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65話「あろーん いん ざ だーく」

 夜の帳が落ちた。

 中央都市(セントレア)ほどの大都市ともなれば、夜の闇を払いのける街灯に火が灯る。市民街では油による街灯が。貴族街や高級市民街では<魔術>による灯りが灯されることとなる。

 闇というのはまるで液体のようなもの。灯りのない闇に包まれれば、溺れていくしかない。


 街灯の灯りすらつかない貧民街。

 特に素性に暗いところのある者たちが多く住まう地域。その闇の中にほっそりとした人影が立っていた。

 その人影は、女性の姿をしておりその造形は美しい。だが、鋭い者が見れば、その美しさは食虫植物にもにた雰囲気を感じただろう。

 普段から静かな場所ではあるが、今日は静けさの質が違っていた。

 住民が生活する音が、何一つ聞こえないのだ。


 その路地にただ一人立つ女性――――アディリンは足下に流れてきた液体が靴に触れたことに気付き、嫌そうな顔をした。不満げに肩にかかる黒い長髪をかき上げた。

 濃い金属の匂い。鉄さびじみたその液体は、明るいところであれば赤い色をしているのが分かっただろう。


「やっぱり、このへんのワルじゃあ大したことはないわねえ」


 アディリンはぼそりと呟いた。暗闇の中で、赤く瞳が光ッたように見えた。


 <アディリン魔術洞(ケイヴ)>から出た彼女は、魔導士二人を惨殺。その後はひっそりと夜の闇に紛れたのだ。

 彼女自身の持つ“闇色の液体”は<アディリン魔術洞(ケイヴ)>のシステムと原理を同じとする。彼女の<過去視(パスト・ヴィジョン)>を封じる代わりに、液体に触れた者が過去に接触した、最も凶悪なモンスターに姿を変じるのだ。


 ずるずると音を立てて、アディリンのもとに“大なめくじ”の集団が戻ってきた。夜盗の隠れ家に侵入させていた個体だ。そこに住んでいた一味はもはやただの肉塊となり果てているだろう。

 その結果に満足しながら、アディリンは歩き始めた。


 アディリンは魔術師だ。そして、マルヴァのことはよく知っている。

 使えるカードが少ない状態で暴れても、<未来視>で先読みして狙い撃ちされてしまう。魔術師の集団戦術ほど恐ろしい物はない。圧倒的火力で消滅まで持っていかれてしまう。


 だが、あの<未来視>も無尽蔵に使えるわけではない。

 アディリンは、にやりと口もとを歪ませた。


 <過去視>は過去を視る。それは世界に残された“世界の雫(ワールドエッセンス)”を取り入れることで為される。

 <未来視>はその逆だ。自らの“雫”を放出することで、世界の未来予想像に接続する。使えば使うほど、“ヒト”としての機能が失われていく。

 マルヴァもあの年齢だ。これ以上<未来視>を使えばただのボケた老人になってしまうだろう。


「でも、がっかりだわ。もう少し迷宮(ダンジョン)に潜ったことのある人がいると思ったのだけれど……。やっぱり、あそこに行くしかないのかしら?」


 血なまぐさい匂いをまとわりつかせた“犬”がアディリンの足元へ寄ってきた。こちらも順調に仕事をこなしたらしい。彼女は笑顔で“犬”を撫でてやると、その頭を両側から挟み込むようにして持った。


「私は次の場所に行くわ。そうね。朝になったら魔術師ギルドに仕掛けなさい。数匹ずつ、少しずつね。わかった?」


 “犬”は返事をしなかったが、アディリンの手を離れて駆け出した。その後ろ姿を見送るアディリンの姿は、やがて闇に紛れて見えなくなっていった。





 びくり、と身を震わせてアンセスは跳び起きた。


「ハッ……!? あ……朝か……」


 アンセスは自分がどこにいるか一瞬分からなくなったが、すぐに冒険者ギルドの資料室に居ることを思いだした。

 いきなり起きた時の心臓の動悸をおさえながら、ゆっくり息を吐く。

 見上げれば窓から朝日が差し込み、室内を明るくしていた。机の端を見れば、用意していた灯り用の油皿は空になっている。


 資料室はモンスターや迷宮(ダンジョン)の情報などを紙や本、羊皮紙にまとめたものを集めておく部屋だ。そう言われると図書室のように思うかもしれないが、実際は物置のようなものだ。有名な迷宮(ダンジョン)や金銭的に儲かる迷宮(ダンジョン)などの情報はしっかりとまとめられて書棚にあるが、そうでない場所については、誰も手をつけていないから整理されていないのである。

 知っている人は独自に情報を保存している。ものすごく有力で有用な情報はこんな資料室にないのだ。

 フリーに見られる、とは言いようで、実際はどうでもいいが情報だし置いておくかといったところなのだ。


 だが、それでもアンセスは足を運んでいた。

 アトとシアン。自分を専属にしてくれた二人に少しでも報いるためである。

 二人の技能(スキル)や戦術で攻略しやすい迷宮(ダンジョン)を探す。さらには、彼女たちの疑問に対応できるようにモンスターの知識を得ておく。

 泥臭いが、アンセスはそういう努力を惜しむ人間ではなかった。


「もったいないことをしたなぁ……」


 アンセスは痛む肩をぐきぐきまわしながら呟いた。変な体勢で寝たせいか、ほっぺたにも跡が付いている気がする。

 油皿は言うほど高くはないが、夜に点けていたのに、その灯りをみすみす無駄にしたのだ。

 徹夜明けの体調は空腹を訴えていなかったが、とりあえず朝ごはんにしよう。


 あくびを噛み殺しつつ、アンセスは廊下に出る。その途端、誰かにぶつかりそうになった。ぎりぎり避けられたが、ともすればぶつかっているところだ。文句を言おうとして、相手の顔が引きつっていることに気付いてそれどこれではなくなった。


「何かあったんですか?」


「あんた……、知らないのか!? 今、大変なことが!!」


 男はちらりとアンセスの制服についたバッジを見た。冒険者専属受付員ということが分かったとたん、アンセスの両肩をがっしりと掴む。


「あんた! 専属なのか! いま担当の冒険者はいるか!?」


「いや、今は中央都市(セントレア)の外へ……」


「くそッ!!」


 男は乱暴にアンセスを離すと、また駆け出そうとする。あわててアンセスはその腕を捕まえた。何も聞かないままでは何が起きているのか分からない。よく耳をすませば、そこかしこで焦ったような動きをしているのが分かる。


「だから、何が!?」


「今日の朝早くに魔術師ギルドに襲撃があった! 詳細な情報は分からないが、大量のモンスターがどんどん来てるらしい。こっちに連絡があったのは今だ。とりあえず動ける冒険者を送り出しているんだが――――」


 がしゃああんという、ガラスの割れる音が聞こえた。

 アンセスと男は思わず黙り込んだ。


 嫌な静寂。ついでさらなる破砕音と悲鳴が聞こえてきた。金属がぶつかり合う音、何かが爆発するような音。空気が変わった。

 戦場の、空気だ。


「な、なにが……?」


 アンセスの疑問に、誰も答えを持っていなかった。

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