SA-003 身体は鍛えるべきだった
翌日は、周りの物音で、朝日が昇る前に起きることができた。
倒れていた敵兵の持ち物を探しして、使えそうな物を兵の下げていたバッグの1つに纏めておく。俺の私物は殆ど無いからな。真鍮の水筒も貰っておこう。今日はかなり歩くと聞かされた。
「バンター、これも貰っとけ!」
ザイラスさんが、短い剣を鞘ごと放り投げてくれた。
「良いんですか?」
「錆びて土に帰るよりは良いだろう。長剣なら他の連中が欲しがるだろうが、これは片手剣だ。騎士が使う剣では無い」
腰に差すのも邪魔になりそうだ。紐を見付けて、背中に背負っておく。短剣よりは何となく気分が良いな。
近くに落ちていた短剣も貰っておこう。これはどう見てもなまくらだが、それなりに使い道はある。
顔を洗って昨夜の焚き火跡に戻ると、小さな焚き火を作ってハムが炙られていた。
焚き火の傍に座ると、小さなピザ生地のように薄いパンに炙ったハムを挟んで渡してくれる。
「今日は歩くぞ。途中で焚き火も作れないから、これが朝食だ。もう一つは布に包んでバッグに入れておくんだな」
「どれ位の距離なんでしょうか?」
「そうだなぁ……。途中で一泊は確実だ。明後日の昼過ぎになるだろうが、途中の敵兵次第って事になりかねないな」
2日歩く事になるが、俺の体力が持つか心配になってきた。
食事を終えてお茶を飲んでいると、山小屋の戸口からザイラスさんが俺の名を呼んでいる。今日の行程を確認するらしい。
小屋の中に入ると、昨日はおばさんのような恰好をしていた女性達が騎士と同じような綿の上下にマントを羽織っている。
どうやら、村人に化けて追手を逃れていたらしい。今度は長袖に薄手のジーンズのような服装だから、行軍重視と言う感じがするな。
二十歳を少し過ぎたお姉さん達ばかりだ。例外がどう見ても40代に見える乳母のマリアンさんと、15歳程に見えるサディーネ王女という事になる。
「やってきたな。さて、今日の予定を話し合おう。出発が遅れても困る。簡単に済ませようぞ」
「先ずは、私から……」
ザイラスさんが、王女様の前に昨日の地図を広げると、現在地と目的地までの道筋を指でなどりながら説明している。
縮尺が良く分からないけれど、1日半って感じだから15時間程度歩くって事になるのかな? 距離にして50km程度になりそうだ。
「街道を歩くわけには行きませんから、烽火台跡には間道を通って向かう事にします。今日は、何とかこの廃村に行き着きたいものです」
「追手が待ち構えているという事は?」
「廃村ですから、その危険は無いものと……。一応、先遣隊を向かわせます」
「俺も、追手の可能性は低いと思いますよ。いたとしても、10人程じゃないですか?」
「ふむ。してその根拠は?」
俺は地図の上を指でなぞる。街道と、廃村の分岐路だ。
「廃村への道は街道と、この分岐路があるだけという事じゃな。だが、この地図にはこの道が記されておるぞ」
「この地図が王国の地図という事です。果たしてこのように間道まで記された地図が王国にいくつありました?」
俺の言葉に、王女様とザイラスさんが顔を見合わせる。
ザイラスさんが小さく頷くのを見た王女さまが、今度は俺に顔を向けた。
「……確かに。分岐路が書かれているかも怪しい限りじゃ。となると、近くの村の調べで廃村の事が分かっても分隊を調査に向かわせるぐらいなものじゃろう。分岐路からの足跡も無くば、村跡を一巡りして帰るであろうな」
「わざわざ、敵王国に逃げることも考えられぬでしょう。逃げるとすれば反対側に網を張ろうかと」
西に向かう街道は、途中で2つに分かれている。今頃は脱出する民衆で街道が溢れているだろうな。
「十分じゃ。それではザイラス、指揮を頼むぞ」
「承知しました。カリオン、先遣隊を出せ! 焚き火は消すのだぞ!」
いよいよ出発か。入り口近くの壁に手斧が掛かっているのを見て、貰う事にした。
俺達が外に出ると、ザイラスさんが銀貨を2枚テーブルに乗せている。宿代のつもりなんだろうな。
軒下にあった棒は何かの材料なんだろうけど、手斧で2m程の長さに切り取って俺の杖にする。
女性達も杖を持っているが、1.2m位の長さだ。何人かが小屋の後ろに行くと、3匹のラバを連れて来た。大きな荷物が載せてあるけど食料なのかな?
長い列を作って山を歩く。前後に騎士が並び、中間に女性達とラバが歩いている。
騎士の半分程が荷物を背負っているから、鎖帷子の重さと相まってかなりの重量になってるんじゃないかな。
そんな他人事の感想は2時間も歩くと、どうでも良くなってきた。俺は体力がある方では無かったから、騎士より先に参ってしまいそうだ。
後ろを見ると、女性達は周囲の風景を眺め合がら、小声でおしゃべりを楽しんでいる。
どうやら、女性達よりも俺は体力が無いって事らしい。だけど、こんな場所に置いてきぼりにされてはと、気力を振り絞って足を前に出す。
俺達の行軍が止まる。
どうやら休憩のようだ。その場に崩れるように腰を下ろして、パンパンになった両足をもみほぐす。
そんな俺の仕草を呆れたように皆が見ているけど、文明世界で育ったからなぁ。たまにハイキングに行く程度だったし、それもきちんとした道が整備されていた。
これまで歩いたところは、道なき道だったし、斜度がきつい場所だってあったぞ。
「学生だったな。それ程ヤワだとは思わなかったぞ」
「今まで歩いた半分位なら、何とかなんですが……」
「今まで歩いた距離の3倍歩けば、今夜の野宿場所に着く。今まで学窓の奥に引き込んでいたのでは辛いかも知れんが、誰も助けられぬ。ひたすら歩け!」
ザイラスさんが鼓舞してくれるんだけど、笑い顔だからな。王女様までもが微笑んでるぞ。これは鍛えないといけないって事だろうな。
10分程の短い休息を終えて再び歩き始める。俺には全く方向すら分からなかったが、たまにザイラスさんが森の梢越しに見る視線を追って気が付いた。
北に大きな山脈が合って、その峰の1つが張り出しているのだ。その位置を見て方向と現在の位置を大まかに測っているようだ。
磁石でもあれば苦労はしないのだろうが、30km程先の峰の位置でも慣れた者なら十分に現在位置が分かるのかも知れないな。
最初は行軍の中ほどにいたのだが、昼食時に休息を取った時には最後尾を歩いていた。
食事を取る元気も無いほど疲れてたけど、ここで食事を抜いたら完全に落伍者になりそうだ。
無理して口に入れて、水筒の水で流し込む。
足が痛いのはマメが潰れてるんだろう。ブーツから足を抜いて靴下代わりの布を巻きなおす。
どうにか痛む足に巻き終えて、ブーツに足を入れようとした時だ。
「待ってください。そのままに……」
俺より少し年上のお姉さんが俺の足元に座ると、小さく何かを呟いて足に両手をかざす。その両手がぼんやりと光って見えるぞ。
すると、俺の脚から痛みが消えた。驚いてお姉さんを見上げたんだけど、微笑みを返して、王女様達のところに歩いて行った。
まるで魔法のようだな。だけど実際に痛みが消えている。恐る恐る布を解いて、潰れたマメが擦り切れた傷口を確認したのだが……、そんな傷がどこにもない。
そういえば、昨日も傷付いた騎士に同じような事をしていた。
魔導士と言っていたが、やはりこれは魔法って事になるんだろうか? 何はともあれ助かる話だ。
気のせいか、足の疲れも取れたように思える。これなら、今夜の野宿場所まで何とかたどり着けそうだ。
夕暮れ前にたどり着い多場所は、低い谷間だった。東西の尾根に見張りを配置して、谷底に王女様達を中心に置いて俺達が周囲を囲む。
小さな焚き火の用意はしているが、火を点けることは無い。日が暮れてからにするんだろう。
夕食が出たのは、辺りが真っ暗になってからだった。
周囲をマントで囲った小さな焚き火での調理だから、お茶と薄い生地のパンだ。野菜の入っていないサンドイッチにも似ている。ハムは薄いけれど、これはちゃんと火を通すためなんだろう。
「ゆっくり休め。早ければ明日の昼には烽火台に着くぞ」
「後、半日なら何とか付いて行けそうです」
俺に声を掛けくれたから答えたんだが、俺の肩を叩くと次の騎士にも声を掛けている。
同じように肩を叩いて、闇に消えて行った。
騎士達全員に声を掛けているんだろうか? 上に立つ者も大変みたいだ。結構疲れているんじゃないか?
食事を終えると、マントに包まって横になる。火の気が無いから今夜は少し冷えるけど、それでも直ぐに意識が離れる。
カチャカチャと言う音で目が覚める。
騎士達の装備の音らしい。すでに身支度を始めている。
「ようやく起きたな。あそこの沢で顔を洗って来い。あの木の根元で食事を配ってくれる。顔を洗うついでに、水筒に水を汲むんだぞ!」
よろよろと歩き出した俺に世話好きな騎士が教えてくれる。
沢というより、泉じゃないかな? 湧き出した水は数mで地中に消えている。
冷たい水で顔を洗い、水筒に水を満たす。500ccのペットボトル程の量が入るようだが、今日1日でこれだけと思うと心細くもなる。
夕食同様のサンドイッチ風の朝食を食べ終えると、直ぐに行軍が始まる。
1時間程歩くと、行軍が止まる。
殿の騎士達に混じっていた俺を、騎士の1人が呼びに来た。
「ザイラス殿がお呼びです。付いてきてください」
何だろう? と首を傾げながらも騎士の後に付いて行くと、ザイラスさんが王女様と何か話し合っている。
「来たか。どうやら5人いるらしい。お前はどう思う?」
「廃村にいるらしいのだ。先に5人送ってある。2人が俺達に廃村の様子を知らせてくれた。残り3人は烽火台に向かっている」
ザイラスさんの隣に腰を下ろして、ザイラスさんに小屋で見せて貰った地図をもう一度広げて貰う。
どう見ても、廃村に向かう者が出て来るとは思えない。街道の入り口近くの村で待ち構えるだけで街道を封鎖できるのだ。
「やはり、近くの村で話を聞いてやってきただけでしょう。一番近いこの村からの距離もあるんだと思います。やって来て一夜を過ごしたと言うところじゃないですか?
俺達は朝早く発ちましたが、まだ日が昇って間がありません。しばらくは様子を見るべきです」
「お前もそう思うか……。王女様、やはり待ちましょう」
俺の参考意見が聞きたかっただけのようだ。
その場でしばらく待っていると、敵兵がふもとに去って行ったと見張りからの知らせが届く。
ようやく、俺達は腰を上げて廃村に向けて歩き出すことができた。