70話「びー いん あ ふぉぐ」
その言葉にアトは不思議な顔をした。アディリンは腕だけで生きているはず。まあ、腕だけの状態を生きているかと言われればそれも疑問だが。
その表情に気付いたのか気付いていないのか。マルヴァはかすれた声で語り始める。
「アディリンは死んでいるはずじゃった。それを、今の状態にしたのはワシなのじゃ……」
<アディリン魔術洞>。その名を冠する迷宮は人工ダンジョンだった。いまこの中央都市において、迷宮をつくることができるのはマルヴァだけだ。
その人工迷宮の最奥にアディリンの腕が安置されているとするなら、それはマルヴァがやったことなのだろう。いや、この言葉の響きは、安置というより“封印”か。
「アディリンという魔女の噂はワシが若い頃より存在しておった。その時すでに死んでおるとみなされたあやつの体の一部は、魔術の媒体となるという噂じゃな。それを持っておれば、魔術の技能が向上するといういわくつきの代物じゃ」
「それが、アディリンの腕?」
「ああ。長年探し続けて、ワシは見つけることができた。とある国の地下に厳重に仕舞われているそれをな。普通なら見つからんものだろうが、ワシの<未来視>を使えばさほど難しくなかった」
ふう、とマルヴァは息をつく。
その横顔を見ながら、アトは思う。魔術師ギルドの長ともなった人でも、これ以上の何かを求めるというのだろうか。それとも、求め、手に入れたから今の地位があるのか。
「それが、間違いじゃった。あの腕は地上に出て来る機会を狙っておったのよ。キミのような<過去視>を持つ者を待つためにな。驚いたわい。あれを地上に出したとたん、ワシの前途は保証されたが、代わりに化け物をも呼び込んでしまったんじゃからな」
マルヴァはめっきり老け込んだ顔で、両手を胸の上で組んだ。薄く目を閉じる。
「ワシは長年かけてあの腕を封印する方法を探した。この前話したように迷宮に封印することができたんじゃがなあ」
「それが今出てきている、と?」
「そうじゃ。あの統一性のないモンスターの数々。目の前の者が出会ったことのあるモンスターを読み取って生み出しておる。<アディリン魔術洞>と同じ仕組みなのじゃよ」
真剣な顔でシアンが黙り込んだ。こういう時は何かを考えている時だ。
その思考を妨げないように、アトは口を閉じる。しばらくして、シアンが口を開いた。
「今必要なのはあなたの懺悔ではなく、この事態をどうするかということだと思うのだ」
「ああ、その通りじゃな……」
ふっ、とマルヴァは苦笑する。このおじいさんは、誰かに聞いてほしかったのかもしれない。
「すでに敵……アディリンと仮定するが、そいつは魔術師ギルド、冒険者ギルド、治療院の三か所を襲っている。けれど、そのどこにはアディリン自身の姿はない。これは、どういうことなのかな?」
「あやつ自身が頑強というわけではない。魔術の才能はあれど、多数の魔術師、多数の冒険者に囲まれれば倒せるじゃろう」
「そうされないために、手駒を集めようとしている……」
シアンが難しい顔で腕を組んだ。
「ご老公。さきほど<未来視>と言ったな、次の襲撃箇所を視ることは可能かね?」
ふふ、とマルヴァは苦々しい笑みを浮かべた。まるで砂を噛むような表情。
「ワシが視た時には、あやつめは中央都市の貧民街を襲っておった。そこから、次は魔術師ギルドを襲うと聞いたのじゃが、実際はそれを隠れ蓑にしての冒険者ギルド襲撃よ。<未来視>は未来を視る。じゃが、視えるのは情景だけなのじゃ」
マルヴァに視えるのは、未来の情景と声。
その性質は<過去視>と同じく、そこに存在する“世界の雫”が多いほど視やすくなる。
アトはマルヴァが語ったことに戦慄を覚えた。
貧民街は“雫”を濃厚にするためだけに襲われた。<未来視>で視るだろう場所を誘導し、そこで誤った情報を与えたのだ。
振り回されている。
次の行動が読めない。
相手の戦力は? ねらいは?
沈黙が落ちた。気付けばマルヴァは完全に目を閉じ、眠っているようだった。あれだけ喋ったのだ、疲れてしまったのだろう。そもそも見た通り老齢なのだ。そこにこの状況。この衰弱具合なら、あと何日もつかわからない。
未来視は頼れない。
「シアン」
アトは相棒に呼びかけた。
無茶なことをしようとしてる。分かっている。
シアンがいなければ思いつきもしなかったことだ。
シアンは訝し気な表情でアトを見た。
「私とシアンなら、<アディリン魔術洞>の最奥までたどりつけると思う?」
「おそらく可能だろうね。モンスターに変じるだろうあの光の球がやっかいだが、あのもふもふ君もいる。さほど苦労はしないとボクは思う」
しゃべるうちに、シアンはアトが何をしたいかが分かったらしい。
かわいい顔が険しくなっていく。
「君は馬鹿か! まさか、アディリンの腕を“読もう”と言うのかい!?」
「うん。腕を<過去視>で視て、思考をトレースする。それしかないと思う」
アトはきっぱりと言い切った。その瞳に強い光を宿して。




