32話「はですず あーむ」
「余はこの座より動けぬ。大した手助けは出来ぬ。まあ、動けたとしても余自身はさほど戦闘能力は持っておらんしな」
アトはちらりとネフェルを見た。ボロボロの見た目は激しい戦闘をすると体自体が崩壊しそうに見える。無理はさせられないだろう。
「何か武器になりそうなものとかはある? それだけでもだいぶ違うんだけれど……」
せめて<物体操作>で飛ばすものがあればいいんだけど。
アトは階段が見渡せる位置まで前進する。ここなら腕が上ってきたとしても迎え撃つことは容易いはずだ。
「よし! イドラ、行って!!」
かなりの高さがあるというのに、イドラは気にせず跳躍した。落下しながら魔術で枝槍を射出。一体を噛み潰し、一体を叩き潰す。
オオオオオオオオオオオオオオオ!!!
かかってこい、とばかりにイドラは咆哮を上げた。“ナユの腕”に目は無いが、意識が一斉に向いたのが分かる。
「アトよ。其方は行かぬのか?」
「イドラにとって一番難しいことは、守りながら戦うこと。盾を持つ手もないし。背中に乗せたまま戦っても、こっちが騎上で戦う技を持ってない。あんな小さな的に当てられるかもわからないし。だから、私がここで全体を見て、下でイドラが暴れるのが一番いいと思う」
「なるほど。適材適所というわけか」
アトは抜いた剣を放り投げると、空中に浮遊させた。いつでも撃ち出せるように構えておく。
ネフェルに告げた以外にもアトがここに残る理由はある。勝つための情報。何かを<過去視>するためにも、遠くから見るのがいいのだ。【接合点】を見つけしだいそちらに向かうには、ここに居るのがいいのだ。
まるで小さな嵐のように、イドラが“ナユの腕”を蹴散らしていく。やつらが近付く前に振り回した尻尾や爪がそれを阻む。何より大量の敵に押しつぶされないように、常に位置を変えているのだ。“ナユの腕”はなかなかイドラを捕まえられない。
アトはその様子を見ながら、視線は向けずにネフェルに問いかけた。
「ひとつ答えてもらっていないと思うの。“ウシュタの翼”ってやつのこと」
「アトよ。其方は<過去見>ができるな? 物や人に残された過去を読み取るのだ」
やっぱりネフェルはアトの技能のことを知っている。隠しておく必要性はもう無いだろう。話を進めるためにも、アトはそれを認めることにした。
「<過去視>のことでしょ。その通りよ。私は過去が視える」
「<過去見>が視るのはただの過去ではない。太陽が燃えるが如くの歓喜。赤腕天の月が堕ちるが如き悲嘆。都市を割るが程の憤怒。そういったものだ」
イドラの体中に“ナユの腕”がまとわりついた。アトの心が焦りに焼かれる。援護すべきか。弾丸は一発のみ。
咆哮一撃、イドラは全身をオーラで赤く染めながら爆発するように“ナユの腕”を吹き飛ばす。
「世界に残さざるを得なかった。――――否、傷をつけるように残したかった想いよ。その想いを現在へと運ぶ“翼”なのだよ、其方は」
知ったこっちゃない、そんなこと。
そんな大層な人生設計は、自分にはない。
私は、私でしかない!
戦況から目は離せない。
アトは心の中で叫んだ。
過去の雫を現在へと運ぶ“ウシュタの翼”。
そんなことは、生まれてから誰にも言われたことは無い。
この技能にそんな意味があるなんて、誰も教えてくれなかった。
「イドラっ! さがって!!」
アトは大声を上げた。上から見ているとわかるが、“ナユの腕”が不自然なまでに一点に集合していた。お互いにお互いを重ね合わせ、団子のようになっていく。他の“ナユの腕”が邪魔になってイドラにはその様子が見えていない。不吉な予感を覚えたアトは警戒を呼びかける。
ネフェルの言う難しいことは分からない。ゆっくり考えるなら、今を乗り越えてからだ。
イドラが“ナユの腕”を跳ねのけ、大きく跳躍する。数回の跳躍でアトの許へと戻ってきた。
『あれは……変形するのか?』
ぐちゃぐちゃと汚い団子を作るような光景だが、不思議と見たことがあるような気がする。アトはすぐに思い出した。美しさは大きく違うが、イドラを召喚するときの燐光とパターンが似ているのだ。
“ナユの腕”は一つ残らずべたべたとくっつきあった。ぼこぼこと泡立ちながら、その全体像と質感を変化させていく。どこかで見覚えのあるフォルムへ。
「あれって……“石大蠍”? いや、ちょっと違う……!」
確かに形状は“石大蠍”だ。巨大な一対の鋏、棘のついた尾。だが大きく違う。まずもって色は黒曜石のような黒色。硬質な質感は剣の刃くらいは弾きそうだ。
そして、蠍の体前方に女性の上半身らしきものが生えているのだ。何も身に付けていない体はなまめかしくはあるが、目も鼻も口も真っ黒では恐ろしさもそこに加味されることになる。
「あれは……“蠍女帝”だな」
ネフェルがぼそりと呟いた。




