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4.隻眼の青年

「もう、どうして……」

 今まで耐えてきたことすべてを放棄したくなって、アルエットは泣き出した。


 泣いて、泣いて、泣き止んでも、すぐにまた涙が溢れてくる。体の中のすべての水分が涙に変わってしまったのではないかと思うほど涙が止まらない。


「……何を泣いている?」

 ふいに植え込みの陰から緋色の外套を着た一人の青年が現れて、アルエットはびくっと肩を震わせて顔を上げた。

 

 見たことのない青年だ。あまり人の顔を見ないアルエットでも毎回夜会には参加させられているから、そこに招待されたことのある貴族なら覚えている。


 ミスダールに入れるのは限られた身分の者だけなので、覚えがないということはエグマリンではない別の国の人間なのだろう。


 身なりもきちんと整えられていて、漆黒の髪は月影を落としたような静謐な輝きがあった。だが、一番に目を引いたのは長い前髪に垣間見えた黒革の眼帯だった。


 左目は神秘的な瑠璃色をしているのに、すっぽりと右目を隠している眼帯には無言の威圧感があり、アルエットの体がすくむ。


「なんだ、子どもかと思ったら……」

 青年の眉が微かに持ち上がる。どうやら呆れているらしかった。


「あ……っ」

 アルエットは咄嗟に俯いて髪の毛をぎゅっと一つの束にして掴む。


「髪がどうかしたのか?」


「……わ、私の髪は見る人を不快にするので……」

 サリアン王家には輝かしい金髪の人間しかいないというのに、アルエットの髪はくすんで汚い色をしている、人前では色が目立たないようにきっちり結ぶようにとデルフィーヌに言われていたのを思い出したのだ。


 目の前の青年が何者であろうと、初対面の相手に悪い印象を持たれたくなかった。


「だから泣いていたのか?」

 青年はかまわずに近づいてくる。どうやらアルエットのことを知らないようだ。やはり他国の人間か、王城には上がらないような貴族のどちらかだろう。


「いえ。その……リボンをなくしてしまって……」

 そう言うと、青年は「あれか?」とアルエットの頭上を指さした。


「え?」

 そろそろと顔を上げ、彼の綺麗な長い指の指し示す方へ目を向けると、木の枝の高い所に探していたものが引っかかっていた。


「あ! あんなところに!」

 見つかったのはいいが、到底手が届く高さにない。青年が手を伸ばしても無理だろうとアルエットが再び目の端に涙を滲ませた時、彼が木に登り始めた。


「え? え……っ?」


 落ちたら危ない――。

 思わず口元に手を当てアルエットがハラハラしている間にも、青年は高い所まであっという間に登っていった。


 破れないよう器用に枝からリボンを外した彼は、それを手にして一気に芝生へ飛び降りる。緋色の外套がふわりと翼のように翻って、アルエットはぽかんと青年の姿に魅入ってしまった。


「よほど大切なものなのだな」

 青年がリボンを差し出してきたので、ハッと我に返って手を伸ばす。


「泣きやんでよかった」

 なんでもなさそうに言って吸い込まれそうな澄んだ瞳を細め、青年が口の端をわずかに上げたのでアルエットは思わず顔を赤らめた。


(子どもと間違われるくらい大声で泣いたりして、私ったらみっともないわ)


「ありがとうございます」

 リボンをぎゅっと胸に抱き込んでアルエットは頭を下げた。


「これは母の形見で……。私がこの世にいてもいいんだってお守りです。これがなくなったら本当に私は独りぼっちになるところでした。あの、泣いていたことは誰にも言わないでくださいますか?」

 王女が一人で泣いていたなど、それこそ大衆紙が面白がって記事にしそうなことだ。


「ミスダールでは互いの秘密を詮索しない。国益に関わることもあるからな」

 ここでの暗黙のルールのようなものだ。アルエットも知っているのでハッとして神妙に頷く。


「すみません。本当にありがとうございました」

 にこりと笑いかけると、青年はじっとアルエットを見つめてきた。


「な、なにか?」


「俺が怖くないのか?」

 その低い声は凄まれれば恐ろしいものなのかもしれない。だが心にしっとりと響く青年の声はアルエットを落ち着かせてくれた。


「最初は、その……ごめんなさい。怖い人かと。でも困っているところを助けてくれて、初めて会った私の心配をしてくれた人は、いい人です」

 眉根を下げて微笑むと、青年は何かを言いかけた口をつぐんでしまった。


「それでは。失礼します」

 ぺこりと頭を下げてアルエットは逃げるようにその場を離れた。


 本当はもう少し青年と話がしてみたかった。だが今まで同じ年頃の異性と二人きりで話をしたこともなく、気の利いた話題を提供できるとは到底思えない。


 つまらない人間だと思われるのが怖かった。青年があまりにも凛としていてアルエットは彼の隣に立つ自信がなかった。


(それに、きっとリボン一つで大泣きする変な女だと思われたかも……)

 紳士的に振る舞ってくれたのも、貴族としては当たり前の対応だったと言える。心の中では早く立ち去りたいと思っていたかもしれない。


(やっぱり私は一人でいるべきなのかも……)

 屋敷に帰ってきたアルエットは、もう足がくたくたになってしまってベッドに倒れ込んですぐに眠ってしまった。


          ※※※

 


 目が覚めた時にはもう日が昇っていて、アルエットは驚いた。夢を見ることもなくぐっすり眠れたのはここへきて初めてかもしれない。


「少しずつ、体を動かさないとだめね」

 久しぶりに体を動かしたせいで、足や腕が痛い。


「でも、今日はゆっくり本でも読んで……」

 そう言ってデイドレスに着替えようとして、ふと目線が机の上に向く。そこには空色のリボンしか置かれていない。おまけに服も昨日のドレスのままで、軽く混乱する。


「ああ。私ったら、芝生に座り込んだ時に本をそこに置いてきてしまったんだわ」

 しかも帰宅してから一度も目が覚めなかったとは、信じられない。


 昨夜の天気はどうだっただろうか。外に置いたままで、もし本を汚してしまったらとんでもないことだ。


 アルエットは一人で身支度を整えると、用意されていたサンドイッチを今までにない勢いで口にし、あわてて別荘を飛び出した。


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