ちょっと前のこと~一条 遊司 十五歳~2
「俺の友達の中で俺のことを一番よくわかってくれてるのは遊司だと思うんだ」
「うん、まぁ」
小4からの下宿仲間だし。付き合いは長いから。
「俺はお前のこと信用してる」
「うん、俺も」
そんなこと口にしなくてもわかってるけど、正太郎がそう言ったから俺も言ってみた。でも、急に改まっていったい何の話だろう。
「正直、お前がいなかったら俺ここまで生きてこれなかったかもってくらい、お前には色々と助けられてるんだ。今まで本当にありがとうな」
「正太郎……」
予想しなかった言葉に思わず胸がじーんとなる。そんなことお互い様じゃないか、わざわざ礼なんて言うことないのに。
そんな俺を見て、正太郎はたいていの女の子なら三秒も見てられないくらい、爽やかでカッコいい笑顔で、
「遊司は俺の一番の友達だよ」
「正太郎ぉ!」
また思いがけず胸がじーんとした。何で正太郎が突然こんなことを言いだしたのかはよくわからないけど、俺も正太郎のこと一番の友達だと思ってるよ! そう言おうとしたら、先に正太郎が口を開いた。
「だからこそ、今まで遊司に言えなかったんだ」
神妙な顔をして、また重々しく話をする正太郎は今までとちょっと雰囲気が違う。
「俺がそれを口にしたことによって、遊司に嫌われたら、軽蔑されたら、今の関係が崩れてしまったら。そう思うと怖くて、言えなくてずっと黙ってたんだ」
苦しそうに申し訳なさそうに話す正太郎を見てたら何だか俺まで苦しくなってきた。
正太郎はバカみたいに真面目な奴だから、親友の俺に隠し事してたのが後ろめたくて仕方なかったんだろう。
「大丈夫だよ、正太郎。俺ら出会ってからもう五年だぜ? 今さら正太郎が何を言おうと俺は正太郎のこと嫌ったり軽蔑したりしないから」
だから言え。何でも言え。俺はどんな正太郎でもどーんと受けとめてやるぞ。
俺の言葉に正太郎は瞳をうるませながら「お前、本当にいいやつな」と言い、目を擦った。
「遊司も知ってるとおり、俺、ずっと前から好きな子がいるんだよ」
「そうだな。色んな事を妄想しすぎて夜も眠れなくなっちゃうくらいに好きな子だな」
「それは言わないで」とゴニョゴニョ正太郎は喋る。
「うん、それで?」
「俺、好きな子がいるとは言ってたけど、それがいったいどこの誰なのかは言わなかっただろ」
「そうだな」
「お前も聞かなかったし」
「聞いたら悪いかなと思ってたからな」
子どもの頃の正太郎は話題がちょっとでも女の子のことや性にかかわることに触れると、顔を真っ赤にして話をするのをやめてしまう癖があった。つまり超ウブでシャイなのだ。
正太郎に好きな子がいると聞いたのは三年前、小6の夏休み。
わざわざ近所にある人気のない公園に呼び出して、「好きな子ができた」と、こっちまで恥ずかしくなるくらいにもじもじしながらそう言ってたっけ。
正太郎の想い人が何処の誰なのか、俺の知ってる子なのか、知らなければ、いったいどんな子なのか興味はあったけれど、耳までゆでダコみたいに赤くして、
「遊司だから言ったんだからな。他の人には絶対言わないでな!」
と懇願する正太郎に根掘り葉掘り聞けるワケがない。
その時は「わかった」と笑顔で答えて終わった。本当はすごくすごーく気になっていたんだ。
クラスの可愛い女の子、綺麗な上級生のお姉さん、誰に告白されても一度も頷いたことがない正太郎が好きになった女の子って、どれだけ魅力的なんだろう?
「いや、だからさっき言ったじゃん……」
正太郎は目を潤ませてじっと俺を見つめてくる。
男の俺でも惚れ惚れしてしまうくらい、本当に正太郎はカッコいい。いつもならこうやって正太郎とばっちし目が合う瞬間があると「お前本当にいい顔してんな」と誉めるとこだが、今は違った。
何故か背筋がゾクッとした。正太郎に潤んだ瞳で見つめられ、何だかすごく寒気がした。
「正太郎、さっき何か言ったっけ?」
何だかわからないけど、きっと気のせいだと自分に言い聞かせ、正太郎に向き直る。
正太郎は目を伏せ、恥ずかしそうに、
「……女の子に対して、そういう感情が沸いてこないんだってば」
「そういえばそんなこと言ってたな……あれ? だけど自分の好きな子のことはついついいけない妄想をしちゃうんだろ?」
正太郎は声を出さず、目を伏せながら首を縦に振った。
「でも、女の子に対してはそーゆー感情が沸いてこない、と」
じゃあ、正太郎はいったい誰に対して人には言えないようないけない妄想をしてるんだよ?
「だから、その、」
いつもの凛々しい正太郎は何処へやら。うつむき、頬をうっすら桃色に染め、もじもじしながら、切なそうな目で、ちらりと俺を見上げる。
正太郎は何かを訴えてる。明らかに、口には出来ない何かを目で訴えている。
これは、もしや……。
引きつりそうになる顔の筋肉を引き締めて、まさか、そんなと思いつつ、思いついたことを、努めて優しい声で尋ねる。
「正太郎の好きな子ってさ、もしかして……女の子じゃないの?」
「軽蔑するか!?」
勢い良く顔を上げた正太郎は、本当に今すぐにでも泣きだしそうな顔をしていた。
「俺が、男が好きだって言ったら、遊司は俺のこと軽蔑するか?」
内心、うわぁマジか! と思いながらも俺は間を空けずに言ってやった。
「しないよ、するわけないだろ。女の子に興味がなかろうと、男が好きだろうと、正太郎は正太郎だ。俺の一番の友達である正太郎に変わりはない」
そりゃ、びっくりはしたけど、俺にとって正太郎は大切な友達。一番の親友。正太郎の想い人が男だから何だって話だよ。親友のためなら俺は全力で応援するつもりだ……問題は正太郎の想い人が誰なのか、ということだ。
「ありがとう、遊司ならそう言ってくれると思った」
無愛想な正太郎が、珍しく、満面の笑みを浮かべた。
「で、正太郎の想い人って誰なわけ?」
「……もう言わなくてもわかるだろ?」
正太郎はまたなんとも熱っぽい視線で俺を見つめてくる。何でそんな目で俺を見るんだ。
「……どうだろう? 予想はついてるけど、あってるかどうかわからないから、ヒント頂戴」
「ヒント……俺の一番近くにいる人、かな」
それヒントになってないから。
「正太郎の好きな、男の子ってさ、俺も知ってる人だよな?」
俺の質問に正太郎は目を丸くし、
「そんなとこからスタートなのか? お前本当に予想ついてるのか?」
「あー……のー、一応、念のため聞いたんだよ。当然俺の知ってる奴に決まってるよな」
「あたりまえだろ。お前の知らない奴ならこんなこと言わねーよ。昔から、よーく知ってる奴だよ」
そう言いながら、正太郎はちらりと俺に意味深な視線を投げ掛ける。期待されてる。間違いなく何か期待されてる。
よく知ってる。自分のことなら、そりゃ当たり前のようによく知ってる……いやいや、まだそうと決まったわけじゃない。
「同じクラス……だよな?」
「もちろん」
同じクラスで俺と正太郎がよく知ってる奴。俺は女の子とは仲いいけど、男子からは煙たがられてるし、正太郎もほとんど友達いないしな。
「へぇ、そーなんだー。確か正太郎が俺に好きな子が出来たって言ってきたのって小6の夏休みとかだったよな。てことは、小学校からの付き合いとか?」
「うん。小4の時に下宿で出会ったのが始めで、それから一緒にいるようになった」
「そうなんだーかなり長い付き合いなんだなー」
小4からの下宿仲間で、今現在同じクラス。該当者はもう一人しかいないじゃん……。
「出会った頃はなんとも思ってなかったんだ」
目を伏せ正太郎は恥ずかしそうにポツリと呟く。
「むしろ最初の頃はいけすかない野郎だなって思って、仲悪かった」
「そういや俺たち喧嘩ばっかりしてたな」
正太郎は小4の時に俺らの住む街にやってきた。
家庭の事情とやらで親元をはなれることになった正太郎を朱音の婆ちゃんがつれてきて、「今日から一緒に暮らすことになったからね」と言ったんだ。
その時の正太郎、不機嫌まるだしで「何でこんなとこでこんな奴らと住まなきゃいけないんだよ」って不服そうな顔してたっけ。
「婆ちゃんに『挨拶しな』って言われたのに、黙ってたらお前が『新入りのくせに態度でかいぞ』って怒ってな」
「だってあの時の正太郎の態度は本当に腹が立ってさ。俺は皆で楽しく暮らしたかったから、和を乱す奴が許せなかったんだよ」
「その後に取っ組み合いの大喧嘩になったな」
「あの時、先に手を出したのは正太郎だったぞ」
「そうだっけ?」
「そうだよ」
「婆ちゃんが止めに入ったんだけど止められなくてな」
「最終的に朱音にバケツの水ぶっかけられて終結したんだよな」
「『食事中はお静かに。喧嘩するなら出ていけ』ってさ」
「それでいて自分だけさっさと飯食い始めて」
「我に返った婆ちゃんにこっぴどく叱られて、飯抜きにされたうえに床の掃除させられたな」
水をまいたのは朱音なのに……俺ら三人の中で一番か弱そうな朱音が実は一番強かった。
それでいて朱音は母親のようにいつも甲斐甲斐しく正太郎や俺の世話をやいてくれて、あの時だって、掃除のあと『ごめんね』て謝りに来て、朱音は婆ちゃんに内緒で温めなおした夕食を持ってきてくれたっけ。
「あの時のことけっこう衝撃が大きくて、婆ちゃんも含めて、しばらくの間は何て奴らだ、いつか絶対復讐してやるって思ってた。それがいつの間にか一緒にいるのがあたりまえになっててたんだよな」
そんなに遠くない過去を思い返す正太郎は、普段の仏頂面しか知らない奴には信じられないくらい、優しい顔をしていた。