3.感謝
予定よりもだいぶ遅れてエグマリン領に入り、リューネの町で一夜を過ごした。夜の嵐が嘘のように朝から空は晴れ渡っている。
遅れていた部隊とも合流でき、一行は領主の待つ城へと急ぎ出発した。
ここまで珍しそうに景色を楽しんでいたアルエットは、エグマリンに入った途端に口数が減った。
通りかかる町の人々の顔は明るい。農地に働きに出ている者の姿も見かけた。ところどころ焼け焦げた木々もあり、戦禍の名残が見て取れる。
「残された国民の気持ちを受け止めたいと言っていたな」
フェザンに声をかけられて、ビクッと肩が揺れる。知らず知らずのうちに緊張していたらしい。
「別に君がわざわざ出向くこともないだろうが、どうしてもと言うなら声を聞く機会を設けるが、どうする?」
目的地に行く前に時間を取ってくれると言っているのだ。アルエットは不安の渦巻く胸を押さえて、彼の目をしっかりと見つめ返した。
「お願い。もう逃げないって決めたの」
目の前の事から目を逸らして、うずくまって泣くのはもう終わりにしたい。果たすべきことを果たして、ようやく前に進める気がする。
フェザンの希望の星になるために、守られているだけではいけないとアルエットはきゅっと唇を引き結んだ。
林檎の果樹園が並ぶ街道に入ったところでフェザンが馬車を止めた。
彼と一緒に馬車を降りたアルエットは、どんな言葉を投げられても受け止めようと決心して歩みを進める。
「クライノート帝国より、フェザン皇太子殿下が視察に参りました。本日はアルエット・リュシュ・サリアン王女殿下もご一緒です」
レオニートが紹介すると、農夫たちは驚いた様子であたふたと周囲にいた仲間たちに声をかけて集まってきた。
「わざわざ、足を止めていただいてありがとうございます!」
「領主さまが変わってから税が軽くなって、助かってます」
「新しい農具を配っていただいたおかげで作業がはかどってますっ」
集まった人々から口々に賞賛の言葉を浴びせられる。
約束通り、フェザンはエグマリンの国民を救ってくれたのだと知って、アルエットは胸が熱くなった。
「それに、アルエット様……」
自分の名前を呼ばれて、ぎくりとする。
とうとう糾弾される――。
父王の無謀な決断をなぜ止めてくれなかったのかとそしられる――。
晩秋だというのに、背中に汗が滲んだ。
「ありがとうございました!」
突然の感謝の言葉に、何を言っているのかすぐには理解が追いつかなかった。
「え?」
「あなた様が戦争を終わらせたと聞いております!」
「え?」
アルエットの口からは同じ言葉しか出てこない。
どう返していいのかわからず、フェザンに助けを求めるように視線を送るが、彼は微笑を浮かべているだけだった。
「自身が人質となる代わりに、国民の命だけは助けてほしいと交渉してくださったとか……」
「ひ、人質……?」
開いた口が塞がらなくなる。
自分は人質だったのだろうか、とアルエットは首をひねる。たしかに連行されたタイミングで戦争が終結したのだとしたら、国民の目にはそう映った可能性もある。
一時的には囚われの身だったかもしれないが、フェザンがすぐに牢から出してくれたし、あの時は心が擦り切れていて記憶もあいまいだ。
「わたしどもは、アルエット様の幸せをいつでも祈っております。どうか、今後おつらい目に遭うことだけはご勘弁ください」
農夫は地面に額を擦りつけて懇願した。それも一人や二人ではない。その場にいる全員が同じように頭を下げて一斉に願い出ているのだ。
「国民の気持ちは受け止めたか、アルエット?」
フェザンが口端を上げて、瑠璃色の瞳を細める。
「わ、私……」
パクパクと口が動くが言葉が出てこない。
「アルエットは俺の妃になる。お前たちは遠い祖国から彼女の幸せを祈り続けてほしい」
フェザンがそう言うと、農夫たちは目を輝かせて顔を上げてから慌てて頭を下げた。
「顔を上げよ。土地が生きていくためにはお前たちの力が不可欠だ。国民の安定した生活あってこその国力とも言える。自信をもってこれからもよろしく頼む」
「あ……ありがとうございます!」
農夫たちはフェザンに礼を言い、アルエットにも数え切れないほどの感謝の言葉を再び述べてから果樹園に戻っていき、籠いっぱいの林檎を手土産に持たせてくれた。
父は今までこういう光景を見たことがあったのだろうか、とアルエットは寂しく思った。こうして国民一人一人の声を聞いたことがあったのだろうか。もちろん各地を治める領主の報告は聞いていたかもしれない。だが、近年は目を向ける方向が違っていた。
もう少し早くこうした声を拾っていれば、無益な戦争は避けられたかもしれない。
結果的にはクライノート帝国の管理下におかれたことで、再び生活を立て直す機会ができたわけだが。
馬車に戻り、前に進み始めてからアルエットはフェザンの顔を見上げた。
「私、人質だと思われていたなんて知らなかった」
「これでわかっただろう? 君を非難する者など、どこにもいないんだ」
もしかしたら、事前に彼らにそう話すように伝えていたのではないかと軽く疑ってみたが、別の町では「アルエット様万歳」と書かれた張り紙があったし、教会の前に「聖女アルエット様の幸福を祈る会」という看板を掲げた人々の姿も見かけた。ここまでくると、さすがに細工や打ち合わせという範疇は超えている。
恨まれていないのはわかったが、あまり持ち上げられるのも戸惑ってしまう。
「なんだか不思議な気分……」
「これで安心したか?」
「あまり実感は湧かないのだけど、みんなが元気そうで……それだけは本当によかった」
フェザンがいてくれるだけで幸せなことに違いはないのだが、これでようやく心置きなく皇太子妃としての道をまっすぐに前に進むことができるのだ。
座席の上の林檎の籠から甘酸っぱい香りが漂ってきて、アルエットは自然と笑みを浮かべていた。




