34話「おん ゆあ まーく」
あれほどの激闘に比べ、あっけなく黒い塵となって散っていく“蠍女帝”。
背中に乗っていたアトは塵を貫通して砂の上に落ちた。体がいまだ上手く動かず、べしゃっとつぶれるようにして砂上に倒れる。イドラは華麗に足から着地していた。
『無事か?』
「なん……とか……ね」
そんなアトの傍に、ぼろぼろになった直剣が落ちて来る。宝石剣が刺さっていた場所には、実際はアトが持っていた直剣が刺さっていたのだろう。これまでの攻防に耐え切れなかったのか、刃は虫食いのようになっていた。
ああ、いい剣だったのになあ。そんな気持ちが湧く。アトはなんとか鞘に直剣を納めた。直るかな、これ。
体中の痛みをこらえながら、なんとか立ち上がる。イドラが体を寄せて肩を貸してくれるのがわかった。イドラの毛を掴みながら、なんとかネフェルのいる玉座にまで戻る。なんとなく出口もそこにある気がしたのだ。
「どう? すごいもんでしょ?」
「其方の言う通り、大したものだ」
アトの軽口に、ネフェルは苦笑しながら応えてくれた。しかし、すぐにネフェルは真剣な瞳になる。
「其方が“ナユの腕”を退けてくれたおかげで、余は迷宮の制御権を手に入れた。これで出口を繋げることも可能よ。すぐにでも脱出させてやろう」
「ちょっと待って! 石工さん達をその前に探さないと……」
すぐにでも動き出しそうなアトに、ネフェルは優しく声を掛ける。
「言ってなかったな。彼らはこの空間に入る前に別空間に保護しておる」
「へ? そうなの?」
「そのことに力を割いたために、余はこの玉座より動くことも出来なくなったのだがな。すでに彼らは出口を繋げ、外へと出しておるよ」
アトは安心のあまり脱力した。ずるずると座りこみ、イドラのお腹に背中を預ける。なんだかやたら体が重く感じてきた。
「そっか。じゃあ、これでネフェルも一緒に脱出できるね」
ネフェルは一瞬ぽかんとした表情になった。アトはそのことに驚く。何かそこまでびっくりすること言ったっけ?
「余か……。余は、ここより動けぬ」
「え、だってさっきの大きい黒いモンスターは倒したんだから。行けるんじゃないの?」
「余が取り戻したのは迷宮の制御のみよ。“ナユの腕”によってここに縛られ、モンスターと化した身は動けぬのだ」
アトは気付いた。ネフェルの全身を覆う包帯。ボロボロに見える包帯はネフェルを治療するためのものではない。ネフェルをこの玉座に縛り付けておくための拘束具なのだ。この包帯を巻きつけているかぎり、ネフェルは迷宮から外に出ることはできない。
アトは思わずネフェルの腕の包帯を掴む。ボロボロに見えるのは見た目だけだ。どれだけ引っ張っても、千切ることはできない。イドラにも噛み付いてもらうが、それでも噛み千切れない。
『これは……。あの“黒い腕”と同じもので出来ている』
イドラが忌々しげに言った。
「それじゃあ、どうすればいいの!? このままここで一人でずっと過ごすっていうの!?」
青白い砂漠は美しい。だが、あまりにも滅びの光景にすぎるのだ。こんなところにずっと居れば、心が風化してしまう。
『否。我を縛めていたモノと同じであるならば、貴公が取った方法で解放が成るはずだ』
イドラの言葉に、アトは冒険者ライセンスを取り出した。淡く光るライセンス。すぐに従魔のページを開く。そこにはイドラの状態が示されていた。
イドラもアトに劣らず全身が傷ついていることが分かる。アトのために戦ったのだ。その事実に眉が歪む。
アトは従魔のページを開いたまま、冒険者ライセンスをネフェルの額に触れさせた。
しかし、何も起きない。イドラの時のような変化は何も起きないのだ。
「どうして……?」
「新しい契約を結ぶことで、今の呪縛から解き放つ……か。狙いは良いが、どうやらその神器は魂の枠が足りぬようだな」
「ん……んぅ? ネフェルの言うことは、時々難しすぎてわからないんだけど……」
「そうさな。簡単に言えば……。その“冒険者らいせんす”とやらを“らんくあっぷ”させなくてはならんのだ」
「あっ!?」
そういえば冒険者ギルドで説明を受けた時もそんなことを言っていたような気がする。緑ランクの冒険者ライセンスは、一匹まで従魔を持つことができるとかなんとか。でも、エンキは複数の従魔を使役していた。冒険者ランクが上がることで、複数の従魔と契約ができるはずだ。
「よい。余はここより動くことは無い。迷宮の制御を得た今、“ナユの腕”如きには遅れは取らんよ」
「分かった。きっと、ランクアップさせて戻ってくるから。それまで、待ってて」
アトは真っ直ぐにネフェルの眼を見つめる。
ネフェルはふっと口もとをほころばせた。
「待っておるとも。さあ、行きたまえ。其方の前途に幸あらんことを」
気が付けば背後に光る扉が出現していた。迷宮の出口だ。アトはその取っ手に手をかける。一度だけ振り向いた。玉座に深く座るネフェルが見える。
もう振り返らなかった。
アトは決意を胸に、輝く扉をくぐっていった。




