31話「すてぃる あ きゃぷてぃぶ」
「ほう。何も知らぬか?」
金の瞳がアトを射抜く。アトは狼狽えた。知らないことが悪かったと思ってしまうくらいに。
分からないことだらけだ。この場所も、皆の行方も。この人も何なのだろう。
アトは謎の人物に手を伸ばした。この世界を過ごしているモノであれば、触れれば“視える”はずだ。
包帯まみれの人物は、玉座に深く座ったまま動きは無い。
アトの手が触れそうになる直前で、彼は口を開いた。
「過去を視るのであろう? 余に触れるのはやめておけ。“戻ってこれなくなる”ぞ?」
アトの指先は、もう少しで触れるというところで止まった。理屈は分からないが、彼の言葉が本当だと感じたのだ。そっと手を引き戻す。
「じゃあ、せめて説明して。ここがどこで、あなたが誰で、“ウシュタの翼”って何なのか」
アトはこめかみを揉んだ。まったく。頭が痛くなる。どうしてこうなったんだっけ。
そんなアトの様子を彼は面白そうに眺めていた。
「私の名前はアト。ここは<アズースの石切り場>っていう迷宮で、ボスモンスターを倒した直後に床が抜けてここに落されたの」
「ほう……?」
「私の従魔と石工さん達も一緒に落ちたんだけど見当たらないし。出口も何も見当たらないし。そもそもここって迷宮なの? 」
くつくつと彼が笑う。なんだか楽しそうに見える。アトにはそれどころじゃないが、ここから脱出する新しい情報は彼くらいしかない。ぶうたれた表情でアトは睨んだ。
「今代の翼は“アト”と言うのか。良い名だ。余はネフェルシェプスト。ここの主よ」
「うん、まあ、ここには貴方しかいないわけだしね……」
砂と月光しかない世界の主。それはちょっと寂しいかもしれない。ずっと一人で居てたんだろうか。
アトは何度かネフェルシェプストの名前を呼ぼうとして舌を噛んだ。どうも発音しにくい。長いし。ネフェルって呼ぶことにしよう。
「呼びにくいからネフェルって呼ぶね」
「許す。好きにせよ。さて、アトは従魔と言ったな。それなら呼ぶがいい」
「ここにいないんだから、名前呼んでも……」
「そうではない。その魂は目に見えずとも繋がっているのだ。引き寄せることができるだろうと言っておる」
アトの頭上を疑問符が回っていたが、やがてハッと気付く。
「冒険者ライセンス……!」
アトは懐から冒険者ライセンスを取り出した。イドラはアトの従魔であり、このライセンスから召喚したのだ。できるかは分からないが、彼はもう一度ここから呼び出せばいいと言っている。
「“イドラ”……ッ!」
冒険者ライセンスは呼び声に応えた。淡く光を放ち始めたかと思うと、だんだんその光を強める。ついには天にまで届くかと思うほど光の粒子が吹き上がった。
「う、うわっ!?」
やがて粒子は集束すると、大きな狼の形を創り上げた。イドラだ。イドラは宙より降り立つとアトを守るように背後から包み込んだ。
「イドラ! 無事だった!?」
『貴公も無事で何より。砂の上を彷徨っていたのだが……。ここも外というわけではないようだな』
「再会を喜ぶのはそれくらいでよかろう。そろそろ――――来るぞ」
ネフェルの言葉がきっかけになったかのようだった。玉座から見える一面の砂がざわざわと動き始めた。砂自体が動いているのではない。砂に潜った“何か”が動いているのだ。
やがて動いていた“何か”は砂上へと出て来る。
それは、黒い腕だった。
生身ではないが。どちらかと言えば液体で創られているように見える。黒い腕だけが、何本も砂から生えていた。地面を這うように、または腕を伸ばすようにしてうごめいていた。
アトの血の気が引く。おもわず引きかけた背中がイドラにぶつかった。この世の景色ではない。生理的な嫌悪感すら湧き出してくる。
「何なの、あれ……。待って、どこかで見たような……」
「あれが“ナユの腕”よ。そこな獣は知っているのではないか?」
イドラが牙を剥いていた。“ナユの腕”に対して明確な敵意を示す。
アトは思い出した。アト自身が見たことはなくても、イドラの過去を見たときにあの腕があった。イドラを捕らえ、迷宮に押し込めた腕だ。
「あれは迷宮の手先よ。あれは世界の雫を多く内包する者を捕まえて喰らうモノ。大方、余が逃げ出さぬよう捕らえにきたのであろう」
ネフェルは余裕だ。眼下の“ナユの腕”はさらに数を増していた。あれが襲ってくるのだとするとぞっとする。
「少し前に迷宮に穴が空いた。それが故に一時的に迷宮内のルールが狂ったようなのだ。通常ならここは誰一人入れぬ隔離空間。余が逃げ出さぬよう閉じた永久の牢獄よ」
「ネフェル。貴方を捕まえておくためだけの?」
「そうさな。この迷宮のボスモンスターは余の雫を吸い取って生み出されるのだ。余がひからびるまで繰り返されると思っておったのだが、運命というのも捨てたもんではないな」
“ナユの腕”がこちらに気付いた。腕が一斉に同じ動きで、掌をこちらに向けてくる。
「そら、気付かれたぞ。ここより出たくばあの“ナユの腕”を倒すのだ。さすればこの迷宮のルール自体が崩壊し、外へと出ることが叶うだろう」
“ナユの腕”は玉座の階段下に終結しつつあった。砂の中から生えているあの腕がどうやって上ってくるのか分からないが、あまり時間があるのとは言えない。
攻撃されるのを待つより、こちらから攻撃して有利な状態にしたい。
アトはネフェルの眼を見た。この人が嘘を言っていたら?
確かめる証拠はなにもないのだ。
ネフェルの金の瞳には、ただ面白そうな色が映っているだけだ。何かを読み取るには、アトには人生経験が圧倒的に足りない。
じゃあ、いい。
誰かが捕まってて、窮屈な思いをするんだったら、助ける。
「うん。やるよ、イドラ。ネフェルも石工さんたちと一緒。ここに置いていけないからね!」
『……承知』
アトは剣を抜いた。心が決まれば体が軽くなる。やるだけだ。
ぐっと力を込めて“ナユの腕”を睨みつけた。




