろと言われなくてよかった。
「ええと。まだ調子が戻っていないようでしたら、無理にとは……」
アトの無言をそう解釈したのだろう。アンセスが遠慮がちに言ってくる。アトは少しおかしくなった。
アンセスはこの総攻撃の成功をあまり信じていないように見える。アトを外そうとするのも、少しの私心が入っているのだ。
だけど、アトは“あれ”とは無関係ではないのだ。
「もちろん参加する。攻撃はいつ開始?」
「攻撃直後から長時間の戦闘も考えられます。全員が集合し、食事や装備等準備を整え、隊列を整えることを考えると……」
アンセスが告げた時間は、夕陽が落ちる少し前と言ったところだろうか。夜になるまでに決着を付ける気なのか。それとも、闇夜に乗じて攻撃する選択肢も考えているのだろうか。
一瞬だけアトはここではない地に意識を向けた。これは一つの賭けだ。
「エンキに会いに行ってくる」
アトは寝台の縁でブーツを履きながら、そうアンセスに告げた。
総攻撃を前にして、前線拠点は静かな熱気に包まれていた。うるさく叫ぶ人や騒ぐ人はいないが、物資を運んだり求めたり、武器を整備するための声がそこかしこで重なり合う。
その間を抜けるようにして、アトは進んでいた。先ほど配給所で少しの食べ物をもらったが、あまり食べる気になれず、少しだけにしておいた。
本部の天幕は特徴的で間違えようがない。誰も近付かず、一種の聖域と化しているそこにアトは躊躇なく踏み込んだ。
すでに総攻撃に向けて動き出しているからか、がらんとしている。情報伝達のためか、何人かが残されているくらいだ。その全員がちらりとアトを見てから、すぐにそれぞれの作業に戻っていく。
「エンキ」
彼はすぐに見つかった。似たような意匠の鎧を着た兵士と何事かしゃべっていたエンキは、少し待てとアトに手のひらを見せる。
「よし。頼んだ。……おう、オマエか。どうした、もう体は大丈夫なのか?」
「うん。ひとまずは問題ない、と思う」
「本当か?」
エンキの眼が細められる。アトのつまさきからてっぺんまで眺める。目立つ外傷はない。かばうような動きもないことから、エンキは息を一つ吐いた。
「んで、どうした。総攻撃の集合場所ならここじゃない」
「うん、分かってる。そっちには後で行く。エンキに聞きたいことがあって」
「何だよ」
「エンキは、この攻撃が効くと思う?」
ぎしりと本部の空気が凍り付いた。誰も目線は向けないが、タブーを踏み抜いた感じはする。エンキの目が燃えるように圧力を増したが、アトも負けなかった。
これは聞いておかなければならないことなのだ。
やがて折れたのはエンキだった。
「……あのモンスターな。情報が全く無い。それなりに情報を集めてた冒険者ギルド、魔術師ギルドは“犬”や“大ナメクジ”に襲撃されてて散逸。図書館は建物ごと吹き飛んでる。正直、分けがわからん。どうしていいのかさっぱりだ」
エンキはがりがりと頭を掻いた。重厚な鎧姿でも彼の本質は変わらないらしい。
「無理だと思ったら逃げろよ」
「エンキはどうするの?」
彼は答えなかった。野性味のある笑みを見せると、アトの髪をぐしゃぐしゃと乱す。言うべきは言ったと、エンキはそのまま天幕の外へと出ていってしまった。
アトはそれを見送るしかなかった。




