52話「すきる いんへりたんす」
足音が響く。
先ほどから長い長い通路を、アトは歩いていた。
通路は暗い。だが、アトが歩くたびにその両端に明かりが点いていた。人魂のような灯りは両側の壁画を照らし出す。その壁画はどれ一つとして同じものはない。
前を行くアディリンは時折アトを振り返る。
なびく髪から、まるで花粉のように燐光が舞う。この青い光は、彼女から出ているものなのか。
口もとにうっすらと笑みを浮かべて、アディリンは語り始めた。
『この世界には様々な技能を持つ者が生まれるわ。その中に、過去を視ることができる者が出てくるの。わたしとか貴女のような、ね』
アトはハッとなった。この人も持っていたのだ、<過去視>を。
じゃあ、この人も自分と同じ苦しみを味わったのだろうか。
『でも、過去を視るだけでは、“ウシュタの翼”とは言えないわ』
「想いを、現在へ運ぶ翼……」
『あら、少しは知っているのね?』
いつのまにか、アディリンが目の前に居た。まるで口づけでも交わすかのような距離に。
あわてて顔を引くアト。その様子を見て彼女はくすくすと笑っていた。
『これまで、過去を視た時に不思議なことがなかったかしら? 例えば、使えるはずのない技能を使ったり、いつもの自分とは思えないぐらい強くなったり』
心当たりは、ある。
シアンとの<マルヴァの館>のボス戦。イドラとの決戦。<蠍女帝>との戦いの時でもそうだ。自分とは思えぬほどの戦闘力を発揮していた。
『その顔を見れば、あるようね』
「……どうしてそんなことが起きるの?」
『人々が残した過去は、世界の雫という形で残される。強い思いほど濃厚に残る。その雫を拾うのがわたしたちなの』
アディリンは壁画を指し示す。多くの人間に下から支えてもらっている絵。神輿のように担がれている。何かを捧げ持っている人の姿も見えた。武器や巻物、衣服などを献上しているみたい。
『過去に残されし雫を汲み取り、その身に宿す。わたしたちは想いだけでなく、過去の技能を得ることができるのよ』
「過去の……技能を……」
アトはあのアイテムによって<物体操作>の技能を得た。同じことなのだ。
過去は雫に保存される。それを身の内に入れるならば、おなじく力を得るのだ。
『時を超え、現代にその“力”を届け、授ける。それが“ウシュタの翼”』
アディリンがアトの手を取ろうとした。だが、その体は触れあわず、透き通るだけ。掴もうとして空ぶったアトの手が跳ね上がる。
アディリンが困った顔をした。
『やっぱりこの体じゃ駄目ね。貴女にこの技能を教えるには、わたしを“視て”もらうのが一番だと思ったのだけれど。やっぱり直接触ってもらわないと駄目ね』
水が流れる音が聞こえる。
足下にはいつからか、細かい溝が走るようになっていた。その溝を、清廉な水が流れていく。どうやら通路の奥から流れてきているらしい。
闇が切り取られるように、通路の終わりが見えた。通路は大きなホールへと繋がっていた。
中央にそそり立つのは、芸術品のような像。一体何を表しているのかは分からない。いくつものねじくれた木の根が絡み合っている、というのが近いだろうか。
そのモニュメントの一番上には、ガラス容器に収まった人の腕があった。
「っ!?」
『ああ、あれはわたしの腕。ほかの部分はすでにぼろぼろになっちゃって失ったけれど、あれだけは残っているのよ』
ガラス容器の中は緑色の液体で満たされていた。その中に浮かぶアディリンの腕はくさった干し肉のような様相を示している。一体何年前のものなのだろうか。
あれに触れれば、アディリンの言う技能の使い方が分かるのだろうか。
アトは吸い寄せられるようにモニュメントに近付く。ガラス容器を取るために、そっと両手を伸ばした。
伸ばしたアトの手は、横から伸びてきた手によってやんわりと押さえられた。
「それに触れるのはあまりよくないのう」
アトは自分を止めた人物を見る。
アトの手首を押さえているのは、枯れ木のように細く皺のある手だ。老年を感じさせる。アトは顔を見た。
この人には見覚えがある。眉毛や髭が伸び放題で、顔がまったく見えない毛のお化け。
冒険者ギルドで、見た。
<マルヴァの館>でも、見た。
未来を視るおじいさんだ。
「また会ったのう、<過去視>君。よかったらこのマルヴァの爺とお茶でもせんかね?」
おじいさんは茶目っ気たっぷりにウィンクして見せた。どうしてこの人がここに居て、いきなり私をお茶に誘うのか。疑問符が頭の上に浮かぶ。
アディリンを見ると、薄く笑っていた。美しいはずのその笑みに、なぜかぞっとする。
「どこにおるかは分からんが、そやつの言う通り、触れれば技能を手に入れることができるのは本当じゃよ。じゃが、それによる弊害があるのも確かなのじゃよ」
よっこいせ、アトの体を回すと、通路の方へと向かせる。隣に並ぶと、アトの手を取って、ゆっくりと歩き出した。
「確かに強くなるじゃろうがなあ。濃すぎる雫を取り入れると、魂を吞まれるんじゃな。乗っ取られる、上書きされる、そういったことになるのじゃよ」
アトはネフェルの時のことを思い出していた。自分が自分じゃない感覚。あの時自分のことを思いだs無かったら、“石の王”のコピーとして存在していたのかもしれない。
急に全身が寒くなったような気がして、振り返る。青く輝く女は薄く笑ったままだった。暴露したマルヴァに憎悪の視線を送るでも、失敗したことを悔しがるでもない。その常識とかけ離れた姿に、さらに肝が冷える。
そう言えば、シアンはどこに行ったのだ。イドラは。アーネスは?
どうして一人だけでアディリンについて行こうと思ったのだろうか。
はっと気づけば、マルヴァが優しい笑みを浮かべてアトを見ていた。
「あれに触れる未来は、あまり良くないのう。まあ、お友達と一緒に来るがええ。アディリンのことについて、少し話してやろうかの」
気が付けば通路に戻っていた。いくらも歩かないうちに、遠くに人影が見えた。シアンとアーネスだ。イドラの姿も見える。
アトはそっと振り返ってみた。それほど歩いた気もしないのに、さっきのホールが見当たらなかった。




