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53話「あうぇいくん ざ だーくねす」

 アディリンは微笑んだ。


 アトを逃したが、構わない。

 彼女とコンタクトが取れた時点で、アディリンの目的は達成されたのだ。


 アディリンは“ウシュタの翼”である。<過去視(パスト・ヴィジョン)>を持ち、様々な過去を読み解き、力を高めてきた。死者や伝説と言われた武人の武器。魔女や魔法使いと言われた高位の魔術師などの過去を視て、その(エッセンス)を取り込んできた。


 アディリンも人間だ。その摂理に従うならば、時間には勝てない。

 アディリンが年老いて死んだのは、生まれてから百三十年が経過してからだった。当時それなりの貴族だった彼女は、遺体が風化しないように油漬けによる保存処理をされていた。


 次代の“ウシュタの翼”は女の子だった。

 魔術師学院に通う、かわいい女生徒。魔術の腕は至上最高と言われ、<過去視>を持っていた。

 彼女がアディリンの遺体を見つけたのはまったくの偶然だった。廃虚になった大都市。その墳墓から発見された貴人の遺体。ほとんどの部分がぼろぼろに崩れる状態だったが、好奇心を刺激された女生徒は、その過去を視たのだ。


 足りない。

 もっと欲しい。


 アディリンの強大な意思は、小娘の魂など瞬く間にすりつぶした。


 アディリンは理解した。自分がやったように、いずれ技能(スキル)を得るために、誰かがわたしを視るだろうと。その時に、自分ならその魂を塗りつぶせるだろうと。


 アディリンは去っていくアトの背中を見ていた。その手を引くマルヴァも。


『あと一息だったのに。相変わらずタイミングのいいところで出て来るのね、あのお爺ちゃん』


 アディリンはそっとモニュメントの台座に腰かける。


 そもそも「アディリンの腕」をここに封印したのはマルヴァなのだ。

 自分が亡くなっても次代の自分に引き継げるように片腕を残したまではいい。巧妙に隠したはずのそれを、マルヴァが見つけ出したのだ。まるではじめから場所が分かっていたように。


 マルヴァは迷宮(ダンジョン)を造った。

 アディリンが持つ世界の雫(ワールドエッセンス)を抽出し、放出させる。適当に形を与えて若い魔術師に倒させることで、そちらに吸収させる。いずれアディリンの雫は尽きる。そうなれば、今度こそアディリンの死だ。

 <アディリン魔術洞(ケイヴ)>で決まったモンスターが出るわけがない。侵入した者の記憶を読み取り、(エッセンス)で形を与えてモンスターとする。


『あの娘は、わたしをアディリンとして“観測”したわ。それで十分よ』


 青く輝く輪郭から、黒い水がしたたり落ちる。

 じわり、じわりと黒い水は増えていく。どろっとした重みのある液体は、まるで汚泥だ。粘度の高い液体は、青く輝く体を内側から満たしていく。

 いつしかその髪も黒く染まっていた。重みを得て、ざらりと流れる。

 ゆっくりと、深く、アディリンは息を吐いた。


「薄っぺらな存在だけれど、こんなものかしらね?」


 アディリンは自分の身体を見下ろした。腕、背中、足と構造がおかしいところがないかを確認した。おそらく思う形になったとは予想するのだが、腕や足が多いと見栄えが悪い。

 一糸まとわぬ姿だったが、アディリンが指を鳴らすと内側から染み出すように黒いドレスが出来上がる。裾を掴み、生地をひと打ちして、満足したように笑む。

 素足が床を踏む。歩くアディリンの影を追うように、黒い液体が追いかけていく。この液体はアディリンの体から出た(エッセンス)の成れの果てだ。


「それじゃあ、減った(エッセンス)を満たしに行きましょう」






 魔導師は大あくびをした。かったるそうな表情を隠しもしないまま、迷宮(ダンジョン)の入り口を見つめている。

 <アディリン魔術洞(ケイヴ)>に生徒たちが入ったのが今日の昼。何やら緊急事態が起きたとやらで急遽避難が行われたのが夕方。そこから何かがあるかもしれないと見張り番になったのだ。

 たまたまだ今日の授業の受け持ちが終わっていたのが運の尽き。このつまらない仕事をさせられるはめになった魔導師は、まったくやる気が無かった。


「何も起きるわきゃねえだろうによお」


 再びあくびを噛み殺す。マルヴァ学長じきじきの命でなければ、とっくに放り出して酒場にも行っているころだろう。さすがに職を失うのはいやだ。学長命令に逆らうわけにいかず、こうしてつまらぬ見張りを続けている。


「生徒たちが避難してからもうどれくらい経ってるってんだよ。ていうか、構内にもう誰もいねえだろうし。これ、いつ終わるんだ?」


 そういえば『見張れ、警戒せよ』とは言われたが、何時までとは言われていない。まさか、翌日学長が気付くまでというオチはないだろうな。

 そう考えていた魔導師のもとに同僚がやってきた。あたりはもう暗い。手軽に食べられる夕食とランタンを持ってきたのだ。


「よう。調子はどうだい」


「これまで異常なし。ていうか、何があるってんだ?」


「そうだよねえ。だけど、マルヴァ学長は無駄なことはしないお人だし……」


 何かが聞こえた。かりかりという、何かを引っ掻く音。


「おい……。聞こえたか?」


「ああ。迷宮(ダンジョン)の扉の方からだ」


 魔導師二人は身構えた。仮にも生徒たちに教える立場だ。即座にそれぞれの武器を取り出すと、何が出てきてもいいように構えておく。一人は火炎魔術の速射が得意で、もう一人は高威力広範囲の氷結魔術を得意としていた。


 どぉおん! どおおおん!


 ごくりと魔導師は唾を飲み込んだ。叩いているのだ。迷宮(ダンジョン)の内側から。

 叩かれるたびに地面が揺れ、音が大気を揺らす。その音は、少しずつ大きくなっているようだった。


「…………」


 武器を握る手にぐっと力が入る。汗をかいていてすべりそうなのが、焦りに拍車をかける。


 どおおおおおおあああああッ!!


 轟音を立てて扉が破れた。内側から大量の黒い液体がまき散らされる。この液体の圧力に扉が耐え切れず裂けたのだ。封印の鎖も粉々になって引きちぎられている。


 黒い湖となったその上を、素足の女が歩み出てくる。

 その顔はどこかで見たような。記憶を手繰ろうとしたが、なおを進もうとする女を止めることを優先した。


「止まれ! そこで止まらんと<魔術>を行使する!」


 女は足を止めた。蕩けそうな笑顔で魔導師を見る。魔導師は視線を外せなくなった。動けない。その足下に、黒い湖がぴちゃりと触れた。


「――――起きなさい」


 まるで悪趣味な粘度細工だ。

 黒い湖がぼこぼこと泡だったかと思うと、膨れ上がって形を為す。魔導師が先日駆除した、“大なめくじ(ビッグスラッグ)”だ。色は黒いが、形は全く同じ。それが黒い湖から、次々と湧き出て来る。

 もう一人の魔術師も黒い湖に触れた。その瞬間に、今度は“黒い犬”がぶちゅぶちゅと創られていく。どちらも、過去に魔導師が相手したことのあるモンスターだ。


 魔導師二人は真っ青になっていた。この女が中心なのは分かる。だが、この数のモンスターを相手に対抗できる気がしない。


「くそっ! 私が足止めする! お前が助けを呼びに行け!」


「すまん! 死ぬな!!」


 一人の魔導師が矢継ぎ早に火炎魔術を放った。爆発音と数匹の“大なめくじ”が液体に戻る。その隙を突いて駆け出した。追いかけようとした犬となめくじを、もう一人が氷結魔術で薙ぎ払う。


 黒い女はちらりと逃げる魔導師を見た。黒い犬が後を追っていくが、捕まえることはできないだろう。思ったより速い。


「ひとまずは手駒を増やしたいところよね。ゲームができるくらいには」


 短く途切れる悲鳴と、大量のなめくじと犬に何かが貪られる音を聞きながら、楽しそうに彼女は言う。

 横倒しになったランタンに、黒い水が触れた。じゅぅという音と共に、辺りは闇に閉ざされた。

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