63話「りたーん ゆあ そうる」
状況は思ったよりまずい。シアンはそう認めた。
アト自身の戦闘能力は超一流というわけではない。剣術はまだ粗削りだし、防御力といった面でもまだまだ弱い。
だが、アトの持つ技能は凶悪だ。
<物体操作>。シアンの想像が正しければ、大きな物を持ち上げたり、投げつけたりするだけの技能ではない。おそらく、直接人体に影響を及ぼすことができるはずだ。それをしないのは、アト自身の精神にリミッターがかかっているからだろう。誰しも人間の体を破壊したりすることに慣れているわけではない。命を奪うとなればなおさらだ。
だが、今のアトはその限りではない。
<過去視>。
過去を視るためには、そこに残された“世界の雫”を体内に摂取することになる。技能を覚える、肉体が強化される、そんなものは表面的なものだ。恐ろしいのは、過去を視た人格を取り込むことだ。その怖さをアトは知っていた。シアンはそう感じていた。
「だって、ボクの過去を視ようとはしなかったのだから」
あれだけ一緒に依頼をこなした仲だ。お互いのちょっとした過去や、技能について話したりすることはいくらでもあった。だが、その中でアトは一度もシアン自身に<過去視>を使うことはなかったのだ。
一緒に過ごす相手となれば、その背景や過去はとても気になっただろうに。
そうしなかったのは、人格が混ざってしまうことを知っていたから。知らないとしても、うすうす感づいていたからだろう。
睨み合っているシアンとアトを見て、アーネスが少し距離を空けながら近付いてきた。雰囲気くらいは感じているのだろう。そちらに顔すら向けず、シアンは問いかける。
「学生くん、今のアトをどう思う?」
「あきらかおかしいね。何か精神錯乱系の魔術でも掛けられた?」
「あの“老人”は倒したんだけどね……」
残った黒い煙を割くようにして、エンキが姿を現した。やはりあの“老婆”は相手にならなかったのだろう。目だった傷はない。あたりを見渡して、“老人”がいないことに驚いたようだった。倒せるとは思っていなかったらしい。
そのまま、変に睨み合っているシアンとアトを見た。眉を顰める。
「何があった」
エンキは手短に問いただす。シアンにはもう答える余裕はなかった。
今まで動きを止めていたアトは、ぼんやりとした瞳をしていた。その目が焦点を結ぶ。にたりと笑った。
直剣をひきずるようにアトが走り出す。がりがりがりがりと床を削る不快な音が響く。
一息に跳び込んでくると、アトは剣を振り回す。剣の理などなにもない、鉄のかたまりを叩きつける一撃。シアンはかろうじて避けた。
「<剣術Ⅰ>が効いていない……。なら、まだ大丈夫かもしれない……」
「おい! 何がどうなったんてんだ!? どうしてこの嬢ちゃんが襲ってくる!」
がつんと重い打撃音。シアンを狙った一撃を、エンキが自分の剣で防いでいた。アトはどこに隠されていたか分からない力で、ぎりぎり押し込んでくる。
「おおかたあのモンスターの過去を視て、人格が上に張り付いてるのだろうさ。野蛮人、ボクと代われ!」
「いや、オレが抑え込んだ方が早いんじゃ」
「馬鹿! 野蛮人は後ろだ!!」
エンキがはっとした顔になった。あわててアトを突き飛ばすと、シアンと位置をスイッチする。
壁際の獣が動きだしていた。主ではない意思にあらがっているのか、動きはにぶい。だが、強制されるようにシアンたちを襲おうとしているのだ。これを御せるのはエンキしかいない。
「くそっ! またコイツとかよ!!」
エンキの泣きごとが聞こえるが、知ったことではない。
「学生! 君は野蛮人を手伝いたまえ! 一人では手にあまる!」
「わ、わかった!!」
だいぶ肝が座ったではないか。やけくそ気味に叫ぶアーネスを視界の端に収め、シアンは微笑んだ。
シアンは拳を握った。突き飛ばされたアトが、のろのろと立ち上がる。体は若いのに、いまだ気持ちは老人をひきずるか。シアンはその様子に不快感を隠しえない。
それは限界を超えることではない。もうしがみつくな。楽にしてやる。
「多少手荒になると思うが、目を覚ましてもらうとしよう」
シアンは、ここまで準備をしていた魔力を解放した。設計図を世界に投射する。
「<機巧兵創造>。来い、――――零号」
アトが振り回す直剣は、浮き上がった工具類に阻まれた。破片や工具はシアンの近くをぐるぐると回る。形を変え、細かに結合しながら、その全体像を浮かび上がらせる。
それは、鎧だった。
シアンの手を覆う手甲。
急所を守るために展開された装甲。
高速で移動するための駆動機を備えた足甲。
零号。
それはシアン自身の戦闘能力の強化を目的とした『機巧兵製強化外装甲』だ。
シアンの姿がぶれたように見えた。機巧兵の推力を利用した加速だ。アトの視線が追う間もなく、その背後に迫る。
折るつもりで、直剣を持つ手首を手刀で打った。痺れるような手応えがして、アトが直剣を取り落とす。
そのまま加減しつつ拳撃を数度繰り出す。どれもがアトにクリーンヒット。その体がのけぞった。
違和感を感じたのは、左腕だった。
アトの瞳に力が籠もる。
強化装甲に包まれた左腕ごと、へし折られた。
「ぐ、ううううううッ」
シアンは苦鳴を噛み殺した。
触れられてはいない。
<物体操作>だ。アトめ、やってくれる。まだ目が覚めないのか。
「この、大馬鹿がッ!!」
シアンは痛む腕を無視して、腰を捻る。拳を振り抜いた。ずどっと重い感触に、アトの体がくの字に折れる。アトの細長い体が吹き飛んだ。
今のは相当なダメージだったらしい。当然だ。アトが床に這いつくばるようにしながら、まだ立ち上がろうとしていた。
シアンは大きく息を吸う。
「君の名前は! アト! ボクの声が聞こえないのか!? いい加減戻ってきたまえッ!!」
シアンは一喝した。
びくんっ。
アトの体が電撃でも浴びたように跳ねる。
「私は……私は……」
「君はアトだ。いつも一線引いて、何を考えているか分からないように見えるけれど、面倒くさいことに首を突っ込みたがる女の子だよ、アト」
何かが、抜けた。
目では見えない圧のようなものが、抜けていった。
「シアン……体中が痛いんだけど……」
「ボクがやった。後悔はしてないよ。ボクも腕がいたいんだから、あいこじゃないかな?」
ばらばらとシアンが体に纏っていた装甲がはがれていく。集中が途切れた今、全身が疲労していることを感じていた。
アトはべしゃり、とつぶれていた。うぐうぐ呻く姿からは、さきほどの狂気は感じられない。
アトが、戻ってきたのだ。
「まったく。これもまた、限界を超えたということなのだろうね」
シアンは一人で呟くと、その場に座り込んだ。
イドラと戦う必要のなくなったエンキとアーネスが、こちらに駆け寄ってきていた。




