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64話「ばっく ごー ほーむ」

 アトは後悔していた。

 後悔という言葉で足りないくらいの、後ろめたい気持ちだ。


 気持ちが沈む。体が重くなる。

 一体何をしようとして、“ギノスッス”を視ようと思ったのか。その結果、何が起きたというのか。


 “ギノスッス”が倒れてから、シアンに襲い掛かるまでの記憶はもちろん残っていた。あの瞬間も、“アト”であったことは間違いないのだから。


「シアン……ごめんなさい……。謝って許してもらえることじゃないかもしれないけれ――――」


「許そうじゃないか!」


 びしっ、とシアンのチョップがアトの頭に叩き込まれた。


 ぐわんと視界がのけぞり、じんじんと額が痛む。戦闘でのダメージとは違う痛みだ。思わず涙がにじんだ。

 見上げれば、シアンは呆れたような表情をしていた。


「ボクは構わないと言っているんだ。ちょっと錯乱することくらい誰にでもあるものさ。もっとも、今でもボクを殺したいと思っているのなら、それも受け入れて相手してあげよう。やるのかい?」


 ふふんとシアンが笑った。腕を組んで、美しい顔にはいつもの不敵な笑み。

 アトはぶんぶんと首を左右に振った。

 もうそんな気分は一切ない。あの憑りつかれたような狂気は、シアンの一撃によって剥がれていた。


「それでいいんだよ。状況を打開しようとして、アトは全力を尽くした。そのフォローをしたまでさ」


「……うん」


「ただ、君の技能(スキル)のデメリットについては検討の必要があるかもしれないけどね。まあ、君は分かっているようだけれどね」


 アトは唇を引き結んだ。

 <過去視(パスト・ヴィジョン)>で人の過去を視ることは、リスクがあることなのだ。

 アトは知っている。幼いころから嫌と言うほど味わってきたのだから。

 だから、視たくない。


『主……。もうよろしいのか?』


「あ、イドラもごめんね。何か、ちょっと分けわかんなくなっちゃって」


 いつのまにか近付いてきたイドラの毛並みを撫でる。イドラは構わない、というふうに鼻先を押し付けてきた。すがすがしい森の香りが飛び込んでくる。


 腕を組んでいたシアンが、不意に顔をゆがめた。


「いたたたた」


「うわッ、そうだ! シアンの腕……! お、応急処置をしなきゃ!」


 白衣の袖でよくわからなかったのだが、シアンの腕が腫れてきているようだった。それもそうだ、べっきりと骨が折れているのだから。今までやせ我慢していたのか。

 エンキが手持ちの袋から応急処置に仕えそうな包帯や薬草を取り出す。


「っと、今はこんなものしかねえ。その辺の拷問道具でも芯にすりゃ固定できるだろ。治癒は戻ってから治療院だな」


「あ、ちょっと見せてください。……腕が取れたりしていないのなら。いいですか?」


 何かを思いついた様子でアーネスが近寄ってくると、シアンの腕の様子を確かめた。自信たっぷりの顔で、頷く。

 折れた腕をそっと支えながら、アーネスはポーチからポーション瓶を取り出した。蓋をあけると掲げる。


「癒しの力を魔術に……“炎よ”」


 シアンの左腕が燃え上がった。魔術なのだから当たり前だ。緑色をした炎は、瞬く間にシアンの左腕、肩口のとこまで広がった。

 アトの顔が青くなる。あわててアーネスに詰め寄った。


「ちょっ!? アーネス!?」


「待つんだアト。この炎、熱くない。むしろ……」


 じゅうっと炎を押しつぶして消す音がしたかと思うと、緑色の炎は消えていた。見れば、シアンの服には焦げ目ひとつない。

 さらには驚いたことに、シアンのへし折れたはずの腕が元通りになっていた。痛みもないらしく、ぶんぶんと動かしながらシアンが調子を確かめている。

 エンキがへえ、といった顔をアーネスに向けた。


「ほお。回復ポーションの効果を持った魔術……というわけか。珍しいな」


「ええ。触媒として回復ポーションそのものを消費しますけどね。市販のものより薬効成分を突き詰めて作っているので、骨折くらいならこの通り」


「それで、あの研究室みたいなやつを……」


 アトは合点がいった。

 魔術師でありながら、薬師のような研究室を隠れて持つ。あそこではアーネスが回復ポーションを独自に作っているのだ。自分の魔術に使うための回復ポーションを。


「時折冒険者のチームに混ぜてもらって、回復魔術の実績も積んでいますので、データはそろっています。回数に限りがあるので、多用はできませんけどね」


 自慢そうに言うアーネスの肩を、エンキが軽く叩いた。


「オマエさん、どおりで迷宮(ダンジョン)慣れしているわけだ。やるじゃないか」


「いえ、そんなこと……!」


 エンキの素直な褒め言葉に、アーネスは顔を赤くする。思いっきり自慢していたくせに、照れているらしい。


「まあ、今回はこの辺で引き上げた方がよさそうだな」


「え。“鎧馬(アーマホース)”はいいの?」


「今のがボスモンスターなら、一度入り直さないと出ないだろうし。オマエらも消耗しすぎだ。一度中央都市(セントレア)に戻って体勢を整えるべきだろうよ」


 確かにその通りだった。シアンの左腕は治ったが、その他細かな傷や疲労は回復したわけではない。

 アト自身もシアンの拳が命中したあたりが痛む。息をすうとにじむように痛み、立ち上がって歩くくらいはできそうだが、走ったり戦闘したりはかなり難しい。

 エンキはまだ元気そうだが、アーネスもかなり疲労していた。


 エンキは立ち上がると周囲を見渡した。何かを探しているようだ。


「ボスを倒したんなら、報酬があってもいいと思うんだが……。この部屋にないとすると、奥か」


 視線の先は“ギノスッス”が出てきた扉だった。エンキはそのまま奥の部屋に向かうと、しばらくして戻ってきた。手には大きなペンチのような武器なのか工具なのかよくわからないものが握られている。

 エンキは動きを確かめるために何度か動かしていたが、やがて興味をなくしたような顔になるとアトに話しかけた。


「おそらく指を折るための拷問道具だと思うんだが、要るか?」


「ほしくない」


「だよなぁ。うーん、ま、こういうこともあるか」


 エンキは袋に無造作に突っ込むと、アトに手を貸して立ち上がらせた。


「そんじゃ、引き上げだ。悪いが、主街道に出て、通りかかりの馬車に拾ってもらうまで徒歩だからな」


「えええええ!?」


「いやなに、ここで“鎧馬”を確保する予定だったからなぁ」


 みんなの顔に皺がよった。もちろん、エンキへの不満の声が上がったのは言うまでもない。

 主街道に辿り着き、ようやく馬車に拾ってもらった頃には、全員が疲れ果てていた。

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