5話「ばでぃ ふぁいと」
昼過ぎから降り出した雨は、小雨のまま降り続いていた。
中央都市の公園の四阿に設置されたベンチで、アトは俯いていた。
雨のせいか人通りも絶え、ただ降りしきる雨の音だけが響く。
冒険者ギルドの一件からずっと、アトはここで考えこんでいた。
思い返せば<マルヴァの館>の木箱ミミックも、ポットリーフも、初めて見る人にはかなりつらい相手だ。
自分の手をじっと見る。
アトは<過去視>のおかげでなんなくこなしてきたが。普通はそうはいかないだろう。昇格なんてもっと難しい。
なれるかもしれない。
できるかもしれない。
そう思いながら、辛いクエストをこなしていった見習い冒険者達は、これまでどれほどいたのだろう。
希望を持たせるのが、一番タチが悪い。
アトの瞳に光が戻る。ふつふつと煮えた油のような熱が頭に籠もってきた。
このまま諦めてしまっていいの?
良いわけがない。
体中をめぐる熱を感じながら、アトは立ち上がった。
「ドラゴンを、倒すわ」
怖さがないといえば嘘になる。だが、心は決まった。
アトは小雨の中を、わき目もふらずに駆け出した。
<マルヴァの館>は相変わらずそこに存在していた。二度目ともなると勝手知ったるものだ。門を開け、扉へと近づいていく。
「あれ……?」
<マルヴァの館>には先客が居た。
光の鎖に閉じられた扉の前に人影が見える。両腕を組み、降りしきる小雨を一顧だにせず仁王立ちをしているマント姿。
文句のつけようのないほどの美少女だった。
歳はアトより少し下くらいだろうか。ウェーブのかかった金髪。強い光を宿す瞳、凛とした顔だち。かなり目を惹く少女だ。ズボンにブラウス。マントに見えたのは見間違いだ。その上から纏っているのは白衣だった。
何より少女の魅力的な体つきも驚きだった。メリハリのはっきりとしたボディラインはアトにとっては嫉妬を通り越して感動すら覚える。
その瞳がアトを認めた。おや、という顔になる。
「ほう、その顔つき、君も二度目だね?」
「え? 二度目?」
「この迷宮さ。一度クリアを諦めたが、再び戻ってきたという顔をしている」
「わかるの!?」
アトは思わず自分の顔を撫でた。そんな顔をしていたのだろうか。
美少女のしゃべり方は、思ったより少し、いや、かなり漢らしい口調だった。可愛らしい声なのだが、自信にあふれたその声はその喋り方になぜかしっくりとくる。
「決意を含んだ顔をしているということは、君も気付いたんだろう? この出来レースの試験に」
可愛らしい顔にニヤリという笑みを浮かべ、彼女は言う。
「クリアできるのはせいぜい四つ。うまくいっても五つだ。六つ目がどうしてもクリアできない。見習い冒険者にあのドラゴンは倒せまい。だから、冒険者になるのを諦める。そんなつまらない思いなぞ、犬にでも食わしてしまえ! 君は戻ってきた! 理不尽を蹴っ飛ばして乗り越えるために!」
両腕を広げ、彼女は滔々と語る。アトは見入っていた。何かの磁場に引き寄せられるように、彼女から目が離せない。
「君さえよかったら、ボクと一緒にこの迷宮をクリアしてみないか?」
差し伸べられた手。
思わず伸ばした手が触れそうになって、慌てて<過去視>がオフになったままか確認する。
人を視るのは、あまり好きじゃない。
「どうして私なの?」
「いや、他の見習い冒険者にも声をかけたさ」
ふふん、と偉そうに腰に手を当て、彼女は言う。やれやれと肩をすくめる仕草をしながら。
「どいつもこいつも諦めきった顔をしているからね。一緒に行っても限界なぞこえられないだろう。でも、君は違う。ここのボスを倒すための算段なんてないんだろう?」
「うっ……」
その通りだ。
とりあえず勢いでここまで来た。ドラゴンを倒す具体的な解決策があるわけじゃない。
「そんな勢いがある人、ボクは好きだね。あとは、勘だよ。君は他の人とちょっと違う。そんな勘がするんだ」
自信満々の笑み。なんだか力づけられて、何とかなりそうな気がしてくる。
「何の役に立てるかわからないけど、私でいいなら行く」
「それでこそだ。ボクはシアン。天才機巧師さ!」
「天才……?」
「そうだよ」
「変なの。私は、アト。ただの剣士、かな?」
そう言ってアトは腰の剣を叩いて見せる。
気が付けば、いつのまにか雨が上がっていた。雲の切れ間から光が差している。
「さて、話が決まったらパーティを組もうか」
「どうやってパーティを組むんだっけ?」
「ほら、アトもライセンスを出して」
シアンはどこからか見習いライセンスを取り出すと、振ってみせた。アトも慌ててポーチからライセンスを取り出す。
シアンはそのままライセンスどうしを触れ合わせる。チリンと軽い音が鳴った。
ライセンスの表に文字が走り、シアンがパーティメンバーになったことを示していた。
「よろしく、アト」
「こちらこそよろしく、シアン」
アトはシアンに笑顔で応えた。