62話「あ ちぇんじ いん くぉりてぃ」
(アト、だめだ……。それはいけない)
シアンは朦朧とする意識の中で、そう感じた。シアンの感覚は鋭い。実際の視覚以上の知覚を以て周囲を理解しているからだ。
アトの体が締め上げられているのはわかっている。だが、壁に叩きつけられた体が言うことを聞いてくれるまでもう少し時間が必要だった。背中と腕が痛む。咄嗟に腕でガードしたが、そんなものを貫通する膂力。老人とは思えない。
(壱号は……だめだな。使い物にならない)
“老人”の攻撃を執拗に受けた壱号はすでに半壊状態だ。動かしてもパフォーマンスも弱いのでゴーレム化を解除しておく。ガシャリと材料が転がった。魔力の残存量は十分。もう一度壱号を造ることも可能だ。
(だが……)
首を絞められるアトの体が震えた。窒息したことによるショック症状ではない。今までとは違う動き。アトが接触部分から過去を視ているのだ。
これまでアトは、過去を視た後は人が違ったようにアクティブになる。それがどういうことなのか、シアンはある程度予想をつけていた。
シアンは何とか身を起こす。
(ボクの予想通りなら、準備だけはしておかないと……)
黒煙が、徐々に薄れ始めていた。
アトには分かっていた。
この<過去視>はいつもと違う。
深い。そう、深いのだ。できるだけ必要最低限で、重くない過去を視る。アトはそうしてきた。そうでなければ壊れてしまう。
だけど今、自分自身<過去視>を制御できていないことが分かっていた。しかし、分かってもどうしようもない。
アトは、<過去>に溺れていた。
――――
始めは偶然だった。
逃げ出した奴隷が助けを求めて牧場にやってきたのだ。
儂は助けた。婆さんと二人で、大丈夫だと声を掛け。温かい食べ物をふるまった。
そこには優しさ以外の何もなかった。そのはずなのだ。
マショネイト王国との戦争で息子を失ってから少しばかり現実が見えなくなりつつあった婆さんが元気になった。そのことも嬉しかったのだ。どうやら逃亡奴隷の彼が、亡くなった息子の幼い頃に見えていたらしい。
状況がおかしくなったのは、逃亡奴隷がここから出たいと言った時だった。
婆さんは恐怖した。息子を手放したくない一心で。
使っていなかった地下室に閉じ込め、逃げ出さないように様々な“しつけ”をしたのだ。
儂は見ないふりをした。
彼を失えば、今度こそ婆さんは壊れてしまうと思ったのだ。
だが、その考えは間違っていた。
「おじいさん。あの子がいなくなってしまったんです。どこに行ってしまったんでしょう?」
間違っていた。
地下室に、彼は居た。もう息をせず、動きもしない彼のことを、婆さんはヒトと捉えられなくなっていた。モノなのだ。何か、邪魔な置物。
その死体を家を掃除するように、少し困った顔で片付ける姿を見て、もう、手遅れなのだと儂は感じた。
――――
圧縮された時間。
血を煮詰めたような、濃密な記憶。
惨劇だった。
感傷なのか、愛情なのか。それとも、憎かったのか。
子どもたちを連れ込んで老婆に与えたのは老人だ。子どもたちを壊すまでの一時の間だけ、老婆は元に戻るのだ。老婆の手を血にまみれさせ続けたのは、“老人”なのだ。
だめ。
これ以上、視ちゃ、だめ。
―――――
凄まじい衝撃が私の腰を襲った。
まるで焼いたフライパンをねじこまれているような熱さ。
見れば、包丁が突き立っている。背後からの一撃。まったく警戒していなかったのは、ここには愛すべき妻しかいなかったからだ。
なれば、刺したのは妻でしかない。
まずいところに刺さったのか、ごぼりと口から血があふれる。
「どうしてだ……! エミリィ……!」
ずる、と包丁が抜けた。妻の表情は固い。
「せっかくお前のために、あの子を用意したというのに……。気に入らなかったというのか……!?」
「やっぱり町の子どもたちを攫っていたのは、あなたなのね」
「領主にばれぬよう、賄賂を贈り、誰も近付けぬよう罠まで撒いたというのに」
「ええ。領主様の軍勢は罠にかかり、盛大な被害が出ているそうです。だから、私達はもう終わり」
領主に逆らったのだ。罠も無尽蔵にあるわけじゃない。捕縛された後で待つのは縛り首くらいなものだろう。
「だったら、私の手で……!」
かっ、と頭に血が上る。今まで、誰のためにやってきたと思うのだ。
それもこれも、お前のためじゃないか。
エミリィの目から涙が流れ、決意をみなぎらせた視線をぶつけてくる。
テーブルをひっくり返し、妻がひるんだ隙に突き飛ばす。
儂は身をひるがえした。テーブルの下、儂しか持ってない鍵で、地下室の扉を開ける。すぐさま階段を降りて奥の部屋へ。そこには拷問用の道具がいくつもある。大き目のノコギリを掴んで。
足が掴まれた。ひどく痛めつけられた小さな手がズボンを掴んでいる。この前連れてきた奴か。それを蹴っ飛ばすと、儂は笑みを浮かべた。これがあれば怖れることはない。
もう一度、足を掴まれた。
しつこい。死にぞこないのはずだ。
だが、さっきとは何かが違う。手が大きいのだ。見れば、真っ黒な、闇を固めたような、手が。
――――
「――――――――――ひゅッ!?」
感覚が無かった。
掴まれている首も、拳も。温かさも感じない。
それが、一斉に戻ってきた。
感覚がもみくちゃにされるのは、ものすごく気持ちが悪い。脳味噌がシェイクされるような塩梅に、吐き気がせり上がってくる。
アトは首を絞めてくる“ギノスッス”を見て、不思議に思った。
どうして、自分で自分の首をしめているんだろう。このままでは、死んでしまう。
死ぬのは困るので、アトは壁際にかけられた道具の内、残っているものを<物体操作>で持ち上げた。この部屋の構造は、よく知っている。
アトが操るアイスピックは的確に“ギノスッス”の指を貫いた。それも、横から三本。首を掴む力が緩む。アトは拘束から抜け出すと足下の直剣を拾う。
“ギノスッス”が動いた。腕を振り上げ叩きつけるようにして振り下ろす。
そうするだろうことは、アトには分かっていた。アトもそうするからだ。
アトには“ギノスッス”が何をしたいのかが見えていた。いつのまにか落としていたノコギリを拾おうとするだろうから、<物体操作>で遠くへ。
意識が薄くなっている方向から、ノコギリを突っ込ませて刺しこむ。
のけぞろうとするから、顔に直剣を突き刺す。
「うん。まだ死なないだろうし、腕も刺しておこうね」
確認するように、腕の腱を断っていく。何度も繰り返した作業だ。動けないように。抵抗する気力を奪うように。足の腱を斬ったあたりで、“ギノスッス”は完全に倒れ伏した。どう逃げようとするのか、どう避けようとするのか、アトには分かるのだ。躱せるものではない。
最後に、妻に刺された箇所を、思いっきり突き刺した。
断末魔の悲鳴はない。黒い霧となって、消えていく。
「アト……」
名前を呼ばれて、アトは顔を上げた。
透き通るような美貌。これほどの素晴らしい素体はついぞ見たことがない。
思わずアトは笑みを浮かべた。子どものようでいて、大人のような。このくらいの年代が、アトは好きだった。
あの子たちと同じように、シアンは緊張した固い顔をしていた。
「シアン。どうしたんだい。何も怖がることはないよ?」
アトは直剣をくるりと振り回すと、シアンに突き付けた。
彼女が芋虫のように転がる様が、見たいのだ。




