ちょっと前のこと~一条 遊司 十五歳~3
「遊司、わかんない?」
「何が?」
「俺の好きな子が誰か」
そう言いながらまた正太郎は訴えるような縋るようなそれでいて不安そうな目で俺を見つめてくる。
「……予想はついてるんだ。ついてるんだけど」
どうしよう、なんて言おう。
俺が女の子好きなのは正太郎だって重々承知だ。だから今さら「俺は女の子が好きだから、正太郎の気持ちには答えられない」って言っても、正太郎を傷つけることはないはず。はずだけど、何か言いづらい。
「ごめんな、遊司」
正太郎が突然謝るからびっくりして、思わず身構えてしまった。
「何?」
「遊司は一番の友達だって言ったのに、こんな隠し事するなんて」
「や、俺はそんな気にしてないから」
「本当はもっと早く言いたかったんだ。早く俺の気持ち打ち明けて楽になりたかったんだ」
「俺の気持ちって……」
言えるわけないよな。好きな相手が幼なじみ、ましてや同性だなんて。俺が正太郎の立場なら、絶対言えないよ。
「でも怖くて。さっきも言ったけど、遊司に本当の気持ちを話したら、絶対に軽蔑される、嫌われるって思ってた。遊司との関係が崩れてしまったら、俺、これから先どうして生きていけばいいんだろうって怖くて不安でたまらなかったんだ」
つまりそれは、今まで俺のことをそーゆー目で見ていたと言うことだよな。
熱い想い、たぎる欲望を押さえ切れず、いけない妄想をしてしまう相手は俺だったということだよな。
そしてそのことにずっと罪の意識を感じていたってことだよな。
だからこの話をしたら軽蔑される、嫌われるって怯えてたんだよな? そーゆーことでいいんだよな? ……俺、正太郎の妄想でどんなことされてたんだろう。知りたくないけど、でもすっごい気になる。
「遊司、本当は俺のこと気持ち悪いって思っただろ」
正太郎は固い声で言った。
「思ってないって」
「さっきより顔が強張ってる」
それは、正太郎の妄想を妄想して、げんなりしただけで……とは言えない。
「そりゃ、多少はびっくりしたから。正太郎のこと気持ち悪いって思ったわけじゃない」
正太郎はまたうつむいて鼻をすすりあげながら、ぼそぼそ喋る。
「軽蔑しただろ」
「してないって」
「嫌いになったんだろ」
「そんなわけないって」
こんなに真面目で真っすぐで純粋な正太郎をどうしたら嫌いになれるって。
「本当か?」
「本当だよ」
「本当に本当か」
「本当に本当だよ」
ちょっと間が出来て、正太郎がまた鼻をすする音がした。
「……・変なこと言って、ごめん」
正太郎は堪え切れず泣き出したみたいだった。怯えたような表情、濡れそぼった瞳、ピンク色に染まった頬を流れる一筋の涙。じっと見ていると、胸が苦しくなる。
「俺、遊司に嫌われたら、ほんとに、生きていけない」
「正太郎……」
「だから嫌いにならないでいてな……俺のこと、気持ち悪いかもしれないけど、頼むから軽蔑しないでくれ」
もうどうにでもなれとばかりに、身を乗り出して、正太郎をぎゅうっと抱き締めた。
正太郎は男だ。女の子みたいに柔らかくもないし、いい香りもしない。抱き締めたって何にもおもしろくない。だけど今の俺にはそんなことどうでもよくて、ただ目の前のこの痛々しいくらいに健気で真っすぐでかわいい友人を抱き締めてやりたかったんだ。
「遊司?」
突然のことにびっくりしたのか、俺の腕の下で正太郎がわたわた動くのがわかった。
「軽蔑するわけないだろ。俺はお前が思っている以上に、お前のこと大事に思ってるんだからな」
「遊司」
正太郎は抵抗を止め、おとなしく俺の言葉に耳を傾け始めた。
「ずっと苦しんでたのに、気付いてやれなくてごめんな」
「そんな、」
「正直言うと、正太郎がまさか男が好きだなんて思わなかったから、びっくりした。ちょっとだけ、マジかよって思った」
「そう、だよな」
正太郎の声が少しだけ沈む。身体に巻き付けた腕に更に力を込める。
「でも、俺はお前のこと軽蔑したり、嫌ったりしない。お前のこと本当に大事な友達だと思ってるから」
「遊司……」
正太郎が鼻をすする音が聞こえる。友達という言葉に安心したのか、ショックを受けたのか。
「正太郎の気持ちは嬉しい。本当に本当に嬉しい。けど、ごめん。正太郎も知ってる通り、俺は女の子が大好きだから」
「遊司?」
困惑したような正太郎の声が耳元で聞こえる。
「正太郎が俺のことを想って、想い過ぎていけない妄想をしてしまう気持ちもわかる。正太郎だって男だから、好きになった相手が同性だって、やりたいもんはやりたいだろう」
「や、遊司、俺は、」
「いいんだよ、何も言わなくて。純粋な正太郎にこんな言い方しちゃいけないってわかってはいるけど、結局はそこなんだよ。正太郎は俺が大好きで、俺も正太郎が大好きだ。ただ同じ好きでも正太郎と俺のでは全然意味が違う。何処が違うかって言ったら……綺麗な言い方をすれば特別な存在になりたいとか、一番近くにいたいとか色々あるかもしれない。でもこの際はっきり言ってしまおう、正太郎はつまり俺とやりたいんだろ? 正太郎はそれが出来ないから妄想をして自分を慰めてるんだろ?」
「遊司、だから、」
「それがいけないとは言わない。それで正太郎の気が済むなら思う存分に妄想してくれ。大丈夫、俺は汚されたと思わないから」
「遊司!」
恥ずかしさに耐え切れなくなったのか、正太郎は俺の腕を振りほどこうと、身を捩り始めた。
「もう少しで話は終わる。さっきも言ったとおり、俺は女の子が大好きだから、正太郎とは出来ない。だけど、もし、正太郎も男だし万が一ってこともあるから言っとくけど、どーしても妄想だけじゃ我慢できなくて、理性崩壊寸前、もう何がどうなったってかまわない、力付くでなんとかするしかない! ってくらいに欲望が高まったら言ってくれ」
身体を離し、困惑顔の正太郎の目を真っ直ぐ見つめる。
「お前が下でいいなら、その時は俺も頑張るから」
「遊司、」
正太郎は顔をくしゃっと歪め、パッと下を向いてしまった。
俺の言葉が嬉しかったのか、友達以上にはなれない現実にショックを受けたのか、ただ単に恥ずかしくなったのか。とにかくしばらくはこうして黙って傍にいてやろう。正太郎も頭の中混乱してるだろうし……と思ったのもつかの間。
「このアホんだらっ!」
勢い良く顔をあげた正太郎に平手でほっぺたを思い切りひっぱたかれた。
まさか殴られるとは思ってなかったから、勢い余ってそのまま床に倒れてしまった。
「ボケ! アホ! カス! ど変態! 勝手に勘違いしてきめぇことばっか言ってんじゃねぇ!」
さっきまでメソメソしてた正太郎が、何故か今は顔を真っ赤にして肩で息をしながら俺を怒鳴り付けている。何がなんやらさっぱり意味がわからない。
「何でおまえはそうなんだよ! 確かにこんな話をしてもおまえが俺の気持ちをわかってくれるわけないって予感はしてたよ。予感はしてたけど、何でこんな清々しいまで見事に予想どおりなんだよ! むしろ予想以上だよ、どアホ!」
正太郎は一度ひっこんだはずの涙をまた目の淵にためながら喚いている。
きっと俺が正太郎の気持ちに応えてやれなかったことが、辛くて悔しくて悲しいんだろう……ああ、なんて可愛そうな正太郎。だけど俺にはどうしてやることもできないんだ。
「正太郎、ごめん、本当にごめんな」
床にへたりこんだまま、情けない声で謝る俺に正太郎は一瞬怯み、困ったような顔をしながらしゃがみこんだ。
「遊司は何を謝ってるんだよ」
「正太郎の気持ちに気付かなかったこと、そして答えられなかったこと」
「だから、」
言い掛けた正太郎の腕を引き、倒れてきた身体をぎゅっと抱き締める。正太郎はびっくりしたのかまたわたわた動いていた。
「誰もいない、誰も見てないよ。だから思う存分に泣くといい。俺にはこんなことしかできないから」
耳元で優しく声をかけてやると、正太郎の動きはぴたっと止まった。
正太郎の頭を肩に埋めさせ、それからゆっくりと、猫みたいなふわふわな茶色の髪を撫でてやる。
「何も言わなくていいんだよ正太郎、今の俺には全部わかってるんだから」
「いーや、お前は何もわかっちゃいねーよ」
正太郎は長いため息をつく。
「お前、いつも女の子にこんなことしてんの?」
「必要とあれば。でも、男にやったのは正太郎が初めて」
「ふーん」
正太郎はなんとも気の無い返事をしたが、きっと照れているんだろう。
「今、この瞬間の正太郎は俺にとって特別な存在だな。まさか男をこんなふうに優しく慰める日が来るなんて思ってなかったから」
「特別な存在か」
正太郎の肩がかすかに震えだす。泣いているのかと思ったが、正太郎は笑っているようだった。
「お前、本当にいい奴な」
「いい奴なんかじゃないよ」
正太郎の想いに答えてあげられないんじゃ、いい奴もなにもない。
「今、ちょっと後悔してるんだ」
「何を?」
「同性を好きになったこと」
それにはいったいなんとコメントしたらよいのやら。そうだね、っていうのも悔やむことないよ、っていうのも、どっちにしろ薄情な気がして。
「どうせ好きになるなら、本当に遊司のこと好きになればよかったな」
「そんな――……え?」
正太郎の肩をつかみ、身体を離す。
「正太郎、おまえ、今、なんて言った?」
正面からばっちり目が合うと、正太郎は呆れたように笑い、
「お前のことを好きになればよかったって言ったんだよ」
「なんかそれって、正太郎の想い人は俺じゃないみたいに聞こえるな」
「みたいじゃなくて、お前じゃないんだよ」
「え?」
え? え? だって、ほら、
「俺がいつ、お前のこと好きだって言ったよ」
正太郎は肩をすくめる。
「『遊司は一番の友達だ』って言ってんのによ。おまえはほんっとに人の話を聞かねぇな」
正太郎の言葉が俺の耳に届くまでしばし時間が掛かった。
ようやっと、正太郎の言葉の意味を理解したとき、昔のコントみたいに俺はその場で引っ繰り返ってしまった。