SA-001 落ちのびた者達の選択
自分の部屋のベッドで寝がえりを打ったんだと思う。
いきなりの落下間隔に、思わず体を丸めた。
ドン! と音を立てて床に落ちると思ったのだが……。
衝撃に備えて目を閉じた俺の耳に聞えて来たは、ガシャンと言う何かが壊れる音だった。
ゆっくりと目を開けて周囲を眺めた時、「うそだろ!」と思わず声を上げてしまった。
どうやら俺が落ちたのはテーブルの上で、衝撃でテーブルにあった食器がいくつか飛び散ったようだ。
それは、まぁ良いだろう。それよりも問題なのは、俺を見るテーブルを囲んだ男達の驚いた表情だ。
「取り押さえろ! マデニアム王国の間者かも知れん」
年嵩の男の鋭い一言で、周りの男達が一斉に飛び掛かってきたから、背中の痛みで動きの鈍い俺は、たちまち取り押さえられ、ミノムシ状態にロープで縛れてしまった。
「リートス、部屋の片隅に転がして置け、後でじっくり事情を聞かねばならん」
「了解しました。ザイラス様」
若い男がそう言うと、本当に俺を転がし始めた。最後にゴツンと頭が壁に当たったところで終わりにしてくれたが、少し目が回ってしまった。
ごそごそと体を動かし、どうにかテーブルを見る位置に顔を移動することが出来た。
山小屋風の部屋はそれ程大きくは無い。さっきのテーブルも長さが2m程だ。そこに数人近い男達が頭をくっつけ合うようにして密談をしている。壁際には10人以上の男が座り込んでいるぞ。
テーブルはどう見ても手作りだな。左右の足がX状に交差している。かなり分厚い衣板を使っているようだから、俺が落ちてもテーブルが壊れることは無かったようだ。
テーブルの上には数個の素焼きのカップが置かれている。酒ビンはロープが巻いてあるから、壊れやすいガラスのようだ。
だが男達の服装は、どう見ても普通じゃない。鎖帷子の上に長いローブを纏っている。それに、俺を取り押さえた者の何人かは籠手を付けていた。
よく見ると、全員が長剣を下げている。
夢じゃないとすれば、どう見ても異世界だよな。それも初期の中世のような感じだ。
この部屋だって床は土間だし、ガラスの無い窓には、半分程鎧戸が開かれている。
外から明かりが入って来てるから夜では無さそうだ。
いったいここはどこなんだ?
そんな事を考えていると、奇妙な事に気が付いた。先ほどの彼らの会話を、俺は聞くことができた。という事は、言葉が通じるって事だ。
ここは早めに誤解を解いて、解放してもらった方が良いに決まってる。
「北の砦に向かった者達はまだ戻らぬか?」
「向かったのが昨夜ですから」
「そうだったな。どうにか我らは抜け出せたが、他の連中はどうなったか……」
かなり深刻な会話が聞こえて来る。
ひょっとして、戦の最中って事か? それはまずいぞ。俺に戦ができるとは思えない。
トントンと小さく扉を叩く音がする。テーブルの男達が一斉に扉を眺め、2人が剣を引き抜いて扉の左右に立った。
年嵩の男が頷くと、扉の右に立った男が片手で扉を開く。
倒れ込むように数人の男と、フードを深くかぶった一団が入ってきた。この組み合わせは何なんだ?
「オオォォ、神は私共をお見捨てになりませんでした。ザイラス様に巡り合えるとは」
「先ずはお座りください。できればお名前も教えて頂きたいですな」
声からすると、ご婦人方のようだ。
男達が席を立つと婦人達をベンチのようなテーブルに座らせる。
ゼイゼイと息を切らしている婦人達に素焼きのカップで何かを飲ませているけど、あれは酒なんだろうな?
「乳母のマリアンと申します。サディーネ様をどうにかここまで連れてまいりました」
ご婦人の言葉に男達がいきなり立ち上がる。
すると、背の低いご婦人が被っていたマントのフードを後ろに跳ねあげた。
背が低いわけだ。まだ少女じゃないか。
「サディーネじゃ。何とか難を逃れたが、他の王族は炎の中に消えて行った……」
「良くぞ、ご無事で……。とは言え、我らも追手を逃れる身。ここは我らに運命をご委ねくださいませんか?」
「すでに王国は滅びておる。これからは厳しい追及から逃れねばなるまい。場合によっては、我の首を刎ねて時間を稼ぐが良い」
「それには及びませぬ。ですが王女様にその決意あれば、王国の再興も適いましょう。今は伏して敵から逃れなくては……」
気の強そうな娘さんだな。俺には関係無いから問題は無いが、この先の俺の扱いが心配になってきた。
「それで、これからの予定は?」
「それを皆で考えておったのです。北の砦を頼ってみようと、2人程偵察に向かわせたのですが」
ドンドンと扉が乱暴に叩かれ、今度は若者が担がれてきた。
「北の砦に行ったラミネスじゃないか!」
「ザイラス様……。すでに砦は敵の手に、守備隊長の一族の首が門に……」
「分かった。何も言うな。ゆっくり休め」
そう言って、何か言いかけた若者の口を閉じた。
かなりの重傷だが助かるんだろうか?
婦人の中から一人が立ち上がると、若者の傍に座った。
ジッと様子を見ていると、スイっと伸ばした手から水色の光が若者を照らし出した。息苦しそうに咳き込んでいた若者の呼吸が、途端に良くなる。
あれって、魔法なのか?
この世界は、剣と魔法の世界なのか!
「魔導士がご同行していたとは助かりました」
「これからは助け合わねばならぬ。して、北の砦の次の手は?」
「考えにも及びませぬ。頼る場所無く、追手をどれほどかわしきれるものか……」
落ち武者って事だな。そうなると山奥でひっそりと暮らすのが一般的じゃないのか?
千年もすれば、立派な落人部落として観光客がやって来るかも知れない。
そうなると、俺の運命はどうなるんだろう? やはり、ここで斬られて死ぬんだろうか?
「アルデンヌ山脈は奥が深い。我らは一旦、奥地に避難し時を待つことになる」
意を決したように、ザイラスと名乗った男が言った。落人部落を作るって事だな。
思いは立派だが、それでは王国の再興は出来ないんじゃないか?
「俺から一言良いですか!」
どこから声を出してると言うような変な声だが、ミノムシ状態だから仕方がない。
ご婦人方が不審そうな目で俺を眺めると、今度はザイラスに視線を移す。
「突然テーブルの上に降ってきたのです。変わった姿で、ブーツも履いて下りませんでした。身綺麗で武器も持っておりませんから、敵方の間者とも思われません。後で経緯を聞こうと転がしておいたのです」
「マデニアム王国の手の者でないなら、解いても問題あるまい。武装しておらぬならなおさらじゃ。例え武装していても、ザイラス殿がおられれば我に害を成すとも思えぬ」
「王女様の命とあらば……。カナン、解いてやれ。だが傍にいるんだぞ」
カナンと呼ばれた若者が俺のロープを解いてくれた。
皆が俺を見ているけど、そんなに変な格好なんだろうか?
ゲーム疲れで昼寝の最中だったから、ジーンズに長袖のTシャツ、その上にフリースを着てるだけなんだけどな。
「なるほど、変わった服装じゃ。少なくともあの姿では間者は務まらぬな。筋肉も無さそうじゃ」
「金持ちの道楽息子が勘当されたか、下級貴族のはみ出し者と言うところでしょう。ところで、先ほど我らに具申を申しでたな。我らは聞く耳を持っておる。意見があるなら言うてみろ」
聞くことはするけど、決めるのは俺達だという事かな? まぁ、それでも良い。
「色々聞いていると、この辺りを治める王国が滅んで、皆さんはその生き残り、俗に言う落ち武者という事になるんでしょう。ここで、3つの選択肢が出てきます。
1つ目は、先ほどそちらの方が言った山奥への逃避ですが、これは命拾いは出来ますが、王国の再興は先ず不可能ですよ。過去の王国でもそのような事態は度々ありましたが再び王国を起こしたことはありません。
2つ目ですが、敵の王国と交渉して辺境に領地を持つという事も考えられます」
「2つ目はあり得ん。そのような交渉ができるなら、王族を皆殺しにすることは無い。城から出る者達に奴らは矢を雨のように降らせた」
「1つ目は我も聞いたことがある。逃げるのは簡単じゃが、王国を起こすのは無理じゃと父君も言っておったのを覚えておる。……先ほど3つあると言っていたな。3つ目の選択はなんじゃ?」
「義賊としてこの地に留まるという事です。義賊と言えば聞こえが良いかもしれませんが、実際には山賊です。山間の街道に巣食って、敵の獲物を奪い、王国再興の資金にします。奴隷を解放すれば戦力になるでしょうし、敵の圧政に逃げる者達も鍛えれば戦力になるでしょう。隠れた農地を耕し、奪った金物で武器を作る。これなら前向きに王国再興と言っても良いんじゃないですか?」
「我等に山賊をせよと!」
「とんでもない奴だ。さっさと外に行って斬り捨ててこい!」
椅子を蹴飛ばして立ち上がった壮年の男が、俺を指差して怒鳴り声を上げた。
若者が俺を後ろから羽交い絞めにして、扉に向かって歩き出した時、王女様が鋭い声を上げて止めてくれた。
「待て! 早まるな。ザイラス、先ほどこの少年が言った言葉を考えてみぬか?」
「我らが山賊ですと! とんでもない話です。そんな事をするなら堂々と名乗りを上げて敵兵と一戦交える方がまだマシです」
騎士の矜持が許さぬ、ってやつだな。頭の固いおっさんのようだぞ。
俺の近所の世話好きなおばさんと見間違う乳母さんが、俺をジッと見つめていた。
「そういう事ですか……。ザイラス殿。王女様が言いたいのは、まさに今言ったザイラス殿の言葉です」
「さて? どういう事でしょうか」
「ザイラス様であればそうするはずです。まして王女様と同行するとなれば……」
「山賊になったとは誰もが思わぬ、という事ですか?」
乳母さんの言葉にザイラスと言うらしい壮年の男が言葉を続けた。先ほどの勢いは無くなってきたから、少し頭が冷えたのかも知れないな。
「そうだ。多くは命乞い。志ある者なら深山を目指す。だが、どちらの方法も王国を起こすことなく歴史の流れに埋もれて行ったぞ。この少年は全く新たな方法を我らに説いてくれた。少なくとも半年は命を長らえることが出来よう。その間に、山賊となったことで王国を再興できるかを考えれば良い。深山に去るのはその後でもできよう」
中々頭が切れる王女様だ。
ザイラスさんが俺に向かって頷いたのは、後ろの若者に指示したのだろう。カンヌキのようにがっちり押さえつけられた体が急に楽になったぞ。
「こちらに来て、お前の意見をもっと聞かせるが良い。外に敵兵が転がっておったな。この者にブーツとマント、短剣を使わせ。すでに我らの仲間じゃ。戦闘は無理じゃろうが、武器も持たずに打ち取られるのは忍びない」
王女様の言葉に、ザイラスさんが手招きして、テーブルの一角を指差した。あそこに座れって事だろう。
どうやら、命を直ぐに取られることは無いようだけど、この先はどうなるか皆目見当が付かないぞ。
慎重に、進めなくては命がいくつあっても足りなくなりそうだ。