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上々天気  作者: 零
9/19

ちょっと前のこと~本郷 朱音 十四歳~4

 下宿が近づいてくるほど、遊司はそわそわ落ち着かなくなってきた。


「正太郎、怒ってると思う?」


 不安そうに眉をひそめ、遊司は呟く。


「さぁ?」


「怒ってるよなぁ~。場の雰囲気とはいえ、あんなことしちゃったんだから。そう思わないか?」


「さぁ?」


「いや、でも、あれからけっこう時間たってるし、もしかしたら怒りも落ち着いてるかもな?」


「さぁ?」


「……おまえな」


 長いため息をつき、遊司は肩を落とす。


「さぁ、以外に言うことないのかよ?」


「ないな」


 また、がっくりと、さらに深く肩を落とす遊司。


「何故、この後の展開がわかっているのに、わざわざ余計な話をする必要がある?」


 ちらりと目線を俺に向け、「と言うと?」と訊ねる遊司。また、何故わかっているくせに訊く?


「正太郎のご機嫌うかがいに行けと言うんだろう?」


「行け、とは言わないよ。行ってほしいな、ってお願いはしたい」


 肩を落としていた遊司はニッコリ笑い、「さすが朱音はわかってるね」と俺を褒めるが、もう五年もの間、二人が喧嘩する度に同じことを頼まれてきてるんだ、わからないほうがおかしいという話。


「というわけなんで、今回も頼みますよ、朱音くん」


「はいはい」


 二人にいつまでも険悪なムードでいられると飯が不味くなるし、ばあちゃんに喧嘩をしてるのがばれてしまうと、連帯責任で三人まとめてお説教+罰を受けることになる。


 罰はその時々で違うが、今回はたぶん裏のドブ掃除だろう。前回のお説教+罰を与えられた後の反省会でそんな話をしていたから。


 このクソ暑い中でドブ掃除なんてしたら、きっと脳みそがとけて、身体中の穴という穴から流れ出てしまうか、身体中の水分という水分が奪われて干からびてしまうか、どっちにしろ待っているのは死のみ……というのは多少大袈裟かもしれないが、とにかく生き残るためには、多少めんどうであっても俺が一肌脱がなければならないのは致し方ないことなのだ。


 麦茶を入れたグラスを2つ用意し、真っ直ぐ正太郎の部屋へ。


 廊下では遊司が正座をして待っていた。


「頼んだぞ」


「まかせろ」


 小声で言葉を交わし、遊司は自分の部屋へ引き上げていった。


 俺は障子の前に立ち、外から声をかける。


「正太郎、話がある。入ってもいいか」


 機嫌が悪いときの正太郎は声をかけても返事をしないことが多い。


 声が返ってこないということは、やはりまだ怒っているということか。


 それを確かめるのが俺に与えられた任務だ。


 そーっと静かに障子をひく。


 入って右手には本棚とタンス、左手には学習机。正太郎の姿は何処にもなかった。


 怒り心頭の正太郎が気晴らしに寄り道をする、なんてことはまずない。


 機嫌の悪い時ほど、あいつは自分の部屋、自分の殻にこもろうとする。ということは、


「押し入れか」


 机の脇に位置する襖に目をやる。


 細く開いていた襖が、俺の視線を感じてか、ピシャリと音をたて閉まった。


 やっぱり、ここか。押し入れの中も暑いだろうに。


 襖の前に腰を下ろし、中にいるであろう正太郎に声をかける。


「正太郎、話がある。出てきてくれ」


 正太郎の返事はない。襖も開かない。


「正太郎、ここを開けてくれ」


 襖をノックし、正太郎に呼びかける。


「聞こえてるか?」


 ちょっとめんどくさくなって、しばし襖をノックすることに集中した。


 両手を使ったり、強弱をつけたり、リズムを変えたり。工夫をしているうちに、だんだん楽しくなってきた。


 何故襖をノックしているのか本来の目的を忘れかけた頃、内側からドンっと強く襖を殴られ、我に返った。


「うるせーよ」


 襖ノックがよっぽど嫌だったのか、頑なに口を閉ざしていた正太郎がようやく言葉を発した。


「そんなに強く襖を殴ったら穴が空くぞ」


「おまえが言うな」


 俺は加減して襖をノックしていた。が、正太郎が襖を内側から殴った原因は俺にあるわけだから、ここは素直に謝るべきか。


「ごめん」


「何に対して謝ってんだよ」


「襖を殴る原因を作ったことに対して」


 正太郎は何も言わない。襖の向こうで、呆れているのかもしれない。それはいいとして。


「出てきてくれないなら、それでいいから、話を聞いてくれ」


 返事はないものと思い、一方的に喋る。


「遊司と喧嘩したんだってな。何があったのかは、遊司も話したくなさそうだったから聞かなかったが」


 半分嘘で、半分本当。一部始終を見ていたから何があったかは、遊司には聞いていない。でも、遊司は別に話したくないという感じではなかった。


「遊司も反省しているし、許してやってくれないか」


「何でおまえが謝りに来るんだよ」


 襖越しの正太郎の声は、怒っているというよりは、拗ねているように聞こえた。


「遊司に頼まれたからだ。いつものことじゃないか」


 喧嘩をした後に、俺が必ずご機嫌窺いに来ることを正太郎は承知している。


 面と向かって「遊司のことを怒ってるか」と聞いたことは一度もないが、五年も同じことを繰り返しているうちに正太郎も気付いたようだ。


 いつからか俺が部屋を訪ねるだけで、「怒ってるよ」と自己申告してくれるようになった。


「いつものことで片付けられる問題じゃねーんだよ」


 正太郎の声は固い。


「遊司が反省してるって言うなら、何であいつが詫びいれにこないんだよ。いっつも人任せにして、本当はちっとも悪いなんて思ってないんだろ」


「そんなことはない。遊司は自分が行ったら、余計に正太郎を傷つけるだけなんじゃないかと心配したから、あえて俺に様子を見に行かせたんだ」


 というのは真っ赤な嘘。本当は怒ってる正太郎が怖くて、謝りに来たくても来れなかった。これもいつものこと。


「おまえだって、何でいつも素直に遊司の言うこときいてやるんだよ。遊司を庇って、悪くもないのにおまえが謝って、俺のご機嫌とりして。おかしいとか思わないのかよ」


 内容は違うが、似たようなことを遊司にも言われたな。


「別に」


 俺が遊司を庇ったって、正太郎に謝ったって、ご機嫌とりしたって、減るものは何もない。俺自身は痛くも痒くもない。俺一人が頭を下げて、ばあちゃんの罰を受けずに済むのなら、いくらだって頭を下げてやる。


「だからっ、俺はおまえのそういうとこがムカつくんだよっ!」


 ドンドンっと襖を叩き、押し入れの中で正太郎が激昂する。


 いったい何をそんな怒っているのか。


「だいたいにして、おまえはいつだって遊司の味方じゃないか」


「そんな」


 つもりはない、と答えようとしたが、それより早く、正太郎が言った。


「一度だって、おまえが俺の話を聞いてくれたことがあったか? 事情もよく知らないくせに、遊司も悪気があったわけじゃない、あいつも反省してる、許してやってくれって。そればっかりじゃねーか」


 終わりの方は、声が萎んで何を言っているか聞こえなかった。


 襖に耳をつけ、中の音に意識を集中する。


「……たまには遊司が悪いって、正太郎が可哀想だって、俺のために言ってくれたっていいじゃないかよ」


 正太郎は怒っている。


 それは遊司に対してだけではなく、遊司の言うことだけを聞いて、一方的に正太郎をなだめすかしにかかる俺に対して怒っている。


 遊司だけの味方をしているつもりはなかったが、正太郎からしてみれば、事情を知らない俺が遊司に派遣されてくるのが面白くなかったのだろう。


 それはやっぱり、俺が悪い。


「悪かったよ、正太郎」


 襖の向こうから鼻をすする音が聞こえて、ちょっと驚いた。


「まさか、泣いてるのか?」


「泣いてねえよ、バカ」


 悪態をつきながらも、鼻をすする音はやまない。


「正太郎、本当に俺が悪かったよ。おまえを傷つけてるなんて思ってもみなかった。これからは、こんなことのないようにする。だから、出てきて、ちゃんと話をしよう?」


「やだね。今さらおまえなんかに話したって、俺の怒りがおさまるわけじゃない」


「でも、話せば楽になるかもしれない」


「怒りが増幅するよっ」


 そういうものだろうか。


「おまえみたいなネクラなキモオタなんかに俺の気持ちがわかってたまるかっ」


 それは偏見だ。が、事実、俺は正太郎が何をそんなに怒って、泣いて、拗ねているのか、いまいちわからない。


 俺は謝ったし、遊司だって悪いと思っているから、正太郎と仲直りしたいと思っているから、俺をここに派遣したわけで。そんなこと正太郎だってわかっているはずだ。


 ここで正太郎がぶすくれた顔をしながらも、「しょうがねーな」って言えば、それで仲直りしたことになってしまう。いつも、そうやってきたじゃないか。何故今回はここまで意固地になるんだ。


「俺にも反省するべき点があるのはわかった。今回はいつもの喧嘩みたいに簡単に気持ちが収まるようなものじゃないことも。でも、俺は仲直りをして欲しいと思っている。だから、せめて、正太郎が何を怒っているのか、それだけでも教えてもらえないか」


 じゃないと、解決の仕様がない。


「……わかった。特別に話してやるよ」


 正太郎の口調はさっきより、落ち着いていた。怒り半分呆れ半分といったところか。


「宜しく頼む」


「例えばな、おまえが大事に大事にとっておいたプリンがあったとするだろ」


「何故、プリンなんだ?」


「例えなんだから、いちいち気にするなよ」


「了解した」


 買ってきた食物はその日のうちに食べてしまうから、大事に大事にとっておくだなんて、まずないが、まあ例え話だからな。


「そのプリンを、おまえは大好きな……女の子にプレゼントするつもりだったんだよ」


「その女の子っていうのは、誰のことだ?」


「だから例えだっての。誰でもいいよ。おまえの好きな奴、適当に思い浮かべとけ」


 俺が好きな奴で、プリン好き。


「じゃあ、遊司にしよう」


 正太郎は甘いものが好きじゃないし、ばあちゃんは洋菓子はあまり食べない。


 遊司は基本何でも食べる。大事にとっておいたプリンが、大事にしすぎて消費期限が切れてしまったとしても、あいつなら喜んで食べてくれるだろう。


「……なんか、説明するのめんどくさくなってきた」


 襖越しに正太郎の面白くなさそうな声がした。


「途中で話をやめるのはルール違反だぞ」


「なんのルールだよ」


「とにかく、中途半端なところでやめられたら、気になって眠れなくなってしまう」


「それならそれで、俺はぜんぜんっ構わないけど」


 正太郎の奴、なんだかまた急に機嫌が悪くなったな。


「正太郎、意地悪言わないで、続き」


「うるせーな。だからな、例えるなら遊司は、おまえが大事にとっておいたプリンをなんの許可もなく食っちまったんだよ」


「何か問題があるのか?」


 俺はもともとプリンを遊司にあげるためにとっておいたんだから、遊司本人が食べたって、怒ったり、拗ねたり、泣いたりする必要はない気がするのだが。


「そうじゃなくて、おまえが遊司にあげるために大事にとっておいたプリンを食ったのは、まったく関係ない第三者なんだよ。例えば、俺が食ったとかな」


「正太郎はそんなことしないだろ。おまえは、甘いものが好きじゃないからな」


「頭痛くなってきた」


 襖の向こうで頭を抱える正太郎の姿が目に浮かぶ。


 今のわかりづらい例えを、頭の中で正太郎と遊司に置き換えてみる。


「つまり、正太郎は大好きな女の子に何かをあげようと、大事に大事にとっておいたのに、それを遊司に奪われてしまった、と、こういうことか?」


「まさにその通りだよ」


 それは遊司が悪いな。何を奪われたのかは、わからないが。


「でも、あいつを庇うわけじゃないが、あいつはその何かを正太郎が大事にとっておいたなんて、知らなかったんじゃないか?」


 知らなかったなら何をしても許されるわけじゃないが、遊司は理由もなく勝手に人の食物を食うような奴じゃない。


「消費期限がぎりぎりだったから、捨てるのはもったいない。だから代わりに食べてやろう、そう思ったんじゃないか?」


「誰もそんなこと頼んでねーし、俺が奪われたのは食い物じゃない。消費期限なんてありゃしないんだよ」


 正太郎の声が震える。


「無神経すぎる。普通考えればわかるだろ? 俺がどれだけあの瞬間を待ちわびていたか、夢見ていたことか……それなのに、あいつは」


 正太郎のすすり泣きをBGMに、俺はぼんやりと、昔読んだ日本の神話を思い出した。


 天照大神が、天野岩屋戸に閉じこもったきり出てこなくなってしまったのを、天鈿女命と仲間たちが、どんちゃん騒ぎで、扉を開かせる……という話だった気がする。


 残念ながら、ここに天鈿女命と仲間の神はいない。


 いるのは生身の人間の俺たち二人だけ。


「正太郎、俺はどうすればいい?」


 遊司が正太郎のなにを奪ったのか、はっきりしないが、正太郎は深く傷ついている。


 負けず嫌いで、弱いとこなんて見せない正太郎が、襖越しとはいえ、俺の前で泣くくらいだ、それはそれは、海よりも深く傷ついているんだろう。


「正太郎を傷つけた遊司は許せないだろう。だけど、遊司は反省してる。正太郎がそこまで傷ついているなんて知らなかったから、いつものように俺を経由して仲直りしようとしたけど、正太郎が望むなら、遊司を呼んできて、直接謝らせるぞ。それで正太郎が満足するなら」


 正太郎は返事をしない。すすり泣く声も聞こえない。じっと何かを考えているようだった。


「明日から夏休みだし、せっかくなら、楽しい気分で迎えたいじゃないか。正太郎が遊司を許すためだっていうなら、俺は何でもするよ」


 しばし、沈黙。そして、長いため息の後に、諦めたような、そっけない声が聞こえた。


「結局、おまえは遊司なんだな」


 何故、そうなる。


「いいよ、もう。俺のことなんかほっとけよ。夏休みなんか知るか。おまえら二人で楽しく遊んでりゃいいだろっ。おまえになんか、俺の気持ちは一生わかんねーよ、バーカっ!」


 人より頭の回転が悪いのは認めるが、何故このタイミングで馬鹿呼ばわりされなければならないのだ。そして何故か、正太郎はまたしても拗ねモードに入ってしまった。どうしたらいいのかわからない。




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