ちょっと前のこと~一条 遊司 十五歳~5
「何が心友だ、どアホ! 引いてないとか鳥肌なんてたってないとか、不自然すぎるだろ! 本音駄々漏れじゃねーか!! どーせ嘘吐くならもっとマシな嘘吐きやがれってんだ!」
ひどいっ。俺は俺なりに正太郎を傷つけまいと頑張ってごまかしたつもりだったのに。だけど鼻が痛くて声が出せない。
「どーせお前は俺のこと軽蔑してるんだろ? 同性を好きになるとか気持ち悪いとか思ってんだろ?」
それは違う、そんなことは思っちゃいない。が、やっぱり鼻が痛くて、声が出せない。
「そりゃ俺だって普通に女の子のこと好きになりたかったよ。だけど仕方ないじゃないか、好きになっちまったんだから。好きになった相手が男だったんだから仕方ないじゃないかよ」
正太郎はうつむき、鼻を啜る。また泣き出したらしい。
5年も一緒にいるけど、正太郎がこんなにボロボロ泣く奴だなんて全然知らなかった。というか正太郎が涙を流す姿を見たのも初めてかもしれない。
正太郎は繊細で人一倍傷つきやすいくせに、いつだって「俺とお前らは違うんだよ」って馬鹿みたいに意地はって強がって、絶対に弱いとこ見せようとしなかったのに。
鼻を押さえ、ふらつきながら立ち上がる。
正太郎は下を向き、微かな声を漏らしながら泣いている。しゃくり上げてわんわん泣かないのはプライドが許さないんだろうな。
手を伸ばし、うつむく正太郎の髪の毛をそっと撫でてやる。
正太郎は一瞬身体をびくつかせたが、嫌がりはしなかった。
「ひどい奴だな」
鼻の痛みにも慣れて(というか感覚が麻痺して)やっと声が出せた。
「俺、何も言ってないじゃん」
ゆっくりと正太郎が顔を上げる。眉は下がり、目も鼻も頬も真っかっか。涙と汗と鼻水とでせっかくのイケメンもぐしゃぐしゃで台無しだ。でも何故かそんな正太郎がとても可愛らしく見えて、思わずぎゅーっと力一杯抱き締めてしまった。
「遊、痛っ、」
正太郎がなんだか苦しそうな声を出したが、気にしない。よっく聞こえるよう、正太郎の耳元に口を寄せて、言う。
「俺は正太郎が大好きだ」
耳元で大きな声を出されたせいか正太郎は「ひっ」と変な声を出して暴れた。が、背は俺のが高いし、ガリ勉・正太郎よりかは俺のが力があるからがっちりホールドする。
「黙って聞けよ。俺は正太郎が大好きなんだよ。これは嘘なんかじゃないぞ。正太郎が俺のこと一番の友達だって言ってくれたみたいに、俺も正太郎のこと本当に本当に大事な友達だと思ってるんだよ」
ちらりと横目で正太郎を見ると、聞いてるんだか聞いてないんだか、ぼーっと前方を見つめていた。
「そりゃ驚いたし、焦ったけど、でもそんなことでお前のこと嫌いになったり軽蔑したりなんてありえない。何度も言うけど俺は正太郎が大好きなんだから」
ついでにいうならこうやって同性を抱き締めて優しく慰めてやるのも初めてのことであって、正太郎が相手だからこそ出来たわけだ。
「それなのにお前ってば勝手に勘違いして怒って、2発も殴りやがってよ。ひどい奴だよな」
いや、勝手に勘違いしたのは俺も同じだけど。
「俺らの友情ってそんな簡単に壊れるものか? 違うだろ?」
身体をはなし、顔を覗き込むように問い掛けると、正太郎は力なく頷いた。
「まだ疑うならそれでもいいよ。こんな状態じゃどうしたら信じてもらえるかわかんないし。でも俺は正太郎の味方だ。それは忘れないでくれ」
正太郎は、「うん」と声を出して頷いた。
「せっかくのイケメンがだいなしじゃんかよー。もっと自分の顔大事にしろ」
涙と汗と鼻水でぐちゃぐちゃの正太郎の顔をポケットに入れてあったハンカチで乱暴に拭ってやった。
正太郎はちょっと抵抗して、
「洗濯してあるのかよ」
「たぶん」
随分前に、ばあちゃんが、「涙を拭ってあげるハンカチくらいポケットに入れときな、色男」って皮肉なんだか嫌味なんだかよくわからないことを言いながら用意してくれたハンカチだ。今まで一回も使ったことなかったから、たぶん綺麗なはず。
「ごめん、遊司」
赤くなった鼻をまた自分の手の甲でぐじぐじと擦り、正太郎は顔を上げた。
「殴ってごめん」
「本当だよ」
「めんどくさい奴でごめん」
「まったくな。でもそーゆーの全部ひっくるめて、正太郎だし、俺が好きな正太郎はそーゆー奴だからそれでいいんじゃね?」
頭を優しく撫でてやると、正太郎は頬を赤くしながら視線をそらした。
「あんまり優しくするな」
「何で?」
「カッコいいなって思いそうだから」
正太郎は眉を寄せ、怒ったみたいに言った。
「いいよ、惚れても」
「冗談じゃない。これ以上惨めな想いするのはごめんだからな」
自嘲気味に笑う正太郎の姿が痛々しい。
「いや、マジで」
「は?」
「今からでも遅くないから、俺に乗り換えれば?」
正太郎は口を「あ」の形に開いたまま固まった。
「正太郎は俺が好き、俺も正太郎が好き。好きの意味に違いこそあれど、相手を思う気持ちに嘘はないはず。だから、俺ら絶対上手く行くと思うんだ」
「そう思わん?」と問いかけると、正太郎はやっとこさ口を閉じて、固い笑顔を浮かべた。
「遊司、何を、言ってるんだ? お前が好きなのは、女の子だろ?」
「もちろん。女の子も大好きだし手放すつもりもありません。だけどさ、正太郎をこのまま宙ぶらりんの状態にしとくのも可哀相じゃん? 考えてみたら俺らってガキの頃から一つ屋根の下で寝食ともにしてきてるわけだし、今さら名称が『友達』から『恋人』になろうとも別に生活には支障でないかなって」
正太郎は別に好きだからやりたいとかそうゆう考えは持ち合わせてないみたいだから、身に危険が迫るわけでもない。だったら、正太郎の気がそれで晴れるなら、正太郎がそれで満足するなら、俺が形だけでも恋人になってやってもいいかなーと。
「いや、でも、ちょっと」
正太郎は手を前に突きだし、「待った」をかける。
「俺も遊司好きだけど、でも、そんなの、よくないだろ」
真面目な正太郎は一生懸命考え、言葉を選ぶ。
「不純だ。そんなの。間違ってる」
「そうかぁ?」
「そうだよ」
でも真っ赤になってだらだら汗を流してる正太郎の様子見てると、満更でもなさそうなんだけどな。
彼氏がいるのに他に気になる男の子が出来て、その男の子から告白されて「駄目よ、私には彼がいるのに」と言いながらも、ときめきを止められない、揺れ動く心に戸惑う、少女漫画の主人公みたい。
そう思ったらこの健気で痛々しい正太郎がますます可愛く思えてきた。
「気持ちは嬉しい。でも、同情はいらない」
「同情で言ってるわけじゃない。本気だ。だって正太郎は俺のこと好きなんだろ?」
正太郎は困惑したように目を泳がせる。
「だから、好きだけど、それは意味が違う。おまえだってさっき自分で言ったじゃないか」
「でも、惚れそうになってるんだろ?」
「それは、その」
正太郎はゴニョゴニョ喋るから後ろの方は何を言ってるかよくわからない。
「俺は正太郎が好きだし、正太郎も俺が好き。それでいいじゃん。俺は正太郎がこれ以上苦しむ姿を見たくないんだよ。正太郎にすっごい優しくするし、側にいて欲しいときはずっといてやるし、俺に出来ることなら何でもしてあげる。やる以外のことならな。悪いこと言わないから俺にしとけって」
正太郎の想い人が何処の誰だか知らんが、報われない想いを抱き続けるより、目先の幸せをつかむ方が俺はずっといいと思う。
「何でおまえ、そんな必死になってんの」
「正太郎が可哀想だから」
「だから、それは同情だろ?」
「俺は同情で男と付き合うほど優しくはないぞ」
正太郎はちらっと俺を見たが、
「いや、やっぱり」
とかなんとか言って俺の話を受け入れようとしない。どうしたら正太郎は納得するんだろう。どうしたら正太郎は俺の言うことまともにとりあうんだろう。
これが女の子なら真剣な眼差しで「君が一番だよ」とでも言って、ちょっと表情が和らいだら流れで……、
「あ、そうか」
その手があったか。自分の気持ち確かめる意味でもいいかもしれん。
「正太郎」
真剣な眼差しでじっと正太郎を見つめる。
「なんだよ」
何かを察したのか、正太郎は少したじろいだ。
「俺は正太郎のこと好きだよ」
「うん……俺も好きだ」
「俺は正太郎のことなら女の子と同じように愛す自信があるんだ」
「だから、それは」
「それを今から証明してみよう」
伸ばした両手で正太郎の顔を優しく挟む。
「ちょっ、」
正太郎はまだ何か言いかけていたが、その前に唇をふさいだ。
人生初、男と、しかも幼馴染みで一番の親友(しかもしかも鼻にティッシュを突っ込んでる)とキスをした。
ただ触れているだけで、さして面白味もないかもしれない。が、正太郎にも俺にもこれで十分。
「いい加減にしろ」
静かな言葉とは裏腹に、強い力で身体を押し返されていた。
「お前な、」
「ほら、これでわかったろ? 俺、正太郎相手ならキスだってできんだよ」
本当に何の躊躇いもなく出来たことに、自分でもびっくり。他の野郎ならまっぴらごめんだけど、正太郎ならいいよって気分になった。
「同情じゃこんなこと出来ねーぞ? だから俺は正太郎のこと愛せる」
正太郎は茫然としていたが、やがてゆっくりと右腕を頭上に掲げ、そしてそれを勢いよく俺の頭にふり下ろした。
「いっ!」
衝撃に、危うく舌を噛むところだった。
「何すん」
言い終わる前に、シンプルに、でも懇親の力をこめて、おもいっきり突き飛ばされて、俺は吹っ飛んだ。
倒れた拍子に後頭部をしたたか打ち付け、一気に視界が真っ白になる。
「ありがとう、遊司。お前が本気で俺のことを想ってくれてるってことがよっくわかったよ」
薄れていく意識の中でやけに静かな正太郎の声が、聞こえた。
さっきまで怒鳴ってばっかりだったのに、急に冷静になっていったいどうしたんだ?
「だけどな、俺は人の気持ちを無視して、勝手に話を進める奴は嫌いだ。その場の勢いで心にもないこと言ったり、雰囲気に流されて軽率な行動をとることもな」
別に俺はそんなつもりじゃなかったんだけど、やっぱり正太郎には理解してもらえなかったか……てぇ、もしかして、これ、ものすごい怒ってる感じ?
「危うくほだされるとこだった。でも、気持ちは有り難く受け取っておく。おまえが友達でよかったよ。少しの間だけでも夢を見せてくれてありがとう。だけど俺は、誰彼構わず『好き』だって言ったり、悩んでる友達にも平気な顔してキスするような節操無しなおまえに恋愛感情なんて持たないから安心してくれ。おまえはこれからも変わらず好きなだけ女の子とよろしくやればいい」
「そんでもって腰砕いて死んじまえバカ野郎」という声を最後に、ぱったり正太郎の声は聞こえなくなった。
遠くで教室の引き戸を乱暴に閉めるピシャッという音がした。
……――何かなー、何だかなー。
今日はいったいなんていう日なんだ。厄日か?
何度も言うが俺は正太郎のことを思って、正太郎を傷つけまいと思って、ないに等しい頭をフル回転させて考えて頑張ったのに、全部裏目に出て、正太郎を怒らせて、三回?四回?も殴られて。
「なーんで俺ばっかりこんな思いしなきゃいけないんだよぉ」
大きな声で嘆いたら、ズキッと頭が痛くなった。
もういいや、そろそろ限界、このまま気絶してしまおう。そのうち誰かが見つけてくれるさ。
目を閉じて、いや、もう既に閉じてるのかもしれないが、鼻で息を吸ったら、身体が水の中に沈むようにゆっくりと無の世界に引き込まれていった。
ああ、そう言えば、正太郎の好きな男って誰だったんだろ?
そう思ったのを最後に、俺は意識を手放した。
《fin》