こんな夢を観た「ピザの配達を頼まれる」
立ち食いピザ屋で、モッツァレラ・チーズのハーフを食べる。さて支払おう、と思ったら、財布を持ってなかった。
「あのう、すいません。お財布を忘れてきちゃったんですけど」恐る恐る店員に言う。
強面の店長が、額に縦皺を寄せる。
「困るなあ、お客さん。うちはツケ、お断りだよ」
「ちょっと、家に戻って取ってきてもいいですか?」わたしは聞いた。
「うーん、ちょっとって、どれくらい? まさか、あんた。食い逃げするつもりじゃないだろうねっ?」店員が表情をこわばらせる。
「そんなっ。ちゃんと、戻ってきますよ。人聞きの悪いことを言わないで下さい」
「どうすっかなあ」顎に手をやり、考え込む。「そうだ、あんた、宅配の手伝いをしてくれないかな。すぐ近くのアパートまで、1枚だけなんだけどさあ。そいつを届けてくれたら、お代は負けとくよ」
悪くない提案だった。
「いいですよ。届けに行ってきます」わたしは請け負うことにした。
地図を書いてもらい、簡単な説明を受ける。
「3丁目の『そびえ荘』っていう木造アパートなんだ。階は……と、ありゃ、書いてないな。悪いけど、1階の大家さんとこで、佐伯茂っていう人の部屋番号を聞いてくれるかい? じゃあ、よろしく頼むよ」
「はい、行ってきます」わたしは店を出た。目と鼻の先なので、バイクどころか、自転車もなし。タッタッタッ、と走って行く。
3丁目のごみごみとした住宅街を、手書きの地図片手に、きょろきょろと探す。木造のアパートはすぐに見つかった。いったい、いつ建てられのか、今にも崩れそうなほど古い。門の表札を確かめると、「そびえ荘」と書かれていた。
「ここだね。思っていたより、早く着いた。大家さんの部屋は、1階のあそこか」わたしは、1番端の部屋をノックする。
「はあい、どなただい?」ごそごそと足音がして、戸が開く。中から、腰の曲がったおばあさんが顔を覗かせた。
「あの、そこの立ち食いピザ屋の者ですが、こちらにお住まいの佐伯茂さんのお部屋をお聞きしたいと思いまして」わたしは言った。
「ああ、佐伯さんかい。あの人の部屋なら、175階の端から3番目だよ」
わたしは、自分が聞き間違えたのかと思った。
「えーと、何階って言いましたっけ?」
「だから、175階だってば。うちんとこはエレベーターなんてしゃれたもんはないから、階段で上がっとくれ」そう言うと、バタン、と戸を閉めて引っ込んでしまう。
さては、ボケちゃってるんだな。わたしは、いったん、アパートの外へ出て、何階まであるのか見ることにした。
「えっ、ええーっ?!」びっくりした拍子に、腰を抜かしそうになる。まるで、高層ビルのようにそびえ立っていて、上の方など、すっかり雲に隠れているのだ。
「大家さんの言ってたことは本当だったか……」
となると、大変だ。エレベーターはないと言っていた。175階まで、ひたすら階段を上がっていくことになる。
「近いと思って、喜んでいたのになぁ」泣きたい気分で、階段を上がり始めた。
木でできた階段で、おまけにひどく古い。1歩足を乗せるたびに、ギシッ、ギシッといやあな音を立てる。しかも、小さなナツメ球が踊り場ごとに点いているきりなので、足元が見えないほど暗い。
「お化け屋敷と壊れかけのジェット・コースターが一緒になったような階段だ。これが175階まで続くんだって言うんだから、もう笑うしかないよ」
そうは言っても、とてもじゃないが笑える心境ではなかった。
上へ行けば行くほど、建物はガタガタ、グラグラと揺れる。時々、木が腐っているところがあって、何度か踏み抜きそうになった。
「もしも、底が抜けたら、そのまま一番下まで突き抜けてしまうに違いない」想像しただけで震え上がる。「そもそも、木造なんかでこんな高層建築っていうのがおかしいよ。違法建築じゃないの、これって? トラックが通るたびに、ブランコのように揺れるじゃん。いつ、崩れても不思議じゃない」
大げさに言っているわけではなく、本当にグワン、グワン、と揺さぶられるのだ。いつだったか、船旅の途中で波が荒れたことがある。ひどい揺れだった。このまま、船から投げ出されるのか、と覚悟をしたっけ。
海ならまだ、泳ぐこともできる。けれど、宙高くそびえ立つこのアパートが倒壊したら、とても助かる見込みはない。こんな恐ろしい思いをしたのは、生まれて初めてだった。
途中、何度も休みながら、わたしは上がり続けた。住人ならともかく、初めての者には、この急な階段はつらすぎる。
「足がもう、ガクガクだよ」壁に書かれた階数を見ると、ここは50階。まだ3倍以上もある。揺れはますます激しくなり、ふくらはぎがつりそうだ。
けれど、引き返すわけにもいかない。這うようにして、階段を上がっていく。
175階に辿り着いた頃には、身も心も憔悴しきっていた。
「やった……やっと着いた」力を振り絞って立ち上がり、端から3番目、佐伯茂と札のかかった部屋を叩く。「こんにちは、ピザ屋です」
部屋から現れたのは、恐ろしく太った30過ぎの男性だった。モジャモジャ頭で、伸び放題の無精ヒゲ。グレーのトレパンに、上は白いノースリーブの下着姿。
「ああ……」もさっとした声で応対する。わたしがピザの入った箱を渡すと、黙って受け取り、そのまま部屋へ戻ろうとする。
「あっ、待って。お代を――」慌てて呼び止めるわたし。
「何言ってんのよ、頼んでから、もう5時間も経っちゃってるでしょ。こんなに冷たくなっちゃってさ。代金なんか、払えないっしょ」
反論できずにいるわたしの目の前で、戸は無情にも閉ざされた。
これまでの苦労は、いったい何だったのだろう。いっそ、このまま床が抜けてしまえばいいのに、と思った。