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上々天気  作者: 零
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ちょっと前のこと~本郷 朱音 十四歳~2

 暑くてだるくて身体中の水分が沸騰してしまうんじゃないかと思うくらい。


 まさに、うだるような暑さの帰り道。


 殴られたところを冷やすために買った缶ジュースを顎にあて、遊司はさっきから一人でぶつぶつ何か言っている。


「きっと暑さで頭が沸いたんだ」


 確かに今のおまえは暑さで頭が沸いてるように見えるよ、と思いつつ問い掛ける。


「さっきから何の話だ」


「正太郎に『俺にしろ』って言ったのは暑さのせいだって話」


 遊司は「そうだよ、そうに違いない」と自分自身に言い聞かせ、とくに俺に意見を求めているわけではなさそうだったので、そういうことにしたいならそうすればいいが、それを正太郎の前で話すのはやめた方がいいぞ、と心の中でだけ忠告してやった。


 しかしこいつは、本当に気分と雰囲気とノリと勢いで生きているんだな。


「で、朱音はいつ正太郎に好かれてるって気付いたわけ?」


 何の前触れもなく、何が『で』なんだ。


「『ところで』の『で』だよ」


「そういうことか。『それで』の『で』かと思った」


 今まで全然関係ないことを喋っていたのに、突然、『それで』と話を促されてもな。


「で、いつ?」


「いつとかはない。何となくそうなのかなと思ってただけで」


「何となくって、正太郎見てて、何となく、あ、コイツ俺のこと好きなんだな、って思うことあったのか?」


「好きなんだな、というか、あいつが口で言うほど嫌われていないのかもしれない、実は慕われているのかもしれない、程度だが、そう思わせるようなことがあった」


「例えばどんなこと?」


「色々あるからな」


 記憶の糸を手繰り寄せ、俺が正太郎に違和感を覚えたのは何時だったか思い出す。


「遊司が正太郎に好きな人が出来たと聞いたのは、小6だったか」


「そう、小6の夏休み」


「じゃあ、その頃だな。あいつ、あの頃、毎日怪我して帰ってきただろ」


 外に遊びに行っては、転んだだの木に引っ掻けただの。家の中にいても、紙で切っただの足をぶつけただの言っては俺のところに来て、「怪我したから手当てしろ」と命じた。


 横柄で手当てをお願いする奴の態度じゃなかったが、正太郎はそういう奴だからそのあたりは気にしなかった。


 それより気になったのは、正太郎の怪我の頻度と俺のところに来る理由だった。


 小6ともなれば、まだ小学生とはいえ、それなりに分別のつく年齢だ。


 ましてや正太郎は真面目な優等生だったから、俺に対する態度はとにかく横柄だったが、ばあちゃんや学校の先生の言いつけはよく守った。


 そんな正太郎が毎日毎日怪我をしてくる。普段の正太郎なら、一度怪我をしたら、次は怪我をしないよう、注意をはらうはずだ。


 なのにあいつはいつも同じような理由で怪我をしてきた。あの夏以前はそんなことなかったのに。


 そして、怪我をするとあいつは必ず俺のところに来て、手当てを命じた。


 ばあちゃんがいたって、遊司がいたって、手当ては絶対に俺にさせた。


 俺がいない時は、戻ってくるのを待ってでも、手当てをさせようとした。


 誰がしたって同じだろうに、正太郎は、「本当は頼みたくないけど、おまえが一番手当てうまいし、一番早く怪我が治るから」とよくわからない理由を述べた。


 一度だけ「その理由、よくわからない」と指摘したことがあった。


 その時は、「あーそう、そんなに俺の手当てするのが嫌なのか。ならいいよ、もう頼まないから。俺が破傷風になって死んだら、おまえのせいだからな。鬼畜腐れ外道な冷血漢め」など妙な理屈をこねて逆に怒られた。


 また、正太郎は俺に手当てをさせる時、絶対に二人だけになれる場所を選んだ。


 これも正太郎のこだわり? で、手当てを受けてる時の情けない姿を遊司やばあちゃんに見られたくないんだそうだ。


 俺には見られてもいいのかと思ったが、余計なことを言ったらまた怒られそうな気がして口にしたことはない。


 手当てをしている時、正太郎はじーっと俺を見ていた。


 作業をする手を見るのではなく、あきらかに俺の顔を見ていた。


 視線を感じて顔をあげると、正太郎はいつものしかめつらで「気持ちわりぃからこっち見んなよ」と言った。


 それを何度か繰り返すうちに、正太郎は手当てを受けている間、俺の顔を見つめながら呆けていることに気付いた。


 別に俺の顔に見とれているわけではないと思う。


 手当てを受け、俺の顔を見ながら、何かを考えているんだろう。何を考えているのかはわからないが。


 作業が終わると、最後に必ず、手当てをしたところを、痛くない程度に優しく撫でてやった。


 その時も、正太郎はなんともいえない表情を見せた。


 そんなことが夏休み中続いたが、あまりに怪我をする頻度が多いから、「心配になるから、怪我しないように気を付けなよ」と言ったところ、それ以来正太郎はぱったり怪我をしなくなった。


 たまに何かの弾みで怪我をしても、俺のところに来ることはなかった。


「今考えると、あれはわざと怪我をして来ていたのかもしれないと思って」


「朱音に手当てしてほしいからか?」


「わからない」


「それが本当ならちょっと……まあ、その話聞くと、正太郎が朱音のこと特別扱いしてるのはわかるな」


 遊司は額の汗を腕でぬぐった。


「でも、イコール、朱音に恋してるて言うには乱暴じゃないか?」


「それは変だなと思ったきっかけ」


「他にもあるのか」


「たいしたことじゃないが……正太郎は借りた物を返さないんだ」


 これは今でもよくある。


「ボールペン貸せ」


「シャーペンの芯よこせ」


「ハンカチ持ってないか」


 など、正太郎は何か必要なときはまず俺に聞く。


 俺が持っている物であればそれを貸す。だが、返ってきたためしはない。


 返ってくるにはくるのだが、俺が貸した物ではないものが返ってくる。


「この前借りたやつ、無くしたから、代わりにこれ使え」


 と新しいものを買って持ってきてくれる。律儀な奴だと思っていた。


「それは、本当に単純に、なくしてるだけなんじゃないの?」


「俺もそう思ってたんだが」


「だが?」


「箱を見つけてな」


 少し前のこと。貸した辞書を返してもらおうと正太郎の部屋を訪ねたとき、棚の上に綺麗な箱が置いてあるのを見つけた。


 薄い桃色の上に桜の花の絵が散らばっている何とも可愛らしい箱だった。


 正太郎の家は和菓子屋だから、もしかしたら実家から送られてきたのかもしれない。


「それで?」


「箱を開けた」


「おまえ、そういうことする奴だったの」


 遊司が信じられないというような目を向ける。


「普段の俺ならそんなことしない。でも、箱の隙間からハンカチが見えていたんでな」


 俺が正太郎に貸したのと同じ柄。無くしたと言っていたハンカチによく似ていた。


「もしかして、これってホラー?」


 遊司の顔が青ざめている。こんなに暑いのに。


「ホラーではない」


「じゃあ何」


「不思議な話、かな」


 遊司は怖々と、「それで」と続きをうながした。


「箱の中には色んな物が入ってた」


 ハンカチ、ボールペン、シャープペンの芯、お菓子の包み、とにかく色んな物。


「そのほとんどが、俺が正太郎に貸して、無くしたからって返ってこなかった品だった」


 お菓子の包みは、おそらく俺が正太郎にあげたものだと思う。ガムとか飴とかたいしたものじゃないが、食べずにとっておいたんだろう。


「……でも、ほら、たまたま朱音が持ってた奴、ハンカチにしてもボールペンにしても、デザインが好きだったから返したくなかった、とかさ」


 遊司は何故か取り繕うように焦りながら言った。


「そういう解釈も出来るな」


「それでいいじゃん」


「でもな、ストローもあったんだよ」


「う、」


 遊司の顔が強張った。これは言わない方がよかったか。


「……使用前?」


「わからない。ビニールには入ってなかった。何故か先の方に青いリボンが結ばれていて、チャックつきの袋に入れてあった」


「やっぱホラーじゃん!」


「しかし、俺が使ったものかどうかはわからない」


「それが朱音の使ったストローじゃなかったら、もっとホラーだよ!」


 遊司は自分の腕で自分の身体を抱き締めながら身震いする。


「ヤバい。どうしよ。すごく怖い」


「正太郎が?」


「他に誰がいるんだよ。怖すぎて、俺もう、正太郎とまともに会話とか出来ないかも」


 それは困る。遊司に嫌われたくないとあんなにびーびー泣いていたのに、本当に遊司に嫌われてしまったら、正太郎は一体どうなる。


「俺と正太郎で考えるから恐ろしくなるんじゃないか。例えば遊司が可愛い女の子に恋をしていて、でもその女の子と恋仲になるには望みが薄そうで、せめて心の慰めに彼女の持ち物をこっそり盗み悦に入る……と考えてみれば」


「俺はそんなまどろっこしいことしない」


 ばっさり言われた。まあ、遊司ならしないか。


「でも、お前、小学生の頃、好きな女の子のリコーダー」


「あーでも、ちょっと何か気持ちわからなくもないかもしれないな。好きな人のものに手出したくなるのはよくある話だよね、うん。さすがにストローはないけどな」


 話は途中で遮られた。正太郎のせいかリコーダーのせいか遊司の顔色はあまり宜しくない。


「大丈夫か? もうやめるか?」


「え、まだあるの?」


「あとは……クマのぬいぐるみのこととか」


 二年くらい前の夏祭り、思い付きでやったくじ引きで、クマのぬいぐるみを当てた。


 何が欲しかったわけじゃない。しかし、クマのぬいぐるみをもらって喜ぶような歳でもない。


 隣の家のちびっこにでもあげるかと思っていたら、正太郎が、「部屋に飾るから、いらないならよこせ」と言いだした。


 正太郎がクマのぬいぐるみを欲しがるとは思わなかったからいささか驚いたが、俺に異存はなかったから、クマのぬいぐるみは正太郎に譲った。


 正太郎は今でもそのクマのぬいぐるみを大事にしている。


「なんだっけ、やたらいかつい名前だったよな」


「熊五郎」


「そう、熊五郎。見た目は可愛いのに名前があってないんだよな……あの時、楽しかったよな」


 まだ二年しかたっていないのに、遊司は昔を懐かしむように優しい笑みを浮かべた。


「その熊五郎には二つ名があってな、どうやら、『あかね』というらしい」


 遊司の顔から微笑みが消えた。


「何でそんなこと知ってんの」


「いつだったか、正太郎が風邪をひいて寝込んだときに聞いたんだ」


 ばあちゃんに命じられ、正太郎の部屋まで食器を下げにいった。


 寝ていると思ったのに正太郎はスタンドの明かりをつけて、熊五郎と見つめあっていた。


 目の前に熊五郎を置き、自分は枕を抱えてうつぶせになる。修学旅行の夜に眠れない者同士で内緒話をしているような、そんな雰囲気があった。


「その時、あかね、と名前を呼ばれた気がして、返事をしようとしたら、正太郎はおもむろに熊五郎を手に取り、お互いの額をくっつけて、もう一度、『あかね』と呼んだんだ。その時初めて、熊五郎には『あかね』という別の名前があることを知った」


 遊司の頬がひきつる。


「それからしばらく、正太郎は熊五郎を抱き締めたり、頭を撫でたり、まるで愛しい人に」


「詳細な説明はいらない」


「……とにかく色々して、最後に正太郎は熊五郎に軽く接吻をし、」


「待て。接吻はやめよう。何か生々しい。キス、が言えないなら、せめてチューぐらい言おう」


「片仮名は響きが恥ずかしくて口にしたくない」


「そんな話聞かされてる俺のがよっぽど恥ずかしいよ」


 遊司は恥ずかしがっているようには見えなかった。むしろ、ぐったりして、疲れているように思われた。


「それで、正太郎は熊五郎に、せ……口付けをし、寝入ってしまった」


「うん、接吻よりかはマシかも」


「それはよかった。でも、俺はタイミングが悪いのか、その後、何回か同じような場面を目撃してしまってな」


 朝起きた時、学校に行く前、帰ってきた時、夜寝る前などなど。


「その度に俺は見てはいけないものを見てしまった罪悪感に苛まれ、正太郎に申し訳ないことをしたと猛省しながら、障子をそっと閉じてきた」


「申し訳ない以外に、何か思わないのか」


「熊五郎は愛されているなと思った」


「どう考えても愛されてるのは、熊五郎じゃなくて、おまえだろ」


「本人から告白されたわけではないから、断定は出来ない。それに熊五郎の二つ名が『あかね』だからと言って、イコール俺の名前からとったとは限らないだろ」


「朱音があげたクマなんだから、おまえの名前からとったに決まってるじゃん! それで想い人が朱音じゃなかったら逆に怖いってば!」


遊司は神妙な顔付きで地面を見据える。


「家庭内ストーカーか……」


「ストーキング行為はされてない」


「十分されてるよ。監視カメラとか盗聴機とか仕掛けられてないよな?」


「おまえは正太郎を何だと思ってるんだ」


「さっきまでは、一番の友達だと思ってた」


「今は違うのか」


「今は一番の友達でよかったー、と思ってる」


 遊司は噛み締めるように、


「正太郎の想い人が俺じゃなくて、ほんっとによかった」


「そうだな」


 正太郎の想い人が遊司だったら、たぶん、もっと早くにこの均衡は崩れていただろう。


「何か今、すっごい晴れ晴れとした気持ちだわ。やっぱ正太郎は友達だよ。大事な友達。一番の友達だ」


 遊司が元気なら、俺もよかった。



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