33話「おーばーらいと」
“蠍女帝”は大きく腕を広げた。連動するように両の大鋏も広げられる。“蠍女帝”の視線がこちらをひたと見据えた。
アトとイドラは身構えた。
“蠍女帝”は巨体の割りに動きは素早い。砂の上を器用に移動し、すぐに階段に取りつく。そのままものすごい勢いで上ってきた。
イドラが迎え撃つ。
階上より飛び掛かり、女性の体部分を強襲する。だが、その動きは大きな鋏によって阻まれた。
流れるような攻撃は“蠍女帝”にすら捉えられない。イドラは噛み付き、枝槍を撃ち放つ。
“蠍女帝”は大鋏を振り回し、陰に隠れて尻尾の針を突き刺そうと狙う。それだけではない。まるで絶叫するように時折女性の体が震える。その度に爆発するように空気が波打つのが見えた。何かの魔術を放っているのだ。そのせいでイドラが攻めきれない。
「少しばかり劣勢だな。“蠍女帝”は体の動きとは別に魔術を放つことができる。防御にも攻撃にも使える優れた砲台よ」
「そんなの、どうやって勝てって言うの!?」
「そうさな……。ならば、余が力を授けよう」
まるで老人のように、ごくゆっくりと、力なくネフェルが腕を上げた。少し上げるのにかなりの時間が掛かっている。
その指先がアトの方へと向けられた。
「触れるが良い。余の過去を視よ」
アトは少し迷った。不安な感じがしたのだ。言うなれば目の前に深い崖があり、そこに飛び込めるかという類いのもの。この指は、触れていいのか? この過去は、視てもいいのか?
甲高い悲鳴が上がった。イドラの声だ。振り返れば大鋏が命中したのか、毛並みが赤く染まっている。
迷っている余裕はなかった。アトはネフェルの指を掴む。
「これは賭けよの。必ず、戻ってくるのだ」
ネフェルの身体が、爆発的な青い光に包まれた。
――――
「王! 王! こんなところにいらっしゃったのですか!? ここは危ないですぞ!」
「馬鹿を言うな。こんな面白いことをするなんて、余に隠し通せると思ったのか?」
私は完全装備で立っていた。目の前を拡がるのは砂と岩、ときおり茂った樹が見える。みたこともない景色だった。
目の前では大勢の兵士が陣を組んでおり、そのさらに先には“蠍女帝”が暴れていた。赤黒い甲殻を持つ大蠍に、褐色の肌を持つ女性の上半身が生えていた。女性は宝石の装飾がついたネックレスや、美しい感無理で着飾っている。その視線は優雅で知的。暴れまわる大蠍の体と同じものとは考えられぬ表情をしていた。
「“蠍女帝”など百年に一度の獲物ではないか」
「しかし……! 万が一怪我をされては!?」
「くどい! 見ていよ。神話の化け物狩りをここに再現してやろうぞ!」
私は腕を振り上げた。兵士たちが怒涛の雄叫びを上げると同時に、一斉に走りだした。
槍を腰だめに構え、全力でぶつかっていく。
焦ったのは“蠍女帝”だ。いきなり大群をぶつけられ、とにかく打ち払うことしかできない。
女帝の体も魔術を行使し、石槍や炎が降り注ぐが、兵士たちはひるまない。
その体に鉤爪がひっかかった。
「大物ならば、まず脚を止めるのだ」
ビンと綱が張る。細い蠍の脚に体にと何本ものロープがかかっていた。それを兵士たちが全力で引っ張っていく。抜け出そうと“蠍女帝”も足掻くが、大鋏にもロープがかけられ、上手く身動きが取れなくなった。
私は無造作に歩みよりながら、腰の得物を抜いた。
宝石剣ジェベル。
石の民の持つ技術によって、無数の宝石を融合させて生み出した武器だ。青く透明な刃は無二のもの。青眼天の月すら切り裂くと言われている。直剣は片刃。刃面で斬れば斬れぬものはなく、打面で打てば全てを砕く硬度。なによりも美しい。その輝きを目を、心を、魂を奪う。そこを私は気に入っていた。
“蠍女帝”は怪力だ。張ったロープをひっこぬいて暴れている。全ての拘束から脱したわけではないが。暴風圏に入るものを根こそぎなぎ倒していた。
怖気づいた兵士たちが一歩下がる。
その暴風圏に私は踏み込んだ。
「王ッ!?」
配下の悲痛な声が上がる。うるさい。今こそが楽しいのだ。
内政? 飽く。
戦争? 指揮は嫌いではないが、陰る。
直接手を下すことこそ。
余の、楽しみよ。
「ふんッ!」
見切った。振り下ろされた大鋏を回避しながら、付け根を斬撃する。まるで果物を切るかのように斬り飛ばす。
踊るようにステップ。踏み込んで前脚。斬った。少し傾ぐが、まだ高い。そのまま後ろの脚も斬る。
上から尻尾の針が急襲してくる。その程度読めておる。
紙一重で避け、地面に突き刺さった尻尾を梯子代わりに駆け上がる。そのままの勢いで背中の一点に宝石剣を突き刺した。痙攣して、大蠍の体が死ぬ。
だが、女帝の体は生きている。腰を捻り、憤怒の形相で魔術を放つ。石槍が七本。
「馬鹿め。見える射出武器など、余には通じん」
軌道を見切ってさらに踏み込む。もう剣撃の間合いよ。
袈裟懸け一閃。次の一閃で首を撥ねた。女帝の首が宙を舞い、落ちてきたところをひっつかむ。
その首を余は大きく掲げた。
「讃えよ! 喝采せよ! 余こそが――――
――――
「“石の王”である」
アトは宝石剣を引き抜いた。ここにあるはずのない物? 関係ない。繋がりがあるのなら、“呼べば来る”のだ。
青く透明な刀身は、長き時を超えても一点の曇りもなかった。
アトは玉座を離れ、全速力で階段を駆け下りる。眼下にはイドラと“蠍女帝”が激戦を繰り広げている。
「脚を止めさせよ! 魔術で蔦を張ればよかろう! 余が―――斬り込む!」
『おおッ!!』
イドラが大きく後ろに跳躍。同時に魔術によって生み出された極太の蔦が脚や体を搦めとる。それを引くのはイドラだ。怪力では千軍の兵にも引けを取らない。
ぎちっと拘束される音が響いた。
アトは踏み込んだ。すでに“蠍女帝”の暴風圏だ。振り回される大鋏。だが、この軌道は知っている。
回避しながら、鋏を両方とも斬り飛ばす。舞うアトは、まるで青く光っているよう。
脚を三本斬り飛ばすころに、ようやく尻尾が襲ってきた。
「それを待っておった!」
ずどんと砂に突き刺さる針。その尻尾を階段として、背中へと駆け下りる。最後の跳躍の勢いのまま、背中の弱点へと刃を突き刺した。大蠍の体が、死ぬ。あとは女帝の体を潰すだけ。
駆けだすアトの膝が抜けた。力が入らず、大蠍の背中に倒れ込む。
一体何が。いや、体にガタがきたのだ。この体では今の動きに耐え切れない。アトの体はレベルも低く。余とは違うのだから。
待って。
ちょっと待って。
私は、誰?
アト。
そう。私は、アト!
「がは―――ッ!?」
急に呼吸の仕方を思い出したように、アトは咳き込んだ。何度も息を吸いこむが、全然肺に空気が入ってこない気がする。何だったんだ今の! 何だったんだ!
痛む体を引き寄せ、顔を上げた。
忘れてた。まだ戦闘中だ。女帝の体を倒さなければ。
顔を上げれば、決着はついていた。イドラの牙が女帝にトドメを刺していた。背後から喉と胴体を貫く噛み付き。女帝の喉から絶叫が迸った。




