冒険者ギルド
扉の先は先程の酒場と違い、派手な音楽などなく落ち着いていた。おまけに、ごちゃごちゃと余計な物はなく、意外にもすっきりとした空間だった。壁に設置された大きな掲示板には様々な紙が貼り付けられ、それを何人か眺めている。た掲示板が備え付けられおり、少し離れた場所には、情報交換を兼ねた団欒をする為か質素なテーブルと椅子がいくつか置かれ、そこにも数名が何やら談笑している。そして、部屋の奥には受付などの処理をする窓口のカウンターがあった。
外から見たこの建物は三階建てで、奥行きもかなりあるように思えた。しかし、この部屋は思ったほど広くはなかった。室内には一応、上に続く階段もある。だが一階は、外観から見たほど奥行きはなく、奥に通ずるであろうドアもカウンターの向こうにしかない。
初めて足を踏み込んだギルドという場所は、ほとんど掲示板とカウンターで占められた小さな空間だった。
シエラは建物の外観から想像していた規模とは違う空間に、少しばかり拍子抜けしてしまった。が、その感覚はいっときだけのものになった。
入室してしばらくもしないうちに、シエラは妙な緊張感を覚えはじめていた。それは初めての場所で感じる緊張感ではなく、この場に立つ自分が異質な存在で疎外感を覚えるような感覚だった。
改めて部屋全体を見渡したシエラは、その感覚がこの場にいる冒険者から伝わるものだと理解した。
何人かいる冒険者たちのなかには、先程の酒場で会った人たちと似たような年格好の人もいる。人数は少ないが女性の冒険者や、シエラと同年代くらいの若い人の姿もある。彼らは各々掲示板で依頼をチェックしたり、テーブルを囲み談笑をしていたりしている。煩くもあった酒場とは違う、とても穏やかな空気だ。
しかし、彼らからはどこか気迫に似た雰囲気が放たれているよう感じる。それがシエラに緊張感を与えているようだ。
場の空気に呑まれ、シエラはすっかり大人しくなってしまっていた。
そうなってしまった原因を知ってか知らずか、ヴァンはシエラの肩を軽く叩き笑いかけると、促すように奥の窓口へと歩いていった。それをヴァンなりの気遣いだと感じたシエラは、彼の後を追った。
ギルドの受付窓口は夜遅い時間になれば閉まる。今は夜だといってもまだ早い時間なので、三ヶ所ある受付カウンターの奥にはギルド職員が何人もいた。職員の中には優しそうなお姉さんもいるのだが、なぜかヴァンはその女性には目もくれず、側に大きな人影の見えるカウンターへとまっすぐ進んでいった。
そこに居たのは、何とも言えない厳つい男だった。
男は四、五十代くらいの年代だろうか。遠目からでも、その年代に見合わない体格の良さは確認できていた。それが目の前まで行き間近で見ると、体格の良さがさらに迫力あるもののように映った。
男が手にしている物は武器ではなくペンではあるが、それを動かす腕は服の上からでもわかるほどに太く固そうで、よく鍛えられていることが分かる。
受付の男性は黙々とペンを動かし、仕事をしている。シエラにとって、そんな勤勉な姿と男自身の肉体の不均衡さは初めて目にする人種で、つい好奇心に流されるまま窓口の男を見てしまっていた。
「こんばんは、タロス」
ヴァンは窓口の男に向け、気軽に声をかける。タロスと呼ばれた男はペンを止め資料から目を離すと、かけていた眼鏡を白髪混じりの髪が生える頭に乗せ、カウンターの向こうの椅子に座るヴァンの方に顔を向けた。
「ああ、ヴァンか。今日は遅かったな」
「んー、ちょっとあってね」
そうヴァンが返答すると、タロスはチラリとシエラの方に視線をやり、ニンマリと笑みを浮かべ、もう一度ヴァンの方に顔を向き直した。
「ちょっとって……ナンパか。いいねぇ〜、若いって」
「はぁ⁉ ち、違うよっ!」
ヴァンは必死に否定をするが、タロスはその否定さえからかうように笑う。何を言っても駄目だと直感したヴァンは、話題を変えようと背負っていた鞄を下ろし、カウンターの上にわざと大きな音をたてて置いた。
「はいっ。今回の依頼の品。角ウサギの角と雪桜の枝」
ヴァンは鞄から白く細い動物の角を三本と、同じように白い木の枝を五本取り出した。厳つい顔をニマニマと緩ませていたタロスは、出された品を見るなりからかい笑いを止め、眼鏡をかけ直して後ろの棚から取り出した一枚の紙を見なが受け取った品を丹念に確認した。
「はいはい。たしかに。依頼の品を確認しました。じゃ、こいつにサインよろしく」
渡された紙にサインをし返すと、タロスは後ろにある金庫から拳大ほどの袋を一つの取り出した。中身は硬貨らしく、カウンターに置くとカチャカチャと硬質な音が鳴った。
「これが今回の報酬な」
「ありがとう、タロス」
ヴァンは中身を確認し、依頼品がなくなり軽くなった鞄に仕舞った。
「しっかし、ヴァンが女を連れてるなんてなぁ」
仕事のやり取りが終わるなり、タロスは話題を蒸し返し、ニヤニヤと笑いだす。
「全く女っ気がねーから女に興味がないのかと心配してたが……、俺は安心したよっ」
しみじみとした言い方だが、顔は常に笑みを浮かべ、からかっているのが丸分かりだ。ヴァンは再度否定するが、先程よりも弱い口調で半ば呆れたようだった。
「だ〜か〜ら。シエラとは、さっき偶然会ったんだよ。ここに連れてきたのだって、シエラが冒険者に興味あるって言うからだよ」
「そ、そうなんです。わたし、ヴァンさんに助けてもらって。おまけに安全で手頃な宿を紹介するとおっしゃってくれたり、ギルドを見たいというお願いまで聞いてもらって……。わたし、ヴァンさんにはいくら感謝しても足りないくらいです」
なかなか会話に入ることのできなかったシエラが、ようやく口を開きヴァンを擁護する。
「へぇ〜。お嬢ちゃん、冒険者に興味あるのか?」
タロスはヴァンをからかうことを止め、興味深そうにシエラを見た。冒険者に関心を持つシエラに、タロスは僅かながら驚いていた。それはヴァンがシエラに対して抱いた感想と全く同じ理由からだった。
二人がそう感じるのも無理はない。シエラは、まだ大人になりきれていない若さ溢れる少女。しかし、その立ち振る舞いは上品で、外見年齢に見合わない落ち着きがある。さらに身に付けている衣服も、質素で華美な装飾などはないのだが、生地の質は良く、とても品のある物だった。素人目にも高い服だと分かる。
ほんの僅かな時間接しただけで、それだけのことを感じてしまう。それほどまでにシエラは冒険者からは縁遠い存在で、この場所にいることが異質に感じられる存在だった。
誰の目からも、シエラは貴族やそれに近い上流階級の人間に見えていた。
ギルドに関わる冒険者の大半は下流階級の人間だ。なかには中流階級や上流階級などの出身者の者もいるが、圧倒的に数は少なくギルドの活動に関しても積極性は少ない。
そもそも冒険者とは流浪の人間だ。他国や別の大陸からの人間も多くおり、一国に留まる人間は少ない。そして、血の気の多い連中もそれなりにいる。
そんな人間の集まる冒険者ギルドを、貴族たちは依頼者として利用はするものの、冒険者という存在は野蛮な人間と感じ嫌う者も多かった。それどころか、冒険者やギルドに全く関心を持たない貴族もいる。若い娘ならば尚更だ。それゆえ冒険者に強い関心を抱くシエラの存在を、二人は驚いたのだった。
そんな彼女の好奇心を、若いヴァンは友好的に受け取ったようだが、年配のタロスは素直に受け入れることができていなかった。
タロスが今のヴァンと同じ年頃だった数年前、彼はマリーベルではない別の国で冒険者として活動していた。
仲間もでき、冒険者としての日々が楽しくなってきはじめていたある日、ギルドに来た貴族と鉢合わせてしまったのだ。当時のタロスが活動していた街では、ギルドと貴族の折り合いがあまり良くなく、たびたびいさかいが起こっていた。現にその日も、苦情の訴えと冷やかし目的でわざわざ貴族自らがギルドに足を運んでいた。貴族の訴える依頼に関しての苦情は、双方のやり取りの不備なども考えられる。冒険者の中にも、依頼を適当に処理し、不当な苦情などを吐く人間もいる。が、今となっては真意を確かめることはできない。とは言え、その時の冒険者に対しての非難は完全な言い掛かりで、それを咎めた冒険者を交え、凄まじい言い争いが勃発してしまった。一丸となる冒険者に対し、たった一人の貴族。多勢に無勢で押せそうな雰囲気があった。しかし、最終的に貴族は自身の権力を使い、自分に歯向かった冒険者数名を投獄してしまったのだ。その様子を一部始終見ていた若き日のタロスは、この事件に大きなショックを受けた。
今でこそ多少はその感情は和らいだものの、貴族に対する不快感はまだ僅かに残ったままだった。
「お嬢ちゃんみたいな娘が冒険者に興味持つなんて珍しいな」
「……珍しいことなんですか?」
シエラは不思議そうに首を傾げる。
「そりゃそうだ。お嬢ちゃんくらいの年齢の娘ならば、一番の興味は恋愛やお洒落だろ。友達とそういう話題で盛り上がるだろ?」
「……そう……なんですか」
シエラは少し間をおき、どこか寂しそうに呟いた。予想外の気の落ち込みように、何かを察したタロスは少しばかり罪悪感に襲われた。ヴァンも変化に気付いたのか、タロスを軽く睨んだ。
「……ま、興味ある話題なんて人それぞれだからな」
取り繕うようにタロスは言う。それに同調するように、ヴァンも頷く。
「お嬢ちゃん、冒険者やギルドに関心があるみたいだが、この冒険者ギルドの成り立ちとかは知ってるか?」
元気づけようと、タロスは自分から冒険者に関しての話題をシエラに振った。その話題の振りは正解だったようで、沈みかけていたシエラの瞳が、光を帯び輝き始めた。
「はいっ! 知ってます」
「えっ?」
予想していなかった返事に、男二人は思わず声を漏らした。