73話「――――」
長い――――。
長い、夢を見ていた気がする。
「アディリン! ねえ、起きてよ!」
ゆすられる感覚に気が付いたのは、ついさっきだった。今までぐっすりと寝入ってしまったのだろう。いきなり覚醒した頭は、ここがどこで、いつなのかを認識していなかった。
「はい、ええ? なんですの?」
寝ぼけ眼のままで、あたりを見渡す。こちらが起きたのに気付いたのか、ようやくゆさぶりはやめたらしい。
目の前には、ふわふわとした薄紫の髪を持つ少女が覗き込むように立っていた。スティラは村の鍛冶屋の一人娘。美人というわけではないが、愛嬌のある顔だちをしている。こんな私を友達と呼ぶ数少ない人間だ。
そこでようやく、私は周囲を見渡した。
ソリエントの村は、土壌が良く大麦小麦を問わず多くの作物が実る地帯だ。さらには、霊峰シュネンテルから吹く風が風車を回す。
風車村ソリエント。それがアディリンの故郷だった。
小さな丘がいくつも重なるように見える風景。そのそこかしこに大きな風車が立っている。風車は山よりの風を受け、ゆっくりゆっくりと回る。かすかに聞こえるのは田畑を耕す時に歌う農耕歌だろうか。この、ちょっと音程の外れたような曲が、実は、好きだったのだ。
「どうしたの。アディリン、変な顔して」
不思議そうな顔をして、スティラが聞いてきた。
そう言われてもアディリン自身もよくわからない。
どうして、今目の前にあるこの景色が“懐かしい”と思ったのだろう。毎日、見ているのに。
「ううん。ちょっと、寝ぼけてただけよ。気にしないで」
「ええ~? 夢でも見てたんじゃない。もう、こんなとこでサボって寝てるなんて、ずるいんだから」
「ごめんね。そうね。サボっているのが見つかったらお父様に怒られるわね」
――――
「気にしなくていいのよ。怒れるはずがないじゃない」
「……スティラ?」
「だって、みんな燃えてるんですもの」
アディリンは息を吞んだ。いつのまにか周囲の風景は一変している。
どうして気が付かなかったのか。
風車は半壊。完全に壊れているものは魔術による攻撃をもらったのか。村の家は燃えていた。蟻のように黒い影がうぞうぞと動いている。あれは、兵士。兵士の群れ。
いつのまにか昼夜すら反転していた。余闇に村を燃やす炎が、あかあかと辺りを照らす。
致命的なのは、麦畑が燃えていることだ。あれじゃあ、収穫が、できない。
へたりこみそうになったアディリンは、思わず友人にしがみつく。
「スティラ、村が……!」
「ええ。残念。もうちょっと、生きていたかったのに」
べちゃり、とアディリンの手に濡れた感触が。いつのまにか、真っ赤に染まった手。血でしかない。
見上げれば、スティラの胸に剣が突き刺さっていた。
アディリンの周りを黒々とした鎧を着込んだ兵士が囲んでいる。こいつらの胸にあるのはザッスリアの国章だ。兵士たちは剣をさげたまま、のっそりと近づいてきた。
――――
ああ、忘れていたわね。
これは、最初の記憶。
アディリンの原点だ。
スティラは死んだ。お父様も死んだ。
村は滅んだ。誰も彼も、もっと生きたかったはずなのだ。
だから、私は、あの人たちを抱えて生き続けなければならない。
――――
記憶の連続。時間の経過も、再現される場所も、バラバラである。
時にはアディリンの姿も変化していた。どうやら別の人間の上書きを行い、アディリンに転化させていたらしい。
アディリンは何度も悲劇を味わっていた。
<過去視>を持つが故に。死ねないという思いが故に。
それらの記憶が、まるでシアターのフィルムのように再生されている。
それを、アトは観客のように眺めていた。
何も無い空間だ。上も下も無い。奥行きがあるのかも分からない。
ただ、何本もの、何本もの、フィルムを見続ける。
――――
立ち尽くしたまま視るアトの背後から、人影が近寄ってくる。アディリンだった。
まるで困った子を見るように、そっとアトに近付いた。
『こんなところにいたのね?』
アトは、顔だけでアディリンを見る。感じる。彼女こそが、本物のアディリン。
『外に居る貴女は、貴女じゃないの?』
『どうなんでしょうね。アトちゃんに観測されたことで顕現した私の影のようなものかしら。“影写し”とでも呼ぶべきモンスターね。私の思考はそのまま持っていると考えていいもの』
『じゃあ、彼女は、何をねらってるの?』
『貴女が私を“視る”なんて考えてなかったから、おそらくこの街を全滅させるんじゃないかしら。殺すことで根こそぎ狩った“雫”の力で甦るつもりなのね。止めたいの?』
『うん。街の人達は困ってた。いっぱい、助けを求めてた。だから、助けないと』
『優しいのね?』
とはいえ、アディリンのやるべきことに変わりは無い。ここでアトに触れ、アト自身を吞み込むのだ。
アトという存在は上書きされ、アディリンが再誕する。
アトの精神を見つけるのに手間取ったが、こうして見つけた今、これまでの“ウシュタの翼”達と同じ道をたどってもらう。
むしろ慈しみの念をこめながら、アディリンは背後からアトに手を伸ばした。
そっと肩に触れる。
――――
その手が、ずぶりと沈み込む。
まるで粘土だった。いや、泥で出来た人形だった。
引っ張るが、抜けない。アディリンは戦慄を覚えた。
見込み違いをしていた。この娘は、優しいなんてものじゃない。
暗闇の中で再生されるフィルムが一つ増えた。
それを皮切りに、二つ、四つとさらに数を増していく。
そのどれもが、誰かの人生であり。
その全てが、誰かの言葉だった。
『貴女……! 一体何人をその身に取り込んだっていうの!?』
振り向いたアトの顔には、眼球がなかった。
ただ黒々と広がる闇が、アディリンを見つめていた。
『こんな……! まさか……ッ!!』
気が付けば、体の半分ほどが飲み込まれていた。
静寂が、満つる。
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