何でも言うことを聞く執事
「早くしてよ! これじゃあ私たち、絶対間に合わなくなっちゃう!」
私は裁縫店の外でマーガレットを急かしていた。彼女はまだ執事と何か話しているみたい。
手に持っているのは書類のようなもので、それを見ながら口元がにやにやと花開く寸前まで上がっている。ぎゅっと握りしめていて、目は見えないけど。
しばらく外で待っていると、その執事が先に店から出てきて、私に向かって丁寧に腰を折った。
「アンナ様、私どもの主人は急な用事が入り、少し遅れて参ります。 まずは私がアンナ様をお送りし、護衛を務めさせていただきます。 失礼いたしました。自己紹介が遅れました。私はクレメニ、マーガレット様の第二執事でございます。 道中は常にアンナ様のお側に控え、ご奉仕させていただきます」
この執事、めっちゃイケメン!! 礼儀正しくて、外の人に対しても完璧に従順な態度。
さすがマーガレット家の人だもの。あの家は礼儀が息苦しいくらい厳しいから、ちょっとした動作のミスでも叱られるのよね。
でも、王家の召使いはみんな厳選されたエリートだし……彼、耳に王宮の召使いの証であるイヤリングしてる。 きっと元々は王宮で働いてて、宮廷生活が合わなくて転属願いを出して、気に入った主人のもとに来たタイプかな。
「うわぁ~、あなたほんとにカッコいいわね~。こんな人に仕えてもらえるなんて最高~」
「アンナ様にお褒めいただき、恐縮でございます。 どうかお早めに馬車にお乗りください。晩餐会がもうすぐ始まります」
彼は優しく手を差し伸べて、私の手をそっと引いて馬車に乗せてくれた。車内でもずっと側に控えてくれている。
なんでうちにはこういうイケメンで仕事のできる召使いがいないのよ……。 こういう逸材は全部王室に取られちゃって、私たち小貴族には残り物しか回ってこないんだから。
「アンナ様、何かご用がございましたら何なりとお申し付けください。 主人が申しておりました。アンナ様のご要望は、私にできる限りすべて叶えるようにと」
クレメニはマーガレットに忠誠を誓ってるだけで、私に対してじゃない。 あくまで命令を受けて、私をしっかり奉仕するってだけ。
でも「できる限りすべて」って言ったわよね。 王宮に着く前に、ちょっと底線を探ってみようかしら。 これから命令しやすくなるし、へへ~。
私はそっと手で彼の顎を上げ、指でその柔らかくて湿った唇をなぞった。
「じゃあ、私の唇にキスしてくれない? あなたの“風度”を見せてくれる?」
この要求なら、普通は受け入れられないはず。 本当の奉仕対象じゃないし、マーガレットでさえこんなこと頼んだことないだろうし。
やっぱり行きすぎたかな、冗談だって言おうと思ったその瞬間――
返事は、私の予想をはるかに超えていた。
「かしこまりました、アンナ様。おっしゃる通り、 アンナ様のご要望はすべて、できる限りお応えいたします」
「え……え?! ええええ!!!! ちょ、ちょっと待って! 私、あなたの本当のご主人じゃないわよ!? そんな馬鹿げた理由でいいの!? 私、マーガレットじゃないんだから! いくら“できる限り”って言っても、こんな要求はダメでしょ!?」
「この程度のご要求でしたら、私の許容範囲内でございます。 主人のご命令は、アンナ様のご要望をすべて叶えること。 私にできることであれば、叶えさせていただきます」
どういうことなのよ。普通なら即座に断るでしょ。
どれだけ忠実な執事でも、肌が触れ合うような要求には困惑するか、嫌悪を示すはずなのに。
彼の考えはわからないけど、少なくとも表面上は波風一つ立っていない。 一ミリの抵抗も見せずに、さらりと受け入れた。
どれだけ従順でも、私から見たら底線なさすぎでしょ。
いろんな変わった人を見てきた私の直感が告げている―― 目の前のこの男、絶対に表の身份だけじゃない。
まあいいわ。彼も私の理想型のひとつではあるし。 もちろん国王様には及ばないけど。あっちは権力があるけど、こっちにはないだけ。
「じゃあ唇はやめて、頬にキスしてちょうだい。 この甘いキスは、もっとふさわしい人に取っておくわ~」
「承知いたしました。それでは、失礼いたします」
クレメニがゆっくりと私の顔に近づき、湿って温かい唇で頬にキスをした。
……いい男!!!
心の中がざわついて止まらない。彼の匂い、心地いい感触、頬に残る温もりと湿り気…… これがイケメンのキスってやつ!? ほんっとに……最高すぎる!!!
こんな上質な男、久しぶりだわ。 マーガレットってば、どれだけいい男を隠し持ってるのよ。
「キス、すごくよかったわ。あなたほんとにいい男ね。 マーガレットなんかにはもったいないわ。 もっと上級の王族に仕えたほうがいいんじゃない?」
「身に余るお言葉、恐縮でございます。 ただ、一つだけ訂正がございます。 主人が私にふさわしくないのではなく、私が主人にふさわしくないのです」
「ふん、あなたも自分の主人を買いかぶりすぎよ」
私は軽く嘲るように笑い、冷たい目で窓の外の街並みを眺めた。 王宮へ向かう道は人影も少なく、柵ばかりが続いている。
「ねえ、聞いてもいい? あなた、本当にあの子のお側の執事なの?」
「もちろんでございます。私は主人の“二番”でございます。 マーガレット主人にご命令を仰いでおります」
「へえ、番号で呼んでるのね。二番ってことは……一号もいるんでしょ? そっちのほうが能力も高いとか、容姿も上とか?」
さっきまで流暢だったクレメニが、ほんの一瞬だけ言葉を詰まらせた。 顔にも、珍しくわずかな表情が浮かんだ。ほんの一瞬だけど、ちゃんと見逃さなかったわ。
「……はい」
私はそれ以上追及しなかった。 私にとってはどうでもいいことだし。 ただの些細なことよ。次の行動にも影響ないし、彼は所詮一時的な執事でしかないんだから。




