1.急襲
エグマリン国に向けて、アルエットたちが王都を出発したのは数日後の昼前のことだった。護衛を連れて予定通りの行程を進む。クライノート帝国へ連れてこられた時には見ることのできなかった景色は、どこも新鮮に映り、ほとんど馬車に乗っているだけの旅も退屈しなかった。
もちろん同じ客車にはフェザンがいて話し相手になってくれるほか、ジゼルとレオニートも同席していたので、会話が途切れることはなかった。
いくつかの町を経由し、六日目にはエグマリンと隣り合う属州国を移動していた。この辺りは人家もなく、荒れ果てた土地が続いている。あいにくの天気で、鈍色の雲から落ちてきた雫が馬車の窓を叩いていた。
陽が落ちるのはまだ先のはずだが、この天候のせいですでに辺りは薄暗く、見通しはよくない。
時々瞼が重くなって、ゆらゆらと頭が揺れた。
「……今日中に着くかしら?」
目を開けても町の明かりは見えてこない。予定では夕刻にはエグマリンの国境の町リューヌに到着し、そこで一泊することになっている。
「少し遅れているが、身分を明かせば門扉は開けてもらえるだろう」
フェザンの返答にホッとして、アルエットは胸を撫で下ろした。
「疲れたのか? 眠っていてもいいぞ」
「大丈夫」
そう答えたものの、外は興味を引くような風景は見られそうにないし、雨音が眠気を誘っていることも確かだ。再び重くなる瞼と格闘する。
「遠慮することないです。殿下はアルエット様にくっついてほしいだけだと思いますよ」
向かいの座席に座っているレオニートがくすりと笑った。
「お前、最近口が過ぎるぞ」
フェザンは部下を睨みつけたが、真剣に怒っているわけではなさそうだ。
「わ、私だけ眠るのも申し訳ないですし……」
アルエットは慌てて苦笑いを浮かべて二人の間に割って入る。
「では、みんなで寝ればいいじゃないですか、ねえ?」
そうレオニートに話しかけられたジゼルは、彼が言いたいことを察してくすりと笑う。
「ええ。アルエット様、町につくまで少し休みましょう。私も本当は疲れていたのですが、主が休みませんと私は眠ることができません」
彼女にそう言われてしまい、アルエットは隣に腰かけているフェザンをちらりと見た。
「だそうだ」
短く言葉が返ってきて、アルエットは「では、少しだけ……」とフェザンの肩に凭れかかると目を閉じる。
ほどなくして彼女の静かな寝息が聞こえてきた。
眠る気などない三人は黙ってそれに耳を傾ける。
「素直過ぎてお可愛らしいですねえ。フェザン殿下が大切にしたくなるお気持ちよくわかります」
しばらく進むと外がすっかり暗くなってきて、レオニートは目を潤ませて口元を手で押さえた。
「うるさい。しゃべるな。アルエットが起きるだろう」
フェザンが眉間に皺を寄せる。
「大丈夫ですよ、ぐっすり眠っているじゃないですか」
「レオニート様、おふざけが過ぎますと町へ着いてもあなただけ閉め出されてしまいますよ」
調子づく彼をジゼルが笑いながら軽く諌める。
「いやあ、お二人の出会いから見守ってきた俺としては、感動もひとしおで――」
レオニートはそこで言葉を切り、思考を切り替えるように鋭い目線を窓の方へ投げる。
馬の嘶きと共に、馬車の速度が下がり、御者から「攻撃を受けています!」と声が飛んできた。
「殿下」
「わかっている。直接狙いにくるとはいい度胸だ」
「野盗の可能性は?」
「何者であろうとも、こちらに刃を向ける者は排除する」
外から客車にゴツッと硬いものが当たる音がした。おそらく矢を放ってきているのだろう。
レオニートは座席の下からすばやく二本の剣を取り出し、一つをフェザンに手渡した。
「馬車を止めろ!」
フェザンの掛け声に馬の足並みが制御された。その声にアルエットはハッと目を覚まして起き上がった。
「フェザン……どうしたの?」
ただならぬ雰囲気に、鼓動が駆け上がっていく。
「心配ない。実地訓練のようなものだ。君だけ先に行かせてもいいが、この先に別動隊がいる可能性もある。戦力を削がれるより、ここで一気に片を付けた方が得策だ」
それを聞いて、襲撃を受けているのだとわかった。
アルエットはフェザンの上着をぎゅっと掴む。
「き、気をつけて……」
本当は「行かないでほしい」と言いたかったが、彼を信じるしかない。
「アルエットを頼んだぞ」
フェザンはジゼルに声をかける。
「かしこまりました。こちらはお任せを」
立ち上がったフェザンの位置と変わるように、彼女がアルエットの隣に腰かける。
「行くぞ、レオニート」
「はい!」
レオニートが扉を開け、先に飛び出していく。フェザンがそれに続いた。
外は強い風も吹いているようで、冷たい雨粒が中に飛び込んできた。しかし扉はすぐに閉じられる。
「ど、どうして……? 何が起きているの……?」
手足が小刻みに震えて、思考がまとまらない。
「アルエット様、目を閉じていてください。私が耳を塞いでおきます。大丈夫です、すぐに終わりますから」
ジゼルに優しく背中をさすられ、おびえながらも両手で顔を覆う。
そっと両耳に彼女の掌が当てられ、聞こえてくるのは自身の激しい鼓動の音だけだ。しかしながら忙しないその音がかえって不安を駆り立てる。
かすかに複数人の悲鳴や叫び声が聞こえてくるような気がした。
――早く終わって。無事に戻ってきて。
きつく瞼を閉じて、アルエットは祈り続ける。
「……ここか!」
突然バンと扉が開いて、盛んに降る風雨の音と聞いたとこのない男のだみ声が同時に入ってきた。
アルエットは悲鳴を上げそうになったが、その前に馬車が大きく揺れて男の口から苦悶の声が漏れる。
「ね、ねえ……どうなったの……?」
おそるおそる尋ねると、身じろぎしたジゼルは手を離さずに「ご安心くださいませ」と伝えてきた。
「《《ネズミ》》が中に入ってきたので追い払っただけです」
ジゼルは穏やかに返答しつつも無表情で、馬車の手すりに引っかかっていた男の汚れた手に底の厚い靴で思いきり圧力をかける。
骨の砕ける音がしたが、それより先に急所を貫かれていた男はすでに虫の息で、抵抗することなく泥の中に沈んでいった。
ジゼルはちらりと暗がりに見えたフェザンに頷いてみせると、素早く扉を閉めた。




