酔っ払いたち
青年はシエラとそんなに年が変わらないように見えた。どこから来たのか分からないが、服は土で薄汚れ、所々破れたりもしている。肩にかけている小さな鞄からは、動物の角のような物が覗いている。
尻餅男の腕を掴んでいる青年の力がよほど強いのだろう。尻餅男の表情が苦痛で歪んでいる。
「女の子に何やってんだよ」
「はぁ? てめぇには関係ないだろ」
男が表情を歪ませながらも、青年を威嚇する。
青年は男の酒臭い息と興奮しきった状態から、話し合いは無理だと判断したようだ。呆れたように小さくため息をつくと静かに手を放し、シエラの方へと顔を向けた。
「君もこんな所に来ちゃダメだよ」
そう言いながら、今度はシエラの手をやんわりと掴み、酒場から離れようと歩き出した。
「てめっ。待ちやがれっ!」
尻餅男が勢いをつけ殴りかかってきた。しかし、その荒々しい声と足音のおかげで、青年は寸前の所で拳を避け、逆に男の顔面に拳を打ち込んでいた。男は鼻血を吹きながらフラフラと後退り、再び醜く尻餅をついた。
「こんなところ、すぐに離れよう」
赤みがかった茶色の髪と瞳の青年は、戸惑うシエラにニッコリ笑いかけ、素知らぬ素振りで男たちに背を向けた。
だが、尻餅男はしつこかった。
「おいっ。剣、貸せっ!」
先程以上の怒号。そして、背後から聞こえた冷たい金属音。
その無機質な音と怒号とが重なり、背筋に冷たい汗が流れる。
青年にも聞こえたのだろう、笑顔が消え少し不愉快そうなものになっていた。
「ごめん。少し、離れていてね」
シエラにそう促す青年の表情は柔らかなものだったが、男と対峙すると向けられる敵意に合わせるように険しいものになっていった。そして、背中にある剣を手に取り静かに構えた。
その張り詰めた静寂とは裏腹に、周囲は騒がしくなっていた。二人の男が決闘をすると気がついた酒場の客たちが、それを見学しようと酒を片手に窓から顔を覗かせたり、店から出たりして盛り上がり始めたからだ。
そんな群衆に取り込まれてしまったシエラは、一人不安になっていた。
雪は止むことなく降り、空気はさらに夜の冷たさを増していく。しかし、剣を構え睨み合う二人の男を中心としたこの空間だけは、異様な熱が感じられた。自分が発端となり青年を巻き込んでしまったという、後悔の念に苛まれるシエラを除いて。
尻餅男は肩を慣らすためか、剣を振り回し空を切る。空気の切れる音が、このざわめきのなかでも聞こえてくる。酔ってはいるが実力はありそうだ。
そんな男の姿を前にしても、青年は落ち着いた様子だった。構えた剣を動かすことなく、ただ目の前の男を静観しているだけだ。
そんな冷静沈着な態度が気に入らないのか、尻餅男は素振りを止め舌打ちをし睨み付けた。
――次の瞬間、尻餅男は剣を構え、青年の懐めがけ猛然と突っ込んできた。男がニヤリと笑い、斬りかかってくる。
――ガキンッ!
二人の剣がぶつかり合う。
青年は男の剣の動きを読み、自身の剣でガードした。
尻餅男は防がれた剣をすぐさま引き、再度青年に向け振り下ろす。酒のせいか、男の動き自体はそんなに速いものではなかった。しかし、繰り出される一撃一撃はとても力強く、剣がぶつかり合う度に重い音が響く。
青年は尻餅男の攻撃を的確に剣で受け続ける。その度に野次馬からうるさいほどの歓声があがった。
そんな攻防がしばらく続き、最初に痺れを切らしたのは、やはり尻餅男の方だった。片手で持っていた剣を急に両手に持ちかえ上段に構えると、雄叫びと共に凄まじい勢いで降り下ろしてきた。
速く勢いのある剣が、青年の頭上目掛けて降り下ろされる。片手でも重く感じられる剣が両手の力を得たのだ、青年は初めて防御することを放棄し、逃げることを選択した。
後方に飛んだ青年の足が地に着くよりも速く、男の剣が力強く地面を打ち付けた。その衝撃で地面に敷かれている赤い魔晶石の石畳が砕け、小さく砕けた破片が飛び散る。
そして、沸き上がる大歓声。
一見、この決闘は尻餅男の方が有利に見えた。それなのに、青年は少しも焦るような様子は見せていなかった。それどころか余裕を見せるように、口許に少しだけ笑みを浮かべていた。その余裕のある態度が、さらに尻餅男を苛立たせた。
尻餅男は再度剣を片手に持ち直し、下段から切り上げるような構えで向かってきた。青年は男の動きを見つつ、剣を構え両足に力を込めた。
「くそがぁぁーーっ!」
男が吠え、怒りのまま剣を振り上げる。
しかし、そこに青年の姿はなく、剣は空を切っただけだった。男は虚をつかれ、時が止まったかのように一瞬固まった。だが野次馬たちの煩いほどの歓声ですぐに我に返り、彼らの視線を追い青年の場所を探った。
皆の視線は上空を指していた。
「なにぃ⁉」
そう、青年は跳んでいた。
自分よりも一回り大きな身体の男の頭上を。それも助走なしの自身の脚力のみで跳んでいたのだ。呆然とそれを見ている男の頭上で青年は剣を構え直し、男の背後に降り立つと同時に剣で斬りつけた。
「ぐおっ」
反撃を予想し回避できなかった男は、身を守ることもできずにもろに攻撃を受けてしまった。防寒の為に何枚も重ね着された服はザックリと切り裂かれ、剣の軌道がはっきりと見て取れる。剣は服だけでなくその下にある肉体にも容赦なく届いていた。すぐに切り口からジワジワと血が染みだし、男の背はあっという間に赤く染まっていった。
「……くっ」
男は苦痛に顔を歪め、遂に地に膝をついた。
青年は崩れる男の背を見ながら、さらに反撃の心を折らせるかのように、男の首筋に剣を当てながら言葉を投げかけた。
「これで勝負あったな」
この光景に、周囲からは今までで最高の歓声が上がった。形勢は一気に逆転し青年が有利になった。
シエラは周りの熱気とは逆に、静かに安堵していた。だが同時に、初めて目にした決闘の熱気に興奮もしていた。
野次馬たちの歓声は消えることなく沸き上がっている。それに触発されたみたいに、どきどきと打ち付ける鼓動も鳴り止まない。興奮した歓声よりも大きく響く鼓動に戸惑うシエラだったが、彼女はふと歓声とは違う声がの存在に気がついた。
「…………?」
その声に聞き覚えがあるような気がし、シエラは青年から目を逸らし辺りを見回した。
「……くそぉ」
声の主はすぐに分かった。それは、尻餅男と一緒にシエラに絡んできた長髪の男だった。長髪男は苦虫を噛み潰したような表情をし、手に持つナイフを力強く握っている。その憎しみの矛先は、この人だかりの中心に居る青年に向いていた。
青年は今、シエラにもだが長髪の男にも背を向けた状態で立っている。こんな状態で背後から攻撃されれば、避けることなんてできない。
シエラの思考は咄嗟に危険だと判断した。
そう判断するや否や、声で制止するよりも先に身体が動いていた。体勢を低くし、素早く長髪男の懐に入り込み、何かを呟くとシエラは右拳に力を込めた。
突然現れたシエラの存在に気付き、長髪男が視線を下ろした瞬間、男の脇腹に凄まじい衝撃と共にシエラの右拳が撃ち込まれた。防御もしてない状態で攻撃を受けた長髪男の身体は吹き飛ばされ、酒場の外に置いてある樽へと勢いよく打ち付けられた。
長髪男は破壊された樽の中に沈む身体をゆっくりと動かしたが、予想外のダメージで思うように動かせなかったのだろう。目だけを動かし、微かに残った意識で現状を把握しようとした。だが、攻撃をしてきたのが数分前まで自分たちに怯えていた少女だと知ると、心底驚いたように目を大きく見開き、そのまま気を失ってしまった。
突然の衝撃音で野次馬たちの歓声は止み、まるで時間が止まったみたいに静まり返った。
それは先程まで戦っていた二人の男たちも同様だった。二人の間にあった張り詰めた気が一瞬緩み、僅かに油断が生じてしまった。その僅かな緩みを二人の男は同時に感じとり、すぐに剣を構え直した。
だが、一方は傷を負い、一方は無傷。攻撃に移る反応速度には、その影響が如実に現れていた。それに加え、尻餅男は苛立ちと焦りから冷静さを欠いていた。
結果、尻餅男の攻撃は大振りになり、大きな隙が生じた。尻餅男が剣を構え上段から振りかざす僅かな間に、青年の剣は腹部、胸部、右腕へと男の身体に綺麗な一線を描いていた。そして、背中と同じ様に切り裂かれた服の下からは血が溢れ、瞬く間に服は血で染まっていった。
とうとう尻餅男は剣を地に落とした。出血のせいか足下は覚束ず、立っているのが精一杯のようだ。それでも男は反撃の意思を見せ、殴りかかろうと拳を突きつけようとする。しかし、その拳が青年に届く前に男は白目を向き、その場に倒れてしまった。