飼い主が亡くなった猫が優しい業者ニキにもらわれて幸せになるお話
あのドアは開かないはずだった。部屋の主人は死んでいて、ドアを外側から開けるためには小さな銀色の鍵が必要だから。
けれど、人間はドアをこじ開けて入ってきて、あたしと彼の家を荒らし始めた。
知らない人間ばかり、次から次へと、ぞろぞろと。
最初は彼を連れて行って、しばらく静かになった。
あたしは隠れていたソファの影から顔を出し、水入れで喉を潤して、部屋に近づく足音を聞いてまた隠れる。
人間たちは入れ代わり立ち代わり部屋に踏み込み、何かを探して持っていく。
やがてギョウシャというのがやってくる。
彼らはこういう部屋の掃除をすることに慣れている仕事人らしい。物を勝手に動かして、コドクシとかイゾクとか言いながらどこかに持ち出して、不要な物を処分したりするらしい。
彼のメガネ、彼の宝物、彼の匂いでいっぱいのものたち、みんなみんな運ばれていく。
あたしは物陰から物陰へと逃げ隠れてみたけれど、やがて彼らに見つかった。
シャーッ!
「うわっ、猫! 猫がいましたよ!」
部屋中を走り回って気づく。
あんなにいろんな物がごちゃごちゃしていた部屋は、もう何も入っていない四角い箱みたいになりつつあって、あたしを隠してくれる場所はどこにもなかった。
ちょうどいいわ。
食べるものがなかったの。彼が置いてくれたお水もなくなって、水道の蛇口からも滴がちっとも出てこなくなっていたもの。
あたし、喉が渇いていたのだもの。彼はもうお水すらくれないのだもの。
ここにいても、仕方ないじゃない。
捕まえようとする人間たちの足元をすり抜けて、ドアの隙間から外へ出る。
雨が降っていて、外は寒かった。
けれど、お水は飲み放題よ。喉の渇きが満たされる。
カチャリと音を立てて、無意識に咥えて持ってきた鍵が地面に落ちた。
もう必要のない鍵は、雨に濡れて、まるで泣いているみたい。
あんたもあたしも、あんなに大切にされていたのにね。
ペロペロと手を濡らす水分を舐めて、鍵を咥えて歩き出す。
彼の生前、彼の悲鳴を聞きながら脱走した時はいつも外の世界にワクワクしたのを思い出す。
あたしは彼が探しにくるとちょっと困らせてやりたくなって、彼がしゃがみ込んで「おいで、帰ろう」と呼びかけてきてもツンと顔を逸らして焦らしてあげたものだった。
にゃあ。みゃぁ。なーお。
ねえ、あなた。
あたしは今、お迎えを待っているのよ。
いつになったら来てくれるの?
遅いじゃない。
あたしがいないと困ると言って頬擦りしてくれた彼は、もういない。
仕方ないわねと束縛されてあげる日々は、終わってしまった。
にゃあ。にゃあ。みゃあお。
なんだかとても自由で、すごくずぶ濡れで、お腹が空いていて、疲れている。
ふらふらと歩いて、雨が当たらないところまで移動して、そこで動く気力がなくなった。
この鍵と一緒に眠ったら、彼の夢がみれるだろうか。
そっと丸くなって目を閉じる。
慌てた感じの声が聞こえたのは、その時だった。
「あっ、いた! いました! 猫! ネコチャン! な、な、な、なんか、よわっ、よ、弱ってません?」
足音が近づいてきて、薄く目を開ける。
無遠慮に手が伸びてくるけど、逃げる元気は、もうなかった。
「大丈夫?」
顔を覗き込んでくるのは、彼の部屋であたしを見つけて悲鳴をあげたギョウシャだった。
目がまんまるで、頬も丸くて、ぐしょ濡れのメガネがずれて鼻に引っかかりながら落ちそうになっている。
あたしを布で包んで抱き上げる動きは、人間のオスにしては、なかなか優しい。
ギョウシャは何人かが集まってきて、あたしをどこかへと連れていく。
「鍵が落ちてるよ。これってあの家の鍵だよなあ?」
「ネコチャン。あったかいとこ、行こう。ごはんも食べようね」
メガネのギョウシャがあたしの口元にチュールを近づけながら言う声が、なんだか不思議と懐かしい。
「先輩、こういう時って飼い猫はどうなるんすか? オレ、オレ、飼いたいんすけど……」
あのう、店員さん。おれ、おれ、この子、飼いたいんすけど。
雨が上がる。
いつか、ペットショップでなかなか売れずにトイレ砂に埋もれて不貞寝していたあたしは、彼と店を出て綺麗な虹を見たのだった。
バタンと車のドアが閉まり、あの日のように外の景色が後ろへと流れて、人間はあたしをどこかに連れていく。
「おっ、いいっすか? やったあ! オレ絶対めちゃくちゃ可愛がって幸せにしますよ」
ねえ、あなた。
あたしを可愛がってくれてありがとう。
あたし、もうちょっと生きるわね。
じゃあね。またね。大好きよ。




