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21話

「ありがとうございます、もう大丈夫……」

「じゃぁ、最後の用事」

 先輩が先に立ち、私が立つときには手を貸してくれた。

 ゆっくり立つと眩暈は軽く済んだ。けれど、ゆっくりと立ち上がったとしても、もう眩暈からは逃げられないらしい。

 あと二日だから……。あともう少しだけがんばって――と、自分の身体に懇願する。

 司先輩が足を向けたのはウィステリアデパートだった。

 正面玄関の脇にあるエレベーターで五階へ上がる。

 その間も手はつながれたままだった。よほど危なっかしく見えたのかもしれない。

「呉服売り場、ですか?」

「そう」

「なんの用事……?」

「あとで」

 弓道の袴をここでオーダーしているとか……?

 フロアの奥へ行くと、

「司坊ちゃん、いらっしゃいませ」

 着物を着た人が出てきて声をかけられる。

「オーダーしたものはできてますか?」

「はい、届いております。バックルームから出してまいりますので少々お待ちください」

「先輩の着物です?」

「違う」

「……でも、着物、似合いそうですよね?」

 先輩は口を噤んでしまった。

 小物売り場が目に入り、見に行こうとすると「だめ」と手を引かれて制される。

 さすがにここでは迷子にならないし、変な人に声をかけられることもないと思うのだけど……。

 そう思えば、蒼兄並みに過保護なのではないだろうか、と思うわけで……。

 そこへ先ほどの人が戻ってくると、小さな箱を先輩に差し出した。

 先輩は私に背を向け、中のものを確認すると、

「じゃ、これを包んでください」

 店員さんはすぐに箱を包み始め、包み終わると紙袋に入れて司先輩に差し出した。

「ありがとうございます」

「またのご来店をお待ちしております」

 店員さんは頭を下げ、先輩は歩き出す。

「先輩、お代は?」

「オーダーしたときに払ってある」

 そうなんだ……。


 今度は帰るためにバス停へ向かう。

 バス停に着くと栞さんにメールを送った。

 司先輩と一緒に駅にいることと、これからバスに乗ることを伝えるメール。

 その時点で時刻は六時を回っていた。

「夕飯、始まっちゃったかな?」

 誰に言ったわけでもなく口にすると、

「それまでには帰る予定だったんだけど……」

 と、司先輩が零す。

 きっと私が泣いたりしなければ六時には帰ることができたのだろう。そう思えば申し訳ない気持ちになる。

 始発のバスに乗り、来たときと同じようにふたり掛けの椅子に座る。そして、未だ明るい窓の外を見ていると、

「はい」

 先輩から先ほどの手提げ袋を渡された。

「え……?」

「数日遅れたけど誕生日プレゼント」

 手提げ袋を膝の上に乗せられて戸惑う。

「開けてみれば?」

「……ありがとうございます」

 手提げ袋の中から箱を取り出し、ビリっと破れないように丁寧に包装紙を剥がしていく。

 包装紙から出てきた細長い箱には金色の文字で柘植櫛と書かれていた。

 箱を開けると、お花の彫刻が見事な柘植櫛がふたつ。ひとつはコームの反対側が棒状になっているもので、もうひとつはコーム部分だけのもの。彫刻されているお花は――。

「桜……?」

「そう。ほかに撫子や梅、あやめがあったけど、なんとなく桜って気がしたから」

「……先輩、ありがとうございます。すごく嬉しい……」

 髪の毛を梳かすのに、プラスチックの櫛を使うと静電気が起きてしまうため、冬などは櫛を通すことすら躊躇ってしまう状況だった。

 いつか柘植櫛を買おう買おうと思っていて、ずっと買わずにきていたため本当に嬉しいプレゼント。

 嬉しくて早速自分の髪に櫛を通してみる。

「わぁ……本当に嬉しい」

「……喜んでもらえて良かった」

「本当にありがとうございます」

 櫛を眺めていたら、あっという間に学校前のバス停に着いた。

 そこからふたり並んでマンションへ向かって歩いた。


 栞さんの家に入るとカレーの匂いがした。

 匂いに怖気づき、ダイニングに行く足が重くなる。

「おかえりなさい」

「おかえり」

 栞さんと蒼兄に迎えられ、

「翠葉、顔が固まってる……」

 と、蒼兄に指摘される。

「うん、匂いがちょっと……」

「匂いだけはちょっと我慢してもらっていいかな? その代わり、翠葉ちゃんには違うものを用意してあるから」

「はい、がんばります……」

 客間のドアを開け、

「蒼兄、司先輩が誕生日プレゼントに柘植櫛をくれたの!」

 嬉しくてすぐに櫛を見せる。と、

「柘植櫛……? 司、また渋いものを知ってるな」

 蒼兄が言えば、

「いえ、昔は姉さんも使ってたし、今でも母親が使ってるので……」

「あら、シゲさんお手製のものね」

 と、覗き込んだ栞さんが口にする。

「シゲさん……?」

「えぇ、柘植櫛を専門に作ってる職人さんよ。翠葉ちゃん、すごく嬉しそう」

「毎日使えるものだし、自分で買おうと思っていただけに本当に嬉しくて……」

「そういうプレゼントって本当に嬉しいのよね」

 栞さんはにこりと微笑んだ。


 かばんを置いて制服を着替え、手洗いうがいを済ませてからリビングへ行く。と、すでにご飯を食べ終わってくつろいでいる人たちがいた。

 静さんと楓先生はいなくて、海斗くんと秋斗さんと湊先生。

 司先輩にはカレーとサラダが用意され、私にはフルーツサンドとスープが出てきた。

 フルーツサンドは私の常食になりつつある。それでも食べられるのは二切れが限度。

 本当は一番に「ただいま」を言いたい人がいる。でも、どうしてか側にすら近寄れない。

 変に思われないようにしなくちゃ、と思うのに、なかなか上手にできない。

 サンドイッチを食べ終わると、私は早々に客間に引っ込んでしまった。

 ベッドの上で壁に寄りかかりながらハープを抱える。

 弾くわけではなくて抱えるだけ。何かを抱えていると、しがみつくものがある感じがして少し落ち着けるから。

 ローテーブルの上には、柘植櫛が入った箱と秋斗さんからプレゼントされた髪留めが入った陶器の小物入れが乗っている。

 意味もなくそれらを眺めていると、ドアがノックされた。

「はい」

 蒼兄かな、と思って返事をしたのだけど、ドアの前に立っていたのは秋斗さんだった。

 秋斗さんは部屋に一歩踏み入ると、後ろ手にドアを閉める。

「おかえりも言わせてもらえないのかな?」

 少し悲しげに笑いかけられ、

「いえっ、そんなつもりは……」

 慌ててハープをお布団の上に置き、ベッドから下りる。

「……ただいま、です」

 視線を合わせられずにいると、「おかえり」と抱きしめられた。

 びっくりしたと同時に身体が小刻みに震え出す。

 な、何――!?

「翠葉ちゃん? ……どうしたのっ?」

「わかんなっ――」

 呼吸が急激に上がって苦しくなる。

 過呼吸であることはわかったけど、原因がわからない。

「湊ちゃんっっっ」

 秋斗さんがドアを開けて湊先生を呼んでくれた。

 ただらならぬ事態を察してすぐに先生が来てくれる。

「翠葉、落ち着こう。司、氷水っ」

 すぐ口元にグラスを当てられた。

「そ……にぃ……っ」

「いるよ、ここにいる」

 背中をさすってくれる大きな手に少しほっとする。

 今は呼吸……呼吸をコントロールしないと――。

「吐いて、吸って、吐いて、吸って……」

 低い声がゆっくりと室内に響いた。

 横目に見ると、ドアに寄りかかって声をかけてくれている司先輩が目に入る。

 その声に合わせて呼吸を繰り返す。時折、グラスの水を飲ませられながら。

 どのくらい経った頃か、呼吸が落ち着き始めた。

 そうして、蒼兄と湊先生以外の人は部屋から出ていった。

「何があった?」

 蒼兄に肩を抱かれたまま尋ねられた。

「まさか、秋斗に変なことされてないわよね?」

 蒼兄とは反対側、私の左隣に座る湊先生から尋ねられる。

 今までだって抱きしめられたことはある。今日もいつもと変わったことは何もなかった。

 じゃ、何が違ったの?

 ――わからない。

「それとも、司となんかあった?」

 湊先生に訊かれ、「いいえ」と答える。

「誕生日プレゼンをといただきました。それと、スペア弦を買いに行くのに付き合ってもらったり……。あとは、カフェに寄って――知らない人に、声をかけられた?」

 そのときのことを思い出すと、途端に鳥肌が立った。

 こっちだ――原因は秋斗さんじゃなかった。

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