ちょっと前のこと~一条 遊司 十五歳~4
「大丈夫か?」
「大丈夫なわけないだろ」
だってさ、だってさ……だってさぁ!
遊司には嫌われたくないとか、軽蔑しないでくれとか、あんな涙ながらに縋りつかれたら、その前段階で『一番の友達』なんて言われてたって、話の流れからして正太郎の想い人は俺なんだろうなって思うじゃん! 思っちゃうじゃん!
正太郎を傷つけまいと悩んで考えて、抱き締めたり、優しい言葉をかけたり、頭撫でてやったり、俺超頑張ったのに……、
「全部俺の勘違いとか、馬鹿みたいじゃんかよ」
「本当にな」
倒れた俺の顔を覗き込み正太郎はクスっと笑う。仕方ない奴って言うみたいに。
その笑い方にムッとして、身体を起こし言い返す。
「確かに俺は人の話をちゃんと聞いてないかもしれないし、思い込みが激しいかもしれないけどよ、もとはといえば正太郎が思わせ振りな話をするからいけないんだぞ」
「何が思わせ振りだよ。さっきも言ったけど、俺はお前のこと『一番の友達』だって前置きして話しただろ。お前が勘違いしたのが悪い」
確かにそれも一理ある……。
「けど、想い人が誰なのかはっきり言わないで話を進めるほうにだって問題ある。俺は正太郎を傷つけまいと頑張って、いざという時は正太郎とやる覚悟だってしたのによぉ」
「やる覚悟って……」
正太郎はげんなりしながら、
「遊司さぁ、俺がそういう品のない話嫌いなの知ってんだろ」
「なんだよ、自分で話ふってきたんだろ。女の子に触りたいとか好きな子に対して色々妄想しちゃうとか」
「言ったけど、俺は遊司とは違うんだよ。やるだのやらないだの、俺はそこまで……」
恥ずかしそうに目をそらす正太郎。
「ほー。じゃあお前はどこまで考えてるんだ?」
「あ?」
「夜眠れなくなっちゃうくらいに色々なことを考えちゃうんだろ? 具体的にどんなこと考えてるんだよ?」
そう尋ねるなり正太郎の頬は見る間にまた朱色に染まった。それでも毅然と、
「色々は色々だよ。別にお前に言う必要はないだろ」
「いーじゃん教えてくれたって。真面目で堅物な正太郎がどんな妄想して自分を慰めてるのかすっごい気になるんだよー」
「慰めてねーよ! 変態かおまえは!」
「正太郎、顔赤いよ? もしかして恥ずかしいの?」
「赤くない! 恥ずかしくなるような理由もない!」
そう言いながらも、正太郎は手で頬を覆い、火を吹きそうな顔を隠そうとする。
「だいじょーぶ、正太郎がどんなことが好きかなんて誰にも言わないし、教えてくれたらちゃんと俺も言うから」
「聞きたかねーよ、そんなの。つかそーゆーんじゃねぇって言ってんだろ!」
耳まで真っ赤に染めながら正太郎はわめく。
口で言うほど知りたいというわけではないが、正太郎の想い人が俺じゃなくて、ほっとしたような拍子抜けしたような感じで、なんだかちょっと悪戯心が芽生えてしまったのだ。
だって俺、超必死で、あんなにハラハラドキドキ焦らされたんだぞ? 仕返しとばかり、今度は俺が正太郎のこと焦らせてもいいだろ、そのくらいしなきゃ気が済まない。
「大したことじゃねーよ」
「大したことじゃないなら聞かせろよ。なんかムキになるあたり怪しいんだよなぁ。やっぱり人には言えないような嬉し恥ずかしなこと考えてんじゃねーの?」
正太郎は一瞬真顔でキッと俺を睨み付け、すぐに「はぁ」とため息を吐いた。ようやく観念したらしい。
「で、いつもどんなこと考えてんだよ?」
正太郎は目を伏せ、恥ずかしそうにポツリポツリと喋る。
「二人で、」
「二人で?」
「遊びに行ったり」
「遊びに行く?」
おお、妄想デート、初恋って感じ。
「で、どこ行くの?」
「公園」
「公園? 夜の?」
正太郎は怪訝な顔して、
「何で夜なんだよ。昼間だよ」
昼間の公園に野郎二人で行って何が楽しいんだ。いや、俺にとってはただの野郎友達だけど、正太郎にとっては想い人だもんな、そりゃ好きなやろ、じゃなくて、好きな人と一緒だったら公園も楽しいだろう。公園デートって言うし。
「公園といえばあれか、ボートとか乗るのか?」
「乗らねーよ。野郎二人でボートって画的にキツいだろ」
「足漕ぎアヒルさんボートならギャグだと思われるんじゃね?」
「俺はボートに乗りたいわけじゃない」
「じゃあ何すんだ?」
夕暮れのベンチに腰掛けて寄り添いながら愛を語るのか? 童心に返ろうとか何とか言ってブランコ二人乗りしてきゃっきゃっとはしゃぐのか? どっちにしろ野郎二人、画的にキツいことにかわりはない。正太郎がそんなことしてる場面に出くわしたら、石投げるな。
「キャッチボール」
「は?」
「キャッチボールがしたいんだ。二人きりで」
二人きり、そこが重要らしく正太郎はちょっと強く言った。
「誰もいない公園で二人きりでキャッチボールして、ボール投げながらしりとりをしたい」
「しりとり?」
何でしりとり?
「お互いに何か言うたびにボールを投げる。続けてればそのうち終わりが『す』の言葉が出てくるだろ?」
「まぁ出てくるだろうな」
終わりが『す』。アイスとかスイスとかキスとか……いやこれはちょっと。
「終わりが『す』。ボールが飛んできたら、『す』から始まる言葉を言って、あいつにボールを投げ返すんだ」
あんなに嫌がってたのに、いつの間にか正太郎は顔をあげ、目をきらきら輝かせながら俺を見つめていた。
「『す』から始まる言葉。スナックとか?」
「いや」
「じゃ、スルメイカ?」
「違う」
「えー? スコットランドヤード?」
「何でロンドン警視庁なんだよ」
「スコットランドヤードってロンドン警視庁って言うのか」
てっきりイギリス警察庁かと。いやいや、そんなことはどうでもいいな。
「すーすー……スキー!」
思いついた言葉を適当に言ったら、正太郎は「あ、」って顔して、
「惜しい!」
「え、じゃあスノボ?」
「違う、離れた」
「えぇ? あ、わかった、スケートだ!」
目をキラキラ輝かせていた正太郎は、真顔に戻り、首を傾げた。
「何でスキーで惜しいって言ってんのにスノボとかスケートになるわけ?」
「スキーだから、ウィンタースポーツ系統かなと思って」
「分野の話じゃない。言葉の響きが惜しかったんだよ」
「言葉の響き?」
正太郎は頷き、照れたように笑いながら言った。
「すき」
「スキ?」
空きっ腹の『空き』? 透きとおってるの『透き』? 百姓一揆で使う『鋤』?
「愛の告白をする時の『好き』だよ」
教室の天井を見上げ、正太郎はうっとりと呟く。
「愛の告白をする時の、好き」
正太郎の言葉を小さな声で繰り返す。ただそれだけのことなのに背中がぞくぞくっと寒くなった。
「ボールを投げ返す前に言うんだ。『好きだよ』って。あいつはびっくりして俺の投げ返したボールを上手くキャッチ出来なくてこぼしてしまうかもしれないな。そしたら少し笑ってやって、また言うんだ」
正太郎はうっとり状態のまま俺の目を真っすぐ見つめて言った。
「ずっと前から好きだった。だから、俺と……」
そこまで言うと正太郎はまたしてもゆでたタコみたいに真っ赤になって「あー駄目だ! やっぱその先は言えねぇ!」と顔を隠した。
それからすぐに手を顔から鼻へ移動させ、空いた手でポケットの中をごそごそやりはじめた。鼻血だ。
正太郎は興奮するとすぐ鼻血をだす。てことは、今ので興奮したのか……。
「……まぁそういうわけだ。チキンな俺は妄想の中でもあいつに自分の想いの丈を伝えられず、羞恥のあまり悶絶してしまうんだ」
鼻にティッシュをつっこみ、正太郎は涙目で俺を見る。
「俺、情けないだろ?」
そんなことない、そう言ってやりたい気持ちはあるんだが口が動かない。
「フォローなしか。そうだよな。格好わるすぎだよな」
ちょっと拗ねたように正太郎は視線をそらす。
そうじゃないんだ、そうじゃないんだけど――かける言葉が見つからない。
どーでもいいけど、鼻にティッシュをつめこんでも、顔がいいと何となく様になるんだな。舞ちゃんが今の正太郎を見たら、どう思うだろう。
「遊司?」
正太郎が訝しげな顔で俺を見る。
「どうした?」
「何が?」
「笑顔のまま固まってるから」
「や、そんなことは、」
「その笑顔もかなり引きつってるぞ」
「まるで何かに怯えてるみたいだな」なんて正太郎は言ったが、俺は別に怯えちゃいない。怯えちゃいないが、恐れてはいる。
俺が正太郎の「妄想劇場~告白篇~」にどん引きしてることに気付かれないかひやひやしているのだ。
キャッチボールのくだりでやめときゃよかった。まさかあの流れで「ずっと前から好きだよ」の言葉を聞かされるとは思わなかったから、あれ聞いた瞬間、身体中に一気に鳥肌がたった。
いやぁ、無理! マジで無理! こいつホント無理! 寒いし、キモいし、イタイし、怖いし! 何で公園でキャッチボールから告白になるんだよ!? いったい何処の世界の話だよ!? 日曜日のお父さんと息子のコミュニケーションじゃないんだからさ、告白にキャッチボール使うなよ! しかもこいつしょっちゅうこんな阿呆みたいな告白シーン妄想してんだろ? そしてまさかの鼻血! どん引きだよ! 引くなって言う方が無理だよ! やっぱ正太郎は勉強し過ぎて頭の回路どっかおかしいんだな、気の毒に、あぁでも今のは本当にキツかった……なーんて思ったのがばれたら、一発殴られるどころじゃすまないからな。
「遊司、」
正太郎が眉を八の字に下げ、不安そうな声を出す。
「もしかして、引いた?」
「引いてない! 全然引いてない、どん引きなんかしてない! こいつマジ無理とかキャッチボールで告白とか鳥肌もんだわ! なんてちっとも思ってない! だから安心しろ!」
俺が必死で否定すると、正太郎も微笑んだ。
「そうだよな」
「そうだよ、俺が正太郎のことそんなふうに思うはずがないだろ。俺たち心友じゃないか! 心の友と書いて心友だ!」
「そうだよな、ごめん遊司、疑って」
「いやいや、そんな」
正太郎が笑うから俺も笑う。誰もいない教室の床に座り込んで、野郎二人馬鹿みたいに大声で笑いあった。ああ、これぞ青春、素晴らしき男の友情ってやつだな。
「なわけあるか」
暗く低く呟き、俺が何か言う前に、正太郎は俺の鼻っ柱におもいっきり右の拳をたたき込んだ。
馬鹿みたいに笑って油断してたから、まともに拳を食らって、そのままずでんと後ろに倒れてしまった。